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依存し合える存在|勘違いされる共依存|SNS観測記
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SNS観測はおもしろい。
いろんなことを考えさせてくれる。
今回のテーマは少し重たいかもしれないが、最後まで読んでくれたら新たな気付きを得られるかも……しれないな。
みんなSNSやチャットアプリなんかやったことがある人は多いんじゃないかな。
もはや今はそれが普通だ。
その中でもこんなことをタイムラインで流している人をよく見かけるんだ。
「依存し合える人募集」
「誰か私に依存して」
「依存されるほど愛されたい」
最近この手の言葉がやたら多い。
依存ってそんなに軽い言葉だったか?
まあここまではいい。
ノリだろうし深い意味はないだろう、ないよな?
でもこれだけは少し空気が違う。
「共依存しよう」
「共依存って憧れる」
「共依存できる相手が欲しい」
ここは笑って流せなくなってきた。
共依存は仲良く依存し合いましょうという意味じゃない。
結果としてお互いが依存状態になって戻れなくなる。
生活も人間関係も壊れていく。
それに名前がついたのが共依存だ。
これは関係の名前じゃない。
壊れた後の状態名だ。
俺が知っている中で1番怖い状態、それが共依存だった。
意味を履き違えている人が多いようで、ここまで来るとさすがに少し怖いよな。
みんなは依存ってどんな風に考えてるんだろうな。
少しずつ見ていこうじゃないか。
■依存ってなんだ?
共依存について学術的に説明するつもりはないぞ!
それはネットやnoteで、いくらでも読めるからな。
テンプレの説明も、綺麗な言葉も、もう十分あるからそちらを見に行くといいさ。
まず依存そのものについて考えていこうじゃないか。
一言に依存と言っても色々あるんだ。
他者に
物事に
役割に
人は、いろんなものに依存して生きている。
物事や役割に依存すること自体は、悪いことじゃない。
それが心の平穏につながることも多い。
仕事
趣味
好きなこと
居場所
生活のリズム
このあたりは、多くの人にとって「依存」とは呼ばれない。
たいていは「私の好きなもの」になる。
ただ、度が過ぎると、それは全部、依存に変わる。
アルコール
ギャンブル
薬物
この三つは、分かりやすく危ない。
でも本当は、それ以外も同じだ。
生活がそれ一色になる。
それがないと不安になる。
それがないと自分が保てなくなる。
このラインを越えた時、「好き」は依存に変わる。
これが、俺の観測してきた依存の正体だ。
■アダルトチルドレン(AC)
前に俺の記事でも少しアダルトチルドレン(AC)に触れたこともあったな。
ここではさらに深くACについて説明していこうじゃないか。
ACは言葉として面白いと思ったな。
だって対比する言葉だからだ。
大人子供だぞ。
なんだよそれってなるよな。
だがこれは、とても本質を突いている言葉なんだ。
俺の考える結論はこうだ。
アイデンティティが確立できないまま大人になった人達のことを言うと考えた。
幼少期から思春期。
ここで自分という存在を、世界の中心に置けないまま大人になった人のことだと思う。
思春期までに自我を、アイデンティティを確立できた人は、精神的に成熟する。
だから依存心は減るんだろう。
心が精神がチルドレンのままアダルトになってしまった。
そういう人が、依存という闇に堕ちていく。
■アダルトチルドレンは子供っぽいの?
