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3巻
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第二話
朝である。今日も精霊協会の鐘の音で目を覚ました私は、ベッドの中で違和感を覚え、首を捻った。
「ああ、そうだった」
けだるい体を起こすと、シーツの上を長い金髪がシュルリと滑る。
「夢オチじゃないんだねぇ」
髪を人差し指に巻き付けて、その長さを確認した私は、大きく伸びをしてからベッドを降りようとした。そしてギョッとする。
二人の高位精霊が、そこに土下座していた。
一人は後ろの一房だけが長い、緑色の髪。身に着けている白地に濃緑のアクセントが入った、騎士のような衣装には見覚えがあった。だけど彼女の背中にあるはずの、大きな翼がない。
もう一人は踊り子のように少し肌の出る青い衣装に身を包んだ精霊。見覚えがないけれど、誰かは予想できた。
「ルフィーと……ディーネだよね? なんで土下座してるの?」
尋ねると、ディーネが勢いよく顔を上げた。緩くウェーブのかかった豊かな水色の髪が揺れる。今にも泣きそうな美女を見て、私は再びギョッとした。
「ますたぁー」
「え、な、何? 私、何か泣かせるような事……した……か。したよね。昨日、魔力を暴走させてみんなを危険な目に遭わせ……」
「いえ! その事では私達も謝らなくちゃいけないんです、マスター!」
ルフィーの言葉に私は首を傾げた。ディーネほどじゃないけど、彼女の目も潤んでいる。
「グノーとサラの入室を許していただけますか?」
「もちろんいいよ」
何を遠慮してるんだろう。そう思って快諾すると、ルフィーは上着を脱いで私の肩にかけた。
「では、これを着てください、マスター」
少し暑いくらいなのに上着を着るように促されて、私はようやく気がついた。
「アリガトウ」
「いえ」
子供の時ならともかく、大人姿――しかもエメルさんに借りた乙女チックなネグリジェで異性と会うのは、躊躇われる。たとえ精霊が相手でも。
さっき自分が大人姿だと再確認したばかりだというのに、まだ寝ぼけているのだろうか私は。
ありがたく上着に袖を通した私は、胸元のボタンを留めてから、虚空に呼びかけた。
「グノー、サラ、いいよ。おいで」
すると赤と黄色の魔力の光が現れて、次の瞬間、二人の美青年になった。
一人は、見慣れた地の精霊グノー。それなら、もう一人は火の精霊サラだろう。白地に赤のアクセントが映える騎士服姿で、精悍な顔立ちの青年になっていた。
サラもディーネも、先に高位精霊となったグノーやルフィーと同じく十七、八歳くらいに見える。結局、みーんな成長過程をすっ飛ばして高位精霊になっちゃったよ。
周囲の美形率が上がったら、もっとドキドキして心臓に負担がかかるかと思っていたけれど、心配していたほどじゃない。ちょこっと慣れたかな?
でもヴィル様に対しては動悸が激しくなったから、彼のせいで反応する基準が一気に上がったのかもしれない。
そんな事を考えつつ呑気に目の保養をしていたら、彼らも土下座した。
「マスターの許可なく魔力を奪いました事をお詫びします。契約解消を望まれるなら、僕達はそれを受け入れます」
グノーの謝罪に、私は驚いて目を見開いた。ゆるゆると首を横に振る。
「契約解消なんてしないよ? だって暴走した私の魔力をみんなが取り込んでくれたから、ガイや王族の皆さんが無事だったんだもの。感謝こそすれ、怒る理由なんてないじゃない」
「彼らが無事だったのは、勇者が結界を張ったおかげです」
「でもそれだけじゃ抑えきれないと判断したから、あなた達に私の魔力を取り込むように指示を出したんでしょう?」
「それは……そうですが、でも……」
グノーは納得いかないようだった。更に言いつのろうとするのを、私は再び首を振って封じる。
「それより、自分の魔力も制御しきれない私は、あなた達のマスター失格だよ」
「そんな事ないです!」
間髪を容れずに否定の言葉が返ってくる。
「じゃあ、これからも一緒にいてくれる?」
今度は返事を躊躇う彼らの様子に、私は俯いて、両手で顔を覆った。
「やっぱり失格……」
「います!」
「ずっと一緒だ!」
慌てて叫ぶルフィーとサラ。私は顔を伏せたまま、小さな声で問う。
「本当に?」
「「「「はい!」」」」
四精霊揃っての返事に、私はニッコリ笑って顔を上げた。
「約束ね?」
小首を傾げて、言質は取ったよと言外に告げると、彼らは固まった。
「……マスター?」
精霊達はしばらく固まっていたけれど、一足早く再起動を果たしたルフィーが私に呼びかける。私は上機嫌で応じた。
「ん?」
「泣いていたんじゃ……」
「ないよ? すっごく悲しかったけど」
ケロリと答えると、精霊達はがくりとくずおれた。また土下座みたいなポーズになっているけど、これは脱力のせいだよね?
でも契約解消だなんて言って驚かせてくれたんだから、おあいこ、おあいこ。
そんななんとも言えない空気を変えるかのように、ドアが軽くノックされた。
「どうぞ」
「失礼致します」
部屋に入ってきたのは、カーラさんとエメルさん。一歩部屋に入って床にうずくまる精霊達を視た彼女達は、驚いて動きを止めた。
「あ、そういえば他の人にも視えるようになったんでしたっけ」
「視えるように? では彼らは……」
「ミラ様の契約精霊でしょうか?」
エメルさんの言葉を引き継いで、カーラさんが問う。
「そうですよ」
私の返事に、二人はあからさまに安堵の息をついた。その様子に私が首を傾げると、彼女達は気まずげに顔を見合わせる。そして、カーラさんがわけを教えてくれた。
「ミラ様のお部屋にアインセルダ様と勇者様以外の男性がいらしたので、兵を呼ばねばと……」
「……カーラさん」
「はい」
「なぜ、その二人ならいいんです?」
「ガイ様でもセーフですよ? お二人は幼馴染みですし」
「ガイ様はお子様ですしね?」
再び顔を見合わせてから答える二人に、私はジト目を向けた。
「それは答えになってませんよね?」
ガイは幼馴染みのお子様。それは事実だ。だからオーケーだというのも理解できる。でもそれなら、先にあげた二人はアウトでしょ。
アイン様は成人前だけど、子供とは言えない年齢。
ヴィル様は封印とかドラゴンの知識の継承とかで何歳と考えるべきか不明だけど、立派な成人男性だ。その上、かなりの美貌。
私の部屋に、彼らがいてもいい理由はなんだ?
