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7.リコット村

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 私は落ち込んだまま、家の外に出た。
 外は快晴なのに、私の心は曇天だ。

「沙樹、あまり気にしちゃ駄目よ」
「はい……」

 私はしょんぼりと返事する。
 自分の迂闊さで、ユリシスさんにもっと嫌われたかと思うと、胸が痛んだ。
 せっかく、服を用意してくれたのに……。
 でも、でもでも! やっぱりフリルは抵抗があるのだ!

「さあ、沙樹。気を取り直して、村の人たちへ挨拶にまわりましょう」
「はい……」

 私は、まりあ叔母さんと手を繋ぎ歩き出した。

「沙樹、いい? この世界には、色んな種族がいるの。耳の尖ったエルフ。髭の生えたドワーフ。獣人と呼ばれている人たちもいるの」
「は、はい」
「特に我がガルシア王国は、差別のない中立な国だから、色んな種族が暮らしているわ。髪色は色々よ。緑や金色。赤やピンク。いちいち驚いては駄目よ?」
「わ、分かりました!」
 まりあ叔母さんの注意事項を、私は胸に刻んだ。


「まあ、まあ! ユリシスさんの家の方だったの!」

 最初の家は、右隣のお家だ。対応してくれた奥さんは、興味津々に私たちを見ている。

「ええ、そうなんです。私はユリシスの妹でマリア・フォーゲルト。こちらは、ユリシスの娘の沙樹です」
「まあまあ、サキちゃん、いくつ?」
「じゅ、あ、いえ。七歳になりました」
「まあ、しっかりしているのねえ」
「あ、ありがとうございます」
「ところで、マリアさん。昨日の馬車はなんだったのかしら。いえ、ね。こんな小さな村で、馬車なんて珍しくて!」
「あれは……」

 といった具合に、奥さんのマシンガントークに付き合わされた。きっと、今日中にまりあ叔母さんが、馬車の持ち主との結婚が決まっていることが、村中に知れ渡ることだろう。

「……凄かったですね」
「ええ、そうね」

 疲れ切った私たちは、次の家に向かうのだった。
 村の人たちは、様々な人がいた。最初の家の奥さんのようになつっこい人もいれば、昨日の視線を逸らした人たちのような人見知りする人もいた。
 小さな村なのに、種族も様々だった。
 本屋を営むエルフのお兄さん。鍛冶屋兼武器防具屋を営むドワーフのおじいさん。色んな人がいた。
 そんな村のなかを一軒一軒、私たちは尋ねていく。
 そして、私たちは魔道具を扱うアイテム屋なるものを訪れた。

「兄さんに関係しているお店とも懇意にしなくちゃね」

 と、まりあ叔母さんが言ったからだ。
 アイテム屋という未知の店に、私は興味を持った。
 店内に飾られた品々の大半は、何が何だか分からないものばかりだったけれど、見ているだけで楽しい。

「へー! あんたが、ユリシスの旦那の妹さん!」
「ええ、マリアと申します」

 アイテム屋の店主は、三十代ぐらいのいかつい男性だった。頭の左右に犬の耳が付いている。獣人だ。ズボンのお尻からは、尻尾も出ている。

「で、あのちっこい子は」
「沙樹です。ユリシスの娘なんですが、戦争の影響で離れて暮らしていて……」

 まりあ叔母さんが、作られた私の設定を話していく。
 そう、私はユリシスさんとは戦争が原因で離れて暮らしていたことになっている。遠い村の教会に身を寄せていた、と。そういう身の上の子供は多いらしく、皆さん納得してくれた。

