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3巻
3-2
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よし、呼ぼう。
口を開きかけたところで、魔王勇者様が盛大なため息をついた。
「……えと、嘘じゃないですよ? 今グノーに来てもらって、私が精霊界にいたと証言できる精霊に会えないか聞いてみますから」
「いや、その必要はない」
魔王勇者様が頭を振る。
「信じられぬわけではない。あの女ならばやりかねんと思っている。別の世界があると知り、こちらの世界では求める存在が見つからないとなれば、行くだろう」
「フラルカ様をよく理解されているんですね」
「したくはなかったが」
実に嫌そうだった。
「まあそんなわけで、私はあなたの願いを叶える努力をしたいと思います」
「フラルカがお前の知人を助けた礼なのだろう。ならばフラルカ自身に関する願いを叶えればいい」
確かに、フラルカ様にお礼をしたいのは、前世で私が死んだ時、顔見知りの人達の命を助けてもらったから。そしてそれとは別に、魔王勇者様にも恩がある。
「なら、次に会った時にそうします。でも、あなたへのお礼は別口なので残りますよ?」
「別口?」
「はい。馬車から落ちたあの時以降、あなたには色々助けていただいています。あの時も言いましたよね? お礼をするのに種族は関係ないんです。相手が魔族であっても、助けられたからにはお礼をする主義なのですよ」
「だが……」
「たかが、なんて言いませんよね?」
私は彼の言葉を遮った。あのままレンガ道に叩きつけられていたら、私も姫様も大怪我をしただろう。その状態で再び犯人に捕まったら、碌な目に遭わなかったはずだ。
「確かに言えん。だが、礼としては過剰だ。一朝一夕には不可能だろう」
「時間はかかると思いますが、あながち過剰とは言えないと思いますよ?」
魔族を人間に戻すなんて、前例がないから手探りになる。失敗すれば彼らが死ぬ可能性もあるんだから、そう簡単に試すわけにもいかない。一生ものの仕事になるだろう。
でも、受けた恩はそれに値すると思うんだよね。だって命を助けてもらったに等しいんだから。
「今だって、魔力の暴走を鎮めてもらった上に、アフターケアまでしてもらっています。魔力の暴走は、今回だけじゃ済まない可能性が高いんですよね? その度にソファーが血で染まるほどの怪我をしていたら、いつか失血死しかねない。あなたは命の恩人です。その恩を返せないなんて、ストレスで胃に穴が開くかもしれません」
「どうしてそうなる」
「胃弱なんです。ストレスって舐めちゃ駄目なんですよ。前世では、慢性的な胃炎でした。内臓にガツンとダメージが出るんです」
私の前世、新谷結良は時折胸がつかえて食欲がなくなった。そのたびに痩せていたので、友人にはダイエットいらずと羨まれたが、嬉しくはない。しかも高校時代から、胃薬がほぼ常備薬である。
「ならば願いを叶えようとしても、失敗して魔族が死ねば、お前に多大なストレスを与える事になるな」
「むー。そう来ますか」
腕を組んで唸ったら、人差し指で額をつつかれた。
「あう。何するんですかっ」
抗議の声を上げるも、いなされる。
「他の魔族とて、幼子の心を傷つけてまで人に戻る事に固執する者はいまいよ。俺が目覚めた以上、他の者達もそろそろ起き出す。この国へ来る前、ユグルド山の向こうに移住した者達の村の様子を上空から見たが、安定しているようだった。魔族が静かに余生を過ごす分には、問題なく受け入れてもらえるだろう」
「幼子……。魂だけは四百歳越えなんですけどね、私。あと、その姿で余生って言われるのは、すごく違和感があります」
「そうか?」
「はい」
「それこそ、魂だけなら八百歳越えの大年寄りだ」
彼は微かに笑ったように見えた。が、年寄り。……彼の老いた姿が想像できない。魔族として生きたら、若い姿のまま寿命を迎えるんじゃないかとすら思う。
「そういえばお仲間も目覚めるって事でしたけど、ここに来る事、書き置きとかしてきましたか?」
「いや?」
おい。
あっさりと返ってきた否定に、私の頬が引き攣った。
この人絶対、『なぜ、そんな必要があるのかわからない』って思ってる!
