転生者はチートを望まない

奈月葵

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53 / 68
4巻

4-2

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 ヴィル様の手を取って、三度目の問い。彼の目をひたと見つめてうったえる私と、無表情のヴィル様とのにらめっこが始まった。たぶん、視線をらしたら負ける。
 しばらく無言で見つめ合っていると、ディーネのため息が聞こえた。

「マスター。勇者を落としたいなら、色仕掛けよりロリ仕掛けの方が効果ありだと思うわ」
「は?」

 私は思わず間の抜けた声を上げて、ソファーの後ろに立つディーネを見上げた。

「失礼な。色仕掛けをした覚えはないよ。っていうか、ロリ仕掛けって、何?」
「勇者は体内の魔石のせいで、子供好きなドラゴンの習性に影響を受けているでしょ。子供姿でお願いした方が効くと思うの」

 なるほど。子供姿イコール、ロリ姿。ロリ姿でのおねだりがすなわち、ロリ仕掛け。
 ……その呼び方に思うところがあるものの、手段としては一考の余地ありだろうか。

「でもそれだと、庇護ひごよくの方が強くなって、よけい反対するんじゃないか?」
「そうだね。前回マスターの精神が首輪にとらわれた時、子供姿だったし」
「同じ状況は、抵抗感が強いですよね」

 検討する私の耳に、サラ、グノー、ルフィーの考察が届く。
 じゃあ、ダメだ。反対される要素を増やす気はない。

「そういえば、助言をくれるって事は、みんなは元精霊達のところに行くのを許してくれるの?」

 私の問いに、精霊達は肩をすくめてみせる。そしてグノーが代表して答えた。

「僕らのマスターは、やれると言ったらやれる人だからね。ちゃんと帰ってくると信じるよ」
「帰ってくるよ。約束する」

 一つうなずいてヴィル様に向き直ると、彼は変わらない無表情で私を見つめていた。
 う。……にらめっこから先に視線をらしてしまったけど、まだ負けじゃないよね?
 勝負の再開とばかりに見つめ返せば、彼はいきなり私を抱き寄せた。

「なっ、ななな、何ですか!?」
(逆色仕掛けですか!? でも私は丸め込まれたりなんかしないですよ!?)

 キッとにらみ上げようとしたら、頭を押さえ込まれた。彼のえりもとからのぞく肌の白さがまぶしい。
 決意したにもかかわらず、あやうく屈しそうになったその時、「五分だ」とささやかれた。

「え?」
「五分だけ、元精霊と接触を試みる事を許す。会えても会えずとも、それ以上は駄目だ」
「わかりました。五分以内に元精霊達と接触して、必ず帰ってきます」

 ヴィル様からの譲歩じょうほに、私はすぐさま承諾しょうだくした。
 約束を交わした事で、拘束がゆるむ。彼の腕から脱した私は、さっそく首輪に右手を伸ばした。その手をヴィル様が捕らえる。

「ヴィル様?」

 いぶかしんで呼んだ私に答えず、彼は私の手の甲に口づけた。しかも――

「な、なめ、なめ……」

 私がパニックを起こしていると、ヴィル様の唇が離れる。そしてその感触が消えぬうちに、手の甲にポウッと花のような形の魔法陣が光って消えた。

「印をつけた。これで大半の者は、お前に手を出せまい」

 どこか満足そうなヴィル様に、サラとグノーが呆れた声でコメントする。

「そりゃそうだろ」
「ドラゴンの半身候補に手を出すなんて、よっぽど魔力ににぶいか馬鹿か、命知らずだよ」
「ドラゴンの半身候補?」

 奇妙な胸のざわめきを感じながら、初めて聞く単語をつぶやく。するとグノーは、気の毒そうに私を見た。

「さっきの魔法陣は、ドラゴンの半身候補――つまり、婚約者の印だよ」

 こん、やく、しゃ?

「左手にも同じ印をつけたら、妻になる。彼らは伴侶への執着がすごいんだ。その印を持つ者に危害を加える事は、ドラゴンに『自分を殺してくれ』と言うようなものだよ」

 呆然としつつも、私はなんとかグノーの説明を理解した。

「……つまり、とらきつね的なお守り?」

 ディーネとルフィーがコクリとうなずいて同意する。

「初めて聞く言い回しだけど、なんとなく意味はわかるわ。だいたいそんな感じよ」
「かなりキョーレツなお守りです」

 ヴィル様の口ぶりからして、元精霊から私の身をまもるためにほどこしてくれた印なんだろう。でもその実態は、ドラゴンの婚約者や妻を示すマーキング。
 わぁ、魔王勇者様と婚約しちゃった。でもプロポーズの言葉はなし。目的を考えればプロポーズは必要ないんだけど、複雑な気分だ。嬉しいような、悔しいような。なんだこれ?