「そうかい。それは、大変だったなぁ」
「ありがとうございます」
「えーと、サキちゃんだったか。年はいくつだい」

 話を振られて、私は慌てて魔道具から視線を外した。

「あ、あの。七歳になったばかりです」
「なんだい! うちの下の娘と同い年か! しっかりしているねぇ」
「あ、ありがとうございます」

 私がぺこりと頭を下げると、店主さんは店の奥へと声を張り上げる。

「おい、カレン! お客さんだ! 挨拶しろ!」

 店主さんの声がした後、奥からとたとたという小さな足音がした。
 そして、腰まである金髪を持ち、緑色の目をした可愛らしい女の子が、ちょこんと顔を出した。彼女の頭にも、犬みたいな耳がある。

「お、お父さん。なに……?」

 遠慮がちに声を出す女の子に、店主さんは頭に右手を当てる。

「なに、じゃねぇよ。お客さんに挨拶しろ。マリアさんにサキちゃんだ。サキちゃんは、お前と同い年だ。仲良くするんだぞ」
「え、え……。えっと、カレン、です。よろ、しく……」

 カレンちゃんは、小さな声で挨拶をすると、頭を下げた。

「あっ、あの。沙樹です! よろしくお願いします」

 私も慌てて頭を下げる。
 過去の経験から男の子は苦手だけど、女の子は比較的大丈夫だ。

「いいか、カレン。サキちゃんは、村に来たばかりだ。心細いだろうから、色々教えてやるんだ」
「う、うん。分かったよ。サ、サキちゃん。よろしく、ね」
「は、はい。こちらこそ!」

 私たちはぎこちなく笑い合った。
 日本では友達がいなかったから、カレンちゃんと仲良くできたら、嬉しい。

「あ、あの、お父さん。私、宿題あるから行くね。あの、サキちゃん。またね」
「は、はい」

 カレンちゃんは私に小さく手を振ると、店の奥に引っ込んでしまった。

「いやぁ、人見知りな子で悪いねぇ」
「いえ、とても可愛らしい子だなって、思います」
「そう言ってもらうと助かるよ」

 店主さんは、ほっと息を吐いた。乱暴な物言いの人だけど、子供のことを心配しているんだと、分かった。
 ……ユリシスさんも、私を心配してくれるだろうか。どうだろう。私はまた、落ち込んだ。

「じゃあ、これからも兄さんの魔道具をよろしくお願いしますね」
「ああ、もちろんだよ。旦那のおかげで、俺たちの生活も楽になったからな」
「ふふ、ありがとうございます」

 大人たちがそう会話して、私たちはアイテム屋を後にした。

 最後は村唯一の食堂兼宿屋にきた。
 小さな村に、なんで宿屋があるんだろうと思ったら、ユリシスさんの魔道具目当てで買い付けにくる人が泊まっていくらしい。

「本当、ユリシスさんには頭が上がらないよ」
「そう言ってもらえて、兄さんも喜びます」

 恰幅のいい女将さんが、豪快に笑う。正に肝っ玉母さんだ。

「サキちゃん、いいお父さんで良かったねぇ」
「えっと、はい……」

 ユリシスさんのことを言われると、心が重くなるけど。私はなんとか笑顔を向けた。

「ああ、そうだ。今、うちの宿屋にユリシスさんのお弟子さんが泊まっているんだよ」
「兄さんの?」

 ユリシスさんのお弟子さん。興味が湧く。

「まだ会っていないかい? まだ小さな子供なのに、王都からうちみたいな辺鄙な村にやってきてね。ユリシスさんのもとに弟子入りしたんだよ」
「そうなんですか。子供って、いくつぐらいなんですか」
「十歳って言ってたよ。魔道具作りに早くから目覚めたとかで、最高の師を探していたって」
「まあ、そんな早くから将来を決めているなんて、凄い子ですね」
「まあ、だいぶ変わっているけど、良い子だよ。サキちゃん、良かったら遊んでやっとくれ」
「は、はい」

