婚約者の幼馴染に婚約者を奪われた前世を思い出した女の子の話他短編集

文月ゆうり

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婚約者の幼馴染に婚約者を奪われた前世を思い出した女の子の話

前編

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 ああ、膝枕とは素晴らしい。
 伯爵令嬢にあるまじき姿、家族に見られたらお説教されてしまうけど。
 でも、やめられない。
 ごめんなさい、はしたない娘で。
 優しく頭を撫でられ、睡魔が襲ってきた。
 ああ、幸せ。
 私は、そっと目を閉じて、夢の世界へと旅立った。
 ふわりと、記憶の蓋が開いた。

♢♢♢♢♢♢

「レティシアさま、どうかなさいましたか?」

 耳に心地よく馴染む男性の声に、意識が浮上する。
 ぱちぱちと目を瞬かせ、周りに視線を向けた。
 綺麗な薔薇が咲き誇る立派な庭園。
 そして、そばに控える侍女や騎士たち。
 品の良い茶器と、可愛らしいお菓子が並べられたテーブルの向こうに座る、輝く黄金色の髪の青年。
 ああ、そうだ。
 今は、ささやかなお茶会の時間だった。
 私……わたくしは、状況を理解した。
 青年は、困ったように口を開く。

「レティシアさま、申し訳ありません。もっと、楽しい話をするべきでしたね」
「い、いいえ。わたくし、エミリオさまの領地を知ることができて嬉しいです」

 慌てて否定する。
 幼い頃からの婚約者との交流の場で、ぼうっとするなんて……。
 遅くまで書物を読んでいたのがいけなかったのね。
 エミリオさまは、柔らかく微笑んだ。

「良かった」

 彼は、本当に優しい。
 四つ年上なのに、わたくしを丁寧に扱ってくれる。
 確かに王家の末姫であるわたくしを、身分的にも臣下である侯爵家の彼が敬うのは当たり前だけれど。
 それを抜きにしても、誠実だ。
 既に社交界に身を置き、侯爵家の跡取りとして忙しい日々を送っているのに、わたくしを蔑ろにしたことがない。
 こうして一緒にお茶を楽しんでくれたり、手紙も頻繁にくれる。
 柔らかい筆跡を見るのが、わたくしの楽しみの一つだ。
 一番の楽しみはもちろん、今のように一緒に過ごす時間だ。
 わたくし、エミリオさまをお慕いしているから。

「エミリオさま、先日はフリージアの花束をありがとうございます。とても嬉しくて、一輪を押し花にしましたの」
「光栄ですね。視察した領地でフリージアを見た時、レティシアさまが浮かんだのです。贈らせていただいたのは、私が育てたものなのですよ」
「まあ!」

 エミリオさまが、わたくしの為に?
 嬉しい。

「あ、いえ。その、最初は失敗ばかりで……庭師にも手伝ってもらったのですが」

 恥ずかしそうにするエミリオさま。
 全てを自分の手柄にしないのが、彼らしい。

「ふふ、でも、エミリオさまが育てたのは本当ですもの。押し花大事にしますわ」
「あ、ありがとうございます」

 男性なのに柔和で安心感のある、わたくしの大好きな笑顔。
 エミリオさまとの婚約を結んでくれたお父さまには感謝しかない。
 暖かな日差しのなか、わたくしは呑気にも幸せに浸っていた。
 十四歳の誕生日を迎える、ひと月前のことだ。

 キラキラ輝く、紺碧の宝石。
 エミリオさまから贈られた耳飾りを、飽くことなく見つめる。
 彼の目と同じ色の、ラピスラズリ。
 異性の相手に、自分の色を贈るのは特別な意味がある。
 あなたにしか、身を許さない。だから、自分の色を身につけてほしいと。

「ふふ、ふふふ」

 侍女は下がっているから、いくらでも身悶えることができるのだ。
 エミリオさまったら、情熱的な面もあるの。
 手紙の最後に、「愛しい貴女を想う」と書いてあるぐらい。
 いえ、わたくしもね。この婚約が政略的なものだと理解している。
 でも、大切にされたら、それが好きな相手なら、喜んでしまうのは仕方ないと思う。
 王族とて、人間だ。心はあるのだから。
 ちゃんとエミリオさまの実家であるリュドラス家と王家が繁栄することに尽力しますから、恋に浮かれる時間を許してください。
 ラピスラズリに口づけ、宝石箱に大切にしまう。

