夜の声

神崎

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一年目

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 やっと唇を離されて、体を引き寄せられる。温かい手のひらが背中で感じる。体に温かい男の体も感じる。だけど私が欲しいのはこの体じゃない。
 私はその体を遠ざけるように肩に手をかけて、私の体から離した。すると葵さんは少し唇をとがらせて私をみる。
「雇用主だからって、こんなことをしてはいけないんじゃないんですか。」
「確かにそうですね。そこは否定しません。しかし今はただの男と女です。」
「高校生です。」
「十六、十七でしたね。あなたのお母さんの方が確かに私と歳が近い。しかし、そんなことはあまり関係はないんですよ。」
「関係はあります。未成年である以上、私たちはフェアではありません。」
 その言葉に彼は笑った瞳のまま私を見下ろした。その視線は、いつも笑顔で毒気のない葵さんのイメージを覆す。怒ってる?それとも笑ってる?わからない。表情が怖くて、私は逃げるようにリビングへ足を進めた。そこにはまだ手の着けられていない夕食がテーブルにあった。
「だったら待ちますか?あなたが十八になるまで。二年後、あなたは私を見ますか。」
「私はきっと葵さんをみないと思います。」

”はっきりと拒絶することも、時には必要です。関係を断ち切るためには、時に残酷に伝えることがその人のためになることもあります。”

 残酷だと思った。きっと葵さんはずっと私を見ていたのだろう。でも私はそれに答えられない。私が好きなのは……私が心から求めているのは、きっと柊さんだから。
 そのとき家の電話が鳴った。母親からかもしれない。私は震える手で、電話をとった。
「もしもし。」
「携帯、届いたわ。ありがとう。あんた、さっさと寝なさいよ。」
「わかってる。飲み過ぎないでね。」
「子供に言われるなんて、思っても見なかったわ。」
 笑い声を浮かべながら、母は電話を切る。私も受話器を置き、また葵さんの方を向いた。すると彼は私から視線をずらす。
「今日は帰ります。桜さん。」
「はい。」
 そういって葵さんは玄関へ向かう。その背中に私は声をかけた。
「今日はありがとうございました。」
 うん。それは正しい。だって結果はどうあれ、彼は男の手から私を救ってくれたのだ。このまま葵さんが来なければ、私はどうなっていただろう。ぞっとする。
「またね。」
 いつもの笑顔で彼は行ってしまった。

 夜十一時。いつものように椿さんの声がヘッドフォンから聞こえる。緩やかな音楽。そしてバリトンの声。夜の闇にその声がとても合っている。
 リスナーのメッセージに彼が答え、それにあった曲を流す今日のスタイル。その答えるメッセージは、きっとそのリスナーだけではなく、いろんな境遇の人に通じるものだと思う。実際、私もいろんな場面で彼の言葉に救われてきた。今日だってそうだ。
 伝えることをうやむやにしていたら、きっと葵さんはあのあと私に迫ってきただろう。それだけはダメだ。
 母からの信頼もすべてが消える。
 そして番組の最後だった。珍しく椿さんが言葉に詰まった。

「好きになった人が手の届かない人だった。」

 椿さんは一瞬無言だった。だけど言葉をかけた。

”手の届かない人などいるでしょうか。神様でもない限り、その人は存在しています。本当に好きならば、諦める必要はありません。もし忘れたいのであれば……。”

 少し椿さんはだまり、そして言葉を続ける。

”他の人に目を向けることです。他の人のいいところをみる。毎日一つずつ。するといつの間にか、忘れられているはずです。出会いは一つではありません。生きていれば、無限の出会いがあります。”

 出会いは無限だ。まだ十六、十七年間しか生きていないのだから。その中の一つに、葵さんや柊さんがいる。そして椿さんも。
 そして音楽が流れる。静かな曲がヘッドフォンから流れる。女性のこの国の人の声だった。静かな曲に、思い歌詞。
 胸が切ない。声が聞きたい。忘れられない。今日会ったばかりなのに。葵さんにキスなんかされたくなかった。

 やがて雨が上がり、夏を迎える。
 葵さんはいつものように厳しく、優しく仕事を教えてくれた。たまにコーヒーを飲みにくる柊さんは、元気そうだった。たまに彼から誘いがきて彼の部屋に行くことはあるけれど、キス以上のことを彼は求めたりしなかった。
 それにこんなことをしているのに、私たちに「愛の言葉」など無い。柊さんにとっては、いずれセックスをさせてくれる都合のいい相手なのかもしれないけど。それはそれでいいと思っていた。

 その日。進路選択の紙が配られた。就職組のこのクラスでも、専門学校へ行く人も中にはいる。私は公務員になりたいと就職クラスにきたので、就職に丸を付ける。そして職種のところに「公務員」と書き足した。
 そろそろ専門書とか買わないといけないかなぁ。そんなことを思っていたときだった。
 急に先生に呼び出された。職員室に呼ばれ、私は担任の前に立つ。
「公務員はないだろう。」
 開口一番教師にいわれたのはその一言だった。
「何故ですか。」
「お前が頭がいいのは知っているが、公務員の何になりたいかにもよるがが市役所なんかは高校生でなれるレベルじゃないし。運動系の部活でもないから、消防署って言うわけでもないだろう。」
「はあ……。」
「公務員になる専門学校がある。そこへ一度行ってみたらどうだろうか。」
「どれくらい通いますか。」
「短くて一年というのもある。だが本来だったら大学行った人が行くようなところだし……。」
 あぁ。何となくわかる。この教師、おそらく公務員になりたいっていう私の面倒を見るのが面倒なんだ。確かに面倒かもしれないけど、やって出来ないことはないのに。
「面倒なんですか。」
「そんなことは言っていない。」
「では、この学校から受けても大丈夫なんですよね。」
「……。」
「まぁ……確かに……。」
「だったらそれでお願いします。」
 言いくるめたような形になったかもしれない。だけど仕方ない。
 私が二年のはじめに就職か、進学かという選択を迫られたときにもう決めていたのだ。それを強要したのは、教師だったはずなのに。
「やはり……。」
 さっき話していた教師と隣の教師が何か話をしている。何を離しているのかは想像付くけれど。多分私が強引だったからだろう。
 そして私とすれ違うように、竹彦が教師の元へいった。そして彼は大きな声でいう。
「家庭の都合で就職する人に失礼ですね。」
 声が大きい事もあり、何事かと私も周りの人達も振り向いてしまった。するとその教師たちは、慌てたように彼をなだめた。
「そんなことを言っているわけじゃない。お前。何てことを……。」
 焦れば焦るほど滑稽だ。するとそこのゴミ箱を持った柊さんが、私のところへやってくる。
「何の話ですか?」
「ん?あぁ。お前のことだったのか。公務員試験を受けたいの。」
「あ、はい。」
「イヤ、俺もちらりと聞いた話だが、「母子家庭の人に公務員は難しいんじゃないか」って言ってた。」
「……。」
「教師がそんなことを言うなんてな。あきれた世の中だ。」
 母子家庭がそんなに悪いのか!くそ!柊さんのその持っているゴミ箱を頭から被せてやりたい!
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