18 / 68
2巻
2-1
しおりを挟むプロローグ
ハロー。
私はフィーメリア王国イルガ村に住む農家の娘、ミラだよ。ただ今六歳! ある日、幼馴染みのガイが投げたボールが頭に当たって、前世の記憶が一部甦っちゃった。てへ。
……って、ダメだ。ボツ。こんなテンションで書き続けるのはムリ!
私は考えた文章に頭の中で大きくバッテンをつけ、新たな一文を考え始めた。
万が一の可能性だけど、私以外にも日本人――転生者でも召喚された人でもかまわない――がこの世界に来た時に、先達として何かメッセージを残しておきたかった。もちろん、私が生きているうちに会えればなおいいんだけど。
だけど、これがなかなか難しいんだな。さっき考えたような文章だと、最初から最後まであのテンションを維持するのは厳しいし、よくよく考えてみれば、読んだ人はドン引きじゃないかな? うん、やっぱりやめとこう。
かといって――『三年に一度行われるフィーメリア王国国立魔術学園の選抜試験が、イルガ村で行われた。その直前に前世の記憶の一部を思い出した影響か、試験にて膨大な魔力と、地・水・火・風の属性を持つ事が判明』――なんて文章は堅苦しい。
第一これじゃあ、三頭身の精霊達の可愛らしさが伝えられないじゃない。却下だ却下。
いっそ、日記風に書いてみようかな。でもって、興味本位で読まれるのは嫌だから、冒頭には「呪っちゃうぞ?」なーんて書いたらどうだろう。
これから私が魔法開発とかで名を残すような大物になれば、本当に呪われるって、信じられちゃうかもね。クスクス。
冗談半分、本気半分で考えながら、私はフィーメリア王国の王城内を、ガイと共に闊歩する。
選抜試験で四属性すべてに適性を持ち、かなりの高魔力保持者であると認定された私は、国の補助と支援者を得て、王都にある魔術学園に通う事になった。
同じく基準をクリアして合格したガイと一緒に、騎士様達に連れられて王都に来てみれば、なんと私達の支援者は王家に決定していた。しかも、ホームステイ先は寮ではなく、王城。
さっそくご挨拶をと、拝謁を許されたのだけど、国王陛下はダンディーなおじいさまだった。第一王位継承者であらせられる王太子様は、私の両親と同じくらいのご年齢。当然ながらお子様もいらっしゃる。十四歳の王子様と、六歳のお姫様だ。
王子様はさらさら金髪碧眼のテンプレ王子様で、花のように笑うが、実は腹黒。
初対面でいきなりプロポーズされた時は、びっくりしたよ。すぐに、魔力目当ての政略結婚の申し込みだと気がついて、辞退したけどね。
前世を含めて根っからの庶民である私に、第二王位継承者の妻なんてムリムリ。ストレスで胃に穴を開けろとおっしゃるのか?
同い年のお姫様は、ふわふわプラチナブロンドに碧眼。お人形のように可愛らしいお姫様。
ちょっとツンデレなブラコンで、人見知り。でも、ホームグラウンドである城内では、人見知りはしないらしい。姫様が実は人見知りである事を知ったのは、学園に通い出してからだ。王城内を案内してくれた時は、そんな気配はまったくなかったから、すごく意外だった。
そしてせっかく姫様に王城内を案内してもらったけれど、私の記憶力では、どこに何があるのか覚えきれなかった。
いいのよ。最低限の生活圏内で迷子にならなきゃ。わからなくなったら、その辺の人に尋ねれば教えてくれる。もしくは連れて行ってくれる。
ただし、人を選ばないと物陰に連れ込まれて、「王子様に求婚されたのは事実か?」なんて質問をされるけどね。
嘘をついたって碌な事にならないのはわかりきっているから、「恐れ多いので辞退させていただきました」と答える事にしている。――てか、「いいえ」と答えたところで信じまい。
魔力チートは王家の支援という御利益をもたらしてくれたが、面倒事も運んでくる。
プラマイゼロ? いやいや、やっぱり面倒な事の方が多いかもしれない。チートは厄介事の種になる可能性の方が高い。
持ってしまった物はしょうがないから、有効利用できるようになろうと決めたけど、面倒事はノーサンキューだ。どうせチート能力を持つのなら、トラブル回避能力もセットで欲しかった。
幸い、今向かっている場所は誰かに道を聞く必要はない。私にとって宝の山みたいなところだから、ばっちり記憶している。人間、興味がある事のためには、高い記憶力を発揮するものだ。
目的地である大きな扉の前に辿り着き、私はぴたりと足を止めた。
フィーメリア王国のお城には、図書室がある。
この世界には活版印刷の技術がないため、本は決して安くはないのだけれど、ここは国の中枢。必要があれば購入するし、貴族からも寄贈される。そのうえ宮廷魔術師が、己の研究論文を献上するのだ。つまりこの図書室は、知識の集まる場所なのである。
学園にも図書室はあるけれど、蔵書数はこちらの方が圧倒的に多い。もし私が王家の庇護を受けていなかったら、ここは利用できなかっただろう。うん、その辺は素直にありがたい。
ガイが図書室の扉を開けてくれる。
「ありがとう」
「おう」
小さな声で言葉を交わし、私達は中に入った。広い室内には、大きな本棚がずらりと配置されている。そして整然と並べられた本。背表紙を見ているだけで、胸に込み上げてくるものがある。
ああ、本がいっぱい!
