夜の声

神崎

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一年目

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 自宅の風呂でシャワーを出したまま、倒れていた支社長を見つけたのは蓮さんだった。急遽本社から確認をとって欲しいと連絡があった蓮さんは、支社長の自宅があるマンションへ向かったのを発見したらしい。
 急遽病院に運ばれ、どうしたらいいかわからない蓮さんは兄である葵さんに連絡をしてみたのだ。しかし葵さんには連絡が付かなかった。携帯ではなく家の電話にもしてみたが繋がらない。
 そこで私に様子を見に行って欲しいと言ってきたのだ。時計をみる。もう日付は変わっていて、私が外にでると補導される時間だろう。しかしそれが何だというのだ。
 部屋着からTシャツとジーパンに着替えて、部屋を飛び出た。そして走って「窓」へ向かう。昼間よりも僅かに涼しい夜の道。それを走っていく。
 やっとたどり着いて、「窓」のドアの前にたった。しかしここに来てどうしようというのだろう。ドアノブを押しても引いても開かない。当然だろう。こんな時間に開いているわけがない。
 ふと思い出したことがある。一度、裏口から葵さんが出てきた。そこなら開いているかもしれない。建物と建物の間。そこへ行ってみると、やはりドアがあった。そこのドアノブに触れる。しかしやはり開かない。どこかへ行っているのだろうか。でもこんな夜に?
 確かに大人の人だし、どこにいても別に関係ないのかもしれないけど……。だけど連絡が付かないというのがどうにも気になる。どんな時間になっても連絡だけは付く人なのに。
 私は携帯電話を取り出すと、葵さんに電話をした。しかしやはり出ない。嫌な予感がする。
 でも誰に連絡をしたらいいの?他に……。柊さん?ううん。多分まだ連絡は付かない。メッセージが来ないから。彼はメッセージを読めばいつも何かしらの連絡をいれてくれるから。
 じゃあ、誰?
 私は震える指でそこに連絡をいれた。
「もしもし。」
 繋がった。周りは騒がしい音が流れている。
「どうしたの?こんな夜に。」
 しゃがれた低い声。それは梅子さんだった。
「梅子さん。そこに葵さんはいますか。」
「店に?えぇ……いたわ。十分くらい前まで。」
「どこに行くといってました?」
「知らないわ。もう帰ったんじゃないのかしら。」
 いない。でもさっきまでそこにいた。私はほっとして、ドアにもたれ掛かった。
「ありがとうございます。」
「どうしたの?さっき、葵の弟って人からも連絡があったの。」
「……何でもないんです。すいません。失礼します。」
 言えない。支社長が手首を切ったなんてこと。
 私は電話を切って、そこに立ち尽くした。ここで待っていれば葵さんがやってくるかもしれない。そう思いながら。
 でも私は不謹慎だと思う。だけど連絡をしないといけない。また携帯電話を開き、今度は柊さんに電話をした。何度かコールして、留守番電話になる。ため息をついて携帯電話を閉じた。
「誰?」
 声が聞こえて私はそちらを振り向いた。そこには葵さんがいる。彼は私を見て微笑んだ。
「こんな夜にこんなところにいてはいけませんよ。桜さん。」
 彼はそういって私に近づいた。
「連絡をずっとしてました。」
 近づいてきた彼からはお酒の匂いがする。おそらく「虹」で飲んでいたのかもしれない。
「飲みに行くときは携帯電話を持たないんです。うっとうしいので。それよりどうしました?あなたがこんなところにいるなんて。」
「支社長が手首を切って病院に運ばれました。」
 その言葉に彼の表情が一瞬、強ばった。しかしすぐにいつもの笑顔に戻る。
「そうですか。でももう私には関係ないことです。」
 そういって彼は私を押し退けて、鍵を開けようとした。その態度に、私は彼の腕を掴む。
「恋人だったんですよね?どうしてそんなに非情になれるんですか。」
 すると彼は軽いため息をついた。私を見下ろした表情は、どこか諦めているように見える。
「いつものことです。蓮は初めてだったのかもしれませんが、彼女は自傷の癖があるんですよ。あなたも気がついていたでしょう。手首に傷があること。」
「……わかってました。だから難しい人なのかと思っていたくらいで……。」
「えぇ。難しい人です。一人で燃え上がり、一人で嫉妬して、一人で傷つく。暴れ馬のようでしたよ。私はそれに乗りこなせなかった。そしてもう関わりたくはない。」
「でも死ぬかもしれませんでした。」
「死ぬことが出来れば彼女の本望でしょう。」
「そんなこと……。」
「いいから。彼女のことは蓮に任せましょう。蓮も彼女の下についているなら、きっと慣れる。私から連絡をしますから。」
「……。」
 本当にそれでいいのか。わからなかった。
 死のうと思ったことはない。だから支社長の気持ちなんてわからない。だけど死なせたくないと誰もが思っている。その気持ちは分かる。今の私だから。
「葵さん。やはり一度病院へ行ってもらえませんか。」
「どうして?気にする必要はないといったばかりなのに。」
「いいえ。支社長のためではなく……蓮さんのために。」
 私も行きたい。だけどそういうわけにはいかないだろう。
「わかりました。では選択肢を二つ。あなたに差し上げましょう。」
「……何ですか。」
 こういうときの選択肢は嫌なことしか思い浮かばない。
「私はこのままあなたを送って家に帰る。明日も早いですからね。」
「もう一つは?」
 彼はまた笑顔を浮かべる。
「朝、彼女の所へ行きます。今からの時間は、あなたを独占したい。」
「私を?」
「私とセックスをしましょう。」
「は?」
 ふざけているの?いいや。真面目に答えているのかもしれない。だって表情は変わらないのだから。
「どちらにしますか。」
 思わず戸惑った。
 彼が言うのは支社長をとるのか、それとも、柊さんを取るのか。そう言いたいのだろう。
「あぁ、もちろん柊には言いません。もっとも、その跡があるからあなたはしばらく柊とはセックスできないでしょう?」
 彼は私に近づいてくる。その距離を縮められたくなくて、私は後ずさりした。
「……どうしてそこまでして……。」
「チャンスだと思ったからですよ。あなたをものに出来る。柊よりもいい思いをさせるし、柊を忘れられるかもしれない。」
「ずいぶん自信があるんですね。」
「えぇ。自信がなければいいません。彼には経験値がない。あなたを満足させられていないでしょう?」
「いいえ。十分です。」
「だとしたら、あなたは何もまだ知らないんですよ。」
 手を捕まれて、彼は私を引き寄せようとした。そのときだった。

 ブーン。ブーン。

 電話が鳴った。多分相手は柊さんだと思う。私はその電話を取った。
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