「心配せずとも、ミラが他の者と婚約する際には消す」
「はあ」

 微妙な気分が更に増した。よくわかんないものの、しゃくである。
 そんな私に、ヴィル様は時計を指し示した。

「それよりもいいのか? あと三分だが」
「もうカウントしてたんですか!? ずるいですよ!」
「教えてやったろう?」

 ヴィル様はわるびれる様子もない。きっと延長を求めても無駄だ。今は文句を言う時間も惜しい。
 私は両手でヴィル様の首輪に触れ、目を閉じ、大きく深呼吸した。
 思い浮かべるのは闇。悲しみとうらみに沈む闇の世界。そこにとらわれた精霊達の魂。
 私は彼らに捕まらないように張っていた気をゆるめて、彼らの事だけを考えた。
 周囲からすっと音が消える。


 ゆっくりと目を開ければ、暗闇の世界が広がっていた。元精霊達がいる、首輪の中の世界だ。前回と違う点をあげるなら、元精霊である闇色のかたまりが、すでにそこにいるくらいだろうか。
 ……襲うために、私を待ち構えていたわけじゃないよね? いやいや、時間がないからポジティブに考えよう。呼び出す手間がはぶけて助かったよ、うん。
 それでもちょっと不安になって、私はヴィル様が印をつけた右手を胸に抱え込んだ。

「あれ、手が小さい。子供になってる」

 私はいつの間にか、六歳の姿に戻っていた。服もなぜか学園の制服である。
 前回ここに来た時は、現実世界でも子供姿だったけど、今回はさっきまで、大人姿だったのに……。あれはヴィル様の魔法によって与えられた仮の姿だから、精神体のみになるこの世界では、本来の姿になったのかな?

『キタ』
『ホントニ、キタ』

 首をかしげていた私の脳裏に、元精霊達の言葉のようなが浮かんだ。

「ひょっとしてこれ、概念通信?」

 実体を持つ高位精霊となったグノー達は、普段、声を発して会話をしている。そこまで成長する前は、こんなふうに私の頭の中に文字が浮かび、読むまでもなく意味合い――概念が伝わってきた。
 概念通信とは、本来は資質がある魔術師が、契約した精霊のものしか受け取れない。でも私は、グノー達と契約を交わす前に、片言の概念通信を受け取れていた。
 下位精霊のなれの果てである元精霊達が、概念通信を使えるのは不思議じゃないし、私が彼らと契約していないにもかかわらず、それを受け取れるのも、ありえる事なのかもしれない。

「片言の概念通信は久しぶり」

 私は少しなつかしい気持ちになって、目を細めて元精霊達を見た。

「約束通り、また来たよ。あなた達を首輪から解放するために、さっき清浄なる水ピュアウォーターを使ってみたんだけど、怖がらせちゃったかな?」

 小首をかしげて問いかけてみる。しかし答えはなかった。

「これから聖なる雫ホーリードロップを使うつもり。とはいえ、あなた達を傷つけるつもりじゃないの。怖いかもしれない。でも、私を信じて浄化を受け入れてもらえないかな?」

 これにも反応がない――かと思いきや、元精霊達がざわめいた。

『……イッショ』
「一緒?」

 何が? と問い返そうとした瞬間、元精霊が飛びかかってきた。
 私はギョッとしてそれをかわす。

『ヤサシイ。ズット、イッショ』

 前後を挟まれた私は、ジリジリと横に移動した。
 ちょっと待て。印があれば、手を出されないんじゃなかったの?
 そう思ったと同時に、右手の甲に消えたはずの魔法陣がポウッと光って浮かび上がる。
 えっ、今、光った? どういう仕組みなの!?
 私が戸惑っている間も、元精霊達はにじり寄ってきていた。私は元精霊達との距離を測りつつ、グノーの言葉を思い出す。
 ――『ドラゴンの半身候補に手を出すなんて、よっぽど魔力ににぶいか馬鹿か、命知らずだよ』
 彼らは下位とはいえ精霊だったのだ。魔力ににぶいとは思えない。知能レベルはわからないけど、命はすでにないから気にしてないんだろうか? 魂すら消されるとは思わないの?
 再び突進してきた元精霊をけて、私は暗闇の中を走り出した。