「あのですね、魔……いえ、勇者しゃ……あーもう呼びにくい! アーヴィル様、あなたが長年の眠りから目を覚ましたその時に、そこにいるはずの仲間がいなくなっていたとしたら、どう思いますか? 書き置きも行方の手がかりもないんですよ?」
「その名は呼ぶな」
「じゃあ、ヴィル様。それともヴィー様?」
「……ヴィルでいい」
よし。許可ゲット。
散々心の中で〝魔王勇者様〟と呼んでいたけれど、口に出すのは微妙だ。
そしてフラルカ様の遺言を王様が国民に打ち明けるかどうかわからない以上、〝魔王様〟と呼ぶわけにもいかない。姫様はカーラさんがいたから〝勇者様〟と呼んでいたけれど、ぶっちゃけ呼びにくい。噛みそうだ。〝様〟を〝しゃま〟って言っちゃったら、ハズカシネル。
「ねえ、ヴィル様。あなたがどんなに強くても、皆さん心配すると思いますよ」
「心配……するのか?」
「そういうものです」
私が魔力チートでも、心配してくれる人がいるように。
「家族みたいなものなんでしょう? どこに行って、いつ頃帰る予定かを知らせるのは、必須ですよ」
前世の私は幼い頃から基本的に室内で遊ぶ子だったけど、図書館にはよく行っていた。行き先を親に告げれば、『またか』と言われる定番の外出先だ。
ちなみに前世の記憶が戻る前、純然たる五歳児だったミラは、体力はないもののインドアってほどでもなかった。室内で遊べるオモチャなんて、この世界の農家にはほとんどないからね。葉っぱや木の実でおままごとはできたけど、我が家に本はない。
「わかった。後で伝達鳥を飛ばしておく」
「そうしてください」
私は重々しく頷いた。
「ついでにお前の話も含めて、体に埋め込まれた魔石を摘出し、人に戻る事は諦めると伝えよう」
「それは伝えなくていいです。てか、どうして後ろ向きに行動的なんですか」
「お前も魔石を取り出すのは難しいと言っていたではないか」
「そりゃあ、簡単じゃないですよ。迂闊に手を出して死なせたくないです」
「ならば……」
「かといって、調べる前に諦めるつもりもありません。魔力を制御できるようになるまでは、何もできませんけどね?」
ヴィル様の言葉を遮ってそう告げた私は、反論される前に言葉を続ける。
「あなたになんの義理もなかった新谷結良には、無理を押して挑む理由がありませんでした。でも、私に恩を売ってしまったんですから、諦めてください。理由を作ったのはヴィル様です」
私はにっこりと笑った。
「心配していただかなくても、無謀な事はしませんよ」
ヴィル様は言葉を呑み込んで、大きなため息をついた。そして再び私の額をつつく。
「あうっ」
「無茶もするな。なんらかの術を試した結果、魔族が死んだとしても、何もできなくとも、お前の責任ではない」
額を押さえてヴィル様を見ると、彼はそう念を押した。だけど私はそれに返事をせず、微笑を浮かべる。
私が手を出した結果で生じた誰かの死なら、たとえ裁かれなくても、それは私の責任なんですよ、ヴィル様。だから最大限の努力をします。自分を含めて、誰かを犠牲にして助けるなんて事はしません。それだけは誓います。
「ところでヴィル様」
「なんだ」
言質を取られないうちに話を変えてしまえと、私はあるお願いをしてみる。
「私に恩を売るついでに、トラウマの克服を手伝ってもらえませんか?」
「トラウマ? そんなものがあるのか」
意外そうに尋ねる彼に、私は無駄に偉ぶって言った。
「もちろんですよ。しかも二つもあります」
「威張る事ではあるまいに」
もっともだ。けど話を逸らしたいだけだから、どうでもいい。
「何が苦手なんだ?」
「高所と高速移動です」
「……翼を持っていなかったか?」
「ルフィーからの借り物ですけどね。初フライトでやむなくアクロバット飛行してしまった結果、高所恐怖症になった上に、スピード恐怖症に拍車がかかりました。あ、スピード恐怖症は前世からなので、筋金入りですね。手こずると思いますよ」
ポンと手を打ち鳴らしながら彼の目を見ると、何か言いたげだった。でもあえて空気は読みませぬ。
「わかった。引き受けよう」
そう言うとヴィル様は立ち上がり、戸口へ向かった。そしてノブに手をかけ、ドアを開け放つ。
「うわ!」
「きゃ!」
「あ!」
三者三様の悲鳴が上がった。一人は部屋に転がり込んで倒れ、残る二人はなんとかその場に踏みとどまる。
「なぜ、普通に入ってこない」
「ガイ! カーラさんにエメルさんまで!」
「イエソノ」
「ネエ?」
お互いの顔を見合わせて、オホホと笑うメイドさん達。ちなみに、エメル・シーダさんも私付きのメイドさんである。二人の足下に転がっていたガイはむくりと起き上がるや否や、ダッシュで私のもとまでやってきた。
「ミラ、勇者の兄ちゃんと、何を話してたんだ?」
兄ちゃん……。なんて似合わない響きだろう。
そういえば、ガイはヴィル様が陛下と謁見する前から、ヴィル様をそう呼んでたっけ。事実を知った今でも、魔王の兄ちゃんと呼ばないところは褒めておくべきだろうか?
どっちにしても、ガイって何気に凄いよね。ヴィル様を兄ちゃん呼ばわりだもの。
「なあ、姉ちゃん達も気になってるみたいだから、教えてくれよ」
「ガイ様、それは言っちゃ駄目ですよぉ」
慌てるメイドさん達に、キョトンとするガイ。とりあえず私は気合いを入れてベッドから立ち上がり、ガイの頬をつまんだ。そしてみょーんと目一杯引っ張ってから離す。
「いひゃい!」
うむ。よく伸びた。若いねー。
「立ち聞きしようとした悪い子を代表して、お仕置き」
「してねーよ。何にも聞こえなかったぞ」
「そりゃあ、特にこれといって話してなかったもの」
