古い家の一年間

神崎

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 しばらく身を潜め、テトラポットの影に私たちはいた。そして足音が聞こえなくなったのを確認して、また海岸に出ていった。律が持っている時計を見ると、すでに日が変わりそうな時間になっている。
 普段ならもうベッドの中だ。こんな時間まで外にいることはほとんどない。
 繋いだ手を離すのが惜しい。だけど家の中にはいるのだから、それはやめた方がいいだろう。律もそれを感じていて、繋がれていた手を離した。
 鍵を開けて、家の中にはいる。仕事場には光がないが、その奥の扉。そこからはわずかに光が漏れている。誰かいるのだろうか。
 小さなガラスからそこを覗いた。ダイニングには光がいるようだった。
「…。」
 向かいにはもう一人。それは楓だろう。
「何か話しているのか。」
 耳を澄ましても聞こえない。何を話しているのかは気になるが、ここで立ち尽くしても仕方がない。
 私たちは顔を見合わせて、その扉を開いた。
 その音に気がついて、楓と光はこちらを見た。
「どこ行ってたの?部屋にも声かけたのに。」
 光はそう言って、私たちを見た。
「仕事があって。」
「周は?」
 どう答えようか言葉に詰まってしまった。律に誘われた。なんて言えないだろう。
「風呂上がりで暑かったから外を歩いていたところを、俺とさっき会った。」
 律の言葉に光は納得しているのか、疑っているのかわからないけれど曖昧な返事をしてまたテーブルの上の、缶チューハイに口を付けた。
 楓はにこにこと笑っていた。でもその笑いは本心からではない。何となく、そんな風にも見える。
 そんな二人に挨拶をして、そのまま二階に上がろうとした。すると冷蔵庫が開く音がしたあと、私の後ろをついてくるように上がってくる人がいる。
 これが律だったらどんなに嬉しいだろう。少し期待をしながら、二階に上がりその後ろを見る。そこには楓の姿があった。
 視線を逸らし、私は自分の部屋に戻ろうとした。そのとき楓が私に声をかけた。
「本当に偶然会っただけ?」
「偶然よ。」
「…僕の気持ちを知っていて、男と二人きりになれるほど、君は無神経じゃないと信じていたいけどね。」
「答えていないわ。」
「答えていないかもしれないけれど、断ってもいない。」
「…あなたが勝手に私を離しただけよ。」
「泣いてたじゃないか。僕がそんなにイヤだったのか。」
「好きでない人に抱きしめられても、何も感じないのよ。」
「僕は…。」
「あなたは感じたかもしれないけれど、私は何も感じないのよ。」
 言い過ぎた。はっと口を押さえ、楓の方をみる。しかし楓はいつものように笑顔だった。
「…ごめんなさい。言い過ぎたわ。」
 そう言って自分の部屋のドアの鍵を開けた。そして自分の部屋に逃げようと部屋に入る。するとその背中をドン、と押された。
「何?」
 その衝撃で私は前のめりになる。でも倒れ込むほどじゃなかった。ぐっとこらえて後ろを見る。するとそこには後ろ手で扉を閉める楓がいた。
「楓…?」
 楓はさっと私に近づく。そして逃げようとする私の手を取った。
「離して。」
「抱かれているうちに感情が芽生えることもある。」
 暗くてわからなかった。だけどわずかに見える楓の表情は、いつもの笑顔ではなかった。
「やだ。」
 その表情が恐怖だった。手をふりほどこうと、力を入れてその手を離そうとした。しかしほどけない。
「やめて。楓。」
「大きな声を出しても無駄だよ。律は光といるんだから。」
「光と?」
「君が大事だと思っている律は、光の所にいるはずだ。」
 そんなわけない。あの温かさが嘘だと思いたくない。
「違う。そんなことあるわけがない。」
「いい加減、現実を見ろよ。」
「…。」
 両腕を捕まれて、近くにいる楓。でも私はその目を見れなかった。
「周。僕が君を幸せにする。」
 そのまま楓は私の顔に顔を近づける。
 だめだ。このまま流されてはいけない。
「だめって!」
 手を力一杯ふりほどき、私は部屋を出ていった。廊下を走り、階段を下りる。
「周!」
 声をかけられたのが誰だったのかわからない。だけど振り向くわけにはいかない。外に出て、とにかく駆け出した。
「周。」
 息切れがする。どれだけ走っただろう。わからないけれど、私は足を止めた。息を整えて、後ろを振り返った。
「…。」
 そこには律の姿があった。
「律…。」
 該当で照らされた彼の顔にも、口紅がついていた。
「…お前もやられたんだろう。」
「…される前に出てきた。」
 手を伸ばし、彼の顔についている口紅を拭う。
「…いられないのかもしれない。」
 あの家にいることが出来ないのかもしれない。仕事場でもプライベートでも一緒だった四人だけど、やはり「男」と「女」の間に友情など生まれないのかもしれない。
 現に私たちの間にも、友情ではなく愛情が生まれた。
「たぶん、今日は戻れないだろう。仕方ない。」
 そう言って律はポケットから携帯電話を取り出し、電話を始めた。
 私たちの行く先は不安しかない。そんな気がした。だけど、この背中について行こう。
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