こんな疑問を持つ人もいるだろう。
子供っぽいわけじゃない。
ちゃんと成長はする。
精神年齢もな。
だけどACというのは、幼少期から思春期のトラウマや環境や生い立ち、そして社会構造の中で、アイデンティティを確立できなかった人達なんだ。
人は成長する。
考え方や行動も大人になる。
じゃあ何がチルドレンなのか。
それはその人の根本的な思考なんじゃないだろうか。
例えば
『愛されなかった』
これが代表的だろう。
親に。
兄弟姉妹に。
友達に。
恋人に。
ここで愛を感じられなかった人は取り残される。
自分が必要とされていないと感じ、自分を見失う。
自分は何者なのか。
自分は存在していいのか。
この根本的な存在理由を見失っている人を、アダルトチルドレンと呼ぶんだと思う。
■『共に』依存しましょう、は共依存じゃない
誰かが言い出したんだろう。
どこかで見つけたんだろう。
共依存という言葉を。
SNSが発達した結果、様々な情報が溢れている。
昔は、精神病を自分で調べようとしなければ分からない言葉が多かった。
承認欲求などが、その一つだろう。
少し精神病のことを知っている人なのかもしれない。
もしかしたら、精神病に詳しい人なのかもしれない。
その人がSNSで共依存という言葉を使ったんだろう。
そして瞬く間に、SNSで拡散された。
それを調べもせず、字面だけを見て判断している人が多いんじゃないだろうか。
『共』という言葉で、勘違いをしているんじゃないだろうか。
『共に依存しましょう』
これを共依存と勘違いしているんじゃないのかな、とSNS観測を続けていくうちに思ったことだった。
■知らないうちに堕ちていく
さっきも言ったが、共依存とは状態なんだ。
共依存という精神病は存在しない。
だけど『共に』依存しましょうではない。
なにが共依存になるのか。
全ての答えはこの章のタイトルだ。
知らないうちに、共に依存している状態になってることを言うんだ。
■学術的共依存
ここで軽く共依存について説明しておこう。
他で見ろと言っておいてなんだが、共依存がどんなものか、簡単に説明しておくとするな。
(ChatGPTより)
共依存とは、誰かの問題や不調や依存に過剰に関わりすぎて、気づいたら自分の人生がその人中心になってしまう状態のことを指す。
相手を支えているつもりが、いつの間にか、自分の価値も安心も存在理由も、全部その人に預けてしまう。
相手がいないと不安になる。
相手がダメだと自分もダメになる。
相手の調子が自分の調子になる。
助けているようで、実は一緒に沈んでいく関係。
それが、学術的に言われている共依存の姿だ。
この人は私がいないとダメなの。
この人は私が面倒を見るの。
この人は本当は優しいの。
こういう考え方は、かなり危うい。
相手のことを考えているようで、中心はいつの間にか自分になる。
自分が必要とされているか。
自分が役に立っているか。
自分がここにいていいか。
そこに価値を預け始めた瞬間、関係はもう歪み始めている。
学術的に話そうと思えばいくらでもネタは広がる。
だけどそれはここではしないでおくよ。
気になる人は自分で調べるんだ。
それが君の存在理由につながる……かもな。
■ACが量産される現代
学術的な話をしたよな。
共依存は、調べれば調べるほど怖くなる。
何がいちばん怖いのか。
それが────
『連鎖は止まらない』
────ということだ。
ACの人が結婚し、子供を産む。
その子もACになる。
ACの子からは、ACの子にしか育たない。
AC同士が結婚し、子供を産む。
またACが生まれる。
この無限の連鎖が、共依存のいちばん怖いところなんだ。
これがあるから、ACが全世界の人口98%と言われる所以だ。
もはやACであることが普通
共依存になる土壌が揃っている
と言っても過言ではないんだ。
■全ての関係が共依存?
ここまでの話を聞くと、全ての関係が共依存なの?
そう感じてしまう人もいるだろう。
それは違う、と俺は思う。
世の中を見て欲しい。
そんな関係で溢れているか?
答えは────
────否だ。
ではなぜ、共依存にならないのか。
鍵は、心が育つかどうかだ。
■アイデンティティの確立
結論から言おう。
自分というものを自分で見られる。
自分がどういう存在なのかわかる。
自分の居場所がある。
アイデンティティを確立させている、これが重要なんだ。
これがあるかどうかで全てが変わる。
これが育っている人は、人にすがらなくても立っていられる。
これが育っていない人は、人の中に自分の居場所を探し続ける。
幼少期から思春期までに、心がどう育ったのか。
ここが共依存に陥りやすくなる人と、共依存にならない人の分かれ道になっているように思う。
■なくならない寂しさの正体
ここまで読めば、もうだいたい分かるだろう。
キーワードはアイデンティティだ。
これがないと人は自分を見失う。
自分の存在意義が分からなくなる。
高校生までに。
専門までに。
大学生までに。
思春期までに。
『自分』
を見つけられないと、寂しさは一生ついて回る。
自分が何者なのか分からない。
自分がここにいていいのか分からない。
だから
家族がそばにいても
友人がいても
拭えない寂しさを抱える。
俺って何?
