ラブレター・フロム・シナリオライター

仮住まい

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第三幕ー⑦

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 紆余曲折あったけれど、とうとうこの日にこぎ着けた。



 文化祭二日目。



 演劇部の体育館公演かつ、誠司先輩の引退劇であり、一年かけて仕込んだ恋が結ばれる日だ。



 本番は夕方になるのだが、段取りの最終確認も含めて集合は朝早く。蝗害のごとく襲い来る怒濤のビラ配りを躱し、気でも触れたような呼び込みの声もスルーして、僕は体育館に向かう。



 そこでは利用団体が集まって段取りを確認していた。有志のバンドマンが多い。二日目は僕らの公演が終わり次第、文化祭フィナーレに向けてライブの連続だそうだ。どうかこの学内のステージから大きく羽ばたいていって欲しいものだと音楽関係者みたいな感想が浮かぶ。



 代表者同士の打ち合わせが終わり、演劇部も全員集合して最終ミーティングに入る。といっても枠と入りの時間、大まかな流れなど口酸っぱく言われてきた内容の繰り返しで、ただの顔合わせみたいなものだ。



「いいか、大会前の前哨戦だと思うなよ。先輩のいる最後の舞台、絶対成功させる」

 やはり仕切るのは我らが舞台監督だ。



「カントク目が怖いって。気負いすぎず楽しんでいこうよ」

 主演男優は柔和な笑みで緊張をほぐして。



「今までありがとうね、困ったことがあったら何でも言ってね。できる限りサポートするよ」

 経験豊富な先輩は照明として力を貸してくれる。



「変な音立てないでよー。世界の氷が割れるから」

 音響は冬の空間を大事に大事に作りあげ。



「さーみなさん気合い入れて-」

 元気な新芽はやる気満タン。



「○」

 主演女優は意気揚々と○棒を掲げる。あれから、台詞の他に声を出すことはなかった。



 そして、みんなの目が脚本家へ。



 僕が作品に注ぎ込んだ熱意は、きっと感じてくれただろう。まだ僕の振るまいを許してない者も多くいるだろうが、今日が終わり、全てが結実したとき、わかってくれると信じたい。



「みなさん、僕の作った物語を形にしてくれてありがとう。よし、いこうか」

 順番的に偉そうなコメントをしてしまい、流れで円陣を組む。



「全部出し切るぞ」



 カントクの号令一下、僕らはひとかたまりの組織となり、腕を重ね、咆吼をあげた。



 劇本番での舞台裏とはやることが沢山で忙しないのだけれど、僕は二年連続観客席から眺めることとなってしまった。映研から機材を借りてきて記録係を務める。色々裏方作業は勉強したつもりだが、任されなかったな。



 まあいいさ、特等席をいただいたんだから。自らの行いが何をもたらすのか、僕はきちんと知らなければならない。



 客の入りは七割くらい。残暑の季節ではあるものの、耐えがたいほどの暑さはない。好条件と言っていい。



 さて、前口上といきますか。



 これより始まりますは、二人のためのお伽噺。



 声を凍らせた少女と、心を凍らせた少年に雪解けが訪れる物語。二人が乗り越え、そしてこれからも挑み続ける運命は、平坦ではなく、時に残酷だ。



 それでも秘めた想いと磨き続けた歌声は、傷ついた過去をも肯定し、未来を明るく照らすだろう。



 そう願って、書き記した、ラブレター。



 代筆だけど、これっきりだから許して欲しい。さあ君、取りたまえ。



 始めよう。



 極寒の世界に、実りを。



 春を告げる鳥の歌よ、響け。



 舞台の幕が、上がる。



 







「本当にいいんだな?」

「寂しくなるけど、いいよ。行こうよ、ミーくん」



 ありったけの防寒着と保存食を抱えて、二人は南を目指す。ミハイルは最後まで悩んでいた。自分にとっては不自由に塗れていたこの村を、好きだとまで言ったイレーナを連れ出していいものかと。



「生まれた場所だから、ずっと、ここが世界のすべてだったけど。本当はもっともっと広いんだよね?」

「もちろんだ。この村なんて、世界のほんの一部だよ」

「なら見に行こうよ、たくさん知ろうよ。それでさ、また村に帰ってこよう」

 彼にそのつもりはなかった。二度と戻らない心持ちで、今日村を発つのだ。

「ああ……そうだな」





 しんと静まりかえった山道を、二人は並んで行く。覚悟はしていた、けれど、定着したコミュニティから飛び出すことは想像よりずっと過酷だった。



「そろそろねぐら作らないとね」



 雪に見立てた大量の綿を形作る。暖炉も屋根もないところで眠ることは、この世界では死と同義である。その日も大した距離は稼げずに、早々と寒さをしのぐための支度を始めなければならない。夜が来る前に。