ヴィル様は私の魔力の手綱を握るお仕事があるから、問題ないと言えばない。でもそれだと、アイン様は近づいちゃいけないはずだ。だって王位継承権保持者だもの。
カーラさんとエメルさんは私と目が合わないように視線を逸らし、「あの」「その」と言うばかりでなかなか白状してくれない。仕方ない。この手は使いたくなかったのだけど……
「ルフィー、この件に関係ありそうな話はある?」
「あ、はい。マスターの魔力の暴走は結構な騒ぎになっていたようで、この部屋にマスターを運んだのは勇者ですが、人目を避けられませんでした。当然、勇者が抱えていた女性は誰かと話題になり、あの時謁見の間に駆けつけた衛兵経由で、その正体がマスターであると、城に勤める者の間に広まったようです」
土下座みたいな脱力状態から復活して話を聞いていたルフィーは、あっさり教えてくれた。
なるほど。それにしても……部屋一つを破壊しておいてなんだけど、好奇心旺盛な暇人がいたものだね。もう噂が広まってるなんて。
「その時の勇者とマスターの雰囲気にただならぬものを感じ、既に恋仲との噂が……」
「ちょい待ち。私、気絶してたんだよ。雰囲気なんて、欠片も出ているはずがないよね」
かぶせ気味な私のツッコミに、ルフィーは小首を傾げた。
「主に、勇者のだだ漏れな色香にやられた方々の妄想が、噂の原因では?」
ああアレか。なら仕方ない。……って、誰が言うか。
私は気絶していたし、体が大きくなっているから、多分お姫様抱っこで運ばれてたんだろう。そんなただの運搬作業に、妙なフィルターをかけるなと言いたい。
「そしてライバルの登場に焦り、年齢という枷のなくなった王子様が、若さゆえの暴走をいつ起こすかの賭けが……」
「暴走前提!? しかも賭け!?」
暇か!? 暇なのか、王城勤務!
ルフィーが教えてくれた胃に優しくない情報に、私はまたもや、かぶせ気味にツッコんだ。そしてエメルさん達に半眼を向ける。
「私とカーラは参加していませんよ?」
エメルさんが慌てて無実を訴えるけれど、私は忘れてはいない。私の部屋にいたのがヴィル様かアイン様なら、兵を呼ばずにスルーしていただろうという発言を。
「大丈夫よ、マスターの貞操は私達が守るから」
「あーうん。そっち方面は何もないと思うけど、真に受けた人が来たらよろしくね」
拳を握って張り切るディーネに、私は苦笑を浮かべる。続けて、重いため息をついた。
王子様から求婚を受けたと貴族達に知られてしまっているけれど、実害はない。所詮相手は六歳児との判断からか、登城する貴族のお嬢様に遠くから睨まれる事はあっても、直接嫌がらせをされる事はなかった。
近づいてくる人はむしろおやつをくれたり、お花をくれたり。自分の立場を明言しなかったけど、味方に引き込もうとしていたような。
さすが貴族。内心はどうあれ、表に出す輩ばかりじゃない。
贈り物はちゃーんと笑顔でいただきましたとも。
手ずから与える物に変な仕込みはしないだろうからね。だってすぐに足がつくじゃない。
それはともかく、六歳児には寛容だったお嬢様方でも、見た目がアイン様の年齢を超えてしまった私に対してはどうだろう。仮にアイン様が私に対してこれまで通りアプローチを仕掛けてきて、私の正体を知らないお嬢様がそれを目撃したら?
今度こそ体育館裏……いや、厩舎裏へお呼び出しか!?