ケロリとすっとぼける。ヴィル様の魔法は、私達の声を完璧に遮断してくれていた。ついでに、ドアの外に人が来たらわかるよう、探査魔法の一種でも仕掛けていたんだろう。気配り上手だ。
「でもね、ガイ。何も聞こえなかったって事は、聞こうとしてたんだよね?」
語るに落ちるとはこの事だ。
「ミラ」
「はい。なんですか、ヴィル様」
呼ばれて振り向けば、無表情のヴィル様が戸口から私を見ていた。
「俺は隣の部屋にいる。気分が悪くなったり、何か気になる事があれば声をかけろ。時間は気にしなくていい」
そう告げたヴィル様が、部屋を出て行く。綺麗な顔のヴィル様から、完全に表情がなくなると冷たい印象になったけど、言葉は私を気遣うものだった。
本当に、魔王のイメージからはほど遠い人だわ。
* * *
フィーメリア王宮の奥まった部屋の一つに、王家の六人が集まっていた。
国の大事である。しかし他者に話して聞かせ、相談するわけにもいかない案件ゆえに、普段は政務にかかわらない王妃や王太子妃、姫までもが席に着いていた。
アインセルダは一同を見渡し、普段なら既に就寝しているはずの妹姫――フィルセリアに目を留めた。彼女に眠たげな様子は見られない。滅多にない会議への参加に張り切り、眠気が吹き飛んでいるようだ。
「さて、どうすべきか」
意見を求める祖父――王の声に、アインセルダは思考を巡らせた。
議題は、勇者であり魔王でもある青年の件だ。彼が皇帝の被害者であり、魔族と呼ばれる者達のまとめ役――魔王である事実を民に伝えるか否か。
「貴族達の前で勇者本人であると認めましたから、今更王家が撤回するわけにもいきません。民にも勇者の帰還はすぐに広まるでしょう」
アインセルダの父である王太子が言う。
「懸念事項は、勇者の目覚めが魔王の復活に繋がると捉えられてしまう事ですわね」
王太子妃が言葉を続けた。
「六歳のミラが、その可能性に考え至るくらいだからな。民に不安を抱かせぬためにも、皆が恐れるような魔王の復活はないと告げるべきなのだろうが……」
「難しいですね」
王の言葉に王太子が続ける。
真実を明かしてしまえば、魔王の脅威がない事は簡単に説明できる。
フィーメリア王国は、魔王の逆鱗に触れる実験などしていない。精霊王にも誓えるのだから、滅ぼされる所以はない。しかし――
「問題は、初代女王が魔族と手を組み、当時の人々を騙していた事ですね」
『魔族は必ずしも敵ではない』と言えなかった当時の状況を思えば仕方がないが、現在の各国王家に糾弾される可能性がある。
「真実を明かす際の懸念は、もう一つある。魔族とは魔物が人を取り込んだ存在であり、魔物がベースだと考えられていたから、これまで馬鹿な真似をする者はいなかった。だが……」
「魔石を埋められた人間だと知れば、欲を出す者がいないとは限りませんわね」
王の言葉に、王妃がため息交じりに呟いた。
魔族は精霊を介さず魔法を行使できる。個体差はあるものの、その威力は凄まじいものだったと伝え聞く。
人に魔石を埋め込めば、そんな存在を生み出せると知られたら、戦力として欲する国が現れてもおかしくはない。
魔物に人を喰わせるのではなく、人が魔物を取り込むのだ。非人道的な行為である事は変わらないが、リスクの高いパワーアップ方法と考えられなくもない。
「フラルカ様が真実を告げなかったのは、そういう輩を警戒したからかもしれぬな。自分の代はともかく、後の世――ましてや他国まで見張る事など不可能。ならば初めから、虚実の入りまじった情報を流すのが手っ取り早い。その方法では、絶対に魔族は生まれないのだから。それでいて、皇帝の非道な行いを民に知らしめる事ができる」
理屈はわかる。しかしアインセルダとしては、魔族が目覚めた後を引き受ける子孫の事も、もう少し考えてもらいたかった。
「勇者が魔王であると明かさず、魔王の脅威はないと説明する方法……」
アインセルダは独りごちる。しかし、そんな都合のいい手段は思い浮かばず、眉根を寄せた。
「ドラゴンと人族のハーフというのはいかがかしら?」
王妃の提案に、一同の視線が集まる。
人に変化可能なドラゴンが、人族と子をなす例はあったらしい。今はドラゴンなんてほとんど見かけず、ユグルド山の向こうにそれらしき影が見えたと噂される程度だが。
「魔王が知性あるドラゴンだったという話は伝わっていますでしょう? そして汚染魔力が動物達を魔獣に変える事も、浄化の必要上、正しく伝わっております。皇帝の所業によって汚染された魔力が広がり、動物達が魔獣化していくのを許せなかったドラゴンが、帝都を攻撃した。あるいは汚染魔力に影響され、凶暴化して襲撃したというのはいかがかしら」
「なるほど。当時、城には皇帝の実験のために魔獣や魔物がいましたから、ドラゴンの襲撃で偶然解き放たれてしまった事にするのですね。魔族達にはそれらを帝都に放つつもりはなかったようですし、事故という点では変わらない」
王妃の言葉を、王太子が検証する。それに頷き、王妃が言葉を続けた。
「勇者は両種族の血を引く者として、事態の収拾に尽力してくださった。魔王と呼ばれたドラゴンは、八百年の歳月と元凶の消滅によって怒りが解けた。あるいは浄化されて正気に戻っている。……という筋書きを考えてみたのですけれど」
「ふむ、悪くない。勇者殿に出自の詐称を承諾していただかなくてはならないが」
「待ってくださいですの」
王が頷いて纏まりかけていた方向性に、フィルセリアがストップをかける。
「勇者様は昼間、私とミラを助けてくださった際に、『母が攫われ、父となるはずだった人が殺された』とおっしゃっていたんですの。片親をドラゴンと偽っていただくとしても、どちらをドラゴンとしていただきますの?」
人がドラゴンを攫う事は可能か?