私は何?
何のために存在しているの?
生きてていいのか?
生きてる意味はあるんだよな?
これを見つけられないまま大人になる。
存在意義の喪失。
存在場所の未形成。
これが、寂しさの正体だ。
■SNSに寂しさが溢れる理由
ここでSNS観測の話に戻そう。
以前の記事でも俺はこう語っている。
アイデンティティの確立がなされていないから、SNSで寂しさを訴える大人がやまない。
それ自体は悪いことじゃない。
人は色んな理由で寂しくなる。
それは普通のことだ。
だが、自分という確たる意志を持たないままだと、消えない喪失感と不安と寂しさが、ずっと居座る。
何をしても埋まらない。
誰といても消えない。
そしてSNSは匿名性が高い。
昔なら飲み込んでいた感情を、今は簡単に外に出せる。
それ自体も、悪いことじゃない。
じゃあ何が起きているのか。
それをみんなで確かめようじゃないか。
■寂しさを依存で補う文化
もはや、依存は文化だ。
そう言ってしまっていいくらい、今の世の中には依存が溢れている。
ACで、アイデンティティが確立しないまま大人になった人達で、空気が満たされているように見える。
SNSを開く度に目に入る
『寂しい』
スクロールしてもスクロールしても、別の誰かが同じ言葉を置いていく。
呟いていなくても、アイコンは猫。
プロフィールを覗けば
『寂しい』
の一言。
恋人がいるのに、寂しいと言う人も珍しくない。
あいにく、俺には『寂しい』という感情がない。
多分これは俺のバグだ。
どこかで、この感情を置き忘れてきたんだと思っている。
だが、ほとんどの人は、この感情を手放せない。
本来、寂しさは関係性で薄まる。
恋人がいれば
家族がいれば
友人がいれば
癒してくれる何かがあれば
それで埋まるはずのものだ。
それでも消えないのは、居場所がなく、存在理由が見つからないからだ。
人はそれを他者に預ける。
関係の中に置く。
だが、関係が途切れた瞬間、また別の誰か、別の何か、そこに存在理由を探しに行く。
■インターネットが普及する前の思考
人は、寂しさの呪縛から逃れられない。
じゃあ、インターネットが普及する前はどうしていたのか。
そう疑問に思う人もいるだろう。
今はSNSがある。
寂しさを一瞬だけ忘れさせてくれる場所がある。
誰かと簡単に繋がれて、すぐに反応が返ってくる。
この時代を
『便利で優しい』
と感じている人も多い。
インターネットが普及する前、夜は本当に一人だった。
携帯もポケベルもない。
思春期の若者は、誰とも繋がれない夜を過ごしていた。
寂しかったかもしれない。
不安だったかもしれない。
それでも今と決定的に違うものがある。
それが────
『一瞬の精神的充足』
────だ。
今みたいに、感情を投げて、反応を受け取って、すぐに満たされる場はなかった。
代わりにあったのは、考える時間だ。
考えるしかない時間。
逃げられない時間。
「私は何者なんだろう」
「俺はここにいていいのかな」
「生きている意味って何だろう」
その自問自答の積み重ねが、自分という確かな意志を作っていた。
■SNSという存在
またSNS観測の話に戻そう。
先ほども触れたな。
SNSが普及した結果、人は『瞬間的に満たされる』ことが、あまりにも簡単になった。
便利
優しい
手軽
そう感じる人が増えた結果、何が起きたか。
もうわかるよな。
考える時間が減った。
自問自答する時間が減った。
「寂しい」と呟けば、
同じような誰かが声をかけてくれる。
リアクションが返ってくる。
繋がるのは簡単になった。
その代わり、自分と向き合う時間が減った。
今の40代、50代の男女にも、
消えない寂しさを抱えたままの人は多い。
育たなかったのかもしれない。
自分って何なんだろう。
結婚しても、私の居場所はここなんだろうか。
この寂しさは、どこから来るんだろう。
思考が止まった。
SNSという存在で。
投げかければ返る。
誰かが「俺もだ」「私もだ」と返す。
そのやり取りの中で、寂しさは癒される代わりに、依存となる。
■他人が見えるSNS
SNSを眺めていると、こんな声をよく目にする。
「他人の幸せそうなのを見ると気持ちが沈む」
「この人達はこんなにキラキラしてるのに私は…」
「幸せそうな家庭を見るたびに、自分の居場所が分からなくなる」
「自分より若いのに、こんなに先に進んでいるんだな…」
