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「まず、ご主人の病名は、ALSと診て、間違いないでしょう」
と、検査結果を見ながら、医者が言った。
「ALS……。なんですか、それは?」
聞きなれない病名に、とてつもない不安を感じた清子が聞く。
「筋萎縮性側索硬化症というんですがね。
脳から筋肉を動かす指令を伝える神経が、壊死していく神経難病です。
発症は、10万人に1人、と言うところでしょうか。
日本全国で、1万人ほどの患者さんがいらっしゃいます。
残念ながら、原因はまだわかりません。
治療法も確立されていません。
今は足の力が入らない、と言うことですが、徐々に全身に広がっていきます。
もうすぐ、腕も動かせなくなるでしょう。
ものを飲み込む、嚥下の力もなくなります。
肺も筋肉で動かしていますから、自発呼吸もできなくなります。
進行スピードに個人差はありますが、大体3年から5年で亡くなる方が多いですね」
驚いた清子は、信二を見た。
信二は、うつむいて、じっと自分の両足を見つめていた。
「といっても、何もしなければ、ですが。
食べ物、飲み物を飲み込めない代わりに、外から胃に穴をあけ、チューブを差し込む、胃婁手術があります。
そのチューブから流動食を流し込み、栄養を確保します。
また、自発呼吸ができなくなる前に、喉に穴をあけ、人工呼吸器をつけることで、延命はできます。
そういった形で、ALS患者の方でも、10年、20年、と生き続ける方はいらっしゃいます」
「胃婁…。人工呼吸器…」
今まで、自分の人生には全く関わりあいのなかった言葉だけに、清子は復唱するのが精一杯だった。
頭の中をいろんな言葉が駆け回り、医者が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
しかし、清子はそんな頭の中で、医者の言葉を反芻し、少しでも理解しようと努めていた。
その時、信二が医者に問うた。
「その判断は、正確ですか」
清子は、うつむいたままの夫を見た。
「そうですね。この検査結果を見る限りでは、そういう所見になります。
それとも検査入院しますか。入院して、もう少し詳しく調べましょうか?」
信二は、黙った。
「それとも、他の病院で、セカンドオピニオンをお受けになりますか?」
と、さらに医者は続けた。
「い、いいえ、そんな…」
清子は慌てて、否定した。
医者の機嫌を損ねることを恐れての事だった。
「この病気の進行が止まる、と言う可能性は?」
再び、信二が、糸のように細い希望を求めて、聞く。
「まあ、それは考えないほうがよろしいでしょう」
だが、医者の冷静な言葉によって、その細い希望は、無残に切り刻まれた。
「先ほども述べたように、胃婁手術、気管切開手術を受ければ、延命はできます。
今から、徐々に、手術を受けるか、どうか、お考えになってください」
「手術は受けない、と言ったら?」
「残念ながら、あと数年で…」
と、医者は一呼吸を置いて、
「胃婁のみ受けられる方もいますし、気管切開までされる方もいます。
そして、全く延命処置を望まずに亡くなる方もいらっしゃいます。
こればかりは、ご本人の希望に沿う形でしか、進められません。
また、気管切開して呼吸器をつけた場合、後々ご本人が呼吸器を外してほしい、と言ったとしても、それはできません。それは、殺人行為になりますので。
嫌な言い方ですが、死ぬ覚悟をなさるのなら、気管切開をしない、呼吸器をつけない、と言って頂くしかありません」
「死ぬ覚悟…」
清子は、突然降ってきた言葉に、ショックを受けた。
再々度、信二が問う。
「しかし…。たとえ生き残ったとしても、一生ベッドから動けなくなるんでしょう?」
「その通りです。この病気は、意識や判断力の低下は、ありません。
痛みもかゆみも感じます。しかし、そのかゆみや痛みを自分で解消することは、できません。
体が、動かなくなりますから。文字通り、指一本動かせなくなります。
亡くなる寸前まで、ベッドの上で後悔することも考えられます」
「そんなの…」
と、信二は、言葉を詰まらせた次の瞬間、声を荒げた。
「…そんなの、どちらを選んでも地獄じゃないか!
