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幻灯の夜市(三)
しおりを挟むわたしはその光景に圧倒された。
道の両脇に並ぶお店から、『後悔石』の七色の光が溢れ出て、漂う空気さえも虹色に見える。虹色はさらに空まで舞い上がり、見上げるとまるで天の川のようだった。
ぎっしりと並ぶ露店のほとんどが『後悔石』を売るお店で、たくさんの妖怪で賑わっている。
『後悔石』と言うぐらいだから、お皿に盛られて、じゃらじゃらと売られる姿を想像していたが、昔ながらの牛飲瓶のような形をしたガラス容器の中に一つずつ石が入れられて、赤や青の雛壇の上に横一列。それは射的の的のようだった。
ガラス容器の中で、七色の光をまとう『後悔石』は、確かに魅力的に見える。妖怪たちは瓶を取り上げて、匂いを嗅いでみたり、カラカラと振って見たり。妙音鳥によると、妖怪たちは宝石として身に付けたり、効果はないが『もも水』を飲んだりして楽しむのだという。
「それにしても、すごい数……ですね」
「ええ、数万はあるでしょう」
ひぇ、そんなに! 見つけるの、大変だ、と少しげんなりした。だけどその数だけ人間は後悔を重ねている訳だから、わたしは少し寂しくなる。人間はどこまでも不器用で理解し合えないものなのだろうか。
「多そうに思えますが、これでも、全ての後悔が石となってここで販売されている訳ではありません」
「そうなんですか?」
「はい。『後悔石』は人間界を訪れた特定種の妖怪たちが採取します。ただ、採取基準なんてありませんよ。たまたまとか、なんとなくとか。そのぐらいです。ですので、ここに無い後悔も沢山あります。人間の世界に残されたままです」
「じゃあ、どうやって依頼人の『後悔石』が売られていることを確認するのですか?」
妙音鳥は人差し指と中指の間に赤紙を挟んでわたしに見せた。指は綺麗に反っている。
「この赤紙です。もし島崎さんの後悔がここに無いのなら、字を書くことができません。これは特殊な紙なんです」
なるほど、とわたしは納得してみたが、もし紙に字を書くことができなかったら、どうするつもりだったのだろうと思った。
「話を聞いて、もしですよ、紙に字が……」
「書けなかったらですか? その時は、ごまかして断りますよ」
それはちょっとひどい、と妙音鳥の顔に批判めいた睨みを効かせる。声に慈悲はあるのに態度には無いのかとわたしは言いたい。
「え、ひどいと言いたい? しかたないでしょう。『後悔石』が存在しない以上、僕の力ではどうしようもないのです」
もちろん分かっていますよ。だけど、
「……妙音鳥さんに事細かに後悔を話した人は、ただの時間の無駄じゃないですか……」
と、自分のことでもないのにいじけて見せた。
「仕方ありません。無い『後悔石』は探せません。それにあれは選別です。人の生死や大きく歴史を改変することは、許されていないのです。ですが、あくなき欲望に駆られて来る人もいます。賭け事とか企業の競争、あるいは出世にまつわる後悔。僕はその類は受けませんから、話を先に聞く必要があります。そしてその類はお断りします」
「それは、分かりますけど……」
わたしの口調は階段をとぼとぼと降りていく。
「僕個人の考えではありますが、名声や物理的な実績に自己を依存して生きることは、実につまらない。人と関わりを持って心が動く瞬間があれば、人は幸せに生きていけるのです。心は人だけに与えられたものですから……いや、話が逸れましたね。確かに、受けるべき依頼で、赤紙に名前が書けなかったら、依頼人には申し訳ないです……」
「そういう決まりなら、しかたないです……」
『後悔石』が無いと分かった時、その人はきっと悲しいと思う。だけど妙音鳥の言う線引きも理解できる。毛玉のようなもやもやが喉に詰まって、それ以上の言葉は閉じ込められた。
「……カノコらしいですね。そういうところ、悪くないと思いますよ」
え、これ、褒めてるの? と思ったが妙音鳥は冷静な表情のままだった。でも言葉は少し弾んでいた気もする。
左側の露店を、端から数えながら歩いていく。もう少しで二十五軒目だ。
見つけたお店は小さめだがピンク色の屋根がちょっと可愛い。二十五と書かれた紙が屋根を支える柱に貼られていた。