「みんな恋人がいるのになんで自分は……」
こういう言葉が、当たり前のように流れている。
見えてしまうんだ。
他人の生活が。
他人の成功が。
他人の幸せそうな瞬間が。
結果、何が起きるか。
それは、自分との対比だ。
自分はどうか。
自分は足りているか。
自分は遅れていないか。
自分はここにいていいのか。
比較はいつのまにか『評価』になる。
そしてその評価が自分の存在理由をゆっくりと、でも確実に削っていくんだ。
これがもうひとつのSNSの危うい理由だろう。
■依存し合うってなんだろう
ここまで読んでくれた人なら、一度はこう思ったはずだ。
依存し合うって、いいことなのか。
悪くはない。
ただ、寄りかかるのはだめだ。
全てを委ねるのもだめだ。
存在理由を相手に求めた瞬間、関係は歪み始める。
寄りかかるんじゃなくて、寄り添う。
必要とし合うことと、削り合うことは違う。
削り合う関係は、長く続かない。
今、恋人がいる人
支え合っている人
結婚している人は
一度だけ考えてみてほしい。
君が、そこに求めているものは何だろう。
スマホを置いて、目を閉じて、少しだけ、今までの自分を振り返ってみてほしい。
この時代に足りないのは、思考する時間だから────
■響ちゃんの原点
俺は学生の頃に、共依存をテーマに勉強したことがある。
当時は何も考えてはいなかった。
ゼミで精神病について調べるのが流行っていた。
それだけのことだった。
たまたま俺は、誰も調べていない共依存について調べようと決めた。
思い入れがあるわけでもないのに、今も深く俺の脳に、心に、この言葉が刻み込まれている。
精神病について学ぶと、誰もが通る道がある。
それは────
『私のことだよねこれ……』
────という気付きだろう。
多分に漏れず、俺も感じたよ。
『あー、俺の家も機能不全家族だったんだろうな』
とな。
アダルトチルドレン
俺もこれなんだと気付かされた。
共依存を調べれば調べるほど思った。
なるほど、だから自分はこうなのか……
と腑に落ちることが多かった。
とある学者の記述では、全世界の98%が機能不全家族だという研究結果が出ていると、本編でも伝えたよな。
震えたよ。
ほとんどの人がACじゃないか、と。
もはやそれが普通。
世界にはACの大人が溢れているんだ。
もうかれこれ20年以上前のことだ。
それだけ前なのに、今や減るどころか、どんどんACが、勘違いされた共依存が、SNSに溢れている。
SNSを眺めている初期の頃は、大して気にも留めていなかった。
俺は警鐘を鳴らしたいわけでも、説教したいわけでも、共依存が何かを広めたいわけでもない。
ただ、見ていると苦しくなるんだ。
寂しいというセリフ。
いなくなりたいという叫び。
生きるのが辛いという慟哭。
苦しいんだ。
なんとかしてあげたいが、俺はカウンセラーじゃない。
ましてや精神科医でもない。
ほんの少し詳しいだけの大人だ。
数え切れない程の人をSNSで説得してきた。
それでも俺が助けられるのなんて、ひと握りだ。
何度も何度も話していく中で気付いたんだ。
あぁ、俺は助けたいんだ、ってな。
共依存。
それは、俺が知る中で、最低最悪の状態だ。
助けるのが、とても困難だから。
共依存に陥ると、待っているのは社会的な終わりだ。
下手をすると2人とも居なくなるかもしれない、それほどに酷い状態なんだ。
どうやっても、この最低最悪な負のスパイラルからは逃れられない。
過去に幾度となく、ACや共依存の家族から生まれた人達と接してきた。
SNSだけでなく、リアルでも。
誰一人、心を救えなかったんだ。
本編でも述べたが、一瞬だ。
俺の与える精神的充足なんて、たかがしれている。
多少知っているだけじゃ、力になれなかったんだ。
今も、俺はSNS観測を続けている。
一人でも多くの人に、気付きを与えるために。
いろんなことを考えさせてくれる。
今回のテーマは少し重たいかもしれないが、最後まで読んでくれたら新たな気付きを得られるかも……しれないな。
みんなSNSやチャットアプリなんかやったことがある人は多いんじゃないかな。
もはや今はそれが普通だ。
その中でもこんなことをタイムラインで流している人をよく見かけるんだ。
「依存し合える人募集」
「誰か私に依存して」
「依存されるほど愛されたい」
最近この手の言葉がやたら多い。
依存ってそんなに軽い言葉だったか?