『カケッコ?』

 元精霊達はそう言うと、追いかけてくる。


「遊びだと思ってる!?」

 私に危害を加えるつもりはないから、ドラゴンの怒りを買うとは思っていないのかもしれない。

「でもこれじゃあ、浄化魔法を受け入れてほしい、って説得するどころじゃないよ」

 人へのうらみはどこに行ったんだと問いただしたいくらい、元精霊達はなぜか私になついてくれているらしい。私は、彼らを振り切るように走った。走っているうちに、多少攻撃的な浄化魔法を行使しても大丈夫かも? と思えてくる。
 承諾しょうだくはもらってないけど、また浄化魔法を使う事は伝えられたよね? 最後に念のため……
 私は後ろを振り返った。その瞬間に飛びかかってきた元精霊をかわし、もう一度告げる。

聖なる雫ホーリードロップは薄めの濃度から始めるよ!」

 そして本体である体を意識して、現実世界へと帰還した。


 暗闇の世界から戻って真っ先に目に入ったのは、ヴィル様の綺麗な顔。暗闇の世界に飛んで意識を失った私を、彼の膝を枕にして寝かせてくれていたらしい。
 視線をめぐらせれば、おちび姿の精霊達が、長ソファーの背もたれの上にいた。

「ただいま」

 ニコリと笑って言うと、「お帰りなさい」と返される。私はゆっくり起き上がった。

「元精霊には会えたか?」

 私はソファーに深く座り直してから、ヴィル様の質問に答える。

「はい。前回とは違って、いきなり襲われたりはしませんでした。聖なる雫ホーリードロップを使う事も伝えたんですけど……拒絶、はされなかったと思います」
「言葉が通じなかったのか?」
「うーん、そういうのとはちょっと違うような?」

 どう言えばいいのかと、私は腕を組んで首をかしげる。

「向こうに行ったら、元精霊達が待ち構えていたんです。片言の概念通信を受けたので、清浄なる水ピュアウォーターが怖くなかったか聞いたんですが、返事はありませんでした。次に聖なる雫ホーリードロップを受け入れて欲しいとお願いして……」
「まさか攻撃を受けたのか?」
「攻撃というか、『ヤサシイ。ズットイッショ』とか言って、飛びかかられました。私が逃げると、彼らは『カケッコ?』と言って追いかけてきまして」

 ヴィル様は無言で眉を寄せる。

「襲ってるわね」
「襲ってますね」

 ディーネとルフィーは半目になって、そう言った。

「元、でも精霊なんだから、半身候補の印を感じ取れないはずないんだけど……」
「長年勇者の魔力にあてられて、感覚が麻痺まひしたのか!? それとも馬鹿になったのか!?」

 グノーが困惑の声をらし、サラが頭を抱える。するとヴィル様が高圧縮した魔力で短剣を作り出し、切っ先を自身に向けた。

「わー!! 何してるんですか!?」

 私は慌ててヴィル様の腕にしがみつく。
 ヴィル様、ご乱心!?

「危ないから離れていろ」
「離れたら、もっと危ない事をする気でしょう!?」

 大人姿の私は魔力を暴走させる危険があるから、一人では身体強化すら使えない。の力でヴィル様を止められるわけがないのだけど――いや、仮に身体強化ができても不可能かもしれないが、ヴィル様の短剣を持つ手は止まっていた。私に怪我をさせないためだろう。
 悔しい事に、私ではヴィル様に勝てない。その代わり、体を盾にして止める事はできる。

「……首輪を切ってみるだけだ」
「ダメです! ヴィル様の事だから、魔力剣で首輪を切るのは試し済みなんでしょう? 効果がなかった方法を、もう一度試すとは思えません。魔力を高圧縮した剣を試すのは初めてですよね?」
「ああ。魔力を圧縮するなど、先日ミラが魔力制御訓練でやるまで思いつかなかった」

