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2.通院
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「ほら、早く!」
信二の妻、清子がせかす。
予約した病院の受付時間が、迫っていた。
信二は、いつものように、着なれたスーツを着る。
そんな信二のスーツ姿をみた清子は、
「まあ!またそんな、会社に行くみたいに……」
と、あきれたように言う。
しかし、信二は、
「お前も一緒に行くのか?」
と、清子の愚痴にかまわず、聞いた。
「久しぶりの病院でしょ!?」
うきうきと出かけようとする清子を見て、信二はうんざりとした顔を見せた。
あの打ち合わせの日以降、信二は何度も転んだ。
突然、足が持ち上がらなくなるのだ。
今まで何でもなかった、道路の段差にもつまずくようになった。
本当に、頭が足の持ち上げ方、膝の曲げ方を忘れたようだった。
心配した清子からは、病院に行くように進言された。
しかし、信二は、仕事の忙しさを理由に、ごまかしていた。
いや、実は清子に黙って、近所の町医者に相談には行った。
行っては見たが、その病院では、信二の話を聞いて、
「では、もっと大きな病院の紹介状を渡しますから、そちらで精密検査をしてください」
と、紹介状を渡されただけだった。
面倒くさくなった信二は、紹介状を放置し、清子にも見せなかった。
だが、紹介状を見つけた清子の再三心配する声に、信二は苦虫をかみつぶしたような顔で、
「わかったよ」
と、言わざるを得なかった。
さらに、信二は、その場で、紹介された病院に予約を入れられた。
それから数日が経ち、ついに今日が、その予約日になったのだった。
信二は、一緒に病院に行く気満々の、着飾った清子をみつめながら、
(病院に行くのが、そんなに楽しみかよ)
と、ぼんやりと考えていた。
清子が、踊るように振り返る。
「ああ、久しぶり。この服着たの」
(そうだっけ?)
(ああ、そうか)
(この服を清子が着たのは、紘一の大学入学以来か)
と、信二は、思い出した。
紘一とは、信二と清子の一人息子だ。
その紘一の大学入学時、清子はこの服を着て、紘一と入学式会場までついて行こうとした。
だが、
「やめてくれよ、みっともない!
小学生かよ!」
と、激しく拒絶する息子に阻まれた。
清子には、みっともない、という感覚はなかった。
紘一が、いくつになろうと、清子の子供なのは、間違いない。
「そんな子供の晴れ姿を見れないなんて」
と、清子は憤慨した。
ところが、信二にも
「恥ずかしい真似はやめろ」
と、責められ、
「わかったわよ。その代わり……」
と、信二を連れて、百貨店に出かけた。
信二としても、清子のバカげた行動を止めるため、渋々付き合わざるを得なかった。
紘一のために、自分を犠牲に差し出すような、そんな気がした。
ところが、清子は、テナント店の中に入ることもなく、ただただ散々歩き回ったあげく、
「あーあ。疲れちゃった」
と、家に帰ってきてしまった。
信二としては、よくわからず連れまわされただけだが、それで清子の気が収まるなら、とホッとしたことも事実だ。
そんな出来事があったおかげで、信二は、その時の清子の服のイメージが強く残っている。
その後、紘一は、大学の映像学科を卒業し、野生動物の写真家になった。
学生時代に、アルバイトで入った、カメラアシスタントを続けるうちに、動物写真の面白さに魅了された紘一は、そのままプロを目指した。
だが、信二は、そんな紘一の仕事を認めなかった。
(そんな仕事が、長く続くものか)
とさえ、思っていた。
紘一が、写真家になりたての時は、酔っぱらった信二が、
「俺の会社に入ればいいのに」
と、よく愚痴をこぼしていたものだ。
あれから数年経った今でも、信二は紘一の仕事を認めていない。
野生動物の写真を撮るために、外国に行くことが多くなった紘一は、ほとんど日本にいない。
(だが、それがどうした)
(あいつだって、もう大人だ。好きにすればいい)
(そう思っているのに……何か引っかかる……)
(なんだ、この気持ちは……?)