まあここまではいい。
ノリだろうし深い意味はないだろう、ないよな?
でもこれだけは少し空気が違う。
「共依存しよう」
「共依存って憧れる」
「共依存できる相手が欲しい」
ここは笑って流せなくなってきた。
共依存は仲良く依存し合いましょうという意味じゃない。
結果としてお互いが依存状態になって戻れなくなる。
生活も人間関係も壊れていく。
それに名前がついたのが共依存だ。
これは関係の名前じゃない。
壊れた後の状態名だ。
俺が知っている中で1番怖い状態、それが共依存だった。
意味を履き違えている人が多いようで、ここまで来るとさすがに少し怖いよな。
みんなは依存ってどんな風に考えてるんだろうな。
少しずつ見ていこうじゃないか。
■依存ってなんだ?
共依存について学術的に説明するつもりはないぞ!
それはネットやnoteで、いくらでも読めるからな。
テンプレの説明も、綺麗な言葉も、もう十分あるからそちらを見に行くといいさ。
まず依存そのものについて考えていこうじゃないか。
一言に依存と言っても色々あるんだ。
他者に
物事に
役割に
人は、いろんなものに依存して生きている。
物事や役割に依存すること自体は、悪いことじゃない。
それが心の平穏につながることも多い。
仕事
趣味
好きなこと
居場所
生活のリズム
このあたりは、多くの人にとって「依存」とは呼ばれない。
たいていは「私の好きなもの」になる。
ただ、度が過ぎると、それは全部、依存に変わる。
アルコール
ギャンブル
薬物
この三つは、分かりやすく危ない。
でも本当は、それ以外も同じだ。
生活がそれ一色になる。
それがないと不安になる。
それがないと自分が保てなくなる。
このラインを越えた時、「好き」は依存に変わる。
これが、俺の観測してきた依存の正体だ。
■アダルトチルドレン(AC)
前に俺の記事でも少しアダルトチルドレン(AC)に触れたこともあったな。
ここではさらに深くACについて説明していこうじゃないか。
ACは言葉として面白いと思ったな。
だって対比する言葉だからだ。
大人子供だぞ。
なんだよそれってなるよな。
だがこれは、とても本質を突いている言葉なんだ。
俺の考える結論はこうだ。
アイデンティティが確立できないまま大人になった人達のことを言うと考えた。
幼少期から思春期。
ここで自分という存在を、世界の中心に置けないまま大人になった人のことだと思う。
思春期までに自我を、アイデンティティを確立できた人は、精神的に成熟する。
だから依存心は減るんだろう。
心が精神がチルドレンのままアダルトになってしまった。
そういう人が、依存という闇に堕ちていく。
■アダルトチルドレンは子供っぽいの?
