夜の声

神崎

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一年目

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 用事があるからと言って柊さんはそのあとすぐに出て行った。母の出現で思った以上に、時間を食ってしまったからだろう。恋人同士になったからといって、彼はすべてを話した訳じゃない。いつも用事があるといって出て行くその「用事」を私はまだ知らないから。
 それに私たちはまだ愛の言葉すら交わしていない。

”言葉だけが信じれるものではありません。肝心なのは、お互いを思いやられる心です。”

 その日の椿さんは、まるで私たちのことを知っているかのような言葉を投げかけていた。
 次の日から母は機嫌が良さそうに昼頃起きてきた。男っ気のない娘についに恋人が出来たことがうれしいのかもしれない。だが、手放しには喜べないのが事実だろう。
「詐欺師。」
 母は葵さんにそういっていた。そして昨日わかった。母は葵さんのことを百パーセント信じているわけじゃないことを。
 布団を干して、シーツも洗っている。その間、私は自分の部屋にこもり、昨日買った公務員試験の参考書を開いていた。さっぱりわからない。それにインターネットで調べた高校生の求人は、わずかなものだった。この枠の中にはいるのは至難の業だろう。
「やっぱ夏期講習かなぁ。」
 インターネットで調べる限り、夏期講習をしているのは、隣町の専門学校くらいしかない。
「うーん。」
 学校が当てにならないとすればこれくらいしかないんだけど。どうしたらいいだろう。
「桜ー。ちょっといい?」
 外から母の声が聞こえた。いすから立ち上がりドアを開けると、母は携帯電話を手にしていた。
「あんた学校で簿記とか習ってるっていってたよね。資格持ってたっけ?」
「まだ。十一月に取るつもりだけど。」
「だったら大丈夫かしら。」
「何?」
「うちのお客さんで、ヒジカタコーヒーっていう会社の社長さんがいるんだけど、そこが手が今足りなくて。夏休みの間だけでも来てもらえないかって。」
「誰に?」
「あんたに。」
「無理でしょ。本格的に仕事なんて。」
「大丈夫よ。資格無くてもやり方を教えてもらえるんだから。働くんなら、実地から習った方がいいんじゃない?」
「んーでもなぁ。出来るか不安だよ。」
「甘えたこと言ってんじゃないの。あんた、柊さんを連れてきた勢いはどこ行ったの。」
 なんだかんだ言ってそればかり言うんだから。
「わかったよ。でも夜は葵さんの所に行かなきゃ。」
「わかってるって。あっちもあんたがいなきゃ大変なんでしょ?テイクアウトも始めたみたいだし。」
 そう。「窓」はかねてから言っていたテイクアウトを始めたのだ。まずはコーヒーと紅茶から。評判は上々で新規のお客さんも増えたようだ。

 結局、私は夏休みに夏期講習の申し込みは出来なかった。というかお金も結構かかるし、毎日通うとなればバイトも無理は出来ない。バイトと両立して、勉強もするなんていう離れ業が私のような不器用な人間には無理なのだ。
 こうして公務員の道は絶たれるような気もするが、気がするだけ。きっとそうだ。
 その日もいつも通り学校へ行き、私は靴箱に靴を入れて上履きに履き替えた。雨が降りそうな曇り空の日。ふと横を見ると、竹彦が同じように靴から上履きに履き替えていた。
「おはよう。」
「あ、おはよう。」
 そう。今日は木曜日。彼から言われているその日だった。今日、学校が終わったら駅へ向かわないといけない。そこから竹彦が見せたいものを見るのだ。何を見せたいんだろう。また猫だろうか。
 そして教室へ向かうと、私の側に向日葵がやってきた。
「おはよー。ねぇ。桜ぁ。聞いてよぉ。」
「おはよう。どうしたの?」
 鞄を置く間もなく、向日葵は彼氏の愚痴を言っている。向日葵の彼は別の学校の工業高校の生徒だ。男ばかりの学校で浮気の心配はないって言ってたけれど、どうやら近くにいる商業高校の女子生徒と最近仲がいいらしい。
「昨日もメッセージスルーされたしさぁ。やっぱ浮気してんのかなぁ。」
「うーん。そうとは言えないよ。出れない状況もあるんじゃない?あっちも三年生でしょ?今、就職活動の練習とかうちも忙しいじゃん。工業高校なら尚更でしょ?」
「好きなのにさぁ。」
 メッセージが来ないだけで何言ってんだろ。私なんか、毎日見ることはあっても言葉を交わすことも出来ないのに。
「そうだねぇ。」
 すると向日葵はふと不思議そうな表情になった。
「桜、なんか変わったね。」
「何で?」
「いつもだったら、気持ちわかってくれていたのに。あ、もしかして彼氏出来た?」
 ドキッ。
 何で女の子ってこういうことに鋭いんだろ。困ったなぁ。
「えー?本当に出来たの?いつ?誰?」
 もう相談はいいのか。向日葵ぃ。
「この間。相手はきっと向日葵の知らない人だよ。」
「年上?年下?同級生?」
 あー。面倒。適当に交わしたいけど、そういうわけにもいかないのかなぁ。
「うーん。年上?かなぁ。」
 廊下の向こうで柊さんが電球を持って向こうへ行った。それだけでドキッとする。はー。落ち着け私。
「何で疑問系なのよぉ。歳知らないの?それくらい年上に見えるの?」
「うーん。」
 何て言っていいかわからない。どう誤魔化せばいいかわからない。そのとき向こうから、一人の友達が雑誌を持って私に近づいてきた。
「ねぇ。桜。この店、桜のバイト先?」
 持っていた雑誌はタウン誌だった。そういえば、取材が来てたって言ってたな。葵さん。
「そうだよ。」
「やだー。すごいイケメン。店長さん?」
「私の他は一人しかいないよ。」
「かっこいいねぇ。芸能人みたい。ねぇ。今日開いてるの?」
「今日はお休み。」
「明日行っていい?」
「いいよ。」
 断る理由もないし、正直、葵さんに関心がいってくれてほっとした。でも向日葵だけは、私の彼氏という存在を無視できないようで、私が一瞬視線を柊さんに向けたその先を追っている。
 そして私に小声で聞いてきた。
「もしかして、彼氏って竹彦君?」
「違うわ。」
 何で竹彦なんかを!的外れもいいところだ。
「でも竹彦君。結構後輩に人気あるよ。可愛いって。」
「男の子に可愛いって失礼じゃないかしら。」
「そう?じゃあさ、桜は男の子見て可愛いって思わないの?」
 しばらく考え、私はいう。
「思わないわね。」
「マジで?俳優の○○とか。モデルの○×とかさぁ。」
「うーん。テレビ見ないし。」
「ほんと、なんか桜って今の時代の人じゃないみたい。」
「あ、先生来たよ。」
 そういうとやっと女子たちは離れてくれた。適当に話を合わせるのも疲れる……。
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