「ね、ね、ミーくん。森の恵みだよ」

「上手くいったな」

「神様ありがとうございます。生命と熱をいただきます」



 罠にかかったウサギを捌き、余すところなく食する。僅かな食料で命を繋いでいく。



「こうすると暖かいよね」

 雪で作ったかまくらで、肌身を寄せ合って眠る。

「まるでこの世に、俺たち二人だけみたいだ」

「ふふっ、そうだったら嬉しいのにね」

「嬉しいんだ?」

「ミーくんを独り占めできる」

 いたずらっぽく笑って、より身体を密着して、熱をためて、寒さを閉め出した。





「ああ、世界は厳しいな。牛と一緒にくればよかった」



 森を抜けるとそこは見渡す限りの平野部。厳冬期は過ぎたとはいえ、遮るもののない風は体力を容赦なく奪う。



「そしたら乗せてもらって楽できるのに」

「でも牛さんのエサ満足にあげられないよ。それで連れ出すのはかわいそう」

「そうだな。俺たちのエサすら危ぶまれる」

「野いちご食べながらのんびり行こうよ」



 山の中で摘んできたそれをぱくつきながら、イレーナの足取りは軽い。



「先が見えないってこんなにしんどいもんなんだな」

「ミーくんが行ってみたいって言ったんだよ。元気が足りないよ」

「それはそうだが……お前は疲れてないのか?」

「だって、こんなに見通しの良い場所、村にはないから。ここ一面が花に覆われていたらさ、素敵だなって思ったの。そしたら疲れなんて吹っ飛んじゃうよ」



 村から逃げ出したミハイルより、よほど彼女の方が外の世界を楽しんでいるじゃないか。彼一人では途中で心折れてしまっていただろう。



「……ありがとう」

「なにが?」

「……なんでもない」





 現代はあらゆる面で便利になりすぎた。生まれた時代がそうだったから、僕らは発展した技術を当たり前に享受して生きている。



 だが二人には電気もガソリンもない。遭難したなら助からない。僕ら現代日本人には想像もつかないような困難があって、それでも進もうともがいている。



「誰か住んでいてもいいだろうに。俺たちの集落みたいに」

「すごいね。他に誰もいないような土地で、わたしたち育ったんだ」



 ミハイルを突き動かしたのはあくまで人づてに聞いた噂だ。

 南に行けば、村とはまったく違う世界があって、たくさんの人が営んでいるのだと。



 しかし道中、誰にも出くわさない。村の一つ二つ、あってもおかしくない距離を進んできたのに。食料を分けてもらうことも、暖炉の前で休ませてもらうこともできない。



 こうなるともう信じることができない。

 本当に自分たちは二人っきりなのでは。

 南に国など存在しない。世界は、あの氷に閉ざされた箱庭がすべてだったのでは。



 そしてあの村を愛せなかった自分は、生きていてはいけないんじゃないか。



「だとしても、もう……戻れねえよな」

「ミーくん?」

「イレーナ。いざって時は俺を……」

「食べて生き残れって!? やだやだ死んじゃやだよ」

「置いていけって言おうとしたんだよ! グロいよお前の考えっ」

「でもそっかぁ……最期に食べるのって、一つになるってことだもんね。うさぎやお魚にそうするように、命をいただく……」

「イレーナさん? あの、ちょっと? 怖いよ?」





 村を出立して幾日過ぎただろうか。



「世界は広い」

「どうした急に」



「わたしはあの村になんの不満もなかった。大好きな生まれ故郷だった。でも、そこしか知らないで好きだって言うのと、広い世界を旅してからそう思うのは、なんだろ、ありがたみが違うよね」



「沢山の好きの中から一番を選ぶみたいに?」

「そう、特別な一番。わたしがこの先何を知っても、やっぱり生まれ育ったあの村が好きって言えたらいいな」

「……なら、これから色んな国を見て回らないといけないな」

「脚の動く限りがんばろー」



 歩を進めるその先に、何かがあると信じている。

 きっと知らない景色に辿り着けるのだと心を奮い立たせて。





「お魚、もうちょっとでなくなっちゃう」



 外が天然の冷凍庫なのだ。村から持ち出した名産の魚は、傷んでこそいないが残り僅かになっている。体温を上げるためにはきちんと食べないといけない、のに、まともな食事はしばらく摂れていない。



