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春
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携帯電話を楓に渡し、私は部屋に戻ってきた。電気をつけると、そこにはベッド、机、いす、クローゼットや本棚。それらのモノよりも目立つモノがある。
「…。」
イーゼルに立てかけられた描きかけの絵。机の前のいすをイーゼルの前に置いて、私はその絵を見る。まだ絵の具は乾きかけだ。
海の絵を描いた。青い海。青い空。それに染まらないような白い鳥。
「白鳥は…。」
そっとつぶやく。白鳥は海の青や空の青にも染まらない。それだけ自分を持っているからだ。そういう風にとらえた短歌。それをモチーフにしたのだ。
「甘いわね。」
大学は芸術系の学校へ行った。地元では絵がうまいといわれ、何度も県のコンクールに出品しては、入賞や大賞を取った。高校の美術の先生だけが、私を美大に推薦するのをためらっていた。
「基礎がまだまだですから。もう少し下のランクの美大でもいいと思いますが。」
その一言が悔しくて、私は三年生になって必死にデッサンをすることにした。おかげでめきめきとデッサン力は着いたと思う。それがさらに私に変な自信を付けさせてしまったのだ。
無理して入った芸大には、私よりもうまくて、私よりもセンスのある人たちばかりだった。
取り残された気分になった私は、それでも必死に食らいつこうとしていた。でも報われることはなかった。
「…何つーの。この絵。センスだけっていうか。」
「基礎がねー。」
「こんな絵百円でも買わないよ。」
百円以下の絵を生産するだけの私。すっかり自信をなくし、それでも大学だけは卒業しなさいという親のいうとおり、大学だけは卒業した。
「…惨めね。」
そんな目にあっても絵を忘れられないのは女々しいのか。今でも絵を描いている。
そんな私の絵を見てくれるのは、たまにこの部屋にやってくる律や光、楓だけだった。そして律はこの絵が出来るまでを写真に撮りたいからと、カメラまで持ってくる。
トントン。
ノックする音が聞こえて、私はドアを開けた。
「律。」
「邪魔する。」
そういって彼はカメラを片手に、部屋の中に入ってきた。
「絵の具、乾いているか?」
「まだみたい。」
「だったら光が入る。もう少し待てば良かったか。」
「そうかもしれないわね。」
私はベッドに腰掛ける。すると律はいすに腰掛けた。
「なかなか完成って言わないな。」
「完成したところでこんな絵をどこに飾るかしらね。」
「事務所にでも飾ればいい。あの部屋は殺風景すぎる。」
本物の海が見えるのに海の絵を飾るというのはどうなんだろう。
「周。いつの間にピアスなんか開けたんだ。」
「え?」
「女が自分の体に傷を入れるなんてな。」
「男ならいいってわけ?」
すると律は不服そうにため息をつく。
「俺はいいんだよ。」
「入れ墨、また増えたの?」
「増えてない。右の上だけだ。」
「温泉は入れないわよ。」
「入らない。」
そういって律は私の座っているベッドに腰掛けた。そして私の右耳を見る。
「ピアス跡だな。入れてないのか。」
「仕事中はね。」
すると律は自分の耳にしているピアスを外した。それは十字架のモチーフがついたピアスだった。
「やる。」
「え?」
「付けてろ。」
「でも…。」
「何だよ。今すぐじゃない。消毒して付けろよ。」
「知っているわ。でもこれって…高いものじゃない。もらえないわ。」
「大して高くない。」
私はそれを手にすると、机の上にあったエタノールを綿にしみこませてピアスを拭いた。アルコールは即乾性だ。すぐに付けられるだろう。
鏡を見ながら、ピアスを付ける。そして付け終わると、妙な感覚になった。私の右耳に十字架のピアス。そして律の左耳には、同じピアスがあったからだ。
「お揃いみたいになっちゃったわね。」
