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38.天才リディアムくん

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 うさっちょの素晴らしさを語った日であり、まりあ叔母さんの幸せな姿を確認できた日から数日。
 私は、うさっちょ禁断症状が出てきていた。

「うわーん、うさっちょのお菓子ー!」

 ソファーに寝そべり、手足をばたつかせる。
 お父さんからうさっちょのお菓子禁止令が出され、私はもう限界だった。

「言わないで、サキ」

 別のソファーに座るお兄ちゃんが、ぐったりと体を沈めて力なく言う。こちらも、禁断症状が出てきているようだ。
 うさっちょのお菓子を禁止した張本人であるお父さんは、私とお兄ちゃんに冷たい視線を向けていた。

「何なんですか、二人とも。だらしのない姿を晒して」
「うさっちょー!」
「うさっ、ちょ……」

 もはやうさっちょとしか言えない私とお兄ちゃん。
 お父さんは深くため息を吐いた。

「あのお菓子、妙なもの入ってませんよね……」

 うさっちょのお菓子に、大変遺憾な嫌疑が掛けられてしまった。

「うさっちょのお菓子は、健全ですー」
「美味しい」
「うさっちょは素晴らしいのですよ!」
「口のなかで、溶ける」

 うっとりと語る私とお兄ちゃんに、お父さんは疑わしげな目を向けてくる。

「怪しいものですね」
「怪しくないもん」
「美味しいだけだよ」

 私とお兄ちゃんは、うんうん頷く。
 うさっちょに掛けられた嫌疑は、私たちが晴らす!

「……まったく、お菓子一つでこの騒ぎですか。僕は情けないですよ」

 お父さんに、私たちの思いは届いてなかった!
 くうっ、うさっちょのお菓子は素晴らしいだけなのに!
 食べたら、病みつきになるだけなの!

「学校が休みになった途端、だらだらと……。あなたたちは、もう七歳なんですから。もう少ししっかりとですね」
「お父さん、お父さん。七歳は充分子供ですよ」
「わがまま、言いたい放題。やったね」
「……サキ、ユーキ」

 お父さんに凄く呆れられてしまった。
 でも、七歳は実際に子供ですからね。

「お父さんは、リディアムくんと毎日接しているから、感覚が鈍っているんですよ」
「リディアムくん、しっかりしてるよね」

 お父さんは黙り込んだ。眉間に深いシワを寄せている。

「確かに、リディアムは普通の子供とは違いますが……」

 リディアムくんは十歳でお世話になっていた孤児院を出て、お父さんに弟子入りしたのだ。凄い十歳児なのだ。

「リディアムくん並みの七歳は、幻想ですよ。お父さん」
「幻想、儚いね」
「だからと言って、あまりだらけ過ぎるのは感心しません。ほら、顔でも洗ってしゃっきりしてきなさい」

 お父さんから投げつけられたタオルを、キャッチする。

「ういー」
「うん」

 私とお兄ちゃんは、ソファーから立ち上がると庭に出た。
 強くなってきた日差しが眩しい。
 井戸の蛇口を捻る。

「水が気持ちいいですねー」
「うん、冷たい」

 顔にじゃばじゃばと、水をぶつける。
 ふおー、目が覚める冷たさだ。
 そして、タオルで丁寧に水を拭き取る。なんだか、シャキッとした気がする。
 それでも、うさっちょ禁断症状は消えなかったけどね。うさっちょ……。

「うさっちょのお菓子、食べたいですねー……」
「あと、ちょっとの我慢だよ……」

 お兄ちゃんと二人慰め合っていると、かさりと庭の草地を踏む音が。
 振り向けば、リディアムくんが立っていた。

「あれ、リディアムくん」
「早いね」

 リディアムくんが来る昼には、まだ少し時間がある。

「うん。僕、この間の新しい部品を見て閃いたことがあるから、師匠に言って早めに来させてもらったんだー」

 リディアムくんは、よほどその閃きとやらに夢中なのかそわそわとしていた。
 まるで、うさっちょのお菓子を前にした私とお兄ちゃんのようだ。

「早く研究室に行きたくて、仕方ないんだー」
「あ、引き留めてしまってすみません」
「リディアムくん、ごめんね」

 謝る私たちに、リディアムくんは顔を横に振った。

「サキに会いたかったから、いいよー。あ、あとユーキにもねー」
「……僕はついでか」
「お兄ちゃん、いじけない、いじけない」

 私はお兄ちゃんを慰めた。
 仕方ない。リディアムくんは、その、私一筋なのだから。は、恥ずかしいけれど。

「サキにも会えたし、僕頑張ってくるよー」
「あ、はい! 頑張ってくださいね」
「うん」

 リディアムくんは上機嫌で、研究室に向かって行った。
 閃きに満ちたリディアムくんの背中は、なんだかかっこ良かった。

「サキ、サキ。見惚れているところ悪いけど、もうなかに戻ろうよ」
「えっ! あ、はい、そうですね」

 私とお兄ちゃんは、家のなかに入った。
 家のなかでは、お父さんがソファーに座り、繕い物をしているところだった。

「あれ。父さんが魔道具弄ってないのって珍しいね」
「……誰かさんたちが、毎日かけずり回っているから、服がボロボロなんですよ」
「すみませんっした!」
「ごめんなさい」