 過去の私の馬鹿者め!
 内心でののしってみても、お手本を見せてしまったものは仕方ない。

「通常の剣ではヴィル様を傷つけられないけど、その魔力剣まで平気とは限らないでしょう!?」

 生半可なまはんかな刃物じゃ、ヴィル様の体は傷一つつかない。しかし魔力剣は、魔力まりょくらい――うろこおおわれているワニに似た魔獣まじゅう一刀いっとう両断りょうだんするほどの威力を持つ。そして今彼が手にしている短剣には、その時の魔力剣よりずっと多くの魔力が使われているのだ。

「浄化魔法で首輪が外せるのであれば、ミラに任せようと思っていた。だが元精霊は、半身候補の印を持つお前を襲うほどにおろかなのだ。二度と接触させるわけにはいかない。もしも魔力剣で怪我をしたなら、傷は治癒ちゆ魔法で治す」
「出血多量になったら危ないですって! きっと元精霊達は襲ったつもりはないですから! かけっこですよ、かけっこ。じゃれつこうとしただけです。仮に捕まっても、もう取り込まれたりしません。余裕ではじき飛ばせます。まったくもって平気です!」

 例えるなら、超大型犬が、遊んでくれと全力で飛びかかってきたようなものだ。それをかわして、いなして、屈服させればいいのである。
 必死で言いつのる私を、ヴィル様がジッと見つめた。

「……また会いに行くつもりか?」

 じゃれつかれるだけでも許せないらしい。これは私に半身候補の印を与えたから、情に厚いドラゴン的に良しと思えないのだろうか?
 元精霊達にとって半身候補の印が意味のないものなら、印を持たなくてもいい。むしろ魔法が使えなければひ弱な人間である私が、ドラゴンの逆鱗げきりんとなる印を持っているなんて、危なっかしくないか? でも印を消すという提案は、しづらい雰囲気である。

「……わかりました。もう行きません」

 私がうなずくと、ヴィル様の手から短剣が消えた。私はホッとして彼の腕を解放する。固唾かたずを呑んで私達を見守っていたグノー達も、安堵あんどの息をらした。

聖なる雫ホーリードロップを薄める用意をしてきますから、待っててください」

 私はそう言って、寝室へ向かう。棚から手巾を五枚取り出し、クローゼットの奥から小さな木箱を引っ張り出して、リビングに持ち帰った。そして木箱をテーブルの上に置き、中身を取り出す。
 中に入っているのは、外径六センチ、高さ十センチほどの三角フラスコもどきだ。この世界の時計は、時計花という植物で、水に浮かべた状態で使う。なので、それを携帯できないかと思って作ってみたのである。
 私は五つの三角フラスコもどきをテーブルに並べ、その内の一つを手に取った。

「ディーネ。まずはこれに聖なる雫ホーリードロップを入れるから、もう一度合一ごういつをお願い」
「はーい」

 合一ごういつした私は両手を合わせて目を閉じる。ゆっくり息を整えながら、滝を思い浮かべた。
 大抵の人はここで、一滴のしずくと、けがれを浄化した後を想像するらしい。
 けれど私は違う。ついこの間まで忘れていたけど、私は前世で死んだ時、魔族を人に戻せる存在を探して死後の世界――冥府めいふで働いていたフラルカ様に出会い、神様が実在すると知った。無意識はそれを覚えていたんだろう。だから水をつかさどる神、龍神りゅうじん様の住まう滝を思い浮かべていた。

けがれをはらい清めたまえ」
(元精霊達が首輪から解放されますよう、力をお貸しください)

 龍神りゅうじん様に祈って、神水を分けていただく――私の浄化魔法のイメージは、神様頼みだ。

聖なる雫ホーリードロップ

 発動の呪文を唱えれば、白銀に輝くしずくが空中に現れる。しずくは三角フラスコの中にポトリと落ちて、そこを満たした。それなりの魔力と引き替えに得たのは、およそ百ミリリットル。しずくの大きさはどうあれ、一滴である事に変わりはない。
 輝きの収まった聖なる雫ホーリードロップを、残る四つの三角フラスコに分ける。右から順に量を増やしていき、五段階に分けた。そこに湧水ガッシュウォーターで水をそそぎ、四つの三角フラスコの中身を薄める。最後の一つは原液のままにしておいた。