 日に日にイレーナが細っていくのをミハイルは感じている。毎晩身を寄せ合うときに、否が応でもわかってしまう。明るく振る舞ってはいるけれど、やはりミハイルより体力では劣ってしまう。



「大丈夫か、今日はもう休もうか?」

 進める距離も、どんどん短くなっていく。先に進むより、食料の確保が優先される。



「もう疲れちゃった?」

「いやお前がさ……」

「わたしなら大丈夫だから、進もうよ。そして南の国で美味しいものたくさん食べよ」

「ああ、楽しみだな」

「知らない野菜や果物がいっぱいあるんだよね。口に合うといいよね」



 明るい未来を見据えながら、なんとか脚を前に、前に。

 だが、限界はもうすぐそこまで迫ってきていた。





 すっかり見入っていたから気づくのが遅れてしまった。来てくださいね、とは言っていたものの本当に来るかね。決して暇じゃないだろうに。



 劇の途中であるし、カメラも構えているしで会釈が精一杯。相手だって僕をからかいにきたわけではないだろうからお互い、黙って観劇に戻る。





「おい見ろっ。イレーナ、屋根だ、きっと村があるんだ。おい!」



 雑木林を抜け開けた視界に、いくつかの密集した屋根があった。ミハイルは興奮を隠せず慌てて駆け出す。



 もう新しい世界などどうでもいい。ただ生きながらえて、可能であるなら生まれ育ったあの村に帰りたい。だから少しの間だけでいい、寒さに怯えず過ごせる場所が欲しい。まともな栄養のある食事をしたい。そして、また、歩き出すための力を――



「誰も……いないよ。ミーくん」

「…………」



 彼らが見つけたのはすでに放棄された集落だった。かつて人が暮らしていたのは間違いないだろうが、それもどれほど前の事か。藁葺き屋根には所々ほつれが目立つ。めぼしい燃料も食料もなさそうだ。野宿よりはマシ、程度の設備しかなかった。



 期待は失望を倍増しにした。ミハイルは膝から崩れ落ちる。



 そして、これ以上南を目指す気力は、残されていなかった。



 二人は朽ちた村跡に腰を落ち着ける。

 うち捨てられた小屋で二人は、蝕まれていく。

 寒さに。空腹に。死への恐怖に。



「すまない。イレーナ、俺の考えが甘かったばっかりに……」

「南の国って、遠いんだね。話を聞かせてくれたおばあちゃん、行ったことあるのかなぁ……」

「作り話だったんだよ。一月も歩けばたどり着く、って言ってたのに」

「もうどのくらい歩いたんだろうね」



 今から引き返すには、あまりにも長すぎるくらい。



「……すまない」

「謝ることないのに」

「だって、お前はあの村で、あの村が好きだって……過酷な環境でも、あそこがいいって」

「色んな世界を見るんだって約束したでしょ。沢山旅をしたあとに、帰ればいいんだから。ミーくんはぜんぜんわるくないよ」



 イレーナは、半分微睡みの中のような、ぽやっとした声色だ。このまま眠りに落ちてしまえば、二度と目を覚まさないんじゃないかという不安をミハイルは感じていた。



「それにね、あの村でも、険しい山道の中でも、こんな世界の果てだって、あなたが隣にいてくれれば、それだけでわたしはぬくもりを感じた。どれだけ吹雪の中だって、村の凍らない水みたいに、あったかかったんだよ」



 起き上がるのも難儀する身体で、必死にミハイルを励まそうとする。笑顔を絶やすまいとしている。

 ミハイルの瞳から、涙が零れてくる。



「俺は間違えたんだ。多くを望みすぎたから、一番大切なものすら失おうとしている」

「失うって、やだなあ。最後まで一緒がいいよ、それで最期には、一つになりたい」

「まさかお前な……」

「それでミーくんが元気になるなら。私、あなたの中で生きていきたい」



 もう、イレーナの目は開いていない。呼吸はすごく穏やかで、弱々しい。



 一つの命が消えゆこうとしていた。



 ミハイルの腕の中で、いっぺんの後悔すら感じさせない笑みで、少女の意識は溶けてゆく。



「もう他に何もいりません。ずっとあの村で過ごしたっていい、この子さえいてくれればいいんです! だから神様、どうか、この子に再び命を、熱を、声を! 返してやってください!」