一歩室内に入ったとたん、他の利用者が視線を投げかけてくるけれど、気にならない。古い本特有の匂いにうっとりしながら、私はいつもの席へと向かった。
読書欲を満たすため、たゆまぬ努力でようやくこの世界の文字をスラスラと読めるようになった私は、是非とも行きたい場所があった。それがここ。なぜなら学園の図書室は、基本的に初等部の子供が授業以外で利用するのを禁じているからだ。
まあ、ここも学園の図書室と同じく、小さな子供の出入りはあまり歓迎されないんだけどね。
なにせここにある本は、全部手書き。無邪気なお子様が手荒に扱って、破損したら大変だ――大量生産された本なら、傷つけていいってわけでもないけれど。みなさん、本は丁寧に扱いましょう。
というわけで、子供である私にとっては入りにくい場所なのだが、どうしても本が読みたかった。魔法書だとか文献だとか、もっともっと。
それで思いついたのが、支援者へのお願い。学園は身分に関係なく学ぶ場所だから、支援者が王族だからって、特別扱いはしてもらえない。だけど城内の図書室なら……
でも、庶民が国王陛下にお願い?
相手は支援者だけど、ハードルが高すぎる。棒高跳びレベルの高さだ。
同じ理由で王太子様も無理。かといって諦めきれなかった私は思い出したのである。王子様が私とガイに、誕生日プレゼントをくれると言っていた事を。
あれは私の誕生日と新年祭が過ぎ、ガイの誕生日が近づいた一月の上旬だった。つい先日一つ歳を重ねたばかりの私に、王子様はこうおっしゃった。
「昨年はミラさんの誕生日を祝えなくて残念です。最初の出立で魔力喰らいに出会わなければ、間に合ったでしょうに。そうだ、ミラさんには去年の分とあわせて二つ贈り物をしましょう。去年の分のプレゼントは、欲しい物が決まったら教えてください」
その後ガイともお話しした王子様は、ガイの誕生日に彫刻刀セットをプレゼントしていた。リクエスト通りの物をもらったガイの喜びようといったら――
という事は、私へのプレゼントも欲しいものをくれる可能性は高い。だけど政略結婚のプロポーズを受けた身としては、深読みしてしまうのですよ。求婚アプローチの一環かも、と。だから、自分からリクエストはしないでおこうと決めたのだった。
それらの経緯から、私は迷いに迷ったのだけど、結局は図書室の管理人さんへの口利きを、王子様にお願いすることにした。初のおねだりである。
入室には、【図書室で騒がない、飲食しない、許可なく本を持ち出さない】との条件がついたけど、「精霊王に誓ってもいいです」と即答して許可をもぎ取った。
「そんなに図書室に入りたいのですか?」
王子様は、私の初めてのおねだりが図書室の利用許可なのが不服だったようだけど、私にとっては何よりも価値があるのですよ。それこそ、宝石なんかより。だから「もちろんです」と、握り拳を作って断言した。本当に感謝してます。
以来、学校から帰ってきてからはもちろん、お休みの日は朝食を終えるやいなや図書室に向かい、様々な図鑑や魔法の研究記録、ドラゴンなどの他種族について書かれた文献を読みあさっている。
書籍は紙に書かれた物がほとんどだったけど、羊皮紙や魔獣の皮を加工した物もあった。装丁の一部にドラゴンの鱗を使った珍しい本もあったりして、それらを手に取るだけでも、ファンタジーな世界に浸る事ができる。
そんな私の後ろをついてくるのは幼馴染みのガイだけで、グノー達契約精霊はいない。悪戯好きの精霊達は、図書室への入室を禁止されているのだ。今頃彼らは何をしているかなと、私は思いをはせる。
学園の入学試験で水晶玉の中にいた、四人の小さな精霊達。それぞれ、地・水・火・風を操る彼らにねだられるままに名前をつけてしまった私は、それ以来、彼らの契約者となってマスターと呼ばれている。でもその関係性は主従というより友達かな。
私はふと、夕べの出来事を思い出した。明日は朝から図書室に行くと言った私に、水の精霊ディーネが小さな瞳をウルウルさせて、拗ねた。
『最近マスターは本に夢中で、遊んでくれないです』
そんな事を言われても……だって活字が私を呼んでるんだもの!