 十歳。十歳で、親元を離れて、一人で宿屋で暮らすなんて。私には、無理だ。
 しかも、ユリシスさんに認められているんだ。
 ……凄い子だな。
 羨ましい、子だな。

 宿屋を最後に、私たちは挨拶を終えた。宿屋で昼食も済ませた私たちは、また手を繋ぎ帰る。

「名前と顔はおいおい一致させるとして。沙樹、村はどうだった?」
「えっと、色んな人がいて、面白かったです」
「そう、友達出来るといいわね」
「はい……」

 カレンちゃん、仲良くなれるかな。
 まりあ叔母さんと話しながら、家へと向かう。すると、家の前でしゃがんでいる子供がいた。
 十歳ぐらいだろうか、男の子だ。
 耳の下で切りそろえられた銀色の髪が、陽の光に反射している。
 黒いローブを着た男の子は、木の枝でガリガリと地面に何かを描いているようだった。

「近所の子かしら」
「そうですね」

 私たちは男の子をしばらく眺めていたけれど、男の子が私たちに気づくことはなかった。凄い集中力だ。

「うーん。こうしていても、あの子がいるんじゃなかに入れないし。声を掛けてみましょうか」
「あ、はい……」

 まりあ叔母さんの提案で、私たちは男の子に近づいた。

「……ここに、この呪を置けば、シルフの加護が、でもそうするとウンディーネの力が……」

 ぶつぶつ。男の子は一心に呟いている。
 男の子の描いていたものを、私は見た。それは円を幾重にも重ねたもので、細かく何かの記号が描かれていた。魔法陣みたいだ。漫画で見たことある。

「ねえ、君……」

 まりあ叔母さんが、男の子に声を掛けた。すると、ぶつぶつ呟いていた男の子の声が止んだ。

「なにー?」

 男の子が顔を上げ、間延びした言葉で話す。
 私は男の子に釘付けになった。だって、男の子の目ルビーみたいに赤いんだもの。凄い綺麗だ。

「あのね、君がいる場所は、私たちの家の前なの。ちょっとどいてもらってもいいかな?」
「家……? つまり師匠の、家族って、ことー?」

 こてんと、男の子が首を傾げた。

「え、師匠……? 君、まさか」
「ユリシスさんのお弟子さんですか?」
「うん、そうだよ」

 私たちの問いかけに、男の子はあっさり頷いた。
 本当に子供だったんだ……。

「僕は、魔道具に興味があるんだ。だから、師匠のもとで研究してるよー」
「まあ、まだ小さいのに偉いわね」
「十歳は小さくないよー。僕のいた孤児院では、十歳なら下の子の面倒を見る側だよー」

 さらりと重い設定が出た。

「そうなの、失礼なことを言ってしまったわね」
「いいよ、別に」

 まりあ叔母さんも男の子も、それほど気にしていないようだ。
 そうか……戦争があったんだ。親を失った子もいる筈なんだ。
 平和な日本では考えられない現実に、私はショックを受けた。
 この世界は、戦争があったばかりなんだと、実感したのだ。

「リディアム、何をしているのですか」
「あ、師匠ー」

 ユリシスさんが、家の裏手から出てきて声を上げた。
 リディアム。男の子はリディアムというのか。
 リディアムくんは立ち上がると、足で地面の魔法陣を消す。綺麗だったのに、もったいない。そう思ってしまう。
 ユリシスさんが、私たちに視線を向ける。今朝のことがあり、私の体はそれだけで固まってしまう。

「……帰っていたのですね。僕は仕事中ですので、邪魔をしないでください」

 そう言うと、今度はリディアムくんをいちべつする。

「リディアム、行きますよ」
「はい、師匠」

 ユリシスさんは、リディアムくんを連れて裏手へと向かった。確か、裏手には研究室があると言っていた、気がする。

「じゃあ、お家に入ろうか。沙樹」
「はい、まりあ叔母さん」

 私は、自分の声に元気がない自覚があった。
 行きますよ、と。当然のようにリディアムくんに言ったユリシスさん。
 そしてまた、当然のように付いて行ったリディアムくん。
 二人の姿が、脳裏から離れなかった。
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