「誰も一緒には見ない。」
そういって彼は立ち上がり私の側にくる。
「気になるんだったら、逆にすればいい。お前はピアスホールは一つしかないんだから、それくらい出来るだろう。」
私の耳たぶに触れて、そのピアスのモチーフをひっくり返した。
「ありがとう。」
「…別にかまわない。逆十字か。メタル好きと思われても仕方ないな。」
「メタル?」
「あぁ。デスメタルとか、ブラックメタルとか…まぁ音楽のジャンルだな。」
「そう…。」
その辺が好きな人も芸大には多かった。だけど、私には興味がない。
そのとき鏡を見て、私は驚いた。律が私の首もとに顔を近づけようとしていたからだ。
「何?」
驚いて振り向いた。すると彼は口元だけで笑った。
「鏡がなければ、そのままだったのに。」
「…。」
「そんなに驚くな。処女じゃあるまいし。」
「やめて。そんな言い方。」
まるで股が緩いみたいな言い方だ。
「二十四だっけ?」
「そうだけど…。」
「今時高校生でもそんな驚き方しないぞ。」
「悪かったわね。あんまり経験がなくて。」
たまに律はこんな悪ふざけをする。これは光も楓も知らないこと。知られたら大変なことになるだろうけど。
「お、絵の具乾いたか。」
「そうね。」
絵に振れてみる。もうカサカサした感触しかなかった。
「写しても?」
「どうぞ。」
カメラを構えて、絵を撮る。そのときの視線が、私が一番好きな律だった。真剣な眼差しでモノを撮ろうとするそのまなざしが、ドキリとさせる。
「こんなもんか。」
そういって彼はカメラの映像をチェックした。それを私も覗き見る。
「でもまだまだこの絵が完成とはいかないわね。」
「映像にするとわかるな。」
「えぇ。」
「…完成したら…。」
何か言い掛けた。でも律は何も言わない。
「何?」
せかすと、彼はやっと口を開く。
「そうだな。どこかへ行こうか。」
「え?」
「この間撮ったところが綺麗だった。お前だったら絵を描きたいというだろうと思って。」
是非連れて行って。そういいたいけれど、頭の中に光が浮かんだ。それを言うということは、光を裏切るのではないかと思ってしまう。
「そう。それはいいわね。」
私は曖昧な返事しかできなかった。
「…。」
イーゼルに立てかけられた描きかけの絵。机の前のいすをイーゼルの前に置いて、私はその絵を見る。まだ絵の具は乾きかけだ。
海の絵を描いた。青い海。青い空。それに染まらないような白い鳥。
「白鳥は…。」
そっとつぶやく。白鳥は海の青や空の青にも染まらない。それだけ自分を持っているからだ。そういう風にとらえた短歌。それをモチーフにしたのだ。
「甘いわね。」
大学は芸術系の学校へ行った。地元では絵がうまいといわれ、何度も県のコンクールに出品しては、入賞や大賞を取った。高校の美術の先生だけが、私を美大に推薦するのをためらっていた。
「基礎がまだまだですから。もう少し下のランクの美大でもいいと思いますが。」
その一言が悔しくて、私は三年生になって必死にデッサンをすることにした。おかげでめきめきとデッサン力は着いたと思う。それがさらに私に変な自信を付けさせてしまったのだ。
無理して入った芸大には、私よりもうまくて、私よりもセンスのある人たちばかりだった。
取り残された気分になった私は、それでも必死に食らいつこうとしていた。でも報われることはなかった。
「…何つーの。この絵。センスだけっていうか。」
「基礎がねー。」
「こんな絵百円でも買わないよ。」
百円以下の絵を生産するだけの私。すっかり自信をなくし、それでも大学だけは卒業しなさいという親のいうとおり、大学だけは卒業した。
「…惨めね。」
そんな目にあっても絵を忘れられないのは女々しいのか。今でも絵を描いている。
そんな私の絵を見てくれるのは、たまにこの部屋にやってくる律や光、楓だけだった。そして律はこの絵が出来るまでを写真に撮りたいからと、カメラまで持ってくる。