ガクブルである。これはもう私の正体を、城の内外問わず公式に発表していただいた方がいいんじゃなかろうか。噂に疎い方のためにも。
正体を知ってなお絡まれた場合は、精霊達の出番である。ディーネはやる気満々だ。
「ミラ様、情報と引き替えに魔力を消耗されていらっしゃるのですか?」
先程とは一変して、心配げな表情でカーラさんが聞いてくる。その問いの理由がわからず、私は首を傾げた。
「随分声が疲れておいでのようでしたが」
「ああ」
なるほどね。確かに体はだるいけど、これは今朝起きた時からだ。情報の対価じゃない。
「違いますよ。風の精霊は噂話が大好きなんです。彼女の興味がある事に限られますが、知っていれば教えてくれますよ。ただ私に関しての噂話は、大抵私の心を抉るというだけで……」
はははと力のない笑みを浮かべると、なんとも言えない沈黙が再び落ちた。
その沈黙を破るようにノック音が響き、エメルさんとカーラさんがハッとして動き出す。
カーラさんは手にしていた衣装をクローゼットのドアハンガーに引っかけて、リビング兼控えの間の入り口へと来客の対応に向かう。エメルさんは鏡台に洗面道具一式を並べ始めた。客が部屋に通されるなら、急いで身支度を整えなければならない。
「じゃあマスター、僕達は隣のリビングにいるから」
立ち上がったグノー達に手を振ると、私はベッドから足を下ろして室内履きを探した。そこへ、カーラさんが急ぎ足で戻ってくる。
「ミラ様、失礼致します」
そして、一言断るや否や、彼女は私の額に触れた。
「……少し、熱いでしょうか?」
「ミラ様、まだお熱が?」
エメルさんも私の額に触れる。しばらくして眉根を寄せたエメルさんは、カーラさんを仰ぎ見て頷いた。
判定。微熱あり。
うーみゅ。熱があったのか。いきなり体が大きくなったから、重く感じるのかなと思ってたよ。でもそういえば、夕べは体が重いなんて思わなかったね。
イルガ村にいた頃は、散々風邪で熱を出した。それは大抵、一気に高熱に襲われて意識が朦朧とし、回復するに従って微熱と平熱を繰り返すパターンだった。最初から微熱なんて、今回が初めてだ。
だから気がつかなかったのかな。自分の体調なのに、我ながら鈍い。
そんなニブニブな私に、カーラさんが来訪者を告げた。
「ミラ様。魔力が乱れているようだから、体調を確認しておきたいと、勇者様がおいでです。入っていただいてよろしいですか?」
「はい、お願いします」
そりゃもう、お願いするしかないでしょう。ヴィル様は、私にとって魔力の主治医みたいなもの。彼が診察すると言うなら、黙って従うだけだ。
「承知致しました。お呼びしてまいります」
カーラさんは一礼して、再び寝室を出て行った。戸口にはグノー達がいて、心配そうに私を見ている。そしてグノーが唐突に、「ゴメンね」と謝罪した。
「僕達精霊にわかるのは、体外に放出されている魔力だけなんだ。体内の魔力の流れは、そこから予測するしかない。だからマスターの魔力がいつ暴走してもおかしくない状態だったなんて、気づけなかった……」
彼は悔しげに言って俯いた。ディーネやルフィー、サラも困惑した表情で教えてくれる。
「普通なら、体内の魔力が荒れている時は表層も荒れて、魔力が外に漏れるものなの」
「マスターからは今も、魔力が漏れ出ていません」
「表面的には、魔力を制御し切っているように見えるんだ」
「そっか。私の魔力って猫を被ってるんだね。気にしなくていいよ」
そこに、カーラさんの案内でヴィル様がやってきた。
今朝も彼の美貌には一点の曇りもない。眼福だ。
私がこの世界に生まれてから初めて見る、黒髪の持ち主。彼の髪は、前世でも滅多にお目にかかれなかった漆黒だ。近寄りがたい麗人だけど、その黒が懐かしさと親近感を覚えさせてくれる。
エメルさんがベッドの傍に置いた椅子に、ヴィル様が腰掛ける。揺れる彼の髪を見て、私は首を傾げた。
「昨日、私の魔力暴走を抑えるために髪を切りましたよね?」
切った瞬間は見ていないけど、切った後の姿は目にしている。夕べ見たヴィル様の髪は、肩の上あたりでざっくりと無残に切り落とされていた。なのに今、漆黒の髪は背中の中ほどまである。
「ああ。伸びた」
「昨日の今日ですよ!?」
さらりと返されて、私は目を見開いた。怪我ならともかく、いくら魔族でもそんなのアリか? もしかして、回復魔法を使って……。いや、切った髪を元に戻すために回復魔法を使うのもどうかと思うし、そんな彼はちょっと想像がつかない。だって外見には無頓着そうだもの。
「フラルカのすすめで、髪に魔力を宿しているのだ。しかしそうすると、切ってもすぐに伸びてくる。正直邪魔なのだがな」
「邪魔なのに、魔力を宿すのやめないんですか?」
「魔力が枯渇する事があっても、最後の手段として使えるだろうと言われてな。昨日のように、代償を必要とする魔法を使う際にも手軽だ」
「髪にそんな使い道があるとは、便利ですね」
納得すると同時にホッとした。魔法の代償として何かを捧げないといけないのなら、髪は確かに手軽だ。しかも魔力を宿している事で異常に早く伸びるとなれば、私の気も楽になる。この体が彼の血肉を使って造られたものだったら、土下座では足りないところだった。
「そんな事よりもミラ、熱が下がっていないと聞いたが、他に不具合は?」
「少し体が重いです。ひょっとしたら、今の体の大きさに慣れていないだけかもしれませんが……。夕べは気がつきませんでしたけどね」
報告すると、白い右手が私の前髪を掻き上げて、綺麗な顔が近づいてきた。って、まさか……またかー!! 近い近い近い!
コツンと額が合わさって、私は内心絶叫した。
またもやってくれやがりましたよ、このヴィル様めっ!
おでこコツンで熱測定って、いったい誰から得た知識だ。ドラゴンか? ドラゴンなのか? スキンシップ過剰だぞドラゴン。手を使え!
麗人のどアップに体が強張り、動悸で胸が苦しい。せめてもの抵抗に、私は脳内でツッコミを入れまくった。早く美形に慣れないと、本気で寿命が縮みそうだ。
至近距離にあった目が瞬いて、ゆっくりと距離が開く。彼の右手が私の首筋に移動した。
脈拍も測るんですか? あなたの所業で私の心臓は乱れ打ちだと思います。体温以上に当てにならない事、間違いなしです。
「脈が速い。先程よりも顔が赤く、魔力の乱れも悪化した。熱がまた上がったからだとすれば、魔力の乱れは体調の悪さが原因か……」
ヴィル様がブツブツと呟く。でも、体調悪化はヴィル様のせいだと思います。昨日のもです。
「今日はゆっくり休め」
ヴィル様は小さな子供に言い聞かせるようにそう言うと、私の頭をなでた。
私の前世が成人だと知っているのに、この子供扱い。あ~、もやっとする。何がどうと上手く言えないのだけど、複雑な気分だ。
と、そこへ乱入者が現れる。
「ミラ、一緒に朝ご飯食べよう! って、人、多!」
ノックもなしにドアを開け放ち、そう言ったのはガイだった。
確かに多い。私、ヴィル様、カーラさんにエメルさん。そして、部屋の隅で様子を窺っている四人の契約精霊――
新たに私の部屋となったここの寝室は、結構広い。それでも八人いれば、狭く感じる。
これでルフィーの背中にいつもの翼があれば、もっと窮屈に感じたかも……あ、ひょっとして翼を消しっぱなしなのは、それでかな?
