カノコの日常〜妖怪があつまる『幻灯の夜市』で《後悔石》を探すバイト生活が始まった。あなたのその後悔、晴らします〜

灰緑

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鏡合わせの逢瀬(一)

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 戻った世界で見上げた空は、ぼんやりと明るさを帯びていた。

 夜にも関わらず人通りが絶えなかった参道はその余韻さえも残さずに、しんとした静けさに包まれている。遠くから犬の鳴き声が聞こえ、鳥が応えるように飛び立つ。


 熱田神宮は朝を迎えていた。

「時間がずれましたが、そういうことも稀にあります。とにかく、無事に戻って来れてよかった」

 妙音鳥の声はやさしい響きを奏でて、わたしの身体から緊張が蒸発していく。
 
右のポケットからそっとガラス容器は取り出してみる。

『後悔石』の光はガラス容器に反射して万華鏡のようだった。後悔が凝縮された石だけど、それはとても美しかった。

 わたしもあと少しだけど、お母さんの後悔も、もう少しで終わる。いや、わたしが必ず終わらせてみせる。そう誓って、胸の前でガラス容器を抱きしめた。

 ホテルに急いで戻り、シャワーだけ浴びて荷物をまとめる。新幹線に飛び乗ってわたしは東京に向かった。
 お母さんとリノに会うのは今日の午後だけど、できる限り早く東京に戻りたかった。小さなことかも知れないけれど、ちゃんとした準備をしてあの黒い服で二人に会いたい。

 殆ど寝ていないわたしは、豊橋を越えたぐらいでまどろみに溶け込んでいった。

「カノコ……カノコ」
 
 あの声で呼ばれたわたしは暗闇の中からゆっくりと意識を引き上げる。

 重たい瞼を開けると視界はぼやけていて、代わりに東京駅に到着するアナウンスが聞こえ
てきた。携帯を見ると、明るく光る数字は午前十時を教えてくれた。

 JRから丸ノ内線に繋がる通路は、クリスマスの装飾で人々を出迎えていた。混雑する店

 先に見知った顔を見つけて、わたしは思わず声をかける。

 あの時の記憶が鮮明に蘇った。

「島崎さん!」

 商品を見ていた島崎はわたしに顔を向けた。だがその表情は雪が降りそうなほど曇っていた。

「……あの、失礼ですが、どちら様でしょうか……」

「え、あの……カノコですけど」

 隣の女性は、誰? という表情で島崎を見つめている。ばっちりと化粧をしているけど、あの同級生だった彼女だ。今日はクリスマスイブだから多分デート。よく見ると彼女の服装は赤を適度に混ぜた華やかコーディネートで、彼への思いはあの日から変わらず続いているようだった。

 突然、妙音鳥がわたしの前に立って、「ごめんなさい。人違いです。今日の服装が知り合いに似ていたもので」と小さく頭を下げた。

「カノコ、行こう」

 妙音鳥は先に歩き出して、わたしは慌て後を追い隣に並ぶ。

「妙音鳥さん、あの人……島崎さんじゃないんですか?」

「カノコ。忘れましたか? 歴史を改変すると、元の記憶の延長線上にいた我々のことは忘れてしまうのです。後悔の無い今は……もう別の世界線です」

 わたしの首元は十二月の寒さを突然に捕まえて、思わずコートの襟元を直す。
 
 身体を縮こませたわたしは改札の中に吸い込まれていった。
 



 乗り継いで妙音鳥の自宅についたわたしは、玄関を開けて誰もいないのに、ただいま、と呟く。
 
 当然にがらんとしていて、一晩だが主人を失った寂しさを、玄関は冷気で表現していた。

 わたしは振り向かずに、「荷物、置いてきますね。あ、あと着替えてきます」と後ろの妙音鳥に声を残し、すたすたと玄関から一直線に部屋に向かい扉を開ける。
 
 
 平置きの黒いワンピースが静かにわたしを出迎えた。
 
 リュックからガラス容器を取り出して、ワンピースの隣に置く。
 
 わたしは『後悔石』の虹色をしばらく見つめていた。

「……よし。準備をしよう」

 無理矢理に喉を動かし、声は壁に反響してわたしの背中を叩いた。
 
 着替えてから書斎に行くと妙音鳥は椅子に座り、何かを確認するかのように呟きながら本を読んでいた。

 妙音鳥の姿はいつもの日常らしくて、わたしは邪魔をしないようにエアコンを入れてからキッチへ向かった。

 午後一時を過ぎた頃、インターフォンが鳴った。

 どきりと心臓は揺れたけど、今日の手足はちゃんと動く。

「はい」

「あ、月リノです」

「あ、リノちゃん。お待ちください」

 呼べるだけ沢山、名前を呼びたい。わたしは玄関に向かい、どうぞ、と大きく声を出した。玄関はカラカラと軽い音を立てて、お母さんとリノが現れた。二人とも少しだけ緊張した空気を纏っている。

「お邪魔します。今日はよろしくお願いします」

 赤いコートを着ているお母さんは深く頭を下げた。

「寒かったですよね。どうぞ入ってください。お……」とつい滑りそうになって、「……リエコさん」と何とか踏ん張った。

 二人を書斎に案内すると妙音鳥が出迎えてくれた。

「こんにちは。クリスマスイブにわざわざありがとうございます。どうぞお座りください」

 二人がソファーに落ち着くと、妙音鳥はわたしに視線を送る。頷いてわたしはキッチンに向かい、用意しておいた紅茶と水が入った容器を書斎に運んだ。
「どうぞ。リノちゃんは、お砂糖いるよね」
 あらかじめ、黒砂糖をソーサーに乗せておいた。