こんな疑問を持つ人もいるだろう。
子供っぽいわけじゃない。
ちゃんと成長はする。
精神年齢もな。
だけどACというのは、幼少期から思春期のトラウマや環境や生い立ち、そして社会構造の中で、アイデンティティを確立できなかった人達なんだ。
人は成長する。
考え方や行動も大人になる。
じゃあ何がチルドレンなのか。
それはその人の根本的な思考なんじゃないだろうか。
例えば
『愛されなかった』
これが代表的だろう。
親に。
兄弟姉妹に。
友達に。
恋人に。
ここで愛を感じられなかった人は取り残される。
自分が必要とされていないと感じ、自分を見失う。
自分は何者なのか。
自分は存在していいのか。
この根本的な存在理由を見失っている人を、アダルトチルドレンと呼ぶんだと思う。
■『共に』依存しましょう、は共依存じゃない
誰かが言い出したんだろう。
どこかで見つけたんだろう。
共依存という言葉を。
SNSが発達した結果、様々な情報が溢れている。
昔は、精神病を自分で調べようとしなければ分からない言葉が多かった。
承認欲求などが、その一つだろう。
少し精神病のことを知っている人なのかもしれない。
もしかしたら、精神病に詳しい人なのかもしれない。
その人がSNSで共依存という言葉を使ったんだろう。
そして瞬く間に、SNSで拡散された。
それを調べもせず、字面だけを見て判断している人が多いんじゃないだろうか。
『共』という言葉で、勘違いをしているんじゃないだろうか。
『共に依存しましょう』
これを共依存と勘違いしているんじゃないのかな、とSNS観測を続けていくうちに思ったことだった。
■知らないうちに堕ちていく
さっきも言ったが、共依存とは状態なんだ。
共依存という精神病は存在しない。
だけど『共に』依存しましょうではない。
なにが共依存になるのか。
全ての答えはこの章のタイトルだ。
知らないうちに、共に依存している状態になってることを言うんだ。
■学術的共依存
ここで軽く共依存について説明しておこう。
他で見ろと言っておいてなんだが、共依存がどんなものか、簡単に説明しておくとするな。
(ChatGPTより)
共依存とは、誰かの問題や不調や依存に過剰に関わりすぎて、気づいたら自分の人生がその人中心になってしまう状態のことを指す。
相手を支えているつもりが、いつの間にか、自分の価値も安心も存在理由も、全部その人に預けてしまう。
相手がいないと不安になる。
相手がダメだと自分もダメになる。
相手の調子が自分の調子になる。
助けているようで、実は一緒に沈んでいく関係。
それが、学術的に言われている共依存の姿だ。
この人は私がいないとダメなの。
この人は私が面倒を見るの。
この人は本当は優しいの。
こういう考え方は、かなり危うい。
相手のことを考えているようで、中心はいつの間にか自分になる。
自分が必要とされているか。
自分が役に立っているか。
自分がここにいていいか。
そこに価値を預け始めた瞬間、関係はもう歪み始めている。
学術的に話そうと思えばいくらでもネタは広がる。
だけどそれはここではしないでおくよ。
気になる人は自分で調べるんだ。
それが君の存在理由につながる……かもな。
■ACが量産される現代
学術的な話をしたよな。
共依存は、調べれば調べるほど怖くなる。
何がいちばん怖いのか。
それが────
『連鎖は止まらない』
────ということだ。
ACの人が結婚し、子供を産む。
その子もACになる。
ACの子からは、ACの子にしか育たない。
AC同士が結婚し、子供を産む。
またACが生まれる。
この無限の連鎖が、共依存のいちばん怖いところなんだ。
これがあるから、ACが全世界の人口98%と言われる所以だ。
もはやACであることが普通
共依存になる土壌が揃っている
と言っても過言ではないんだ。
■全ての関係が共依存?
ここまでの話を聞くと、全ての関係が共依存なの?
そう感じてしまう人もいるだろう。
それは違う、と俺は思う。
世の中を見て欲しい。
そんな関係で溢れているか?
答えは────
────否だ。
ではなぜ、共依存にならないのか。
鍵は、心が育つかどうかだ。
■アイデンティティの確立
結論から言おう。
自分というものを自分で見られる。
自分がどういう存在なのかわかる。
自分の居場所がある。
アイデンティティを確立させている、これが重要なんだ。
これがあるかどうかで全てが変わる。
これが育っている人は、人にすがらなくても立っていられる。
これが育っていない人は、人の中に自分の居場所を探し続ける。
幼少期から思春期までに、心がどう育ったのか。
ここが共依存に陥りやすくなる人と、共依存にならない人の分かれ道になっているように思う。
■なくならない寂しさの正体
ここまで読めば、もうだいたい分かるだろう。
キーワードはアイデンティティだ。
これがないと人は自分を見失う。
自分の存在意義が分からなくなる。
高校生までに。
専門までに。
大学生までに。
思春期までに。
『自分』
を見つけられないと、寂しさは一生ついて回る。
自分が何者なのか分からない。
自分がここにいていいのか分からない。
だから
家族がそばにいても
友人がいても
拭えない寂しさを抱える。
俺って何?