「何? ミラ、どうかしたのか?」
ベッドの上に身を起こしただけで着替えもしていない私に気がついて、ガイはテテテっと小走りで寄ってきた。そして心配そうに私を見上げる。
「ちょっとね、熱があるみたい」
小さく微笑んで伝えると、ガイはしかつめらしい顔をして、私の額に触れた。
「風邪でも引いたか? 今年は珍しく、まだ一回も寝込んでなかったけど」
「かもねー」
そういえば王都に来てからは、まだ一度も風邪気味にすらなっていなかった。快挙だ、新記録だ! ……それも今、破れたけど。
「朝ご飯は食べられそうか?」
ガイの問いに、私は「んー」と唸って首を傾げる。
「正直、あんまりお腹は空いてないんだよね」
一食くらい、抜いてしまってもいいかもしれない。でも、すぐに思い直す。
「でも、体調が悪いせいで魔力が乱れてるんじゃないかってヴィル様がおっしゃったから、食べようかな」
パニクってたけど、ちゃんと聞くべきところは聞いてたんですよ。私の魔力暴走は命にかかわると、昨日知ったばかりだからね。
「なんでそれが食べる理由になるんだ?」
「一日の活力は朝食にありだから」
ガイに答えてから、ヴィル様を見上げて確認する。
「体調不良で魔力が乱れるなら、その乱れが原因で体調が悪化して、更に魔力が乱れる。なんて可能性もありますよね?」
「ありうるな」
ヴィル様が頷く。
「ってわけで、朝ご飯を食べます」
「ではミラ様には、パン粥をご用意させていただきます。勇者様とガイ様、……契約精霊の皆様も、ご同席なされますか?」
彼らの姿が視えなかった今までは、仮に精霊が食べても不足のないようにパンは多めに用意されていたけれど、今は人と大差ない姿の精霊達が視える。だからカーラさんは直接、一人前の食事をそれぞれに用意した方がいいか、尋ねる事にしたらしい。
「オレはミラと一緒に食べる! でもオレまでパン粥じゃないよね?」
一番最初に手を挙げて返事をしたのは、ガイ。
心配しなくても、健康なガイにお粥が出される事はないと思うよ?
「パン粥はミラ様だけですが、ご希望でしたらご用意致しますよ?」
クスリと笑って提案するカーラさんに、ガイは素早く首を横に振った。
「いいなぁ。私も普通のご飯がいいです」
駄目元でパン粥を拒否してみると、カーラさんとエメルさんが戸惑ったような視線を向けてくる。
「体調が優れないのでしたら、柔らかくて温かいものを召し上がられた方がよろしいかと思います」
「ええまあ、そうなんですけど……」
カーラさんの言葉はもっともだ。そしてこの世界の食事は大抵美味しい。だけど、元々苦手な物は仕方ないと思う。例えば、牛乳とか。
結良の記憶が戻る前は普通に飲んでいた牛乳――ミルクだけど、前世では嫌いだったと思い出してからは、ちょっと苦手意識が芽生えてしまった。
体にいい事は百も承知。これから成長期を迎えるんだから、飲んでおいた方がいいとわかってる。だから前世の記憶を取り戻したあの日から、ミルクを飲む時は覚悟を決めて一気飲みしてきた。
一口飲めれば、あとは問題ないんだよ。だけど、踏み切るまでが辛い。しかもお城に来てからは他の飲み物も用意されているので、ついついそちらへ手が伸びてしまう。
「ミルクパン粥はお嫌いですか?」
ズバリとエメルさんに質問されて、私は少し躊躇った末に、コクンと頷いた。
「正直、苦手です」
「そうなのか? 村にいた頃はよく食べてたけど、我慢してたのか?」
「好きで食べてたわけじゃないからね。風邪を引いた時の定番メニューだし、お母さんがお仕事休んで食べさせてくれたし」
ミルクは普通に飲んでいたけど、ミルクパン粥は元々あまり好きではなかった。病人だから仕方なく食べてただけ。でも、パン粥にいい思い出がまったくないわけじゃない。小さな私にとっては、病気で心細い時に、お母さんが傍にいてくれるのがすごく嬉しかった。
過去を懐かしみつつカーラさん達を見上げると、彼女達は顔を見合わせて頷いた。
「わかりました」とカーラさんが口を開く。
「では少し軽めに、ロールパンとコーンスープにいたしましょう」
「ありがとうございます!」
私は思わず手を合わせて、二人を拝んだ。
「勇者様は、何かご要望はございませんか?」
いつの間にか同席確定となったヴィル様が、ちらりと私を見てから口を開く。
「ミラと同じ物でいい」
「承知致しました」
短いやりとりを交わして、カーラさんは次に精霊達に視線を移す。
すると、問われる前にグノーが答えた。
「僕達も同席させてもらうけど、食事はいらないよ」
「夕べ取り込んだ魔力で、しばらくは持つからな。あ、でも甘い物は別腹」
サラもグノーに同意したけど、デザートは希望した。
好きだねー、甘い物。
「では果物をご用意致しましょう」
クスリと笑って言ったカーラさんに、精霊達が笑みを浮かべる。そしてディーネが「あ」と、小さく声を上げた。
「私達に椅子はいらないわ」
「いらないって、立って食べるのはお行儀が悪いよ?」
思わず眉根を寄せた私に、ディーネが慌てて首を振る。
「違うわマスター。そうじゃないの」
「そうですよ、つまり……」
ルフィーが仲間達と視線を交わし、ポンと手を打ち鳴らすや否や、光に包まれた彼女達の姿が消えた。いや違う……小さくなっていた。
「え、ええっ!?」
「これなら、ちょっとの量で大満足です!」
驚く人間達をよそに、甘い物を堪能できると嬉しげな精霊達。
私は思わず目を擦って見直した。だけど彼女達は小さいままだ。見間違いじゃないらしい。
朝である。今日も精霊協会の鐘の音で目を覚ました私は、ベッドの中で違和感を覚え、首を捻った。
「ああ、そうだった」
けだるい体を起こすと、シーツの上を長い金髪がシュルリと滑る。
「夢オチじゃないんだねぇ」
髪を人差し指に巻き付けて、その長さを確認した私は、大きく伸びをしてからベッドを降りようとした。そしてギョッとする。
