婚約者の幼馴染に婚約者を奪われた前世を思い出した女の子の話他短編集

文月ゆうり

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愛するなら守りきるべきなのに…という話

守るということ

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 その国の王太子は自国にある侯爵家の令嬢と婚約関係にあった。
 関係はそれほど冷えてはいなかったが、王太子が低い爵位の令嬢に執心してから変わってしまった。
 王太子の側近の半分が諌め、半分が可憐な少女の味方をするという騒ぎになった。
 侯爵家の令嬢は幾度も少女を側から離すべきだと訴えていたが、王太子はそれを醜い嫉妬だと笑い飛ばす。
 そして、少女への執着が強まり邪魔に感じた侯爵家令嬢に対して王太子が剣を持ち出し脅すという事件が起きる。
 それは宮中での出来事で多くの貴族に見られており、王太子の父親である国王は火消しはもはやできぬと、二人の婚約を白紙としたのであった。
 それがわずか三ヶ月前のことである。


「マリアーナ!」

 鋭い声は、王太子のものだ。
 呼び止められたのは、三ヶ月前まで彼の婚約者であった侯爵家令嬢である。
 彼女は用事があり侍女を数名連れて王宮に来ていた。
 貴族たちが行き交う廊下にて、王太子に名を呼ばれたのだ。
 マリアーナは淑やかに王太子に向けて頭を下げる。

「ご機嫌麗しゅう、殿下」
「何も麗しくはないわ! 貴様、リリスを何処に隠したのだ!」

 王族に伝わる金髪を振り乱し、王太子は叫ぶ。
 頭を上げたマリアーナは、困惑した様子で口を開く。

「申し訳ありません、殿下。リリス、とはどなたでございましょう?」

 不思議そうに問いかけるマリアーナに対して、王太子だけでなく、側近として残った者たちも怒りを顕にした。

「ふ、ふざけるのも大概にしろ!」
「マリアーナ嬢、それはいくらなんでも苦しいでしょう」
「貴女がたびたび酷い言葉を投げた、イールモア男爵家のご令嬢ですよ!」

 四人いた側近のうち、残った二人の子息に対してもマリアーナは困ったように微笑む。

「イールモア男爵家、ですか。貴女たち、知っていて?」

 マリアーナは助けを求めるように、後ろに控える侍女たちに声を掛けた。
 侯爵家に仕えるのだ。当然、彼女たちも貴族である。
 声を掛けられた侍女たちは、顔を見合わせた。
 マリアーナと同じく、困惑している。

「申し訳ありません、お嬢さま。王太子殿下の前で無知を晒してしまうのは心苦しいのですが……」
「その家名を、耳にしたことはありません」

 マリアーナと侍女たちの様子に、王太子は激高した。

「ふざけるな! リリスに暴言を吐いた時に、そこの侍女もいただろう!」
「暴言……ですか。覚えがありません」

 どれほど怒鳴られても怯えるどころか、彼女らは困惑を深めるだけのように見えた。
 心当たりがまるでないと言わんばかりの態度に、マリアーナさまに辛く当たられて悲しいと泣いていた愛しい少女の泣き顔が浮かぶ。

「あれだけ、リリスを泣かせておいて! マリアーナ! 貴様には心がないのか!」

 怒鳴り続ける王太子の姿には、気品など微塵もなかった。
 対してマリアーナは、淑やかな雰囲気を崩さない。

「殿下、本当にわからないのです。わたくし、貴族家が記された名鑑は全て記憶していますが。イールモア男爵家という名前はなかったかと……」
「は……?」

 マリアーナの言葉に王太子は目を見開く。
 その様子に気づかなかったのか、マリアーナは続ける。

「イールモアということは、イールモア地方が領地なのですよね?」

 伯爵家から上は、独自の家名が王家から与えられている。
 それより下の爵位の家は、治める領地の名前から取って名乗ることが多いのだ。
 マリアーナは侍女たちと確認するように頷き合い、王太子を見た。

「殿下、ご存知かもしれませんが。イールモア地方は、殿下の叔父君が婿入りなさった家が代々統治しております。ですので、イールモアを名乗られる家はないかと」
「な、にを」

 マリアーナの話した内容に、王太子の頭は混乱する。
 確かに記憶のなかにいる。
 リリス・イールモアという少女が。
 王宮に父親と共に参内し、王宮の庭園でお茶会もした。
 そう、王宮に入れるのは下働き以外は、貴族だけだ。
 三ヶ月前の騒ぎにより優しい彼女は心を痛めたのか、姿を見せなくなった。
 男爵も責任を感じているのだろう。王宮に来なくなってはいたが。
 だが、彼らは存在するのだ。
 軽く目眩を起こした王太子に代わり、側近二人が口を開く。

「殿下との婚約をなくされ、おかしくなられたか。リリス嬢が王宮に来ないのは、貴女の仕業でしょう!」
「イールモア家は、確かに存在している!」

 喚く側近たちに、マリアーナは小首を傾げた。

「存じ上げない方にどうすれば関われるのかはわかりませんが、そこまで仰るのであれば貴族名鑑を確認すればいいでしょう。領地も実際に訪れれば、どの家が管理しているかわかりますし」