露店の中、赤い布が敷かれた雛壇には、ガラス容器が等間隔に並べられている。
その脇には、おお、犬耳の獣人さん! 可愛い。たぶん、わたしと同じぐらいの年齢。
あと……桃みたいな体型。わたしはほっそり棒系なのに、なんなのよこの差。
わたしは悔しさを噛み砕いて飲み込んで、仕事モードに切り替える。
「……妙音鳥さん。ごこですよね」
だが飲み込んだ欠片が喉に悪かったようで、声音は刺々しい。
「……そう。ここですね。カノコ、探して見ますか?」
「え、いいんですか」
「簡単です。この赤紙を瓶に近づけると、文字が震えるから」
「震える?」
聞き返したわたしに妙音鳥は、「そう。自分の後悔と再会するなんて、怖いでしょう。だからその人が書いた文字が震えるのです」と淡々と答えた。
「なるほど……それは理解できますね」
そうでしょう、と妙音鳥は後ろに下がってわたしの背中を押す。つんのめりながら雛壇の前に押し出されたわたしに、「こんにちは。お嬢さん。何かご入用ですか」と犬耳の獣人が見計らったように話しかけてきた。
「あれ……妖怪じゃないですね。あ、人間です……か?……」
犬耳の獣人はまるまるとした黒い瞳を興味深そうに見開いた。続いてミルクティー色の毛で覆われた犬耳がぴくりと動く。髪型はショートボブで、毛先がくるんと外側にカーブしていた。きっと妖怪の世界でも相当の美人、いや美妖だと思う。
「はい。そうです……」
「へー、珍しい。で、何をお探し……」
五年前の『後悔石』を探していると告げると、犬耳の獣人は、「それなら……」と一番下の段を指し示した。ただ、どれが探し物かは分からないと言う。最下段の一列には、ずらっと五十個ぐらいが並んでいた。
これは一つずつ調べるしかないわね、とその場でしゃがみ、端から赤紙を近づけていった。
「これで……二十五個……あ~ない。ない————」
最初は果敢に臨んでいたが、見つからないので段々と飽きてきた。
途中からはちょっと投げやりに、ひらひらと赤紙を当てていく。犬耳の獣人は椅子に座ったままわたしの行動が面白いのかじっと見つめていた。
いや、プレッシャーです、それ。
見つかる気がしない……とわたしが独り言を呟いた時、少しだけ文字が揺れた気がした。現在三十五個目ぐらいを確認中だ。もう一度、丁寧に近づけてみると、島崎の文字が左右に震えながら、苦しそうにしていた。
「妙音鳥さん。これ……」
「そのようですね……もう少し『後悔石』に近づけてください。そう、そのぐらい」
島崎光輝の字画はそれぞれが意思を持ったように分散して、赤紙の中を泳ぎ回っている。
「間違いない。これです。正解です。それを買いましょう」
わたしはガラス容器を持って、犬耳の店員に話しかけた。
「これ……お願いします……えっと……」
妙音鳥に言われた通り、ケーキを差し出せばいいのだろうか。わたしが迷っているうちに犬耳の獣人が先に口を開いて犬歯がキラリと光る。
「ありがとうございます! これはそうですね……五百カクリです」
いきなり聞いたことがない金額の単位を言われて、どのみち無銭のわたしは彼女の目の前にケーキ箱を差し出した。
「これで……どうでしょうか」
獣らしく、くんくん、とケーキ箱の匂いを嗅ぐ。
犬耳は、ぴん、と綺麗に伸びて、頬は嬉しそうに上向いた。
「もしや……これは人間の世界でいうところの、スイーツゥなるものです?」
わたしなんかより、ずっと女の子らしく語尾を丸めて、それは犬耳と合わせて最強に可愛い。ああ、その耳、触りたい……駄目よ、カノコ。わたしはお仕事中なの。
「耳……」
「耳?」
「あ、いや、その……このケーキと交換できますか?」
わたしの唇は立派だ……。
「もちろんです! こんな高価なものと交換なんて嬉しすぎますっ! あ、よかったらあと数本、持っていってもいいですよ!」
妙音鳥のいう通り、甘いものは希少価値が高いというのは本当のようだ。
「い、いえ、この一本で十分です」
無理矢理にでも押し付けられそうな雰囲気をさっと強めの言葉で押し返した。
犬耳の獣人はちょっと残念そうに耳を下げたけど、これ以上、後悔はいらない。
「そうですか……でも、また来てくださいね!」
「あ、はい……」
