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リグレットブレイカー(三)
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わたしと妙音鳥はソファーに向かい合って座った。
妙音鳥は淡々とした声の調子で説明を始めてくれたが、その不思議な話は冒頭からわたしの頭を激しく掻き混ぜていった。内容は次の通りだった。
日本には遥か昔からそれこそ平安より以前から、朔月の夜だけに現れる『幻灯の夜市』が存在していた。
それはこの世とあの世との狭間に現れる特別な夜市。
朔月の夜、八時になると支柱の根元が消えかかっている灯篭が二つ現れる。
灯篭の間にはしめ縄がたらりと放物線を作っていて、飛び越えるとそこはすでに別の世界。
視界の先には夜市が広がっているそうだ。
露店で売られているものは様々。
珍しい食べ物から拾ってきたようなガラクタ、はては骨董品までまさに百花繚乱だという。
訪れる者は妖怪と、稀に人間。
妖怪って顔がないとか、小豆を洗っちゃうとか、何でも凍らせちゃうとか、そういうのですかと聞いて見たら、妙音鳥にきっかりと「そうです」と答えられて、わたしは、思わず、ひっと肩を竦めた。
『幻灯の夜市』の目玉の一つが『後悔石』だ。
現世に漂う人の後悔を凝固させた『後悔石』は七色に輝き、見た目はまるで宝石のようだという。
妙音鳥が夜市を訪れる理由も『後悔石』。
その石を溶かした液体、通称『もも水』に不思議な力が宿っているからだ。
「嘘のような話ですが、後悔を作った本人が『もも水』を飲むと、後悔を生んだ出来事を再び体験できます」
「え、うそ」
かき混ぜられた頭が今度は固まった。
「本当です。二回目の体験が訪れるのです。後悔なく出来事を過ごせば、再体験の記憶が関係する全ての人に上書きされ、歴史が変わります。ただし」
妙音鳥はぐっと語尾を強めた。
「人の生死や大きく歴史を改変することは、決してしてはなりません」
迫力を帯びた声に従うように頷いた。
しかし、妙音鳥の言う理屈は分からなくもないが、内容はまやかしとしか思えない。
わたしだって、そのぐらいの分別はある。
でも、『もも水』って名前は可愛い。なんなら、美味しそう。
「普通の人間は、『幻灯の夜市』に入ることができません。だから僕の出番というわけです。『もも水』を探し出して、後悔を消すチャンスを手に入れてもらう」
わたしは同意を濁すような曖昧な頷きをした。
「そして、この本」
妙音鳥は本の背を持って、ひらひらと振る。
ああた、そんな雑に扱って壊れやしないか、その古書は。なんか落ちたぞ、紙切れが。
「この本には、祭りの規模や内容、現れる場所が書かれています。昔の人が調べたところによると、五つの出現パターンがあって、年ごとに違うそうです。今年は一巻のパターンだから……次は一ヶ月後、九月二六日。場所は門前仲町です」
「……そう、ですか」
仮に『幻灯の夜市』があるとして、わたしは何を手伝えばいいのだろうか。妖怪と話すほどの会話術は持ち合わせていないだろうし、正直ちょっと怖い。
「妙音鳥さん……わたしは、その……何をすればいいんですか」
「カノコさんには……」
思いがけないさん付けに、首のあたりが痒くなって即座に言い直す。
「カノコ、でいいです」
呼ぶのが照れ臭いと、分かり易く鼻の下を擦った妙音鳥は、「後悔を消化させる手伝い。それが……カノコの仕事です。依頼主の話を聞いて、何をすれば後悔が生まれない再体験ができるか、それを考えて欲しいのです」
「……はぁ、頑張ってみます……」
雇われの身としては信じてみるべき話だが、声はどうしても元気がでない。語尾は怒られた犬の尾のように垂れ下がってしまった。
「ところでカノコ……今、住んでいるところは、どうするのですか?」
「……あ、ええと」
「……荷物とかは?」
「あ、はい、持ち物は、今は無くて?……」
「そうか……そうでしょうね」
なぜか納得されてしまったがその話題は何となく避けたくて、わたしは新しい切り口をテーブルの上にどんと置いた。
「ところで妙音鳥さん、依頼主ってどうやって、こちらに問い合わせを? チラシでも配っているのですか」
「今時ですが、SNSアカウントがあって。そこから募集しているのです。僕の師匠、祖父は新聞広告とか口コミで仕事を受けていたのですが、そういう時代でもないですし」