否。子をなせるなら、相手は成竜だ。討伐は可能でも、誘拐は不可能だろう。
ならば父親か。
アインセルダはそこまで考えて、ふと引っかかった。
「セリア、『父となるはずだった人』とおっしゃっていたんだね?」
彼の質問に、フィルセリアはコクリと頷く。
「『父が殺された』でないのなら、再婚予定の方だったとする事もできるんじゃないかな」
アインセルダが気になった点に言及すると、フィルセリアは目を瞬かせた。
「再婚相手かどうかは、おっしゃっておりませんでしたの」
「ならば実の父がドラゴンであった事にしていただければ、先程の設定が使えるな」
「ミラの魔力暴走を抑えるために使った魔法も、ドラゴンが魔力を制御できない子竜を護るための術との事ですし、ハーフである証になると思います」
王太子に同意したアインセルダは、ふと、ミラが成長した姿だという仮初めの肉体を思い出した。
顔を赤らめ、頭を振る。兄のおかしな行動に、妹は首を傾げながら問いかけた。
「そういえばお兄様、ミラへの求婚は撤回しますの?」
アインセルダはぴたりと動きを止める。
「撤回?」
「ミラは勇者様のために生まれてきたのかもしれないのでしょう? 運命の方から奪うのは、悪い事ですの」
アインセルダは、妹に悪人と思われるのは嫌だなとは思うものの、ミラを諦めるのは惜しいと感じた。
ミラには地位がない。先祖代々イルガ村に住む民の実子である。だが四属性もの適性を持つ、高魔力保持者だ。貴族の庶子が、彼女の家系に存在したのかもしれないと、アインセルダは考えていた。
しかし初代女王の暴露話によれば、人族以外の種族がユグルド山の向こうに移住したらしい。異種族婚をした人族はもちろん、ついて行っただろう。長い時の中で、その子孫がユグルド山の向こうから出てきた可能性もある。ミラがその異種族の血を引いている可能性も。
いわゆる隔世遺伝による才能の発現。もしくは――
「ふむ。フラルカ様の話を聞いた後では、あの魔力はフラルカ様が探し出した約束の存在であるから、という可能性が高いか」
「確かミラのカードには、祝福として〝約束〟の文字がありましたね」
王と王太子の言うとおり、その可能性もあった。
なにしろ初代女王は魔王を勇者に仕立て上げた人であり、地の精霊王と疑似祖父孫の関係を結んでいた人だ。何をしてもおかしくないと思わせるものがある。
自分達がその子孫であるとは信じられないくらい、とんでもない人なのだ。
ミラほどの魔力と適性を持つ血を迎え入れる事は、王家の繁栄に繋がる。アインセルダは、もしミラが結婚を承諾してくれたなら、貴族の悪意から彼女を最大限護るつもりでいた。ミラから平民としての自由と安穏とした暮らしを奪う以上、当然の事だ。しかし一方で、合宿で貴族の上級生をやり込めたという彼女を、頼もしくも感じている。
妹と同い年の、将来が楽しみな可愛らしい女の子。それに彼女の未来の姿は、魔力がなくとも妻に迎えたいと思うほどに美しかった。
「いやしかし、お役目と結婚は別じゃないかな?」
アインセルダが遠回しに撤回しないと答えると、フィルセリアは悲しげに彼を見た。
これはよろしくない。妹はロマンチックな物語を好む。身分が違えども、惹かれ合う恋物語。つまり運命の恋が、彼女の憧れらしい。
「ではお役目に関係なく二人が両思いとなった場合は、潔く身を引かれますのね?」
「……随分念を押すけれど、何か確信でもあるのかい?」
「確信ではありませんの。でもミラの反応が、女の子のものでしたの」
「ミラは女の子だよ?」
「そういう意味ではありませんの」
フィルセリアは視線を彷徨わせて、どう伝えたものかと思案していた。そして何かを思いついたのか、ぱっと顔を輝かせて、なかなか厳しい事を言ってくる。
「ミラはお兄様との婚約のお話が出ると、困ったようにしか笑いませんの。それにお兄様とお話しする時、どこか身構えているように見えるんですの」
「そうかな?」
「はいですの」
断言された。
「ガイはまだ、ミラへの気持ちを自覚している様子はありませんの。ミラも『ガイはお兄さん風を吹かしている』と言ってましたわ。そしてミラ自身は、ガイを弟のように思っていると。お兄様は、そんなガイよりも分が悪いかもしれませんの」
恋愛対象になっていないガイと、対象になる事を避けられているアインセルダ。彼自身うすうす感じていたが、妹に言われるとショックが大きい。
「いきなり求婚したのは間違っていただろうか? 外堀を埋めて騙し討ちの如く事を運ぶよりは、彼女から見て印象が良いだろうと、正面切って行動したのだけれど」
「ミラは勇者様とお話しする時、時折顔を赤らめますの」
「そりゃあ、彼は整った容貌の方だから」
「お兄様も素敵だと思いますのよ?」
「……ありがとう」
だが妹よ、その褒め方は微妙に心が抉られる。
アインセルダは言葉を呑み込んだ。
「でも、ミラはお兄様に顔を赤らめた事がありませんの」
「……そうだね」
トドメがきた。駄目かもしれない。
ミラはアインセルダがプロポーズした時でさえ、照れなかった。むしろ青ざめていたと思う。