「ありがとう、ディーネ」

 ディーネにお礼を言って、合一ごういつを解いた私は、右端の三角フラスコを手に取る。

「じゃあ、ヴィル様、いきますよ?」
「ああ」

 一番濃度の薄い聖なる雫ホーリードロップを新しい手巾に含ませて、首輪に当てた。しっかりぬぐおうと首輪をおおえば、首にも手巾が当たってしまう。私はすぐさま手巾を離して、肌に異常がないか確かめた。少なくとも、見た目は問題ない。

「大丈夫だ。痛みや違和感はない」

 ヴィル様の言葉を信じて、手巾を一周させる。そして期待と不安を抱きながら、首輪と肌のさかいに触れた。

「……ダメですね」

 私は手巾をかえて、次の三角フラスコを手に取る。さっきよりも聖なる雫ホーリードロップの割合が多い水だ。けれどこれも効果がなく、次も、その次も、首輪に変化はなかった。
 残るは、聖なる雫ホーリードロップ百パーセントのみ。
 私は手巾をらし、慎重に首輪に当てた。すぐに離して、異常の有無を確認する。肌はうっすら赤くなっていたが、一瞬で元に戻った。

「ヴィル様。今一瞬だけ、肌が赤くなってましたけど……」

 彼を見上げれば、うなずきが返ってくる。

「チリチリとした痛みを少し感じたが、すぐに消えた」
「それなら、薄めますね。ディーネ、もう一度合一ごういつを」

 三度目の合一ごういつをしようとした私の手を、ヴィル様が掴んだ。

治癒ちゆ魔法を使うまでもない炎症だ。気にしなくていい」
「でも……」
「心配するな。魔石への影響は感じられない。これで首輪が外れなければ早々に見切りをつけ、次の手段を考えられるだろう?」

 確かにそうだ。薄めた聖なる雫ホーリードロップで異常は起こらなかったものの、首輪も外れなかった。致命的な問題じゃないなら、多少のリスクは許容すべきなのかもしれない。
 ヴィル様の白い肌をジッと見つめ、私は覚悟を決めてうなずいた。
 再び首輪に手巾を当て、ゆっくりと一周させていく。聖なる雫ホーリードロップが触れた肌はまた一瞬炎症を起こして、すぐに元の白さを取り戻した。
 さっさと一周させてしまいたいけれど、丁寧に首輪を拭いていく。雑にぬぐったせいで効果がなかったのかもしれない――なんて可能性は潰しておきたかった。
 私はやっとの思いで手巾を一周させ、大きく息をつく。そして改めて首輪を見て、目を見張った。

「……首輪の色、少し薄くなっている気がします」

 漆黒しっこくだった犯罪奴隷の首輪。その色が、ほんの少し灰色がかって見えた。
 元精霊達を浄化できたのかな?
 ドキドキしつつ、首輪と肌のさかいに触れると、首輪がゆがんで、指先が隙間に入り込んだ。
 サラが、「おお!」と声を上げて身を乗り出す。けれど……

「……でも、これ以上は入らないみたい」
「あー。そっか」

 私の言葉にサラは肩を落としたが、すぐに気を取り直すように笑った。

「でも、引っかかるようになったのは進歩だ。浄化を繰り返せば、そのうち外れるんじゃないか?」
「そうだよね」

 ヴィル様の肌が炎症を起こしちゃうのも、元精霊達の様子も気になるものの、成果はあった。
 うかがうようにヴィル様を見れば、しっかりと釘を刺される。

「元精霊のもとには行かぬと約束したな?」
「はい」

 仕方がないので、私は大人しく浄化魔法を繰り返した。



   第二話


 その後、何度も聖なる雫ホーリードロップを試してみたけれど、指先が入る以上の変化はなかった。やがて練兵場へ向かう時間となったので、諦めて移動する。
 練兵場へ行くのは、魔力の制御訓練を続けるためだ。夏至祭げしさいまでに、完全に制御できるようになるとは思ってない。でも、最低限の努力はしておきたい。
〝私はそう簡単に魔力を暴走させませんよ〟とアピールできれば、夏至祭げしさい警備責任者の心労を軽くできるかもしれないしね。
 ちなみに先日までは見届け役として、魔術師長のグリンガム様とメルディ様が訓練に立ち会ってくれていたのだが、もうその必要はないとのこと。
 アイン様から聞いた話では、グリンガム様は私が使う珍しい魔法を、間近でもっと見ていたかったとひどく残念がっていたらしい。でも、ご自分の研究や弟子の育成、国の魔術的防衛等々忙しい方だから、魔力制御の試験で夏至祭げしさい参加の許可が下りて良かったと思う。他の人に迷惑がかかっちゃうもんね。
 一方、私の夏至祭げしさい参加阻止を狙う貴族家への牽制けんせいを兼ねて見届け役をしていたメルディ様は、残念がってはいなかった。