 マリアーナの言葉に、王太子たちはハッと目を開く。

「そ、そうだ。確認すれば良いのだ!」
「そうですね、すぐに視察の準備をしましょう!」

 慌ただしい様子を見せる王太子たちに、マリアーナは「少し、よろしいですか?」と声を掛けた。

「なんだ! 私たちは、忙しいのだ!」
「まあ、怖い。ですが、大事なことなので、言わせてください」

 そうして、マリアーナは微笑む。

「わたくしはもう、殿下の婚約者ではないのです。これからは、家名でお呼びください。それと」
「ああ、ああ、うるさい! わかったから、さっさと行け!」

 最後まで品位の欠片もなかった王太子は、マリアーナたちの前から立ち去る。
 彼らは気づかない。
 周りにいた貴族たちからの冷たい視線も、マリアーナの侍女たちの蔑みの込められた眼差しにも。

「……愛した女性を守れなかったのですから、せめてご自身だけは守り通してくださいね?」

 うっすらと笑うマリアーナの嘲笑も。



 王太子との婚約が白紙となったマリアーナだが、国王の計らいで直ぐに新たな婚約が結ばれた。
 王太子と会ったのは、婚約が整った報告を国王にした帰りであった。
 あの後、彼らはどうしたのだろうか。
 貴族名鑑にない男爵家の名前を、必死に探しただろう。
 貴族の家系図が記された記録書も。
 男爵家の屋敷があったはずの土地に、王弟殿下の婿入り先の家が手配した別の建物があることも確認したであろう。
 そこに住むのはイールモア地方を任された代官の一族の者だ。その者から自分の一族が仕える主人は王弟の妻だと告げられただろう。
 土地の者に聞いても無駄だ。
 彼らは、自分たちの上を知らない。
 王太子たちが話すイールモア男爵なる者は、きっと代官に全て任せていたのだろう。領民との交流をしない者だったのだろう。
 だから、代々土地を任された代官一家が、主人は王弟の妻だと言えばそれが真実なのだ。
 そう、リリス・イールモアは存在しない。いないものとされた。彼女の家族、親族も全て。
 貴族の誰もが、知らないと言うだろう。
 彼らは身分制度を重んじているし、身分の重さと危険性を理解している。
 理解できなければ、存在しなくなるだけなのだから。
 そう、消された男爵家のように。



 マリアーナは生まれたばかりの我が子が眠る揺りかごを優しく見つめる。
 嫁いで二年。
 彼女は母親になっていた。
 部屋にあるソファーでは、夫が寛いでいる。

「マリアーナ、ようやく第一王子が立太子なさったようだよ」

 世間話のように話題を振る夫に、マリアーナは微笑む。

「まあ、良かったですわね。幼かった殿下も、もう十五歳ですもの。両陛下も安心なさったことでしょう」
「ああ。王太子殿下の側近は、多少年は上だがしっかりしている。信頼なさるだろうね」
「ええ、あの方たちなら大丈夫でしょう」

 穏やかに夫婦は笑い合う。


 貴族はともかく、市井には第一王子が王太子になるのだとだけ伝わっていた。
 目端の利く商人たちなどは真実を知っているが、口には出さない。彼らは賢い。

「結局、ご自身すら守れなかったのね」

 自室でマリアーナは呟いた。
 存在を抹消された、幻の王子。
 立太子された第一王子より、七歳上だった彼は一生誰の口にも上らない。
 彼に追随した、二人も同じ。
 立太子した王太子の側近には、七歳離れた者が二人付いた。
 敏い彼らは、王太子を正しく導くだろう。
 幻となった王子が愛した少女を側に置く危険性を、真剣に諌めていたのだから。
 マリアーナは何度も忠告した。
 離れることも、愛だと。
 守ることの大切さを。
 だが、少女に執着した幻となった彼らは、それを嫉妬だと嘲笑った。
 だから、消えてしまったのだろう。

「そういえば、わたくしが黒幕だと主張していたらしいわね」

 調べ尽くしたのに愛した可憐な少女の存在を見けられず絶望した彼ら。
 婚約者を奪われた嫉妬から、マリアーナが少女を消したのだと泣き喚いたらしい。
 愚かなことだ。
 たかだか侯爵家の娘が、国が管理する貴族名鑑や家系図に手を加えられるはずもないのに。
 それができるとしたら、国の頂に立つ……。

「警戒すべき相手を間違えてしまいましたわね、殿下」

 もはや何処にもいないであろう相手に話しかける。
 これが彼への最後の言葉だ。
 我が子の泣き声が聞こえ、マリアーナは眺めていた嫁ぎ先の家系図を閉じる。
 自分の守るべき存在を再確認し、共に歩める愛しい夫と我が子のもとへと向かった。


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