カノコの日常〜妖怪があつまる『幻灯の夜市』で《後悔石》を探すバイト生活が始まった。あなたのその後悔、晴らします〜

灰緑

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リグレットブレイカー(四)

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 真夏の太陽は夕暮れでも空にしがみついていて、吹き出す汗と共にわたしにへばり付く。
 額の汗を手で拭って狭まった視界の先には、東京の中心から帰宅する人々の緩い肩と、塾帰りだろう子供たちのやんやが、けたたましい。
 妙音鳥の家からスーパーまでの道のりは、行き交う人々で賑わっていた。

「結構、お店があるんですね」

 知らずのうちに彼の家を訪ねていたが、聞くところによるとこの辺は最近人気のエリア、清澄白河。
 住宅街にお店が溶け合っているから、チラ見だとただの家にしか見えない。
 だが注意深く見ると、小さなカフェや雑貨店が物陰から手招きをしていた。
 
 誘惑に弱いわたしは道の左右に首を振り続けている。

「便利な街です。しかし、金曜の夕方はさすがに人が多いですね。あ、そうえば、服とか……きっと、それだけですかね」

 喉に何か詰まったような言い方だが、確かにこの服しか持っていない。

「あの……もし可能でしたら、その、バイト代前借りとか……」

 わたしはでダメ元で、背が高い妙音鳥を伺うように見上げてみる。

「いいですよ。それで。一日七時間勤務で、七千七百円……いや、面倒くさいから八千円にしましょう。二日分で一六千円を先に渡します」

 威勢良く、金色の玉がぽんと出た。

「いいんですか! ありがとうございますっ!」

 歓喜でちょっと跳ねてみたら、着地で足裏が微妙に痛い。アスファルトは意外と固かった。
 妙音鳥は二つ折りの財布から二万円を取り出した。
 わたしは両手をだして丁寧に受け取る。

「僕はそこの角の古本屋に用事があるから、この道をまっすぐ行って右……そう、あの角を右に曲がると、大型の総合衣料店があります。終わったら古本屋に来てください」

「わかりました。行ってきます!~」

 わたしは、てってと、言われた道順を駆けて行く。
 角を曲がると、バイクの荷台にお酒を積み込む人がいた。歩きながら見つめていると、不意に視線が重なる。誰? と言う顔を一瞬だけ作ったその人は、バイクにまたがり颯爽と駆けていった。
 
 わたしは襟元がレースで飾られた黒いワンピースと、自分でも意外だけど、とびきりお洒落な紫のワンピースを選んだ。いずれもノースリーブの夏仕様だ。
 ついでに下着、靴下、パジャマなどもカゴに放り込む。  

 リーズナブルでおしゃれが売りの量販店でも塵も積もればなんとやら。
 結局一万円近くかかってしまった。あと身だしなみの品々も買わないと。隣にある薬局に足を運んだ。
 買い物を終えて、待ち合わせ場所の古本屋へ向かう。
 歩くたびに足の裏に、膝に、最後には身体全体に響く反動が無性に嬉しくて、わたしは急ぎ足になる。
 
 古本屋はいかにもそれらしい店構えで、店頭のカゴには昔の週刊誌が一冊十円で売られていた。
 文庫の小説なども、良くて百円だ。
 一冊だけ手にとって裏のあらすじを見ると意外と面白そうで、平成三十年文芸賞受賞! と大きく打たれたそれは、八十円だった。
 なんとも世知辛い中古市場に、わたしは丁寧に本を戻した。

 そっとお店の中を覗いてみると妙音鳥どころか誰もいない。
 店主も何故か、いない。
 不安になって店内を探すように歩き回ると、レジ裏の部屋から話し声が聞こえてきた。
 一人は少し前まで聞いていた妙音鳥のものだ。途端に安堵がわたしをじわりと包む。

 やがて妙音鳥と店主らしき男性が部屋から姿を現した。何やら話し込んでいるようで妙音鳥はわたしに気づかない。つい反射的に本棚の陰に隠れてしまって、顔を半分覗かせて様子を伺う。

「ありがとうございます。あの本、見せてもらって」

 妙音鳥の声だ。

「構わないさ。あれは、預かっているようなもんだからな。あと依頼された本、そろそろだ。彼が持って行くと……ん? 妙音鳥、なんか、覗かれてるぞ」

 見つかってしまって、照れ笑いを浮かべながらすっと陰から現れた。

「はは、……お待たせ……しました」

 買い物袋を小さく掲げた。

「ああ、終わったか。じゃあ、行きましょう」

「妙音鳥、彼女が例の……」

 妙音鳥は僅かに曇った表情を見せた。

「はい……僕の仕事も手伝ってくれるので、助かります、それでは……カノコ、夕食の買い物をしましょう」

「そうか。大事にしてやれよ」

 古本屋の亭主は、また来てくれよ、と言ってわたしたちを送り出した。
 わたしは隣を歩く妙音鳥のさっきの表情が気になっていた。誰もいない夕暮れの公園のような彼の顔は今も続いていて、見つめているとわたしも貰って寂しくなった。
 視線に感づいた妙音鳥は、幾分か柔らかい表情に切り換えて、わたしに尋ねた。

「さて、今日は何を食べましょうか?」

 言葉は見事に想像を運んで来て、わたしのお腹は鳴る。
 恥ずかしくてさすってみると、お腹は妙に暖かかった。

 空を見上げると夜を呼び込む朱色が下から手を伸ばし、それは儚いグラデーションだった。
 
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