妙音鳥は携帯を取り出した。
「ほら。これ」
ツイッターのアカウント名は『妙音鳥@後悔は後で消す~お悩み相談所』だった。
ぱっと見の印象は、なんか、軽い。
プロフィールには、何かの攻略本を読んだかのような、巧妙な手口……ではなくて、謳い文句が書かれていた。
フォロワーは四五〇人。
ツイートも工夫しているようだが、その効果はフロワー数に現れていない。
「広告は打っていないので、フォロワーは少ないですが……でも依頼はちゃんとありますよ。あとは、ほとんど更新
していませんが、ウェブサイトもあります。いまどき新聞欄での募集や掲示板は、流行りませんから、それで……あ、そういえば、携帯はもってないのですか?」
そういえば、わたしは持っていない。
あれ、忘れたのかな。
記憶の振り返ろうとしたが、なんだかぼやけていて何も思い浮かばなかった。
「ごめんなさい。多分……忘れてしまったようで」
「……連絡が取れないと不便ですね。そうだ、これから晩御飯の買い物に行くので、そのついでに携帯を買いましょう」
「それは、ちょと、申し訳ないです……」
ほんの数時間前に会った人にそこまでしてもらうのは、さすがに気が引ける。
わたしにも遠慮はあるのだ。
「じゃあ、バイト代から引きますか?」
やぶ蛇とはこのことで、身を持って体験したわたしは、「そ、それは」と吃ってしまうが、眼鏡の奥で彼の目は微かに笑った。
「ははっ。嘘です。仕事で返してくれればいいです。期待していますよ。カノコ」
作りたての苦笑い装った。
だけど。
偏狭な期待は困るけど、こういうのは悪くないかもしれない。
わたしの頬は緊張を手放して膨らみ、胸は、とくんと喜びの鼓動を聞かせくれた。
「……どうした、カノコ。大丈夫です……か?」
つい返事を忘れてしまって、妙音鳥が前かがみで顔を覗いてきた。
近い顔にわたしは慌てて立ち上がる。
「だ、大丈夫です。携帯ありがとうございます」
取り付いている頬の赤色を振り落とすように、少し大げさにお辞儀をした。
「こちらこそ。僕は自室にいるから、残りの本棚の整理をお願いしていいかな……終わったら声をかけてください。買い物に行きましょう」
ぴっと、敬礼して、にかっと笑うと、妙音鳥は、大きな笑みを返してくれた。
妙音鳥は淡々とした声の調子で説明を始めてくれたが、その不思議な話は冒頭からわたしの頭を激しく掻き混ぜていった。内容は次の通りだった。
日本には遥か昔からそれこそ平安より以前から、朔月の夜だけに現れる『幻灯の夜市』が存在していた。
それはこの世とあの世との狭間に現れる特別な夜市。
朔月の夜、八時になると支柱の根元が消えかかっている灯篭が二つ現れる。
灯篭の間にはしめ縄がたらりと放物線を作っていて、飛び越えるとそこはすでに別の世界。
視界の先には夜市が広がっているそうだ。
露店で売られているものは様々。
珍しい食べ物から拾ってきたようなガラクタ、はては骨董品までまさに百花繚乱だという。
訪れる者は妖怪と、稀に人間。
妖怪って顔がないとか、小豆を洗っちゃうとか、何でも凍らせちゃうとか、そういうのですかと聞いて見たら、妙音鳥にきっかりと「そうです」と答えられて、わたしは、思わず、ひっと肩を竦めた。
『幻灯の夜市』の目玉の一つが『後悔石』だ。
現世に漂う人の後悔を凝固させた『後悔石』は七色に輝き、見た目はまるで宝石のようだという。
妙音鳥が夜市を訪れる理由も『後悔石』。
その石を溶かした液体、通称『もも水』に不思議な力が宿っているからだ。
「嘘のような話ですが、後悔を作った本人が『もも水』を飲むと、後悔を生んだ出来事を再び体験できます」
「え、うそ」
かき混ぜられた頭が今度は固まった。
「本当です。二回目の体験が訪れるのです。後悔なく出来事を過ごせば、再体験の記憶が関係する全ての人に上書きされ、歴史が変わります。ただし」
妙音鳥はぐっと語尾を強めた。
「人の生死や大きく歴史を改変することは、決してしてはなりません」
迫力を帯びた声に従うように頷いた。
しかし、妙音鳥の言う理屈は分からなくもないが、内容はまやかしとしか思えない。
わたしだって、そのぐらいの分別はある。
でも、『もも水』って名前は可愛い。なんなら、美味しそう。
「普通の人間は、『幻灯の夜市』に入ることができません。だから僕の出番というわけです。『もも水』を探し出して、後悔を消すチャンスを手に入れてもらう」