しばらく考えていた信二は、自分が導き出した答えを思わず、口にした。
「家族だから、なのかな」
「え?なに?」
と、清子が聞いたが、信二は、黙って清子を眺めていた。
そのうち、清子の髪の毛に白いものを見つけた。
(こいつも年取ったな)
と思った時、今の清子の姿と、在りし日の百貨店での清子の姿が重なる。
そこで、信二は、ハッと気が付いた。
(あの日、百貨店に行った時もそうだったのか)
(べつに清子は、百貨店に行きたかったわけじゃない)
(今も清子は、病院に行きたいわけじゃない)
(俺と一緒に歩きたいんだ)
確かに、信二が社長になってから、二人きりで歩いたことは少なくなった。
仕事量は、雇われの社員時代に比べて、数倍にもなり、より忙しくなっている。
清子と会うことすら、できない日も多くなった。
二人の距離が、どんどん離れていくような気がした。
(だからこそ、清子は俺と…)
清子が、本当は、どう思っているのか、はわからない。
信二が、自分勝手な妄想を膨らませているだけ、かもしれない。
だが、お互いに、自分勝手で、それでいて素敵な妄想を膨らませるだけで、心の距離が縮まるような、そんな気がする。
(お前も、家族だもんな)
と、信二は思った。
「だめだめ、もう遅れちゃう!」
と、清子は叫びながら、信二の手を握り、玄関を飛び出した。
信二は笑いながら、清子のなすがままにさせた。
信二の妻、清子がせかす。
予約した病院の受付時間が、迫っていた。
信二は、いつものように、着なれたスーツを着る。
そんな信二のスーツ姿をみた清子は、
「まあ!またそんな、会社に行くみたいに……」
と、あきれたように言う。
しかし、信二は、
「お前も一緒に行くのか?」
と、清子の愚痴にかまわず、聞いた。
「久しぶりの病院でしょ!?」
うきうきと出かけようとする清子を見て、信二はうんざりとした顔を見せた。
あの打ち合わせの日以降、信二は何度も転んだ。
突然、足が持ち上がらなくなるのだ。
今まで何でもなかった、道路の段差にもつまずくようになった。
本当に、頭が足の持ち上げ方、膝の曲げ方を忘れたようだった。
心配した清子からは、病院に行くように進言された。
しかし、信二は、仕事の忙しさを理由に、ごまかしていた。
いや、実は清子に黙って、近所の町医者に相談には行った。
行っては見たが、その病院では、信二の話を聞いて、
「では、もっと大きな病院の紹介状を渡しますから、そちらで精密検査をしてください」
と、紹介状を渡されただけだった。
面倒くさくなった信二は、紹介状を放置し、清子にも見せなかった。
だが、紹介状を見つけた清子の再三心配する声に、信二は苦虫をかみつぶしたような顔で、
「わかったよ」
と、言わざるを得なかった。
さらに、信二は、その場で、紹介された病院に予約を入れられた。
それから数日が経ち、ついに今日が、その予約日になったのだった。
信二は、一緒に病院に行く気満々の、着飾った清子をみつめながら、
(病院に行くのが、そんなに楽しみかよ)
と、ぼんやりと考えていた。
清子が、踊るように振り返る。
「ああ、久しぶり。この服着たの」
(そうだっけ?)
(ああ、そうか)
(この服を清子が着たのは、紘一の大学入学以来か)
と、信二は、思い出した。
紘一とは、信二と清子の一人息子だ。
その紘一の大学入学時、清子はこの服を着て、紘一と入学式会場までついて行こうとした。
だが、
「やめてくれよ、みっともない!
小学生かよ!」
と、激しく拒絶する息子に阻まれた。
清子には、みっともない、という感覚はなかった。
紘一が、いくつになろうと、清子の子供なのは、間違いない。
「そんな子供の晴れ姿を見れないなんて」
と、清子は憤慨した。
ところが、信二にも
「恥ずかしい真似はやめろ」
と、責められ、
「わかったわよ。その代わり……」
と、信二を連れて、百貨店に出かけた。
信二としても、清子のバカげた行動を止めるため、渋々付き合わざるを得なかった。
紘一のために、自分を犠牲に差し出すような、そんな気がした。
ところが、清子は、テナント店の中に入ることもなく、ただただ散々歩き回ったあげく、
「あーあ。疲れちゃった」
と、家に帰ってきてしまった。
信二としては、よくわからず連れまわされただけだが、それで清子の気が収まるなら、とホッとしたことも事実だ。
そんな出来事があったおかげで、信二は、その時の清子の服のイメージが強く残っている。
その後、紘一は、大学の映像学科を卒業し、野生動物の写真家になった。
学生時代に、アルバイトで入った、カメラアシスタントを続けるうちに、動物写真の面白さに魅了された紘一は、そのままプロを目指した。
だが、信二は、そんな紘一の仕事を認めなかった。
(そんな仕事が、長く続くものか)
とさえ、思っていた。
紘一が、写真家になりたての時は、酔っぱらった信二が、
「俺の会社に入ればいいのに」
と、よく愚痴をこぼしていたものだ。
あれから数年経った今でも、信二は紘一の仕事を認めていない。
野生動物の写真を撮るために、外国に行くことが多くなった紘一は、ほとんど日本にいない。
(だが、それがどうした)
(あいつだって、もう大人だ。好きにすればいい)
(そう思っているのに……何か引っかかる……)
(なんだ、この気持ちは……?)
しばらく考えていた信二は、自分が導き出した答えを思わず、口にした。
「家族だから、なのかな」
「え?なに?」
と、清子が聞いたが、信二は、黙って清子を眺めていた。
そのうち、清子の髪の毛に白いものを見つけた。
(こいつも年取ったな)
と思った時、今の清子の姿と、在りし日の百貨店での清子の姿が重なる。
そこで、信二は、ハッと気が付いた。
(あの日、百貨店に行った時もそうだったのか)
(べつに清子は、百貨店に行きたかったわけじゃない)
(今も清子は、病院に行きたいわけじゃない)
(俺と一緒に歩きたいんだ)
確かに、信二が社長になってから、二人きりで歩いたことは少なくなった。
仕事量は、雇われの社員時代に比べて、数倍にもなり、より忙しくなっている。
清子と会うことすら、できない日も多くなった。
二人の距離が、どんどん離れていくような気がした。
(だからこそ、清子は俺と…)
清子が、本当は、どう思っているのか、はわからない。
信二が、自分勝手な妄想を膨らませているだけ、かもしれない。
だが、お互いに、自分勝手で、それでいて素敵な妄想を膨らませるだけで、心の距離が縮まるような、そんな気がする。
(お前も、家族だもんな)
と、信二は思った。
「だめだめ、もう遅れちゃう!」
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