「おやすみなさい、エミリオさま」

 夢のなかでも、お会いしたい。
 願いを込めて、寝台に向かった。

 わたくしは、まだ社交界に出ていない。
 未成年だ。
 なので、誕生日パーティーを開かれても、挨拶のみとなる。
 王族の席で、にこにこ笑うのが仕事だ。
 これが成人した王女だと、婚約者とともに会場を巡ることになる。
 貴族の顔を覚え、情報を得る為。
 あとは、婚約者とは円満にいってるのを知らしめる目的もある。
 そう。
 成人していたら、エミリオさまにべったりできたのだ。
 せっかく贈られた耳飾りを着けても、エミリオさまとお話しできないのなら、意味がない。

「はあ……」

 ため息が出た。
 誕生日なのに、元気が出ない。
 理由はある。
 前日にエミリオさまから、誕生日パーティーに幼馴染の女性をエスコートすると謝罪されたのだ。
 幼馴染の女性は体が弱く社交的でない。パーティーを楽しみにしていたがパートナーがおらず、幼馴染の両親がエミリオさまに頼ってきたと。
 心底申し訳なさそうに、頭を下げられた。
 お父さまにもきちんと話は通されていたので、わたくしからは何も言えない。
 王が許可したのだ。いまさらどうしようもない。

「エミリオさま、わたくしは気にしませんわ」

 と、笑顔で返したけれど。疑問は残った。
 エスコート役、幼馴染の父親ではいけないのだろうか、と。
 昔からの付き合いがあるとはいえ、王族の婚約者にエスコートしてもらうというのは……いらぬ憶測を生まないだろうか。
 お父さまも、何故許したのか。
 呑み込めない気持ちを抱えて、招待した貴族たちにわたくしは笑い続けていた。
 エミリオさまもお祝いを述べに来てくれた。エスコートしている幼馴染の姿はない。当然だ。婚約者の前に別の女性を伴うのは大問題である。
 貴族事情に詳しいお兄さまから聞いたところによると、件の幼馴染は男爵家の娘だという。
 エミリオさまの母親と幼馴染の母親が、友人だったので付き合いが始まったらしい。
 ちなみに、王族の開くパーティーは伯爵家以上からが参加条件としてある。
 それ以下の家は伯爵家以上の家に、紹介状を書いてもらえれば参加できる。紹介状を書いた家が、責任を負う形にはなるけれど。
 わたくしのもやもやが増したことは、言うまでもない。
 幼馴染の方、そもそも参加できる家じゃない。
 なのに、エミリオさまにエスコートをお願いしている。
 紹介状を書いたのはリュドラス侯爵家。
 順番がおかしくないだろうか。
 エミリオさま、わたくしに嘘をついたの?
 この矛盾に、お父さまが気づかないわけがない。
 どういうこと?
 わたくしの不安をよそに、パーティーは中盤にさしかかった。

「レティシア、行ってきなさい」

 貴族たちの挨拶がひと通り終わり、お父さまが言った。
 未成年の王女は、基本的に王族の席から離れない。
 しかし、例外はある。
 婚約者がいる場合のみ、ダンスが始まるまでの短い時間だけど婚約者と過ごしていいのだ。
 この時、他の貴族は話しかけてはならないというのが暗黙の了解だ。

「ですが……」

 いつもなら素直に従うけれど、彼は今、別の女性のそばにいる。
 それが躊躇わせた。

「お前の気持ちはわかる。しかし、だからこそ、行きなさい。二人の仲は良好だと知らしめる必要がある」
「わかりました」

 お父さまの言うことはもっともだ。
 他の女性を伴って現れた、王女の婚約者。
 どんな噂が立つかわからない。
 でも。
 それがわかっているのなら、最初から許可しなければ良かったのに。
 不満に思いつつも、席から立つ。
 エミリオさまの幼馴染に会うのは複雑だけれど、でも、暗黙の了解がある。
 エミリオさまと話す間、女性も外してくれるだろう。
 そう思い、エミリオさまを探す。
 後ろに控える護衛騎士が、「リュドラス侯爵子息殿は、あちらです」と教えてくれた。