二人の高位精霊が、そこに土下座していた。
一人は後ろの一房だけが長い、緑色の髪。身に着けている白地に濃緑のアクセントが入った、騎士のような衣装には見覚えがあった。だけど彼女の背中にあるはずの、大きな翼がない。
もう一人は踊り子のように少し肌の出る青い衣装に身を包んだ精霊。見覚えがないけれど、誰かは予想できた。
「ルフィーと……ディーネだよね? なんで土下座してるの?」
尋ねると、ディーネが勢いよく顔を上げた。緩くウェーブのかかった豊かな水色の髪が揺れる。今にも泣きそうな美女を見て、私は再びギョッとした。
「ますたぁー」
「え、な、何? 私、何か泣かせるような事……した……か。したよね。昨日、魔力を暴走させてみんなを危険な目に遭わせ……」
「いえ! その事では私達も謝らなくちゃいけないんです、マスター!」
ルフィーの言葉に私は首を傾げた。ディーネほどじゃないけど、彼女の目も潤んでいる。
「グノーとサラの入室を許していただけますか?」
「もちろんいいよ」
何を遠慮してるんだろう。そう思って快諾すると、ルフィーは上着を脱いで私の肩にかけた。
「では、これを着てください、マスター」
少し暑いくらいなのに上着を着るように促されて、私はようやく気がついた。
「アリガトウ」
「いえ」
子供の時ならともかく、大人姿――しかもエメルさんに借りた乙女チックなネグリジェで異性と会うのは、躊躇われる。たとえ精霊が相手でも。
さっき自分が大人姿だと再確認したばかりだというのに、まだ寝ぼけているのだろうか私は。
ありがたく上着に袖を通した私は、胸元のボタンを留めてから、虚空に呼びかけた。
「グノー、サラ、いいよ。おいで」
すると赤と黄色の魔力の光が現れて、次の瞬間、二人の美青年になった。
一人は、見慣れた地の精霊グノー。それなら、もう一人は火の精霊サラだろう。白地に赤のアクセントが映える騎士服姿で、精悍な顔立ちの青年になっていた。
サラもディーネも、先に高位精霊となったグノーやルフィーと同じく十七、八歳くらいに見える。結局、みーんな成長過程をすっ飛ばして高位精霊になっちゃったよ。
周囲の美形率が上がったら、もっとドキドキして心臓に負担がかかるかと思っていたけれど、心配していたほどじゃない。ちょこっと慣れたかな?
でもヴィル様に対しては動悸が激しくなったから、彼のせいで反応する基準が一気に上がったのかもしれない。
そんな事を考えつつ呑気に目の保養をしていたら、彼らも土下座した。
「マスターの許可なく魔力を奪いました事をお詫びします。契約解消を望まれるなら、僕達はそれを受け入れます」
グノーの謝罪に、私は驚いて目を見開いた。ゆるゆると首を横に振る。
「契約解消なんてしないよ? だって暴走した私の魔力をみんなが取り込んでくれたから、ガイや王族の皆さんが無事だったんだもの。感謝こそすれ、怒る理由なんてないじゃない」
「彼らが無事だったのは、勇者が結界を張ったおかげです」
「でもそれだけじゃ抑えきれないと判断したから、あなた達に私の魔力を取り込むように指示を出したんでしょう?」
「それは……そうですが、でも……」
グノーは納得いかないようだった。更に言いつのろうとするのを、私は再び首を振って封じる。
「それより、自分の魔力も制御しきれない私は、あなた達のマスター失格だよ」
「そんな事ないです!」
間髪を容れずに否定の言葉が返ってくる。
「じゃあ、これからも一緒にいてくれる?」
今度は返事を躊躇う彼らの様子に、私は俯いて、両手で顔を覆った。
「やっぱり失格……」
「います!」
「ずっと一緒だ!」
慌てて叫ぶルフィーとサラ。私は顔を伏せたまま、小さな声で問う。
「本当に?」
「「「「はい!」」」」
四精霊揃っての返事に、私はニッコリ笑って顔を上げた。
「約束ね?」
小首を傾げて、言質は取ったよと言外に告げると、彼らは固まった。
「……マスター?」
精霊達はしばらく固まっていたけれど、一足早く再起動を果たしたルフィーが私に呼びかける。私は上機嫌で応じた。
「ん?」
「泣いていたんじゃ……」
「ないよ? すっごく悲しかったけど」
ケロリと答えると、精霊達はがくりとくずおれた。また土下座みたいなポーズになっているけど、これは脱力のせいだよね?
でも契約解消だなんて言って驚かせてくれたんだから、おあいこ、おあいこ。
そんななんとも言えない空気を変えるかのように、ドアが軽くノックされた。
「どうぞ」
「失礼致します」
部屋に入ってきたのは、カーラさんとエメルさん。一歩部屋に入って床にうずくまる精霊達を視た彼女達は、驚いて動きを止めた。
「あ、そういえば他の人にも視えるようになったんでしたっけ」
「視えるように? では彼らは……」
「ミラ様の契約精霊でしょうか?」
エメルさんの言葉を引き継いで、カーラさんが問う。
「そうですよ」
私の返事に、二人はあからさまに安堵の息をついた。その様子に私が首を傾げると、彼女達は気まずげに顔を見合わせる。そして、カーラさんがわけを教えてくれた。
「ミラ様のお部屋にアインセルダ様と勇者様以外の男性がいらしたので、兵を呼ばねばと……」
「……カーラさん」
「はい」
「なぜ、その二人ならいいんです?」
「ガイ様でもセーフですよ? お二人は幼馴染みですし」
「ガイ様はお子様ですしね?」
再び顔を見合わせてから答える二人に、私はジト目を向けた。
「それは答えになってませんよね?」
ガイは幼馴染みのお子様。それは事実だ。だからオーケーだというのも理解できる。でもそれなら、先にあげた二人はアウトでしょ。
アイン様は成人前だけど、子供とは言えない年齢。
ヴィル様は封印とかドラゴンの知識の継承とかで何歳と考えるべきか不明だけど、立派な成人男性だ。その上、かなりの美貌。
私の部屋に、彼らがいてもいい理由はなんだ?