私は何?
何のために存在しているの?
生きてていいのか?
生きてる意味はあるんだよな?
これを見つけられないまま大人になる。
存在意義の喪失。
存在場所の未形成。
これが、寂しさの正体だ。
■SNSに寂しさが溢れる理由
ここでSNS観測の話に戻そう。
以前の記事でも俺はこう語っている。
アイデンティティの確立がなされていないから、SNSで寂しさを訴える大人がやまない。
それ自体は悪いことじゃない。
人は色んな理由で寂しくなる。
それは普通のことだ。
だが、自分という確たる意志を持たないままだと、消えない喪失感と不安と寂しさが、ずっと居座る。
何をしても埋まらない。
誰といても消えない。
そしてSNSは匿名性が高い。
昔なら飲み込んでいた感情を、今は簡単に外に出せる。
それ自体も、悪いことじゃない。
じゃあ何が起きているのか。
それをみんなで確かめようじゃないか。
■寂しさを依存で補う文化
もはや、依存は文化だ。
そう言ってしまっていいくらい、今の世の中には依存が溢れている。
ACで、アイデンティティが確立しないまま大人になった人達で、空気が満たされているように見える。
SNSを開く度に目に入る
『寂しい』
スクロールしてもスクロールしても、別の誰かが同じ言葉を置いていく。
呟いていなくても、アイコンは猫。
プロフィールを覗けば
『寂しい』
の一言。
恋人がいるのに、寂しいと言う人も珍しくない。
あいにく、俺には『寂しい』という感情がない。
多分これは俺のバグだ。
どこかで、この感情を置き忘れてきたんだと思っている。
だが、ほとんどの人は、この感情を手放せない。
本来、寂しさは関係性で薄まる。
恋人がいれば
家族がいれば
友人がいれば
癒してくれる何かがあれば
それで埋まるはずのものだ。
それでも消えないのは、居場所がなく、存在理由が見つからないからだ。
人はそれを他者に預ける。
関係の中に置く。
だが、関係が途切れた瞬間、また別の誰か、別の何か、そこに存在理由を探しに行く。
■インターネットが普及する前の思考
人は、寂しさの呪縛から逃れられない。
じゃあ、インターネットが普及する前はどうしていたのか。
そう疑問に思う人もいるだろう。
今はSNSがある。
寂しさを一瞬だけ忘れさせてくれる場所がある。
誰かと簡単に繋がれて、すぐに反応が返ってくる。
この時代を
『便利で優しい』
と感じている人も多い。
インターネットが普及する前、夜は本当に一人だった。
携帯もポケベルもない。
思春期の若者は、誰とも繋がれない夜を過ごしていた。
寂しかったかもしれない。
不安だったかもしれない。
それでも今と決定的に違うものがある。
それが────
『一瞬の精神的充足』
────だ。
今みたいに、感情を投げて、反応を受け取って、すぐに満たされる場はなかった。
代わりにあったのは、考える時間だ。
考えるしかない時間。
逃げられない時間。
「私は何者なんだろう」
「俺はここにいていいのかな」
「生きている意味って何だろう」
その自問自答の積み重ねが、自分という確かな意志を作っていた。
■SNSという存在
またSNS観測の話に戻そう。
先ほども触れたな。
SNSが普及した結果、人は『瞬間的に満たされる』ことが、あまりにも簡単になった。
便利
優しい
手軽
そう感じる人が増えた結果、何が起きたか。
もうわかるよな。
考える時間が減った。
自問自答する時間が減った。
「寂しい」と呟けば、
同じような誰かが声をかけてくれる。
リアクションが返ってくる。
繋がるのは簡単になった。
その代わり、自分と向き合う時間が減った。
今の40代、50代の男女にも、
消えない寂しさを抱えたままの人は多い。
育たなかったのかもしれない。
自分って何なんだろう。
結婚しても、私の居場所はここなんだろうか。
この寂しさは、どこから来るんだろう。
思考が止まった。
SNSという存在で。
投げかければ返る。
誰かが「俺もだ」「私もだ」と返す。
そのやり取りの中で、寂しさは癒される代わりに、依存となる。
■他人が見えるSNS
SNSを眺めていると、こんな声をよく目にする。
「他人の幸せそうなのを見ると気持ちが沈む」