大げさに手を振る犬耳の獣人に、小さく頭を下げて応えたわたしは、妙音鳥の背中を追いかけながら、青い炎が湧き上がる噴水を横目に来た道へと戻ってく。
噴水の辺は相変わらずの混雑ぶりだったが、道の賑わいは峠を過ぎたようで、祭りの余韻がふんわりと漂っていた。往来する妖怪たちは買い物袋を下げて満足げな表情をしている。道の両脇のお店も商品をしまったり、隣同士で談笑していた。
「妙音鳥さん、この夜市はいつまで続くのですか?」
「そうですね……普通は二時間といったところでしょう。噴水の青い炎が消えたら、夜市は終わりです。あれはろうそくのようなもので、段々と小さくなって消えてしまいます。ですが」
ちょっと強い口調の妙音鳥にわたしの背筋が伸びる。
「最後までいては駄目です。炎が消えるとこの場所自体が消滅し、虚無の暗闇に飲み込まれてしまいます。時間に余裕を持って帰るのが一番です。僕も一時間を目安に帰ることにしています」
ようやく、来た道の終わりに到着した。
その先には妙音鳥の言う虚無の暗闇が永遠に続いているようだった……
あれ、なんだろう。
わたしは不意に暗闇に誘われて耳を傾ける。どこからかすり潰された呻き声が聞こえてきた。
汚い音だが正体を確かめたくなるような衝動が、ふつふつと心に湧き上がってくる。
いきなり肩を掴まれた。
振り向くと妙音鳥が冷たい表情でわたしを見つめている。
「カノコ、あの音に耳を傾けてはいけません。あれは、誘言といって、虚無の暗闇に飲み込まれた妖怪が仲間に引きずり込もうと心に念を送ってくるのです。声の正体を探りたくなりませんでしたか?」
言葉が出ずに口をパクパクさせながら頷く。背筋どころか背骨が凍りついて内側から身体全体を冷やしていく。
「気をつけてください。引き摺り込まれたら、終わりです」
逆光で顔の立体は鳴りを潜め、瞳孔を隠す眼鏡のレンズだけが背後からの青光りを僅かに吸っている。その顔もわたしには怖くて、「はい……」と言うのが精一杯だった。
わたしは恐る恐る来た道の方に視線を向ける。
遠くに見える青い炎の柱は最初よりも小さく見えた。道はさらに閑散としていて、あれほどいた妖怪たちはどこかに消えてしまっている。
「戻りましょう。カノコ。もう一時間以上、過ぎていますよ」
えっ、と小さく呟いた。感覚的にはまだ三十分ぐらいなのに。
「もう、そんなに?」
「時間の進み方は人間の世界と同じですが、体感が異なります。だいたい二倍ぐらいの早さで進むと思ってください。常に時計を見て、夜市が終わるまでに帰らなければなりません」
妙音鳥は再び赤紙を取り出して、「灯籠。来たれ。返還の門を開け」と呪文を唱えた。怖い世界だが、この呪文はわたしの趣味の弦線に触れるから、少しだけ怖さが薄まる。
妙音鳥は、「ちなみに、来る時は『灯籠。迎えたり。召喚の門を開け』です。簡単でしょう。次回はカノコもやってみましょう」とわたしを薄く喜ばせてくれた。
地面に光の円環が描かれて中から灯籠が現れる。
赤紙を渡されて、「カノコから」と妙音鳥。さっとしめ縄を飛び越え、現れた青い火の玉を自ら迎えにいって、火をつける。赤紙は瞬時に燃え消えた。
いきなり目の前が暗くなった。
動かずにじっとしていると、ようやく目が慣れてきて、わたしの瞳にありふれた夜の町並みが薄く映る。家の窓枠の隅から漏れる僅かな生活の光。なんとなく明るく染め上げられた東京の空。遠くから聞こえる車の音は暖かい郷愁を運んでくれる。
少しだけ冷たい夜風が身体の上を踊りながら滑っていった。
わたしは優しくこの世界に包まれている。
気配を感じて後ろに振り向くと、続いて妙音鳥が現れた。薄暗い中でもちゃんと分かる彼の顔はわたしをさらに落ち着かせて、頬は思わず緩む。わたしの日常が全部、戻ってきた。
妙音鳥は思い出したように右腕の時計を見た。
「まだ時間がありそうですね。良かった」
何が言いたいのか分からず、首を傾げて妙音鳥を見つめていると、
「まだ、あの洋菓子店、やっていると思います。カノコの好きなケーキを買いましょう」と言ってくれて、わたしはしめ縄を飛び越えた時よりも高く飛び跳ねた。
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