ヴィル様は私の魔力の手綱を握るお仕事があるから、問題ないと言えばない。でもそれだと、アイン様は近づいちゃいけないはずだ。だって王位継承権保持者だもの。
カーラさんとエメルさんは私と目が合わないように視線を逸らし、「あの」「その」と言うばかりでなかなか白状してくれない。仕方ない。この手は使いたくなかったのだけど……
「ルフィー、この件に関係ありそうな話はある?」
「あ、はい。マスターの魔力の暴走は結構な騒ぎになっていたようで、この部屋にマスターを運んだのは勇者ですが、人目を避けられませんでした。当然、勇者が抱えていた女性は誰かと話題になり、あの時謁見の間に駆けつけた衛兵経由で、その正体がマスターであると、城に勤める者の間に広まったようです」
土下座みたいな脱力状態から復活して話を聞いていたルフィーは、あっさり教えてくれた。
なるほど。それにしても……部屋一つを破壊しておいてなんだけど、好奇心旺盛な暇人がいたものだね。もう噂が広まってるなんて。
「その時の勇者とマスターの雰囲気にただならぬものを感じ、既に恋仲との噂が……」
「ちょい待ち。私、気絶してたんだよ。雰囲気なんて、欠片も出ているはずがないよね」
かぶせ気味な私のツッコミに、ルフィーは小首を傾げた。
「主に、勇者のだだ漏れな色香にやられた方々の妄想が、噂の原因では?」
ああアレか。なら仕方ない。……って、誰が言うか。
私は気絶していたし、体が大きくなっているから、多分お姫様抱っこで運ばれてたんだろう。そんなただの運搬作業に、妙なフィルターをかけるなと言いたい。
「そしてライバルの登場に焦り、年齢という枷のなくなった王子様が、若さゆえの暴走をいつ起こすかの賭けが……」
「暴走前提!? しかも賭け!?」
暇か!? 暇なのか、王城勤務!
ルフィーが教えてくれた胃に優しくない情報に、私はまたもや、かぶせ気味にツッコんだ。そしてエメルさん達に半眼を向ける。
「私とカーラは参加していませんよ?」
エメルさんが慌てて無実を訴えるけれど、私は忘れてはいない。私の部屋にいたのがヴィル様かアイン様なら、兵を呼ばずにスルーしていただろうという発言を。
「大丈夫よ、マスターの貞操は私達が守るから」
「あーうん。そっち方面は何もないと思うけど、真に受けた人が来たらよろしくね」
拳を握って張り切るディーネに、私は苦笑を浮かべる。続けて、重いため息をついた。
王子様から求婚を受けたと貴族達に知られてしまっているけれど、実害はない。所詮相手は六歳児との判断からか、登城する貴族のお嬢様に遠くから睨まれる事はあっても、直接嫌がらせをされる事はなかった。
近づいてくる人はむしろおやつをくれたり、お花をくれたり。自分の立場を明言しなかったけど、味方に引き込もうとしていたような。
さすが貴族。内心はどうあれ、表に出す輩ばかりじゃない。
贈り物はちゃーんと笑顔でいただきましたとも。
手ずから与える物に変な仕込みはしないだろうからね。だってすぐに足がつくじゃない。
それはともかく、六歳児には寛容だったお嬢様方でも、見た目がアイン様の年齢を超えてしまった私に対してはどうだろう。仮にアイン様が私に対してこれまで通りアプローチを仕掛けてきて、私の正体を知らないお嬢様がそれを目撃したら?
今度こそ体育館裏……いや、厩舎裏へお呼び出しか!?
