守るべきモノ

神崎

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 パソコンを前に、伊織はいすの上であぐらをかく。普段伊織は仕事を家に持ち込んだりしないが、今回の仕事は少し訳が違う。風俗情報のフリーペーパーの仕事は、どう考えても胡散臭い。だが会社に雇われているからには仕事は選べない伊織は、それでもそのデザインをどうしようかと悩んでいたのだ。
 クリスマス時期に発刊するらしい。となると、風俗情報はピンクなどがセオリーだが、差し色として緑や赤を入れるのも良いかもしれない。そう思いながら伊織はその文字に、緑の色を足していく。そのときだった。
「伊織君。」
 外から声をかけられる。振り返って伊織はそこに声をかけた。
「どうぞ。」
 部屋に入ってきたのは、春樹だった。さすがに冷えてきたので、さすがに短パンやシャツではなく、スウェットを着ているようだ。仕事をしている伊織を見て、春樹は少し意外そうな表情をする。
「忙しいかな。」
「いいや。急ぐ仕事じゃないんだけどさ、こう……自宅勤務の時は、アイデアが詰まったら散歩したり料理したりとか出来たんだけど、今はそれも出来ないし。」
「あぁ。場所を変えるとアイデアが出てくることもあるよ。」
 倫子もそのタイプだ。気をつけなければ、倫子はずっとあの部屋にいる。そして執筆が詰まって考え込んでしまうのだ。
 適度に外をでてリフレッシュも時には必要なのだろう。
「どうしたの?なんかあった?」
「んー。これをもらったんだけど、俺行けそうにないんだよ。」
 そういって春樹は二枚の紙を差し出す。それは映画のチケットだった。駅前のシネコンでみれるらしい。
「いつまで?今度の日曜までか。」
「うん。泉さんの休みの時にでも行ってくればいい。泉さんの仕事を待っていたら、電車も間に合わないだろうしね。」
 泉とデートをしてこいと言うことだろう。伊織はそれを受け取ると、伊織は少し笑った。
「倫子と行かないの?」
「倫子さんは映画は見ないんだ。」
 倫子が映画を見るときは、自分の作品が映像になったときだけだった。他人の作られたものは、本だけで十分らしい。
「案外素直に言うんだね。」
「今更隠す必要はないよ。」
 二人には知られている。そしてこの二人はどうにかして倫子と離そうと思っているようだが、一つ屋根の下にいればそれは難しい。
「……映画かぁ。」
「興味ない?」
「いいや。今気になってるのもあるし、ありがたくもらうよ。」
 泉はどんなジャンルの映画が好きなのだろう。そういえばそんなことも話したことはない。お互いに付き合ったといっても何も知り合っていないし、そんな時間もないのだ。
「……春樹さんさ。」
「ん?」
「奥さんと最初にデートしたのって、どこ?」
「どこだったかな……。あぁ、海へ行ったよ。」
「海?」
「ベタだけどね。俺、あのころはバイクが好きで、ツーリングへ行った。」
 未来はバイクになれていなかった。だから「そのうち慣れるよ」と春樹は言ったが、未来は「慣れる必要はない」と言ったのを覚えている。
「今は乗らないの?」
「妻がバイクが苦手でね。そもそも、バイクはあまり買い物をしたりとかには向いていないから。」
 奥さんのために好きなことを諦めたのだ。きっと結婚でもすると、どちらも譲歩しないといけないことがあるだろう。それが春樹にとってはバイクだった。
「結婚ってそんなものなのかな。」
「そんなものだよ。違う環境で生まれて育ったんだ。何もかもを許すと、どこかで我慢の限界がくる。」
 春樹にとっては「子供を作りたい」という妻の言葉が、一番の苦痛だった。
「そのためには話をしないといけない。」
「……そうだね。都合を付けていくことにしよう。」
 映画のあと、食事へ行くのもいいだろう。だがその間のことは不安だ。
「春樹さんさ。」
「ん?」
「俺らが居ないとき、盛らないでよ。」
「どうだろうね。俺、もう三十六になるんだけど。」
「そうだっけ。」
 若々しい春樹を見ていると、三十六と言われてもそんな歳に見えない。
「君らとは違うよ。二十代よりも三十代の方がたちも悪くなるし、持続力も無いと思う。」
「二十代の方が出来た?」
「まぁね。一晩に何回もすることがあったし。」
「相手は一緒?」
「そこまで節操がないわけじゃないよ。」
 男同士だから話せることだろう。少し笑いながら、春樹は伊織の部屋を出ていった。これだけけしかければ、何かしらの行動に移すだろう。春樹はそう思いながら、部屋へ戻ろうとした。そのとき、トイレの方から倫子が出てくる。そして少し笑った。
「何?」
 春樹に近づくと、耳元で倫子は囁いた。
「一晩に何回も出来ないなんて、よく言ったものね。」
 聞いていたのか。春樹は倫子の方を見ると、倫子はそのまま自分の部屋の方へ向かう。
「倫子。」
 倫子の腕をつかむと、倫子は少し笑って春樹に言う。
「仕事したいの。」
「そんなに煽られて黙っていられる?」
 春樹の手をふりほどいて倫子は自分の部屋へ向かう。春樹もそれを追って倫子の後ろを歩いていく。するとそのまま倫子は自分の部屋に戻っていった。そして春樹もその部屋の中にはいる。
 ドアを閉めて、春樹は倫子の腕を再び引き寄せた。すると倫子はそのまま春樹の体に倒れ込むように抱きしめられる。
「倫子……。」
「声を抑えて。」
 隣には泉がいるのだ。こんな事をしていると言われたくない。
「倫子。」
 声を抑えて、また春樹は倫子の名前を呼ぶ。春樹の背中にも倫子の手の感触が伝わってきた。
「春樹……。」
 そのときふと未来の母のことを思いだした。いい人がいれば一緒になってもかまわないと。しかしその相手はきっと倫子ではない。しかし今は倫子しか考えられない。
「好きだよ。」
 耳元で囁かれて、倫子の頬が赤くなる。
「ずるい。こんなタイミングで言うなんて……。」
「感覚的にはここでしたいけど、今日は無理かな。」
「そうね。」
「明日の昼、ここに来る用事はないかな。」
「無理に作らないで。編集長なんでしょう?」
「外出できれば、ここにくる名目が出来る。」
「何回も出来ないおじさんなのに?」
 その言葉に、春樹は少し笑う。そして倫子を少し離すと、その唇を重ねた。
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