そう言ったところで、活字中毒なんて精霊達には理解できないだろう。けれど罪悪感をまるで感じないわけではない。私は両手を合わせて謝った。
「ゴメンね。実践で魔法を覚えるのは楽しいけど、他の魔術師がどんな魔法を作ったのか、本で知るのも面白いの。何かいいアイディアが浮かぶかもしれないし」
開発したい魔法や道具がいっぱいあるから、どうアプローチするか考える材料にしたいし、本で知った魔法のアレンジを考えるのも楽しい。それを形にして精霊協会に登録すれば報酬がもらえて、実家への仕送りができるのもいい。子供らしく遊ぶのも忘れる気はないけどね。私の場合、遊びイコール読書になりがちだけど。
「お昼から飛行魔法の練習をする予定なの。最近暑くなってきたし、練習の前に水で涼もう。ね? ディーネ、力を貸してくれる?」
ディーネは一瞬顔を輝かせたけど、他の子達の手前か、慌てて表情を取り繕った。そんな彼女を見て、地の精霊グノーがクスリと笑う。
『ディーネだけが魔法を使う事になっても、僕はディーネを羨んだりしないよ。それに図書室に精霊が入るのは、あまりいい顔をされないから、マスターのためを思うなら、ついて行かない方がいいんだよ』
『私はちょっとヤです。なのでマスター、風魔法も使います? 使いますよね?』
自分も自分も、と主張する風の精霊ルフィーに、私は微笑みを返した。
「うん、使うよ」
風を起こしてスプリンクラーのように散水したり、水をもっと細かい霧状にできるか実験してみたい。寝ぐせ直しに使っているミストは水魔法しか使っていないから。
最後の一人、火の精霊サラを見ると、『暑いなら、火魔法は使わないだろう?』と言って、プイッとそっぽを向いてしまった。
「ねえ、サラ。明日は無理かもしれないけど、今度時間がある時に、熱を操る魔法で水を冷やせないか、試してみない?」
加熱するだけじゃなく、熱自体を操る事ができたなら、水魔法で氷を作ったり、冷却作用を持つ水の魔石を作り出すより便利かもしれない。
ちなみに魔石とは、魔獣や魔物を討伐して得る核であり、魔力を込められる石の事である。
『何それ、面白そう!』
泣いた烏がもう笑った――とはちょっと違うか。にしてもチョロい子である。
精霊達と交わした約束を思い出した私は、今さらながら、ちょっと心配になって独りごちた。
「飛行魔法の練習だから、サポートしてくれる人は、風属性魔法騎士のブルムさんしかいないんだけど……水を作って操るだけだし、ブルムさんだけでも大丈夫だよね?」
さすがに火魔法は危ないかもしれないから、サラには火属性であるキーナン隊長にサポートをお願いしてからねって、約束したけど。
不安を打ち消すように頭を振り、私は目の前の事に集中した。
本棚から、ここ最近読んでいるドラゴンについての文献を探し出して抜き取る。大判のそれを落とさないように抱えながら、本棚の間を通り抜けた。
図書室にはいくつかの閲覧スペースがある。研究者気質の魔術師は自分の研究を盗み見られる事を嫌うので、小さめのテーブルが距離を置いて設置されていた。
書籍の盗難対策としては、退出時に男女の係員がボディーチェックをする事になっている。
いつも利用している人気のない閲覧スペースに着いた私は、本をテーブルに置き、手荷物の中から紙の束とペンとインクを取りだした。ガイもここへ来る途中に選んだ植物図鑑をテーブルに置き、肘をつきながらパラパラとページをめくりだす。
しばらくはページをめくる音と、私が本から抜粋した文章を書きつけるペンの音が響いていたけれど、ふいにそこに寝息が混ざった。ちらりと視線を向ければ、図鑑を横へずらし、机に突っ伏して眠るガイの姿。
「ガイ?」
呼びかけてみるが反応はない。植物図鑑を手に取って、皺やヨダレなどがついてないか確認している間も、ガイが目を覚ます様子はなかった。