「見届け役でなくてはミラさんに会ってはならないというわけではありませんし、わたくしはグリンガム様と違って、魔法を見に行くヒマがありますもの。それに……ダンス講師として通わせていただく間は、アイン様がわたくしのパートナーですのよ?」

 言葉の後半では、メルディ様は頬を赤く染めていた。かわいい反応、ごちそうさまです。
 その場にいたアイン様は、苦笑していた。押しの強い女の子は苦手なんだろうか? 一途いちずでかわいいと思うんだけどねぇ。
 そんなわけで、メルディ様は時々訓練を見学しに来るとおっしゃっていた。
 私の試験が終わるまでは、私の訓練中は練兵場の見学が禁止されていたが、試験が終わった今は、誰でも自由に見学できるようになるはずだ。だから見届け役でなくなったメルディ様でも、見学できる。ただ――心配なのは、ヴィル様狙いのお嬢様が、練兵場に殺到する事だ。高魔力保持者のヴィル様を娘婿にと望む貴族が、少なからずいるのである。
 そんな彼女達にとって、私は完全に邪魔者だ。私を排除しようと、魔力暴走を誘発してきたりしたら嫌だなぁ。
 メルディ様には申し訳ないけど、やっぱり私が練兵場を利用する時は、何か理由をつけて見学者をお断りした方がいいかもしれない。一般人――特に自分で自分の身を守れない人はダメとか。ああ、でも、それじゃあ私が試験で得た安全保証の信憑性しんぴょうせいが崩れかねないから無理か。困ったなぁ……
 そんな憂鬱ゆううつを抱えながら、ヴィル様同伴で練兵場に向かったのだけど、今日のところは杞憂きゆうに終わり、その代わりに面食らった。大人姿の私を見た一部の騎士様達が、大喜びで迎えてくれたのである。
 一部とは、私とガイを王都まで連れてきてくれた魔法騎士様の一人、グゼさんひきいる美人好きの一派だ。「ひゃっほい!」と叫ぶわ、「グッジョブ、勇者殿!」なんて言ってヴィル様の肩を叩くわ……
 ヴィル様は理解できない者を見る目で、彼らを見ていた。たぶん反応に困ったんだろう。
 私もかなり恥ずかしかった。しかも彼らは私が魔法を使う時に、最前列に陣取ったし。
 クールドライミストの魔法の練習で、うっかり冷たすぎるきりを出してしまったのは、仕方ないと思う。
 クールダウン、クールダウン。おまえら落ち着けってね。
 ……とはいえ、うん、私も落ち着くべきだった。今更だけど、巻き込んだ他の皆様ごめんなさい。
 でもまあ、風邪はひいてないよね? 騎士様達がこごえる前に私が眩暈めまいを感じ始めて、早々に魔法の発動を止めたもの。
 今の私は、魔力が一人で制御可能な量になる前に、眩暈めまいが起きる。そしてその眩暈めまいが治まるまで魔力が減ると、一時的に本来の子供姿に戻れるのだ。
 今日も私は眩暈めまいを起こしてから別の魔法を使い、訓練の途中で子どもの姿に戻ったのだった。


 強い風が窓を揺らし、ガタガタと音を立てる。雨が降る気配はないが、昼すぎから強くなった風は、夜の深まった今も吹き荒れていた。間接照明として置かれている魔道具が、室内をぼんやりと照らしている。

「……元精霊達の浄化、てこずりそうだな」

 ベッドの上で寝返りを打った私は、横たわったままポツリとつぶやいた。そして、視界に入った手を見つめる。するとみるみるうちに、ドラゴンの半身候補の印が浮かび上がった。その小さな手は、六歳の私本来の手だ。

「そういえば、手をガン見してくる騎士様が何人かいたよね。印の意味を知ってたのかな?」

 ドラゴンの半身候補の印は、婚約者のあかし。普段は見えないが、時々花のような魔法陣が浮かび上がる。大抵は、私がそこに印があると意識した時だ。でも、ふと気がつけば、見えている時もある。これは原因不明。おかげで不特定多数に見られてしまう。


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