「あ、はい……ありがとうございます」

「……どうぞ」
 
 お母さんにも紅茶を差し出した。お母さんの緊張がほぐれるようにと祈りながら。

  妙音鳥は『後悔石』についてもう一度、説明をした。

 『もも水』を飲むと後悔が生まれた当日、もしくは一日前に戻り再体験ができること、その中で後悔を消化できれば歴史は改変され、記憶が上書きされることを伝えた。

「歴史が改変されると、関係する人の記憶も当然に改変されます。ただし代償があります。例えば僕たちと会ったこと、過去に戻ったことは徐々に忘れていくでしょう。後悔が無い世界線では、僕たちとお二人は、会うことがないからです」

「……はい。分かりました。ここまで良くしてくれた妙音鳥さんたちのことを忘れるのは、寂しい気もしますが……」

 お母さんは、妙音鳥とわたしに申し訳なさそうな眼差しを向けた。

「僕たちのことは、むしろ忘れてもらわないと」

「そうです。後悔を消化してもらったほうが、わたしたちも嬉しいです」

 わたしはそう言い切って妙音鳥に視線を送ると、同意するように小さく頷いてくれた。
 妙音鳥は机の上から『後悔石』が入ったガラス容器を持ち上げて、からんからん、と振って見せた。石の動きに合わせて七色の光が飛び散り、容器の中の空気は七色に染まる。

「これが『後悔石』です。現世に漂うリエコさんの後悔を妖怪が捕らえ、凝固させたものです」

 ガラス容器をローテーブルに置いて妙音鳥は水を注ぎ込んだ。とくとくという規則的な音が生まれ、半分まで水を容器に入れる。
 
 妙音鳥はガラス容器の口を摘んで持ち上げ、振り子のように何度か振る。手を止めると『後悔石』の七色が水に溶け出してしばらくすると、もも色に纏まっていった。

「『もも水』と呼ばれる後悔が溶けた水がこれです。この水を飲めば後悔が残った出来事の前に戻ることができます」

 わたしはおもむろに手のひらで頭をぺたぺたと整えた。いよいよ過去へ戻ると思うと緊張する。チャンスは一度きりだ。

「あ……」

 リノは何か言いたそうにして、

「……『もも水』を飲めるのは、お母さんだけなんですか?」と寂しそうな口調。

 妙音鳥はリノに向かって、「はい。お母さんしか過去に戻ることはできません」と答えた。

「……そうですか。わたしもお姉ちゃんに会いたかった……」

 リノは、ぐすんと鼻を啜った。

 喉からもうどうしようもなく、ここにいるよ、と吐き出したくて、それでも見えない意識の両手で喉をきつく塞き止めたわたしは、リノの潤んだ瞳をただ見つめていた。

「リエコさんには、わたしの助手……そう言えばご紹介をしていませんでした。カノ……カノユキエといいます。彼女がお母さんの意識と共に過去に戻ります。リエコさんは、言葉を思い浮かべるだけでカノと会話ができます。もちろんカノは、リエコさんの頭の中を覗ける訳ではないので、ご安心ください。きっと大きな手助けになるでしょう」

「……カノさん……よろしくお願いします」

 お母さんは姿勢を正して頭を下げてくれて、わたしも少し遅れて頭を下げた。

「はい。よろしくお願いします、リエコさん。手を出してください。手を握ることでわたしも一緒に過去へ戻ることができます」

 お母さんは右手を静かに差し出した。
 
 その手は懐かしくて愛おしくて、ついじっと見つめてしまう。

 慌てて左手で握る。だけど握ったはずなのに包み込まれるような暖かさを、その手はわたしに移してくれて、これほどに心が揺さぶられるなんて……。

 だけど。

 泣くなんてみっともないと目尻に力を入れる。

 今日はわたしがお母さんの包み込むのだから、形だけでも強がりたい。

「リエコさん。このガラス容器を持って目を瞑り、後悔が生まれた瞬間……カノコさんを説得して押し切った瞬間を思い浮かべてください。そして、僕が合図を出したら、『もも水』を取って全部飲み干してください」

 辛い記憶を呼び覚ましていることが分かるぐらいに、お母さんの顔はだんだんと湿り出していった。浮かんだ油分が多い汗は額の上できらきらと僅かに光る。
 
 ガラス容器の水面に、ぴとん、と小さな波紋が生まれた。それはすぐさま消え去ったが、次々に新しい波紋が生まれ、互いに打ち消し合いながら水面は大きく乱れていった。

「今です。お母さん」
 
 妙音鳥の静かな合図。

 お母さんは『もも水』を口に運んだ。飲み干した瞬間、お母さんの目はゆっくりと細くなり、頭を左右に揺らしながらソファーの背もたれに身体を預けていった。リノは心配そうにその身体を横から支えている。

 わたしの左手は引き寄せられて、次の瞬間、意識だけが身体から抜け出していく。
 
 あの白い空間へと落ちていった。
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