守るべきモノ

神崎

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 両親が口を付けた湯飲みを片づけて、倫子は自分の部屋に戻った。そしてファンヒーターをつける。
「ネームだったわね。チェックするわ。」
 昨日一日パソコンはつけていなかった。きっとメールボックスなんかも沢山入っているだろう。パソコンのスイッチをつけようとした倫子の手を政近が握る。
「無理するな。」
「……。」
「お前、癖にはなってないのかもしれないけど、死のうとか思ったこともあるんだろ?」
「……うん。」
「あの両親の元で育ってんだ。栄輝がよくまともに育ってるよ。」
「……栄輝もつかず離れずといったところだったから。」
 しかし世間の目はもっと厳しいのだ。倫子がしたことで世間は冷ややかで、両親はもっと冷たい目にさらされていたのだろう。
 両親があんな風になってしまったのも、忍があんなことしか言えない人間になったのも自分が全て悪いと思っていたのだ。
「しかし何でお前の主張って跳ね返されたのかな。」
「青柳が手を回したからよ。」
「警察も?」
「たぶんね。そうじゃないとあんな不自然な捜査をしない。異議を申し立てた警官もいたけれど……。」
 槇司の父親だった。
 燃えた建物の痕跡から、体液とともに血液が発見された。それは倫子が処女だったことを意味する。
 倫子の持ち物の中に煙草はない。故に煙草の不始末で火がついたというのは不自然だ。
 倫子の体には火事でついた火傷の他に、殴られた跡、手足を押さえられた痣があった。
「証拠は十分だった。だけどいつの間にか隠蔽されていたの。そしてそれを主張した警官は左遷された。」
 全てを隠し、倫子や家族は肩身の狭い思いで今まで過ごしてきたのだ。
「昨日の事件は目撃者が沢山いて良かった。あれだけいれば事実を湾曲は出来ないわね。」
「あのさ……倫子。」
「何?」
 政近はそのまま手を離すと、倫子が座っているいすの前で倫子の目線に降りる。
「俺、ここに住んでもいいか。」
「あなたが?」
「住みたい。俺、アシには行くけど基本家だし、あの両親ってまた来るだろ?俺の印象は最悪だと思うし、もしいれば嫌がるんじゃないのかって。」
「……そうね。でも部屋がないのよ。」
「泉が出るだろ?」
「泉が?どうして?」
 すると政近は少し笑って言う。
「このままってわけにはいかないだろ?あの女も。礼二と一緒になりたいとか思ってんじゃないのか。」
 その言葉に倫子は少し黙ってしまった。泉はここにいたいというかもしれないが、確かにずっとこのままというわけにはいかないだろう。それに気になることもある。それは大和のことだ。
「そうね。泉に話をしないといけないし、考えておくわ。」
 すると政近はそのまま倫子の頭に手を伸ばすと、軽く唇を重ねた。すると倫子は慌ててその体を離す。
「やめてよ。」
「今更?」
「……。」
 母親の声が頭の中で響く。一人で足りているのかという言葉。それが自分の中で確かに思っていたことだった。
 春樹が好きなのに、こうして頼れるような他の人が来るとそっちに傾いてしまう。性根がなくて拒否も出来ない。
「悪いな。あんなことを言われたあとじゃ、お前も複雑だろ?今日は我慢するよ。」
「政近……。」
「仕事するか。俺、昼からアシ頼まれてんだよ。さっさとやろうぜ。」
「うん。」
 倫子はそういってパソコンを開く。今は、仕事だけが忘れさせてくれた。

 昼からやってきたのは、漫画家のための缶詰部屋だった。いい作品を描くが、筆の遅い作家がいてそのために政近が呼ばれたのだ。政近の筆は相当早く、それを参考にして星と担当がアシスタントにつけたらしい。
「こっちはベタ?」
「そう。」
「わかりにくいな。ベタならベタって書いてくれる?」
「うん。悪いね。」
 口数が少ない作家だ。だが描くものは胸を踊らされるような冒険活劇だから、それが少し意外だと思っていた。
 歳は政近と同じくらいの歳だろうか。だがこの男は中学もまともに行っていない。いわゆる引きこもりだったのだ。人とのコミュニケーションが絶望的に悪い。政近も半分いらいらしてきたが、その分作品の面白さに舌を巻いた。この発想は出来ないなと思っていたのだ。
「良し。終わったな。」
「田島さん。ありがとう。君の作品もあるのに。」
「今日からやっと清書いけるから。帰ってやらないとな。」
 ネームは問題なかった。編集者にも問題はないといわれたが、肝心の春樹の返事はまだない。忙しいのだろうか。ちょっと「月刊ミステリー」の方にも顔を出してみようと、政近は席を立った。
 そして大きな荷物を持ちながら、廊下を歩く。その間も政近を知らない人たちがぎょっとした目で政近を見ていた。
「どこのアーティスト?」
「取材?」
 見た目がこんな感じだからいうのだろうか。気に入ってしている格好なのだから放っておいてほしい。そう思いながら、「月刊ミステリー」のドアをたたく。
「失礼しまーす。」
 奥が春樹の席だ。だが春樹の姿はない。どこかへ行っているのだろうか。そのとき一人の女性が政近に近づいてきた。
「田島先生。」
 見たことのあるショートカットの女性だ。編集長である春樹の下につく人だろう。加藤絵里子と言っていた。
「藤枝編集長いないですか?」
「あぁ。上に報告へ行っていてまだ帰ってきてませんね。」
「昨日の事件の?」
「こっちもセキュリティーが甘いところがあったと言われました。」
「小説家のトークショーにセキュリティーを重視するかぁ?」
 少し笑って言うが、絵里子は真剣に言う。
「荒田先生はもう著名人ということです。それなりにしないといけないんですよ。」
 興奮気味だ。この状態で何を言っても受け入れられるわけがない。
「わかった。わかった。悪かったよ。いらねぇことを言った。」
 そのとき向こうの廊下から春樹がやってくる。若干疲れているようだ。
「あぁ。田島先生。こんにちは。」
「大変そうだな。あんたも。」
「まぁ……。あぁネームでしょう?あれで結構です。進めてください。すいません。連絡をしなくて。」
 それどころではないのはわかる。政近はため息をついて、春樹の袖を引いた。
「コーヒーでものまねぇかな。」
「コーヒー?」
 すると絵里子が口を挟む。
「編集長。ちょっと休憩しても大丈夫ですよ。昼休憩もとれなかったんですから。」
「煙草でも吸おうぜ。な?」
 政近にも絵里子にも気を使われた。少し苦笑いをして、春樹はその言葉に甘えるように政近とともにエレベーターのそばにある喫煙所へ向かった。
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