大体、死ぬ覚悟だなんて、簡単に言わないでくれ!」
信二の叫びに、清子は、改めて事の重大さを知った。
だが、まだ心のどこかで、絵空事のように感じていた。
(今までも、何度も大変なことはあったじゃない)
(でも、いつでも、何とかなったわよ)
(これからだって、そう)
(病気だって、何とかなるに決まってる)
(この人が、死ぬわけがない)
何の根拠もないまま、清子は、この事実と折り合いをつけようとしていた。
「まあ、まだ先のことです。
時間はあります。
今のうちにご家族で、よく話し合ってください」
と、医者は言った。
「時間があるって、どのくらいですか?」
清子の質問に、医者は明確な返答を避けた。
と、検査結果を見ながら、医者が言った。
「ALS……。なんですか、それは?」
聞きなれない病名に、とてつもない不安を感じた清子が聞く。
「筋萎縮性側索硬化症というんですがね。
脳から筋肉を動かす指令を伝える神経が、壊死していく神経難病です。
発症は、10万人に1人、と言うところでしょうか。
日本全国で、1万人ほどの患者さんがいらっしゃいます。
残念ながら、原因はまだわかりません。
治療法も確立されていません。
今は足の力が入らない、と言うことですが、徐々に全身に広がっていきます。
もうすぐ、腕も動かせなくなるでしょう。
ものを飲み込む、嚥下の力もなくなります。
肺も筋肉で動かしていますから、自発呼吸もできなくなります。
進行スピードに個人差はありますが、大体3年から5年で亡くなる方が多いですね」
驚いた清子は、信二を見た。
信二は、うつむいて、じっと自分の両足を見つめていた。
「といっても、何もしなければ、ですが。
食べ物、飲み物を飲み込めない代わりに、外から胃に穴をあけ、チューブを差し込む、胃婁手術があります。
そのチューブから流動食を流し込み、栄養を確保します。
また、自発呼吸ができなくなる前に、喉に穴をあけ、人工呼吸器をつけることで、延命はできます。
そういった形で、ALS患者の方でも、10年、20年、と生き続ける方はいらっしゃいます」
「胃婁…。人工呼吸器…」
今まで、自分の人生には全く関わりあいのなかった言葉だけに、清子は復唱するのが精一杯だった。
頭の中をいろんな言葉が駆け回り、医者が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
しかし、清子はそんな頭の中で、医者の言葉を反芻し、少しでも理解しようと努めていた。
その時、信二が医者に問うた。
「その判断は、正確ですか」
清子は、うつむいたままの夫を見た。
「そうですね。この検査結果を見る限りでは、そういう所見になります。
それとも検査入院しますか。入院して、もう少し詳しく調べましょうか?」
信二は、黙った。
「それとも、他の病院で、セカンドオピニオンをお受けになりますか?」
と、さらに医者は続けた。
「い、いいえ、そんな…」
清子は慌てて、否定した。
医者の機嫌を損ねることを恐れての事だった。
「この病気の進行が止まる、と言う可能性は?」
再び、信二が、糸のように細い希望を求めて、聞く。
「まあ、それは考えないほうがよろしいでしょう」
だが、医者の冷静な言葉によって、その細い希望は、無残に切り刻まれた。
「先ほども述べたように、胃婁手術、気管切開手術を受ければ、延命はできます。
今から、徐々に、手術を受けるか、どうか、お考えになってください」
「手術は受けない、と言ったら?」
「残念ながら、あと数年で…」
と、医者は一呼吸を置いて、
「胃婁のみ受けられる方もいますし、気管切開までされる方もいます。
そして、全く延命処置を望まずに亡くなる方もいらっしゃいます。
こればかりは、ご本人の希望に沿う形でしか、進められません。
また、気管切開して呼吸器をつけた場合、後々ご本人が呼吸器を外してほしい、と言ったとしても、それはできません。それは、殺人行為になりますので。
嫌な言い方ですが、死ぬ覚悟をなさるのなら、気管切開をしない、呼吸器をつけない、と言って頂くしかありません」
「死ぬ覚悟…」
清子は、突然降ってきた言葉に、ショックを受けた。
再々度、信二が問う。
「しかし…。たとえ生き残ったとしても、一生ベッドから動けなくなるんでしょう?」
「その通りです。この病気は、意識や判断力の低下は、ありません。
痛みもかゆみも感じます。しかし、そのかゆみや痛みを自分で解消することは、できません。
体が、動かなくなりますから。文字通り、指一本動かせなくなります。
亡くなる寸前まで、ベッドの上で後悔することも考えられます」
「そんなの…」
と、信二は、言葉を詰まらせた次の瞬間、声を荒げた。
「…そんなの、どちらを選んでも地獄じゃないか!
大体、死ぬ覚悟だなんて、簡単に言わないでくれ!」
信二の叫びに、清子は、改めて事の重大さを知った。
だが、まだ心のどこかで、絵空事のように感じていた。
(今までも、何度も大変なことはあったじゃない)
(でも、いつでも、何とかなったわよ)
(これからだって、そう)
(病気だって、何とかなるに決まってる)
(この人が、死ぬわけがない)
何の根拠もないまま、清子は、この事実と折り合いをつけようとしていた。
「まあ、まだ先のことです。
時間はあります。
今のうちにご家族で、よく話し合ってください」
と、医者は言った。
「時間があるって、どのくらいですか?」
清子の質問に、医者は明確な返答を避けた。
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