わたしは同意を濁すような曖昧な頷きをした。
「そして、この本」
妙音鳥は本の背を持って、ひらひらと振る。
ああた、そんな雑に扱って壊れやしないか、その古書は。なんか落ちたぞ、紙切れが。
「この本には、祭りの規模や内容、現れる場所が書かれています。昔の人が調べたところによると、五つの出現パターンがあって、年ごとに違うそうです。今年は一巻のパターンだから……次は一ヶ月後、九月二六日。場所は門前仲町です」
「……そう、ですか」
仮に『幻灯の夜市』があるとして、わたしは何を手伝えばいいのだろうか。妖怪と話すほどの会話術は持ち合わせていないだろうし、正直ちょっと怖い。
「妙音鳥さん……わたしは、その……何をすればいいんですか」
「カノコさんには……」
思いがけないさん付けに、首のあたりが痒くなって即座に言い直す。
「カノコ、でいいです」
呼ぶのが照れ臭いと、分かり易く鼻の下を擦った妙音鳥は、「後悔を消化させる手伝い。それが……カノコの仕事です。依頼主の話を聞いて、何をすれば後悔が生まれない再体験ができるか、それを考えて欲しいのです」
「……はぁ、頑張ってみます……」
雇われの身としては信じてみるべき話だが、声はどうしても元気がでない。語尾は怒られた犬の尾のように垂れ下がってしまった。
「ところでカノコ……今、住んでいるところは、どうするのですか?」
「……あ、ええと」
「……荷物とかは?」
「あ、はい、持ち物は、今は無くて?……」
「そうか……そうでしょうね」
なぜか納得されてしまったがその話題は何となく避けたくて、わたしは新しい切り口をテーブルの上にどんと置いた。
「ところで妙音鳥さん、依頼主ってどうやって、こちらに問い合わせを? チラシでも配っているのですか」
「今時ですが、SNSアカウントがあって。そこから募集しているのです。僕の師匠、祖父は新聞広告とか口コミで仕事を受けていたのですが、そういう時代でもないですし」
妙音鳥は携帯を取り出した。
「ほら。これ」
ツイッターのアカウント名は『妙音鳥@後悔は後で消す~お悩み相談所』だった。
ぱっと見の印象は、なんか、軽い。
プロフィールには、何かの攻略本を読んだかのような、巧妙な手口……ではなくて、謳い文句が書かれていた。
フォロワーは四五〇人。
ツイートも工夫しているようだが、その効果はフロワー数に現れていない。
「広告は打っていないので、フォロワーは少ないですが……でも依頼はちゃんとありますよ。あとは、ほとんど更新
していませんが、ウェブサイトもあります。いまどき新聞欄での募集や掲示板は、流行りませんから、それで……あ、そういえば、携帯はもってないのですか?」
そういえば、わたしは持っていない。
あれ、忘れたのかな。
記憶の振り返ろうとしたが、なんだかぼやけていて何も思い浮かばなかった。
「ごめんなさい。多分……忘れてしまったようで」
「……連絡が取れないと不便ですね。そうだ、これから晩御飯の買い物に行くので、そのついでに携帯を買いましょう」
「それは、ちょと、申し訳ないです……」
ほんの数時間前に会った人にそこまでしてもらうのは、さすがに気が引ける。
わたしにも遠慮はあるのだ。
「じゃあ、バイト代から引きますか?」
やぶ蛇とはこのことで、身を持って体験したわたしは、「そ、それは」と吃ってしまうが、眼鏡の奥で彼の目は微かに笑った。
「ははっ。嘘です。仕事で返してくれればいいです。期待していますよ。カノコ」
作りたての苦笑い装った。
だけど。
偏狭な期待は困るけど、こういうのは悪くないかもしれない。
わたしの頬は緊張を手放して膨らみ、胸は、とくんと喜びの鼓動を聞かせくれた。
「……どうした、カノコ。大丈夫です……か?」
つい返事を忘れてしまって、妙音鳥が前かがみで顔を覗いてきた。
近い顔にわたしは慌てて立ち上がる。
「だ、大丈夫です。携帯ありがとうございます」
取り付いている頬の赤色を振り落とすように、少し大げさにお辞儀をした。
「こちらこそ。僕は自室にいるから、残りの本棚の整理をお願いしていいかな……終わったら声をかけてください。買い物に行きましょう」
ぴっと、敬礼して、にかっと笑うと、妙音鳥は、大きな笑みを返してくれた。
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