ガクブルである。これはもう私の正体を、城の内外問わず公式に発表していただいた方がいいんじゃなかろうか。噂に疎い方のためにも。
正体を知ってなお絡まれた場合は、精霊達の出番である。ディーネはやる気満々だ。
「ミラ様、情報と引き替えに魔力を消耗されていらっしゃるのですか?」
先程とは一変して、心配げな表情でカーラさんが聞いてくる。その問いの理由がわからず、私は首を傾げた。
「随分声が疲れておいでのようでしたが」
「ああ」
なるほどね。確かに体はだるいけど、これは今朝起きた時からだ。情報の対価じゃない。
「違いますよ。風の精霊は噂話が大好きなんです。彼女の興味がある事に限られますが、知っていれば教えてくれますよ。ただ私に関しての噂話は、大抵私の心を抉るというだけで……」
はははと力のない笑みを浮かべると、なんとも言えない沈黙が再び落ちた。
その沈黙を破るようにノック音が響き、エメルさんとカーラさんがハッとして動き出す。
カーラさんは手にしていた衣装をクローゼットのドアハンガーに引っかけて、リビング兼控えの間の入り口へと来客の対応に向かう。エメルさんは鏡台に洗面道具一式を並べ始めた。客が部屋に通されるなら、急いで身支度を整えなければならない。
「じゃあマスター、僕達は隣のリビングにいるから」
立ち上がったグノー達に手を振ると、私はベッドから足を下ろして室内履きを探した。そこへ、カーラさんが急ぎ足で戻ってくる。
「ミラ様、失礼致します」
そして、一言断るや否や、彼女は私の額に触れた。
「……少し、熱いでしょうか?」
「ミラ様、まだお熱が?」
エメルさんも私の額に触れる。しばらくして眉根を寄せたエメルさんは、カーラさんを仰ぎ見て頷いた。
判定。微熱あり。
うーみゅ。熱があったのか。いきなり体が大きくなったから、重く感じるのかなと思ってたよ。でもそういえば、夕べは体が重いなんて思わなかったね。
イルガ村にいた頃は、散々風邪で熱を出した。それは大抵、一気に高熱に襲われて意識が朦朧とし、回復するに従って微熱と平熱を繰り返すパターンだった。最初から微熱なんて、今回が初めてだ。
だから気がつかなかったのかな。自分の体調なのに、我ながら鈍い。
そんなニブニブな私に、カーラさんが来訪者を告げた。
「ミラ様。魔力が乱れているようだから、体調を確認しておきたいと、勇者様がおいでです。入っていただいてよろしいですか?」
「はい、お願いします」
そりゃもう、お願いするしかないでしょう。ヴィル様は、私にとって魔力の主治医みたいなもの。彼が診察すると言うなら、黙って従うだけだ。
「承知致しました。お呼びしてまいります」
カーラさんは一礼して、再び寝室を出て行った。戸口にはグノー達がいて、心配そうに私を見ている。そしてグノーが唐突に、「ゴメンね」と謝罪した。
「僕達精霊にわかるのは、体外に放出されている魔力だけなんだ。体内の魔力の流れは、そこから予測するしかない。だからマスターの魔力がいつ暴走してもおかしくない状態だったなんて、気づけなかった……」
彼は悔しげに言って俯いた。ディーネやルフィー、サラも困惑した表情で教えてくれる。
「普通なら、体内の魔力が荒れている時は表層も荒れて、魔力が外に漏れるものなの」
「マスターからは今も、魔力が漏れ出ていません」
「表面的には、魔力を制御し切っているように見えるんだ」
「そっか。私の魔力って猫を被ってるんだね。気にしなくていいよ」
そこに、カーラさんの案内でヴィル様がやってきた。
今朝も彼の美貌には一点の曇りもない。眼福だ。
私がこの世界に生まれてから初めて見る、黒髪の持ち主。彼の髪は、前世でも滅多にお目にかかれなかった漆黒だ。近寄りがたい麗人だけど、その黒が懐かしさと親近感を覚えさせてくれる。
エメルさんがベッドの傍に置いた椅子に、ヴィル様が腰掛ける。揺れる彼の髪を見て、私は首を傾げた。
「昨日、私の魔力暴走を抑えるために髪を切りましたよね?」
切った瞬間は見ていないけど、切った後の姿は目にしている。夕べ見たヴィル様の髪は、肩の上あたりでざっくりと無残に切り落とされていた。なのに今、漆黒の髪は背中の中ほどまである。
「ああ。伸びた」
「昨日の今日ですよ!?」
さらりと返されて、私は目を見開いた。怪我ならともかく、いくら魔族でもそんなのアリか? もしかして、回復魔法を使って……。いや、切った髪を元に戻すために回復魔法を使うのもどうかと思うし、そんな彼はちょっと想像がつかない。だって外見には無頓着そうだもの。
「フラルカのすすめで、髪に魔力を宿しているのだ。しかしそうすると、切ってもすぐに伸びてくる。正直邪魔なのだがな」
「邪魔なのに、魔力を宿すのやめないんですか?」
「魔力が枯渇する事があっても、最後の手段として使えるだろうと言われてな。昨日のように、代償を必要とする魔法を使う際にも手軽だ」
「髪にそんな使い道があるとは、便利ですね」
納得すると同時にホッとした。魔法の代償として何かを捧げないといけないのなら、髪は確かに手軽だ。しかも魔力を宿している事で異常に早く伸びるとなれば、私の気も楽になる。この体が彼の血肉を使って造られたものだったら、土下座では足りないところだった。
「そんな事よりもミラ、熱が下がっていないと聞いたが、他に不具合は?」
「少し体が重いです。ひょっとしたら、今の体の大きさに慣れていないだけかもしれませんが……。夕べは気がつきませんでしたけどね」
報告すると、白い右手が私の前髪を掻き上げて、綺麗な顔が近づいてきた。って、まさか……またかー!! 近い近い近い!
コツンと額が合わさって、私は内心絶叫した。
またもやってくれやがりましたよ、このヴィル様めっ!
おでこコツンで熱測定って、いったい誰から得た知識だ。ドラゴンか? ドラゴンなのか? スキンシップ過剰だぞドラゴン。手を使え!
麗人のどアップに体が強張り、動悸で胸が苦しい。せめてもの抵抗に、私は脳内でツッコミを入れまくった。早く美形に慣れないと、本気で寿命が縮みそうだ。
至近距離にあった目が瞬いて、ゆっくりと距離が開く。彼の右手が私の首筋に移動した。
脈拍も測るんですか? あなたの所業で私の心臓は乱れ打ちだと思います。体温以上に当てにならない事、間違いなしです。
「脈が速い。先程よりも顔が赤く、魔力の乱れも悪化した。熱がまた上がったからだとすれば、魔力の乱れは体調の悪さが原因か……」
ヴィル様がブツブツと呟く。でも、体調悪化はヴィル様のせいだと思います。昨日のもです。
「今日はゆっくり休め」
ヴィル様は小さな子供に言い聞かせるようにそう言うと、私の頭をなでた。
私の前世が成人だと知っているのに、この子供扱い。あ~、もやっとする。何がどうと上手く言えないのだけど、複雑な気分だ。
と、そこへ乱入者が現れる。
「ミラ、一緒に朝ご飯食べよう! って、人、多!」
ノックもなしにドアを開け放ち、そう言ったのはガイだった。
確かに多い。私、ヴィル様、カーラさんにエメルさん。そして、部屋の隅で様子を窺っている四人の契約精霊――
新たに私の部屋となったここの寝室は、結構広い。それでも八人いれば、狭く感じる。
これでルフィーの背中にいつもの翼があれば、もっと窮屈に感じたかも……あ、ひょっとして翼を消しっぱなしなのは、それでかな?