アインセルダはミラとのこれまでのやりとりを思い返したが、魔法談義でミラの魔法を褒めた時くらいしか、照れて笑ってくれた覚えがなかった。
あれはトキメキではないから、カウントしては駄目だろう。カウントしては終わりな気がする。
思わず黄昏れるアインセルダの隣で、母親がにこやかに腹黒い発言をした。
「ミラちゃんは家族のいる国を捨てる事はないでしょう。彼女が勇者様と結ばれれば、一時的にせよ国力は強化されますわね」
息子と結ばれなくとも、国益にはなる。正論だが、ぽややんとした雰囲気で言う事ではない。
「ミラの子供や孫であっても構わんな。彼女の血筋なら、いずれ彼女ほどではなくとも、魔力の高い子供が生まれる可能性がある」
王家に迎えるのに、アインセルダの代である必要はない。むしろ勇者の血も継げば箔がつくし、魔力の質も高まるだろうという打算が、王の中に湧いた。
「まあ、好きなだけ頑張りなさい」
「……はい」
どうやら、自分とミラの結婚を積極的に応援してくれる者はいなくなったようだ。
アインセルダはがっくりと肩を落とした。
口を開きかけたところで、魔王勇者様が盛大なため息をついた。
「……えと、嘘じゃないですよ? 今グノーに来てもらって、私が精霊界にいたと証言できる精霊に会えないか聞いてみますから」
「いや、その必要はない」
魔王勇者様が頭を振る。
「信じられぬわけではない。あの女ならばやりかねんと思っている。別の世界があると知り、こちらの世界では求める存在が見つからないとなれば、行くだろう」
「フラルカ様をよく理解されているんですね」
「したくはなかったが」
実に嫌そうだった。
「まあそんなわけで、私はあなたの願いを叶える努力をしたいと思います」
「フラルカがお前の知人を助けた礼なのだろう。ならばフラルカ自身に関する願いを叶えればいい」
確かに、フラルカ様にお礼をしたいのは、前世で私が死んだ時、顔見知りの人達の命を助けてもらったから。そしてそれとは別に、魔王勇者様にも恩がある。
「なら、次に会った時にそうします。でも、あなたへのお礼は別口なので残りますよ?」
「別口?」
「はい。馬車から落ちたあの時以降、あなたには色々助けていただいています。あの時も言いましたよね? お礼をするのに種族は関係ないんです。相手が魔族であっても、助けられたからにはお礼をする主義なのですよ」
「だが……」
「たかが、なんて言いませんよね?」
私は彼の言葉を遮った。あのままレンガ道に叩きつけられていたら、私も姫様も大怪我をしただろう。その状態で再び犯人に捕まったら、碌な目に遭わなかったはずだ。
「確かに言えん。だが、礼としては過剰だ。一朝一夕には不可能だろう」
「時間はかかると思いますが、あながち過剰とは言えないと思いますよ?」
魔族を人間に戻すなんて、前例がないから手探りになる。失敗すれば彼らが死ぬ可能性もあるんだから、そう簡単に試すわけにもいかない。一生ものの仕事になるだろう。
でも、受けた恩はそれに値すると思うんだよね。だって命を助けてもらったに等しいんだから。
「今だって、魔力の暴走を鎮めてもらった上に、アフターケアまでしてもらっています。魔力の暴走は、今回だけじゃ済まない可能性が高いんですよね? その度にソファーが血で染まるほどの怪我をしていたら、いつか失血死しかねない。あなたは命の恩人です。その恩を返せないなんて、ストレスで胃に穴が開くかもしれません」
「どうしてそうなる」
「胃弱なんです。ストレスって舐めちゃ駄目なんですよ。前世では、慢性的な胃炎でした。内臓にガツンとダメージが出るんです」
私の前世、新谷結良は時折胸がつかえて食欲がなくなった。そのたびに痩せていたので、友人にはダイエットいらずと羨まれたが、嬉しくはない。しかも高校時代から、胃薬がほぼ常備薬である。
「ならば願いを叶えようとしても、失敗して魔族が死ねば、お前に多大なストレスを与える事になるな」
「むー。そう来ますか」
腕を組んで唸ったら、人差し指で額をつつかれた。
「あう。何するんですかっ」
抗議の声を上げるも、いなされる。
「他の魔族とて、幼子の心を傷つけてまで人に戻る事に固執する者はいまいよ。俺が目覚めた以上、他の者達もそろそろ起き出す。この国へ来る前、ユグルド山の向こうに移住した者達の村の様子を上空から見たが、安定しているようだった。魔族が静かに余生を過ごす分には、問題なく受け入れてもらえるだろう」
「幼子……。魂だけは四百歳越えなんですけどね、私。あと、その姿で余生って言われるのは、すごく違和感があります」
「そうか?」
「はい」
「それこそ、魂だけなら八百歳越えの大年寄りだ」
彼は微かに笑ったように見えた。が、年寄り。……彼の老いた姿が想像できない。魔族として生きたら、若い姿のまま寿命を迎えるんじゃないかとすら思う。
「そういえばお仲間も目覚めるって事でしたけど、ここに来る事、書き置きとかしてきましたか?」
「いや?」
おい。
あっさりと返ってきた否定に、私の頬が引き攣った。
この人絶対、『なぜ、そんな必要があるのかわからない』って思ってる!