「よし、寝オチする前にちゃんと避難させてるね」
図鑑を傷つけたら、連帯責任で私も図書室への出入りを禁じられてしまう。だから本音を言えば、ガイにはよそで遊んでいて欲しいのだけど、勉強したいと言うのだから追い払えない。もっとも、ガイの本当の目的は、高所恐怖症になった私を助ける事みたいだけどね。
もう一ヶ月ほど前になる。初等部から高等部までの各第一学年が対象となった合宿で、阿呆な貴族がガイに無理難題をふっかけた。
「火属性の身体強化で崖から飛び降り、着地してみせろ。王家の庇護を受けているからには、そのくらいできるだろう?」
崖に追い詰められたガイが足を滑らせて落下したその瞬間を、私は姫様の占術魔法で目撃した。
ガイと良きライバルになりつつある公爵家の若様が、手合わせの約束をしたにもかかわらず現れないガイを探しに私のもとに来なければ、私は幼馴染みを失っていただろう。
若様がガイを探してくれていて良かった。
姫様が占術魔法を使えて良かった。
だからガイを助けるため、ルフィーを高位精霊へと成長させて彼女の翼を借り、空を飛んだ事にも後悔はない。とんでもない高度と速度への恐怖で、高所恐怖症とスピード恐怖症になっちゃったけど。
というわけで、風の精霊との合一で可能となった飛行魔法は、その日限りでお蔵入りになった。
それからというもの、ガイは可能な限り私の側にいる。
学園ではガイと私は所属するコースが違うから、同じクラスの姫様か、合宿中に友達になった隣のクラスのケイナが私の面倒を見てくれた。ケイナの手下……もとい、幼馴染みのA君ことアーサー君や、B君ことベルタ君が助けてくれる事もしばしば。ありがたい事である。
彼らは手すりのない階段で、私の手を取って一緒に下りてくれるし、高い場所にある物は、私の代わりに取ってくれる。ガイは、図書室にまでついてくるのは、あくまで自分の勉強のついでって言い張るけど……
「読み始めていくらもしないうちに居眠りをしていたんじゃ、説得力ないよ?」
ほっぺたをちょんと突いても、ガイは起きなかった。私は植物図鑑を机の上に戻し、新しい紙を用意すると、再びペンを走らせる。だけど今から書くのは、本から抜粋した文章じゃない。
綴る文字はこの世界の装飾過剰なアルファベットもどきではなく、日本語。ここでは、日本語の文章が解読困難な暗号になるのだ。私は日本語のそんな利点を使って、前世の記憶が戻ってからの出来事を書く事にした。
これで解読する人が現れたら、それはもう仕方がない。諦めよう。
ガイの投げたボールが頭に当たったせいで、部分的に前世の記憶を思い出した事から始まり、魔術学園の入学試験のために、村に調査隊が来ていた事まで書く。宮廷魔術師のスインさんと、魔法騎士のキーナン隊長、彼の配下であるブルムさんにパナマさん、グゼさんに出会ったのはこの時だ。
でもって大きな水晶玉の中に、グノー達がいたんだよね。
今はグノーとルフィーが高位精霊となって、人間でいうと十七、八歳くらいの外見年齢に成長しちゃったけど、あの時は四人とも三頭身のおちびさんだった。
可愛かったなぁ。ガイが水晶玉に手をかざしたら、サラがちっちゃい手を振り回してさ。次に私が手をかざしたら、全員大はしゃぎ。まあ、それがチートの発覚した瞬間になったわけだけど。
基本的に魔力の資質は一人一属性。なのに私は四属性も持っていた。しかも後に精霊協会で作った身分証――ステータスカードによれば、魔力総量は三万。大人でも平均値は二百なのに。
多すぎでしょう。
その代わり、体力は三十だった。同年代の子供の平均が五十。
……しょぼすぎて情けないかぎりである。