「この人達はこんなにキラキラしてるのに私は…」
「幸せそうな家庭を見るたびに、自分の居場所が分からなくなる」
「自分より若いのに、こんなに先に進んでいるんだな…」
「みんな恋人がいるのになんで自分は……」
こういう言葉が、当たり前のように流れている。
見えてしまうんだ。
他人の生活が。
他人の成功が。
他人の幸せそうな瞬間が。
結果、何が起きるか。
それは、自分との対比だ。
自分はどうか。
自分は足りているか。
自分は遅れていないか。
自分はここにいていいのか。
比較はいつのまにか『評価』になる。
そしてその評価が自分の存在理由をゆっくりと、でも確実に削っていくんだ。
これがもうひとつのSNSの危うい理由だろう。
■依存し合うってなんだろう
ここまで読んでくれた人なら、一度はこう思ったはずだ。
依存し合うって、いいことなのか。
悪くはない。
ただ、寄りかかるのはだめだ。
全てを委ねるのもだめだ。
存在理由を相手に求めた瞬間、関係は歪み始める。
寄りかかるんじゃなくて、寄り添う。
必要とし合うことと、削り合うことは違う。
削り合う関係は、長く続かない。
今、恋人がいる人
支え合っている人
結婚している人は
一度だけ考えてみてほしい。
君が、そこに求めているものは何だろう。
スマホを置いて、目を閉じて、少しだけ、今までの自分を振り返ってみてほしい。
この時代に足りないのは、思考する時間だから────
■響ちゃんの原点
俺は学生の頃に、共依存をテーマに勉強したことがある。
当時は何も考えてはいなかった。
ゼミで精神病について調べるのが流行っていた。
それだけのことだった。
たまたま俺は、誰も調べていない共依存について調べようと決めた。
思い入れがあるわけでもないのに、今も深く俺の脳に、心に、この言葉が刻み込まれている。
精神病について学ぶと、誰もが通る道がある。
それは────
『私のことだよねこれ……』
────という気付きだろう。
多分に漏れず、俺も感じたよ。
『あー、俺の家も機能不全家族だったんだろうな』
とな。
アダルトチルドレン
俺もこれなんだと気付かされた。
共依存を調べれば調べるほど思った。
なるほど、だから自分はこうなのか……
と腑に落ちることが多かった。
とある学者の記述では、全世界の98%が機能不全家族だという研究結果が出ていると、本編でも伝えたよな。
震えたよ。
ほとんどの人がACじゃないか、と。
もはやそれが普通。
世界にはACの大人が溢れているんだ。
もうかれこれ20年以上前のことだ。
それだけ前なのに、今や減るどころか、どんどんACが、勘違いされた共依存が、SNSに溢れている。
SNSを眺めている初期の頃は、大して気にも留めていなかった。
俺は警鐘を鳴らしたいわけでも、説教したいわけでも、共依存が何かを広めたいわけでもない。
ただ、見ていると苦しくなるんだ。
寂しいというセリフ。
いなくなりたいという叫び。
生きるのが辛いという慟哭。
苦しいんだ。
なんとかしてあげたいが、俺はカウンセラーじゃない。
ましてや精神科医でもない。
ほんの少し詳しいだけの大人だ。
数え切れない程の人をSNSで説得してきた。
それでも俺が助けられるのなんて、ひと握りだ。
何度も何度も話していく中で気付いたんだ。
あぁ、俺は助けたいんだ、ってな。
共依存。
それは、俺が知る中で、最低最悪の状態だ。
助けるのが、とても困難だから。
共依存に陥ると、待っているのは社会的な終わりだ。
下手をすると2人とも居なくなるかもしれない、それほどに酷い状態なんだ。
どうやっても、この最低最悪な負のスパイラルからは逃れられない。
過去に幾度となく、ACや共依存の家族から生まれた人達と接してきた。
SNSだけでなく、リアルでも。
誰一人、心を救えなかったんだ。
本編でも述べたが、一瞬だ。
俺の与える精神的充足なんて、たかがしれている。
多少知っているだけじゃ、力になれなかったんだ。
今も、俺はSNS観測を続けている。
一人でも多くの人に、気付きを与えるために。
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