「あのですね、魔……いえ、勇者しゃ……あーもう呼びにくい! アーヴィル様、あなたが長年の眠りから目を覚ましたその時に、そこにいるはずの仲間がいなくなっていたとしたら、どう思いますか? 書き置きも行方の手がかりもないんですよ?」
「その名は呼ぶな」
「じゃあ、ヴィル様。それともヴィー様?」
「……ヴィルでいい」
よし。許可ゲット。
散々心の中で〝魔王勇者様〟と呼んでいたけれど、口に出すのは微妙だ。
そしてフラルカ様の遺言を王様が国民に打ち明けるかどうかわからない以上、〝魔王様〟と呼ぶわけにもいかない。姫様はカーラさんがいたから〝勇者様〟と呼んでいたけれど、ぶっちゃけ呼びにくい。噛みそうだ。〝様〟を〝しゃま〟って言っちゃったら、ハズカシネル。
「ねえ、ヴィル様。あなたがどんなに強くても、皆さん心配すると思いますよ」
「心配……するのか?」
「そういうものです」
私が魔力チートでも、心配してくれる人がいるように。
「家族みたいなものなんでしょう? どこに行って、いつ頃帰る予定かを知らせるのは、必須ですよ」
前世の私は幼い頃から基本的に室内で遊ぶ子だったけど、図書館にはよく行っていた。行き先を親に告げれば、『またか』と言われる定番の外出先だ。
ちなみに前世の記憶が戻る前、純然たる五歳児だったミラは、体力はないもののインドアってほどでもなかった。室内で遊べるオモチャなんて、この世界の農家にはほとんどないからね。葉っぱや木の実でおままごとはできたけど、我が家に本はない。
「わかった。後で伝達鳥を飛ばしておく」
「そうしてください」
私は重々しく頷いた。
「ついでにお前の話も含めて、体に埋め込まれた魔石を摘出し、人に戻る事は諦めると伝えよう」
「それは伝えなくていいです。てか、どうして後ろ向きに行動的なんですか」
「お前も魔石を取り出すのは難しいと言っていたではないか」
「そりゃあ、簡単じゃないですよ。迂闊に手を出して死なせたくないです」
「ならば……」
「かといって、調べる前に諦めるつもりもありません。魔力を制御できるようになるまでは、何もできませんけどね?」
ヴィル様の言葉を遮ってそう告げた私は、反論される前に言葉を続ける。
「あなたになんの義理もなかった新谷結良には、無理を押して挑む理由がありませんでした。でも、私に恩を売ってしまったんですから、諦めてください。理由を作ったのはヴィル様です」
私はにっこりと笑った。
「心配していただかなくても、無謀な事はしませんよ」
ヴィル様は言葉を呑み込んで、大きなため息をついた。そして再び私の額をつつく。
「あうっ」
「無茶もするな。なんらかの術を試した結果、魔族が死んだとしても、何もできなくとも、お前の責任ではない」
額を押さえてヴィル様を見ると、彼はそう念を押した。だけど私はそれに返事をせず、微笑を浮かべる。
私が手を出した結果で生じた誰かの死なら、たとえ裁かれなくても、それは私の責任なんですよ、ヴィル様。だから最大限の努力をします。自分を含めて、誰かを犠牲にして助けるなんて事はしません。それだけは誓います。
「ところでヴィル様」
「なんだ」
言質を取られないうちに話を変えてしまえと、私はあるお願いをしてみる。
「私に恩を売るついでに、トラウマの克服を手伝ってもらえませんか?」
「トラウマ? そんなものがあるのか」
意外そうに尋ねる彼に、私は無駄に偉ぶって言った。
「もちろんですよ。しかも二つもあります」
「威張る事ではあるまいに」
もっともだ。けど話を逸らしたいだけだから、どうでもいい。
「何が苦手なんだ?」
「高所と高速移動です」
「……翼を持っていなかったか?」
「ルフィーからの借り物ですけどね。初フライトでやむなくアクロバット飛行してしまった結果、高所恐怖症になった上に、スピード恐怖症に拍車がかかりました。あ、スピード恐怖症は前世からなので、筋金入りですね。手こずると思いますよ」
ポンと手を打ち鳴らしながら彼の目を見ると、何か言いたげだった。でもあえて空気は読みませぬ。
「わかった。引き受けよう」
そう言うとヴィル様は立ち上がり、戸口へ向かった。そしてノブに手をかけ、ドアを開け放つ。
「うわ!」
「きゃ!」
「あ!」
三者三様の悲鳴が上がった。一人は部屋に転がり込んで倒れ、残る二人はなんとかその場に踏みとどまる。
「なぜ、普通に入ってこない」
「ガイ! カーラさんにエメルさんまで!」
「イエソノ」
「ネエ?」
お互いの顔を見合わせて、オホホと笑うメイドさん達。ちなみに、エメル・シーダさんも私付きのメイドさんである。二人の足下に転がっていたガイはむくりと起き上がるや否や、ダッシュで私のもとまでやってきた。
「ミラ、勇者の兄ちゃんと、何を話してたんだ?」
兄ちゃん……。なんて似合わない響きだろう。
そういえば、ガイはヴィル様が陛下と謁見する前から、ヴィル様をそう呼んでたっけ。事実を知った今でも、魔王の兄ちゃんと呼ばないところは褒めておくべきだろうか?
どっちにしても、ガイって何気に凄いよね。ヴィル様を兄ちゃん呼ばわりだもの。
「なあ、姉ちゃん達も気になってるみたいだから、教えてくれよ」
「ガイ様、それは言っちゃ駄目ですよぉ」
慌てるメイドさん達に、キョトンとするガイ。とりあえず私は気合いを入れてベッドから立ち上がり、ガイの頬をつまんだ。そしてみょーんと目一杯引っ張ってから離す。
「いひゃい!」
うむ。よく伸びた。若いねー。
「立ち聞きしようとした悪い子を代表して、お仕置き」
「してねーよ。何にも聞こえなかったぞ」
「そりゃあ、特にこれといって話してなかったもの」