「何? ミラ、どうかしたのか?」
ベッドの上に身を起こしただけで着替えもしていない私に気がついて、ガイはテテテっと小走りで寄ってきた。そして心配そうに私を見上げる。
「ちょっとね、熱があるみたい」
小さく微笑んで伝えると、ガイはしかつめらしい顔をして、私の額に触れた。
「風邪でも引いたか? 今年は珍しく、まだ一回も寝込んでなかったけど」
「かもねー」
そういえば王都に来てからは、まだ一度も風邪気味にすらなっていなかった。快挙だ、新記録だ! ……それも今、破れたけど。
「朝ご飯は食べられそうか?」
ガイの問いに、私は「んー」と唸って首を傾げる。
「正直、あんまりお腹は空いてないんだよね」
一食くらい、抜いてしまってもいいかもしれない。でも、すぐに思い直す。
「でも、体調が悪いせいで魔力が乱れてるんじゃないかってヴィル様がおっしゃったから、食べようかな」
パニクってたけど、ちゃんと聞くべきところは聞いてたんですよ。私の魔力暴走は命にかかわると、昨日知ったばかりだからね。
「なんでそれが食べる理由になるんだ?」
「一日の活力は朝食にありだから」
ガイに答えてから、ヴィル様を見上げて確認する。
「体調不良で魔力が乱れるなら、その乱れが原因で体調が悪化して、更に魔力が乱れる。なんて可能性もありますよね?」
「ありうるな」
ヴィル様が頷く。
「ってわけで、朝ご飯を食べます」
「ではミラ様には、パン粥をご用意させていただきます。勇者様とガイ様、……契約精霊の皆様も、ご同席なされますか?」
彼らの姿が視えなかった今までは、仮に精霊が食べても不足のないようにパンは多めに用意されていたけれど、今は人と大差ない姿の精霊達が視える。だからカーラさんは直接、一人前の食事をそれぞれに用意した方がいいか、尋ねる事にしたらしい。
「オレはミラと一緒に食べる! でもオレまでパン粥じゃないよね?」
一番最初に手を挙げて返事をしたのは、ガイ。
心配しなくても、健康なガイにお粥が出される事はないと思うよ?
「パン粥はミラ様だけですが、ご希望でしたらご用意致しますよ?」
クスリと笑って提案するカーラさんに、ガイは素早く首を横に振った。
「いいなぁ。私も普通のご飯がいいです」
駄目元でパン粥を拒否してみると、カーラさんとエメルさんが戸惑ったような視線を向けてくる。
「体調が優れないのでしたら、柔らかくて温かいものを召し上がられた方がよろしいかと思います」
「ええまあ、そうなんですけど……」
カーラさんの言葉はもっともだ。そしてこの世界の食事は大抵美味しい。だけど、元々苦手な物は仕方ないと思う。例えば、牛乳とか。
結良の記憶が戻る前は普通に飲んでいた牛乳――ミルクだけど、前世では嫌いだったと思い出してからは、ちょっと苦手意識が芽生えてしまった。
体にいい事は百も承知。これから成長期を迎えるんだから、飲んでおいた方がいいとわかってる。だから前世の記憶を取り戻したあの日から、ミルクを飲む時は覚悟を決めて一気飲みしてきた。
一口飲めれば、あとは問題ないんだよ。だけど、踏み切るまでが辛い。しかもお城に来てからは他の飲み物も用意されているので、ついついそちらへ手が伸びてしまう。
「ミルクパン粥はお嫌いですか?」
ズバリとエメルさんに質問されて、私は少し躊躇った末に、コクンと頷いた。
「正直、苦手です」
「そうなのか? 村にいた頃はよく食べてたけど、我慢してたのか?」
「好きで食べてたわけじゃないからね。風邪を引いた時の定番メニューだし、お母さんがお仕事休んで食べさせてくれたし」
ミルクは普通に飲んでいたけど、ミルクパン粥は元々あまり好きではなかった。病人だから仕方なく食べてただけ。でも、パン粥にいい思い出がまったくないわけじゃない。小さな私にとっては、病気で心細い時に、お母さんが傍にいてくれるのがすごく嬉しかった。
過去を懐かしみつつカーラさん達を見上げると、彼女達は顔を見合わせて頷いた。
「わかりました」とカーラさんが口を開く。
「では少し軽めに、ロールパンとコーンスープにいたしましょう」
「ありがとうございます!」
私は思わず手を合わせて、二人を拝んだ。
「勇者様は、何かご要望はございませんか?」
いつの間にか同席確定となったヴィル様が、ちらりと私を見てから口を開く。
「ミラと同じ物でいい」
「承知致しました」
短いやりとりを交わして、カーラさんは次に精霊達に視線を移す。
すると、問われる前にグノーが答えた。
「僕達も同席させてもらうけど、食事はいらないよ」
「夕べ取り込んだ魔力で、しばらくは持つからな。あ、でも甘い物は別腹」
サラもグノーに同意したけど、デザートは希望した。
好きだねー、甘い物。
「では果物をご用意致しましょう」
クスリと笑って言ったカーラさんに、精霊達が笑みを浮かべる。そしてディーネが「あ」と、小さく声を上げた。
「私達に椅子はいらないわ」
「いらないって、立って食べるのはお行儀が悪いよ?」
思わず眉根を寄せた私に、ディーネが慌てて首を振る。
「違うわマスター。そうじゃないの」
「そうですよ、つまり……」
ルフィーが仲間達と視線を交わし、ポンと手を打ち鳴らすや否や、光に包まれた彼女達の姿が消えた。いや違う……小さくなっていた。
「え、ええっ!?」
「これなら、ちょっとの量で大満足です!」
驚く人間達をよそに、甘い物を堪能できると嬉しげな精霊達。
私は思わず目を擦って見直した。だけど彼女達は小さいままだ。見間違いじゃないらしい。
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