トントン。
ノックする音が聞こえて、私はドアを開けた。
「律。」
「邪魔する。」
そういって彼はカメラを片手に、部屋の中に入ってきた。
「絵の具、乾いているか?」
「まだみたい。」
「だったら光が入る。もう少し待てば良かったか。」
「そうかもしれないわね。」
私はベッドに腰掛ける。すると律はいすに腰掛けた。
「なかなか完成って言わないな。」
「完成したところでこんな絵をどこに飾るかしらね。」
「事務所にでも飾ればいい。あの部屋は殺風景すぎる。」
本物の海が見えるのに海の絵を飾るというのはどうなんだろう。
「周。いつの間にピアスなんか開けたんだ。」
「え?」
「女が自分の体に傷を入れるなんてな。」
「男ならいいってわけ?」
すると律は不服そうにため息をつく。
「俺はいいんだよ。」
「入れ墨、また増えたの?」
「増えてない。右の上だけだ。」
「温泉は入れないわよ。」
「入らない。」
そういって律は私の座っているベッドに腰掛けた。そして私の右耳を見る。
「ピアス跡だな。入れてないのか。」
「仕事中はね。」
すると律は自分の耳にしているピアスを外した。それは十字架のモチーフがついたピアスだった。
「やる。」
「え?」
「付けてろ。」
「でも…。」
「何だよ。今すぐじゃない。消毒して付けろよ。」
「知っているわ。でもこれって…高いものじゃない。もらえないわ。」
「大して高くない。」
私はそれを手にすると、机の上にあったエタノールを綿にしみこませてピアスを拭いた。アルコールは即乾性だ。すぐに付けられるだろう。
鏡を見ながら、ピアスを付ける。そして付け終わると、妙な感覚になった。私の右耳に十字架のピアス。そして律の左耳には、同じピアスがあったからだ。
「お揃いみたいになっちゃったわね。」
「誰も一緒には見ない。」
そういって彼は立ち上がり私の側にくる。
「気になるんだったら、逆にすればいい。お前はピアスホールは一つしかないんだから、それくらい出来るだろう。」
私の耳たぶに触れて、そのピアスのモチーフをひっくり返した。
「ありがとう。」
「…別にかまわない。逆十字か。メタル好きと思われても仕方ないな。」
「メタル?」
「あぁ。デスメタルとか、ブラックメタルとか…まぁ音楽のジャンルだな。」
「そう…。」
その辺が好きな人も芸大には多かった。だけど、私には興味がない。
そのとき鏡を見て、私は驚いた。律が私の首もとに顔を近づけようとしていたからだ。
「何?」
驚いて振り向いた。すると彼は口元だけで笑った。
「鏡がなければ、そのままだったのに。」
「…。」
「そんなに驚くな。処女じゃあるまいし。」
「やめて。そんな言い方。」
まるで股が緩いみたいな言い方だ。
「二十四だっけ?」
「そうだけど…。」
「今時高校生でもそんな驚き方しないぞ。」
「悪かったわね。あんまり経験がなくて。」
たまに律はこんな悪ふざけをする。これは光も楓も知らないこと。知られたら大変なことになるだろうけど。
「お、絵の具乾いたか。」
「そうね。」
絵に振れてみる。もうカサカサした感触しかなかった。
「写しても?」
「どうぞ。」
カメラを構えて、絵を撮る。そのときの視線が、私が一番好きな律だった。真剣な眼差しでモノを撮ろうとするそのまなざしが、ドキリとさせる。
「こんなもんか。」
そういって彼はカメラの映像をチェックした。それを私も覗き見る。
「でもまだまだこの絵が完成とはいかないわね。」
「映像にするとわかるな。」
「えぇ。」
「…完成したら…。」
何か言い掛けた。でも律は何も言わない。
「何?」
せかすと、彼はやっと口を開く。
「そうだな。どこかへ行こうか。」
「え?」
「この間撮ったところが綺麗だった。お前だったら絵を描きたいというだろうと思って。」
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