ケロリとすっとぼける。ヴィル様の魔法は、私達の声を完璧に遮断してくれていた。ついでに、ドアの外に人が来たらわかるよう、探査魔法の一種でも仕掛けていたんだろう。気配り上手だ。
「でもね、ガイ。何も聞こえなかったって事は、聞こうとしてたんだよね?」
語るに落ちるとはこの事だ。
「ミラ」
「はい。なんですか、ヴィル様」
呼ばれて振り向けば、無表情のヴィル様が戸口から私を見ていた。
「俺は隣の部屋にいる。気分が悪くなったり、何か気になる事があれば声をかけろ。時間は気にしなくていい」
そう告げたヴィル様が、部屋を出て行く。綺麗な顔のヴィル様から、完全に表情がなくなると冷たい印象になったけど、言葉は私を気遣うものだった。
本当に、魔王のイメージからはほど遠い人だわ。
* * *
フィーメリア王宮の奥まった部屋の一つに、王家の六人が集まっていた。
国の大事である。しかし他者に話して聞かせ、相談するわけにもいかない案件ゆえに、普段は政務にかかわらない王妃や王太子妃、姫までもが席に着いていた。
アインセルダは一同を見渡し、普段なら既に就寝しているはずの妹姫――フィルセリアに目を留めた。彼女に眠たげな様子は見られない。滅多にない会議への参加に張り切り、眠気が吹き飛んでいるようだ。
「さて、どうすべきか」
意見を求める祖父――王の声に、アインセルダは思考を巡らせた。
議題は、勇者であり魔王でもある青年の件だ。彼が皇帝の被害者であり、魔族と呼ばれる者達のまとめ役――魔王である事実を民に伝えるか否か。
「貴族達の前で勇者本人であると認めましたから、今更王家が撤回するわけにもいきません。民にも勇者の帰還はすぐに広まるでしょう」
アインセルダの父である王太子が言う。
「懸念事項は、勇者の目覚めが魔王の復活に繋がると捉えられてしまう事ですわね」
王太子妃が言葉を続けた。
「六歳のミラが、その可能性に考え至るくらいだからな。民に不安を抱かせぬためにも、皆が恐れるような魔王の復活はないと告げるべきなのだろうが……」
「難しいですね」
王の言葉に王太子が続ける。
真実を明かしてしまえば、魔王の脅威がない事は簡単に説明できる。
フィーメリア王国は、魔王の逆鱗に触れる実験などしていない。精霊王にも誓えるのだから、滅ぼされる所以はない。しかし――
「問題は、初代女王が魔族と手を組み、当時の人々を騙していた事ですね」
『魔族は必ずしも敵ではない』と言えなかった当時の状況を思えば仕方がないが、現在の各国王家に糾弾される可能性がある。
「真実を明かす際の懸念は、もう一つある。魔族とは魔物が人を取り込んだ存在であり、魔物がベースだと考えられていたから、これまで馬鹿な真似をする者はいなかった。だが……」
「魔石を埋められた人間だと知れば、欲を出す者がいないとは限りませんわね」
王の言葉に、王妃がため息交じりに呟いた。
魔族は精霊を介さず魔法を行使できる。個体差はあるものの、その威力は凄まじいものだったと伝え聞く。
人に魔石を埋め込めば、そんな存在を生み出せると知られたら、戦力として欲する国が現れてもおかしくはない。
魔物に人を喰わせるのではなく、人が魔物を取り込むのだ。非人道的な行為である事は変わらないが、リスクの高いパワーアップ方法と考えられなくもない。
「フラルカ様が真実を告げなかったのは、そういう輩を警戒したからかもしれぬな。自分の代はともかく、後の世――ましてや他国まで見張る事など不可能。ならば初めから、虚実の入りまじった情報を流すのが手っ取り早い。その方法では、絶対に魔族は生まれないのだから。それでいて、皇帝の非道な行いを民に知らしめる事ができる」
理屈はわかる。しかしアインセルダとしては、魔族が目覚めた後を引き受ける子孫の事も、もう少し考えてもらいたかった。
「勇者が魔王であると明かさず、魔王の脅威はないと説明する方法……」
アインセルダは独りごちる。しかし、そんな都合のいい手段は思い浮かばず、眉根を寄せた。
「ドラゴンと人族のハーフというのはいかがかしら?」
王妃の提案に、一同の視線が集まる。
人に変化可能なドラゴンが、人族と子をなす例はあったらしい。今はドラゴンなんてほとんど見かけず、ユグルド山の向こうにそれらしき影が見えたと噂される程度だが。
「魔王が知性あるドラゴンだったという話は伝わっていますでしょう? そして汚染魔力が動物達を魔獣に変える事も、浄化の必要上、正しく伝わっております。皇帝の所業によって汚染された魔力が広がり、動物達が魔獣化していくのを許せなかったドラゴンが、帝都を攻撃した。あるいは汚染魔力に影響され、凶暴化して襲撃したというのはいかがかしら」
「なるほど。当時、城には皇帝の実験のために魔獣や魔物がいましたから、ドラゴンの襲撃で偶然解き放たれてしまった事にするのですね。魔族達にはそれらを帝都に放つつもりはなかったようですし、事故という点では変わらない」
王妃の言葉を、王太子が検証する。それに頷き、王妃が言葉を続けた。
「勇者は両種族の血を引く者として、事態の収拾に尽力してくださった。魔王と呼ばれたドラゴンは、八百年の歳月と元凶の消滅によって怒りが解けた。あるいは浄化されて正気に戻っている。……という筋書きを考えてみたのですけれど」
「ふむ、悪くない。勇者殿に出自の詐称を承諾していただかなくてはならないが」
「待ってくださいですの」
王が頷いて纏まりかけていた方向性に、フィルセリアがストップをかける。
「勇者様は昼間、私とミラを助けてくださった際に、『母が攫われ、父となるはずだった人が殺された』とおっしゃっていたんですの。片親をドラゴンと偽っていただくとしても、どちらをドラゴンとしていただきますの?」
人がドラゴンを攫う事は可能か?