それから精霊眼。これは特殊能力ではあるけれど、私以外にも持っている人はいる。精霊眼は魔力や精霊達の姿を視る事ができる力だ。ちなみにスインさんは視えないけど、感応力と呼ばれる力を鍛えているから、感じ取る事はできるそうな。キーナン隊長達を含む大半の魔術師は精霊を視る事はできないし、感じないのが普通だから、魔法を使う時は精霊任せで魔力の受け渡しが行われている。
まあそんな事はさておき、希少な四属性持ちの私を護衛しつつ王都へ戻れとの命を受けたスインさん達に甘えて旅費を浮かし、私とガイは試験の三日後、馬車に乗って王都へ向かったわけだね。その道中、最悪の魔獣と呼ばれる魔力喰らいに襲撃された。
騎士様達は私達を逃がして戦ったけど、魔獣は魔力の影響で頑強な体を持っているし、魔法を撃っても食べられちゃうから苦戦。最後は私が奴を落とし穴に落とした。
だけどその後、馬車が壊れていて使えないわ、怪我人だらけで馬に乗って助けを呼びに行ける大人がいないわで、もっと痛めつけてやれば良かったと思ったよ。
まあ、幸いグノーがこの時に行使した魔法で高位精霊になっていたから、彼に馬を操ってもらって、助けを呼ぶために村に戻れたのだけど。
一度目の出発とその顛末までを書いた私は、そこでいったん手を止めた。思いっきり背伸びをしたら、肩がゴキュッと鳴った。
うーみゅ、もっと本格的にストレッチをすべきだろうか。
頭の上で手の平を重ねて、右に左にと体を倒して筋肉を伸ばす。続いて後ろに背を反らそうとして、私はハッとして動きを止めた。別に視線を感じたわけじゃないけど、これって端から見れば、怪しい事このうえない動きかもしれない。
頭上の手を解いた私は周囲を見回してから、次に書く事を整理した。
「えーと、この後は村に戻って勉強漬けにされた事と、精霊達に名付けをしちゃった事でしょ。それから誕生日にグノー達に作ってもらったカレンダーの事とか、初めての王都でお城にビックリした事も書かないとね」
協会でカードを発行してもらった時の事なんかも印象深い。なにせ水晶玉からカードが浮き上がってきたんだから。
新年祭のパーティーも忘れちゃいけない。王家の見栄だからと言いくるめられて、高価な宝飾品付きのドレスで着飾ったのは緊張したけど、料理も美味しかったし、楽しかった。
「よく異世界で料理革命を起こすトリップものがあるけど、この世界の料理は是が非でも革命したくなるような酷い味じゃないからよかったよね」
そりゃ、お米は食べたいし、味噌や醤油が恋しい。探せばどこかに類似した食品があるかもしれないし、なければ開発したっていいのかもしれないけれど、味噌や醤油は発酵食品だ。簡単に作り出せるものじゃない。下手をして食中毒を起こしたらどうする。
危ない橋を渡らなくても、この国のご飯は十分美味しいから幸せだ。サラダはシャキシャキだし、ジャガイモはほっくり甘い。果物はジューシー。肉だって旨味がたっぷりだ。サラダ用にマヨネーズを作るという展開もありかもだけど、正直私はマヨネーズよりドレッシング派。それがなければ塩でもいい。
「でも、唐揚げは食べたいかも」
イルガ村でも、王宮でも、揚げ物は見た事がない。
「スパイスはあるし、卵も小麦粉もあるんだから作れるよね。ああそうだ、てんぷらも食べたい。ポテチもいいなー」
この世界の野菜を揚げたら、どんなに美味しいだろう。想像して口内にヨダレが溢れる。ああ、いけないいけない。私は慌てて口元を押さえた。ヨダレはこぼれてはいなかったけど、ポカンと口を開けている姿を人に見られたくない。
周囲を見回して人がいない事を確認した私は、安堵の息をついた。けれど困った事に、一度生まれた欲望は、そう簡単に収まってくれそうにない。
トンカツやコロッケ、エビフライ。ドーナツや大学芋の味まで思い出してしまう。
「いやいや、落ち着け私。いつの間に食いしん坊キャラになった」
自分に言い聞かせた瞬間、クーっとお腹が鳴って、思わず赤面する。
「……もうすぐお昼かな?」