「ありがとう」

 お礼を言い、視線を向けて、そして顔をしかめそうになった。
 すぐに見つけたエミリオさまのそばに、彼の腕に腕を絡ませた栗毛の女性がいたのだ。
 しかも、女性の着ているドレスの色は、紺碧。エミリオさまの色だ。

「ねえ」
「姫さま、なんでしょう」

 呼びかければ、護衛騎士はすぐに返す。

「あの方、もしかして、ずっとかしら?」
「会場に着いてから、様子は変わりませんね」
「そう……」

 どう解釈すればいいのだろう。
 救いは、エミリオさまが何度か体を離そうとしていることだろうか。
 指摘したい点が、多すぎる。
 婚約者ではない異性に密着し過ぎとか、明らかにエミリオさまを意識しているドレスとか。
 あと、エミリオさまと話している男性たち、伯爵家の方よね。お祝いの挨拶受けたもの。
 その方たちに対して、不機嫌さを隠そうともしないのは、何故?
 事態は、予想もしなかったほど深刻だ。
 周りの貴族たちの表情からもわかる。
 これは一刻も早く女性を引き離さねば、エミリオさまの評判が落ちてしまう。
 わたくしは、エミリオさまに近づいた。
 まず、伯爵家の子息たちがわたくしに気づき頭を下げ、離れていく。
 周りの貴族も、一定の距離を取った。
 暗黙の了解である。

「エミリオさま」

 名前を呼べば、エミリオさまが恭しく頭を下げた。

「レティシアさま、ご機嫌うるわしゅう」

 そして顔を上げ、微笑んだ。
 わたくしの大好きな笑顔。
 しかし。
 女性は、エミリオさまから離れない。
 ぴったりと腕を絡ませたままだ。

「アンナ、離れなさい。不敬だ」

 エミリオさまが、女性の腕を掴み離させた。少々強引だけど、仕方ない。婚約者の前なのだから。
 これで女性も、他に倣うだろうと思ったのだけど。

「お兄さま、酷いわ! 今日は、一日私のお兄さまなのでしょう?」

 女性の言葉に、周りがざわついた。

「アンナ! 向こうに行きなさい」
「嫌よ。私、一人は不安だわ」
「ダイナーたちがいる。さっき紹介しただろう」
「今日初めて会った方よ? お兄さま、意地悪しないで」
「控えなさい。レティシアさまの御前だ」
「嫌!」

 わたくし、絶句である。
 まず、女性は挨拶すらしなかった。
 王族を前にして、頭も下げない。
 こんな対応、初めてだ。
 ちらりと背後を見れば、護衛騎士のもとに近衛騎士が近づくのが見えた。
 今回の警備責任者は近衛騎士団長だ。
 女性のことは、直ぐにお父さまの耳に入るだろう。

「アンナ、父上は君を信用して紹介状を書いたんだ。子供じみた真似はよさないか」
「お兄さまは、いつもそう! 私を子供扱いして! 私はもう成人よ!」

 成人女性は、王族に礼を尽くすのでは?
 王族を無視しないのでは?

「ああ、君は成人だ。だからこそ将来を考えて、友人を紹介したんだ」
「私の結婚相手は私が決めるわ!」
「社交場にめったに出ないじゃないか……」
「だって、相手ならもう……」

 女性は目を潤ませ、エミリオさまを見つめる。
 なんというか、言動が幼い。
 埒が明かないとエミリオさまは思ったのか、わたくしの方に向き直った。

「レティシアさま、見苦しいところをお見せました。申し訳ありません」
「よいのです、エミリオさま。それより、わたくし。エミリオさまからの贈り物、嬉しかったですわ」

 女性のことには、触れない。
 わたくし、挨拶されていないもの。
 名乗らない方は、存在しないも同然。
 意地悪ではなく、マナーの問題だ。
 エミリオさまは耳飾りに気づくと、顔をほころばせた。

「ああ、とてもお似合いです。身に着けてくださり、ありがとうございます」

 ラピスラズリの色に気づいた女性が凄い顔をしたが、無視です。
 王族として威厳を保つ為にも、マナー違反には厳しい態度を取らねば。
 エミリオさまを独占した女性への幼い嫉妬も、少しばかりありますけど!