否。子をなせるなら、相手は成竜だ。討伐は可能でも、誘拐は不可能だろう。
ならば父親か。
アインセルダはそこまで考えて、ふと引っかかった。
「セリア、『父となるはずだった人』とおっしゃっていたんだね?」
彼の質問に、フィルセリアはコクリと頷く。
「『父が殺された』でないのなら、再婚予定の方だったとする事もできるんじゃないかな」
アインセルダが気になった点に言及すると、フィルセリアは目を瞬かせた。
「再婚相手かどうかは、おっしゃっておりませんでしたの」
「ならば実の父がドラゴンであった事にしていただければ、先程の設定が使えるな」
「ミラの魔力暴走を抑えるために使った魔法も、ドラゴンが魔力を制御できない子竜を護るための術との事ですし、ハーフである証になると思います」
王太子に同意したアインセルダは、ふと、ミラが成長した姿だという仮初めの肉体を思い出した。
顔を赤らめ、頭を振る。兄のおかしな行動に、妹は首を傾げながら問いかけた。
「そういえばお兄様、ミラへの求婚は撤回しますの?」
アインセルダはぴたりと動きを止める。
「撤回?」
「ミラは勇者様のために生まれてきたのかもしれないのでしょう? 運命の方から奪うのは、悪い事ですの」
アインセルダは、妹に悪人と思われるのは嫌だなとは思うものの、ミラを諦めるのは惜しいと感じた。
ミラには地位がない。先祖代々イルガ村に住む民の実子である。だが四属性もの適性を持つ、高魔力保持者だ。貴族の庶子が、彼女の家系に存在したのかもしれないと、アインセルダは考えていた。
しかし初代女王の暴露話によれば、人族以外の種族がユグルド山の向こうに移住したらしい。異種族婚をした人族はもちろん、ついて行っただろう。長い時の中で、その子孫がユグルド山の向こうから出てきた可能性もある。ミラがその異種族の血を引いている可能性も。
いわゆる隔世遺伝による才能の発現。もしくは――
「ふむ。フラルカ様の話を聞いた後では、あの魔力はフラルカ様が探し出した約束の存在であるから、という可能性が高いか」
「確かミラのカードには、祝福として〝約束〟の文字がありましたね」
王と王太子の言うとおり、その可能性もあった。
なにしろ初代女王は魔王を勇者に仕立て上げた人であり、地の精霊王と疑似祖父孫の関係を結んでいた人だ。何をしてもおかしくないと思わせるものがある。
自分達がその子孫であるとは信じられないくらい、とんでもない人なのだ。
ミラほどの魔力と適性を持つ血を迎え入れる事は、王家の繁栄に繋がる。アインセルダは、もしミラが結婚を承諾してくれたなら、貴族の悪意から彼女を最大限護るつもりでいた。ミラから平民としての自由と安穏とした暮らしを奪う以上、当然の事だ。しかし一方で、合宿で貴族の上級生をやり込めたという彼女を、頼もしくも感じている。
妹と同い年の、将来が楽しみな可愛らしい女の子。それに彼女の未来の姿は、魔力がなくとも妻に迎えたいと思うほどに美しかった。
「いやしかし、お役目と結婚は別じゃないかな?」
アインセルダが遠回しに撤回しないと答えると、フィルセリアは悲しげに彼を見た。
これはよろしくない。妹はロマンチックな物語を好む。身分が違えども、惹かれ合う恋物語。つまり運命の恋が、彼女の憧れらしい。
「ではお役目に関係なく二人が両思いとなった場合は、潔く身を引かれますのね?」
「……随分念を押すけれど、何か確信でもあるのかい?」
「確信ではありませんの。でもミラの反応が、女の子のものでしたの」
「ミラは女の子だよ?」
「そういう意味ではありませんの」
フィルセリアは視線を彷徨わせて、どう伝えたものかと思案していた。そして何かを思いついたのか、ぱっと顔を輝かせて、なかなか厳しい事を言ってくる。
「ミラはお兄様との婚約のお話が出ると、困ったようにしか笑いませんの。それにお兄様とお話しする時、どこか身構えているように見えるんですの」
「そうかな?」
「はいですの」
断言された。
「ガイはまだ、ミラへの気持ちを自覚している様子はありませんの。ミラも『ガイはお兄さん風を吹かしている』と言ってましたわ。そしてミラ自身は、ガイを弟のように思っていると。お兄様は、そんなガイよりも分が悪いかもしれませんの」
恋愛対象になっていないガイと、対象になる事を避けられているアインセルダ。彼自身うすうす感じていたが、妹に言われるとショックが大きい。
「いきなり求婚したのは間違っていただろうか? 外堀を埋めて騙し討ちの如く事を運ぶよりは、彼女から見て印象が良いだろうと、正面切って行動したのだけれど」
「ミラは勇者様とお話しする時、時折顔を赤らめますの」
「そりゃあ、彼は整った容貌の方だから」
「お兄様も素敵だと思いますのよ?」
「……ありがとう」
だが妹よ、その褒め方は微妙に心が抉られる。
アインセルダは言葉を呑み込んだ。
「でも、ミラはお兄様に顔を赤らめた事がありませんの」
「……そうだね」
トドメがきた。駄目かもしれない。
ミラはアインセルダがプロポーズした時でさえ、照れなかった。むしろ青ざめていたと思う。
アインセルダはミラとのこれまでのやりとりを思い返したが、魔法談義でミラの魔法を褒めた時くらいしか、照れて笑ってくれた覚えがなかった。
あれはトキメキではないから、カウントしては駄目だろう。カウントしては終わりな気がする。
思わず黄昏れるアインセルダの隣で、母親がにこやかに腹黒い発言をした。
「ミラちゃんは家族のいる国を捨てる事はないでしょう。彼女が勇者様と結ばれれば、一時的にせよ国力は強化されますわね」
息子と結ばれなくとも、国益にはなる。正論だが、ぽややんとした雰囲気で言う事ではない。
「ミラの子供や孫であっても構わんな。彼女の血筋なら、いずれ彼女ほどではなくとも、魔力の高い子供が生まれる可能性がある」
王家に迎えるのに、アインセルダの代である必要はない。むしろ勇者の血も継げば箔がつくし、魔力の質も高まるだろうという打算が、王の中に湧いた。
「まあ、好きなだけ頑張りなさい」
「……はい」
どうやら、自分とミラの結婚を積極的に応援してくれる者はいなくなったようだ。
アインセルダはがっくりと肩を落とした。
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