ガイを見れば、まだ起きる様子はない。
午後からは魔法の自主練――というよりも、トラウマ克服のための訓練を行う予定だ。精霊達は、お昼を食べてから呼び出す約束になっている。
私はペンとインクを片づけると、日記を書いた紙を持って席を立った。そして、もう少し奥の本棚へ向かう。
図書室通いで目星をつけていたその棚は、羊皮紙を束ねた物が中心だ。手に取る人があまりいないのか、うっすらと埃が積もっている。私は手早く最下段の本の後ろに用紙を隠して、踵を返した。
日記はこの世界の文字で書いていないから、自分の部屋に隠して誰かに見つかっても、読まれてしまう事はない。だけどメイドさんに見つかった時に、何を書いたか言えないのが一番の問題だ。でもここなら、私の行動を調べて探さないかぎり、そうそう見つからないはず。
「それに私の部屋に隠していたら、同郷の人がこの世界に現れても、絶対に見つけてもらえないしね。学園を卒業して部屋を明け渡したら、大掃除で焼却炉行きだろうし」
その点、図書室は宮廷魔術師やお城に勤めている人達が利用するために、公的なエリアにあるから出入りに制限はない。しかも今現在埃が積もっている様子からして、頻繁に掃除されているわけではなさそうだ。蔵書整理でもされない限り、アレが捨てられる事はないだろう。
私が席に戻ってきても、ガイはまだ夢の中だった。
「ガイ起きて。ブルムさんを迎えに行くよ」
ガイの肩を揺すって声をかけると、彼は眉を寄せて何かを呟いた。
「ガイ?」
「ぬぅー……ぜったい、とんで……むにゃ」
再び名前を呼ぶと、今度は比較的はっきりと言葉を紡ぐ。
「……飛ぶ?」
飛ぶといえば飛行魔法だ。でもガイは使えない。私も今は、自由に使えるとはいえない。
「それもこれも、あの双子のせいだ。よし、合宿の時の事も日記に書いておこう」
先達として忠告――阿呆な貴族にはご注意を。
第一話
私とガイは騎士団の練兵場へ向かった。普段の休日なら、王族の勉強をしている姫様達と合流してお昼ご飯を食べるんだけど、今日はブルムさんを迎えに行った足で騎士団の食堂を利用するつもりでいる。
飛行魔法の訓練は、今日が二度目。最初は高所恐怖症とスピード恐怖症という問題点を二つも抱えていては、諦めるしかないと思っていたんだけど……事件から七日目のお茶会で、私は飛ぶ訓練をする決意をした。
その日、窓から城下町を眺めていた姫様が、ポロリと言ったのだ。
「空から見る王都は、ここから見る景色とは違うのでしょうか」
思わず口をついて出た言葉に彼女自身が驚いたらしく、次の瞬間には口元を押さえていた。
「わ、わたくしも空を飛んでみたいと思っただけですの。あの時のミラが大変だったのは、わかっていますもの。景色を覚えていない事を非難しているわけでは……」
「わかってますよ、姫様」
私は安心してもらおうと微笑んだ。
あの時、とてもじゃないけど、景色を楽しんでいられる余裕なんてなかった私は、彼女の問いには答えられない。でも――
「いつかきっと、姫様を空に連れて行って差し上げます。待っていてくださいますか?」
慌てる姫様も可愛いなぁと思いつつ、私が目を細めてそう言うと、姫様はちょっとだけ目を丸くした後、微笑んでくれた。
「はいですの」
そういう理由で、私はさっそくその日のうちに、介助役のガイと一緒にグリンガム魔術師長に相談しに行ったのだった。
「ふむ。気長に訓練をして、高さと移動速度に慣れていくしかないじゃろう。考えられる訓練は二つじゃ。一つ目は風の精霊と合一した状態で、階段から飛び降りる事。高さを一段ずつ上げての。二つ目は、真上に浮き上がる高さを徐々に上げていく事。そのくらいじゃろうか」
10
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