「エミリオさまが婚約者で、わたくし幸せです」
「私も、レティシアさまに相応しくあり続けたいですね。ずっとおそばにいさせてください」

 エミリオさまの甘い声に、思わずうっとりと見つめてしまう。
 これだけ見せつければ、周りもわたくしたちが良好な関係なのだと納得するでしょう。
 しかし。

「もう、知らない!」

 甘い時間は、女性の叫びで終わりを告げた。
 女性は怒りも露わに、走り去ったのだ。
 あまりの態度に唖然としてしまう。
 エミリオさまはため息をつくと、わたくしに頭を下げた。

「申し訳ありません。甘やかされて育てられたのですが、限度がある。彼女の家には抗議をいたします」
「わかりましたわ。さあ、追いかけてください」
「寛大なお心痛み入ります」

 王女として、謝罪は受け止めた。
 紹介状を書いたからには、女性の行動にリュドラス侯爵家の責任が発生するのだ。
 彼女は、その意味をわかっているのだろうか。
 女性の去った方向にエミリオさまが向かう。
 エミリオさまを促したのは、女性にこれ以上問題を起こさせないためだ。

「もう、会うこともないでしょうし」

 お父さまに報告がいっている。女性は王家縁の社交場には入れなくなることだろう。
 十六、七歳ぐらいに見えたが、これからの社交界で生きづらくなるだろうし、無礼過ぎる態度は見逃そう。
 ああ、せっかくの誕生日なのに。散々だ。
 体面を保つ為に気にしていない風を装い、わたくしは王族の席に戻るのだった。

 それから、ふた月後のことだ。
 わたくしとエミリオさまの婚約が解消されたのは。

 夜の寝台。
 わたくしは、目を腫らして項垂れていた。
 胸中は様々な思いで荒れている。
 悔しい、悲しい、辛い。
 どうして、婚約が解消されねばならないのか!

「あの女のせい!」

 ギリギリと拳を握る。
 リュドラス侯爵家の嫡男とティポール男爵家の娘が一夜を共にした。
 その騒ぎは、瞬く間に社交界に広まってしまったのだ。
 王女の婚約者が起こした醜聞に、王家は静観するわけにはいかなかった。
 リュドラス侯爵家当主が、エミリオはティポール男爵夫妻に睡眠薬を盛られたのだ! 男爵家の娘とは何もない! と主張したが、名誉回復はできなかった。
 ティポール男爵夫妻が、騒ぎ立てたからである。
 体の弱い娘を傷物にした! 侯爵家は責任を取れ!
 社交界は、より悲劇性のある方に飛びつく。
 その方が面白い。
 何より、王女の婚約者の座が空く。
 好奇と悪意により、婚約はなくなった。

「エミリオさま……っ」

 涙がこぼれる。
 わたくしは、彼を信じている。
 彼は、幼馴染に嵌められたのだ。
 悔しい……!
 許さない!
 拳の隙間から、血が滲んだ。

 一年後、わたくしは友好国である隣国の王太子と婚約した。
 成人と同時の輿入れには、フリージアのブーケとラピスラズリのティアラを身に着けて。
 せめてもの意地だった。

♢♢♢♢♢♢

 思い出した。
 思い出してしまったよ、前世を。
 目が覚めてから、衝撃のあまり動けない。
 ああ、何故。
 今じゃなきゃ駄目だったの?
 婚約者の幼馴染に、婚約者を奪われた記憶を、この至福の時に思い出すとか。

「起きたのかしら?」

 優しい声に、ピクリと体が動く。

「ルミナリアさま……」
「なあに、ナディア」

 ぎこちなく仰げば、美しい笑顔が。
 ルミナリア・エヴァンスさま。
 エヴァンス侯爵令嬢にして、私の幼馴染の婚約者。
 ねえ、今じゃなきゃ駄目だった?
 幼馴染の婚約者に膝枕してもらっている時に、思い出すような内容かなあ……。
 レティシア改め、システィール伯爵家に生まれたナディア・システィール。十六歳。
 唐突に前世を思い出しちゃいました。


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