 ミハイルは、自分の悲しみにばかり囚われていた。生まれた環境を呪い、狭い世界で活力をもてあまし、怒りを抱いて脱出を図った。しかし夢見た新天地はそこにはなく、ただ過酷で苦しい日々の連続だった。



 外の世界を欲したばかりに彼は、どんなときでもそばにいてくれた大切な人まで失おうとしている。



 手の届かない憧れと、ずっと一緒にいた存在。



 彼が選ぶのは



「ただ俺は、愛する人の隣にいられればいいんです! だから……起きて、くれよ」



 ミハイルがイレーナのうなじに触れ、そっと持ち上げる。

 前作の時点で指定されてはいたんだ。ここまで引き延ばしたのは、僕個人の往生際の悪さに他ならない。



 だって見たくないだろ。



 好きな女の子が、自分以外の誰かと、キスをするシーンなんてさ。



 誠司先輩が雲雀に顔を寄せていく。やるからにはリアルに、としつこいぐらい主張してやったんだ。稽古中こそ途中で止めたけど、本番はきちんと、重ね合わせる手はずになっている。



 さあいけ、王子様のキスがお望みだろう。ちゃんと目を覚ますんだよ。



 長い長い口づけの後に、雲雀がふっと息を吹き返して、幕が下りていく、はずだった。

 ゆっくりと余韻を引きずりながら降りていく幕を止めたのは、予想外の声だった。





「ありが、と……ーくん。あなたの、ことが……だい、すき。だから、ずっと……」





 途切れ途切れの、ともすれば会場の奥は聞こえないかもしれない、か細い音。

 けれど先輩には、はっきり聞こえたはずだ。 



 脚本にはこんな台詞はない。そして雲雀は、脚本に書かれた台詞でしか喋ることはできない。



 はずだった。



 ああ、あのとき僕が聞いた声は、やっぱり幻なんかじゃなかったんだ。



「愛するあなたの、そばに……」

 なんだよ、散々僕に準備させておいて。段取りも打ち合わせも無視して、自分でゴール決めちゃうのかよ。



 今の雲雀のアドリブこそ、彼女が磨き続けてきた恋心の十全の発露だ。僕が代筆したラブレターなど霞んでしまうくらいの。



 ひとたび混乱したものの、今度こそ幕が下りていく。二人は寄り添ったまま、満足げな表情を浮かべていた。物語は絶望的な状況で閉じられる。観客には悲劇に映るだろう。けど、舞台を降りた役者達は……。



 雲雀の心は、きっと、誠司さんに届いたはずだ。



 これこそが彼女が望んだ結果だ。僕は仕事をやり遂げたのだ。

 だから、この胸の軋みなどは無視していい。優先順位をつけることだ。一番の願いを叶えたのだから、より多くを望むのは強欲というもの。



「……おつかれさま」



 まるで歌っているときのような優しい声で労ってくれる。この人には脚本を渡していたおいたから、きちんと読み込んできたなら雲雀が取り戻したことに気づいただろう。



 幕が下りきり、拍手と鼻を啜る音が館内を満たす。最期まで愛しい人に付き従い、彼の腕の中で眠りについた雲雀の姿が涙を誘ったのだろう。終わりへの一本道をただ進む単調な話だったけど、名優が演じればこれほど人の胸を打つ。



 録画のスイッチを切り、ためこんでいた息をゆっくりと逃がした。



「やりきりましたからね、僕は」

「本当にこれでよかったんだ。チャンスはいくらでもあっただろうに」



 そう、なのかなあ? 違う選択をしていたら、彼女は声を取り戻せただろうか? 彼を忘れて、僕と進む道があっただろうか?



「道理に合わないルートは潰す主義なんです。作劇の都合上」

「より美しい結末を目指したわけだ」

「ええ、だって見てくださいよ」



 閉じきった緞帳が上がり、佐倉さんが関わった部員の役職を読み上げる。脚本、演出として僕も名を連ねた。



 最後に主演二人の名がコールされると、二人は再び舞台に現れ、片手を振りながら観客の声援に応えていく。そしてもう片方の手は、お互い、離すまいとぎゅっと繋がれている。



 終始笑顔で、達成感と喜びに充ち満ちて。



「あんなに幸せそうなんだから。これで、よかったんだよ」



 眩しい。目を逸らしてしまいたくなるほど。



「泣きたくなったらお姉ちゃんが胸貸してあげるよ」



「間に合ってます。こう見えて、一途なので」
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