 墓穴を掘ったお兄ちゃんに嫌みで返したお父さんに、私は謝る。お兄ちゃんも謝った。
 ちくちく服を縫うお父さんは、苦笑を浮かべている。

「まあ、いいです。元気な証拠ですから」
「父さん……」
「ですが、危険なことに巻き込まれたりはしないでくださいよ」
「はい! お父さん!」

 私はしゅびっと敬礼をした。
 ぷちっと、糸を噛み切り。お父さんは私とお兄ちゃんを見た。

「庭で話し声がしましたが、リディアムが来たのですか?」
「あ、はい。閃きのままに研究室に向かいました」
「戦いに赴く男の背中だったよ」

 私とお兄ちゃんの言葉に、お父さんはまた苦笑した。

「あなたたちは、いったいどうしたら、そんな言動になるんですか?」
「えーと、寝たり」
「起きたりしたら、こうなってた」
「日々の成長に問題がありますね」

 お父さんは真顔で言った。お父さん、本気で私とお兄ちゃんの言動に悩んでいたようだ。
 別にそんなに、おかしいところはないと思うんだけど。
 お父さん、気にし過ぎなんだよ。

「そんなことより、お父さんー。リディアムくんって、凄いの?」
「僕たちより、三歳違うだけで魔道具造れるのって、充分凄いよね」

 私とお兄ちゃんの言葉に、お父さんは繕い物の手を止め、頷いた。

「リディアムは、子供なのが惜しいくらいの才能を持っていますよ」
「子供だと、いけないんですか?」

 お父さんは頷いた。

「あまり早熟ですと、悪目立ちしますし。最悪、異端の烙印を押されてしまいます」
「異端……」

 私はごくりと、喉を鳴らした。
 リディアムくんが、迫害されるの嫌だ。

「ですので、僕はリディアムの才能を開花させつつ、もう少し時間を掛けて発表させるつもりなんですよ」
「あまり早くに発表させると、目立っちゃうから?」
「そうです。この村にいると、世界は善意の塊のような気にさせられますが。実際はそうではありませんから」

 そう言って笑うお父さんの目には、痛みがあった。
 ……お父さんが王都や貴族と関わり合いになりたがらないのと、今の言葉は繋がりがある気がする。
 いったい、お父さんの過去に何があったんだろう。

「リディアムは、早過ぎる天才です。その才能は師としては嬉しくもありますが、心配でもあります」
「お父さん……」
「なに、そんなに心配することはありませんよ。リディアムもあなたたちも僕が守りますから」
「父さん……」
「はい」

 お父さんは裁縫箱に、針と糸を仕舞った。

「さ、暗い話はここまでです。ユーキ、あなたの本棚が運ばれてから、まだそんなには本を購入してませんでしたね」

 しんみりとした空気を変えるように、お父さんは話題を変更した。

「うん。五冊ぐらい」
「気分転換に、サキと一緒に本屋へ行ってきなさい。最近新しい絵本が入ったそうですよ」
「本当! 見たい!」
「お金はサキに預けますよ。お財布はありますか?」
「はい、ここに」

 最近新しいお財布をもらったので、私は嬉しくていつもスカートのポケットに入れていた。
 お財布に小銭とお札が入れられていく。
 こちらの世界では、本は安くない。製本技術がそれほど、まだ発達していないのだ。
 ただ、ドワーフの技術により日々進化はしているらしい。ドワーフ頑張れ、である。

「三冊ぐらい買えそうですね!」
「うん!」

 今回はお兄ちゃんの本を買うのだ。私は既に、何冊か購入しているしね。
 お兄ちゃん嬉しそうな顔。私も嬉しい。

「気をつけて行くんですよ」
「はーい」
「分かった」

 私とお兄ちゃんは手を繋いで、本屋さんへと向かう。

「お兄ちゃん、どんな絵本買いましょうかね」
「うん。青空を舞台にした連作があるから、それが欲しいな。新作が入っているといいけど」
「きっと、ありますよ!」

 うきうきしながら、私とお兄ちゃんは歩いて行った。

 結果としてお兄ちゃんの欲しかった新作はあった。
 他にも気に入った本があったので、私たちはきっちり三冊購入したのだった。
 紙袋をお兄ちゃんは嬉しそうに抱えている。

「良かったですね、お兄ちゃん」
「うん」

 私たちが家に帰ると、お父さんはお昼ご飯の準備をしていた。

「昼食を済ませたら、僕は研究室に向かいますから」
「分かりました」
「うん」

 買ってきた本をソファーに置き、私たちは頷いた。
 お父さん、毎日お疲れ様です。

「昨日焼いたパンですが、味はどうですか?」

 私がパンにかじりつくとお父さんが聞いてきたので、私は満面の笑みを浮かべる。

「とっても、ふわふわで美味しいです! ね、お兄ちゃん!」
「うん。父さんのパン好き」
「そ、そうですか」

 お兄ちゃんの直球過ぎる言葉に、お父さんは照れていた。

「さ、さあ。僕はもう行きますから。二人とも、お留守番お願いしますよ」
「はい」
「分かった」

 食器を流しに置き、お父さんはぎこちない動きで、準備を始める。

「お兄ちゃんは、天然さんですね」
「サキは、何を言っているの」

 家族仲が良くていい、という話ですよ。

「お父さん、リディアムくんによろしくです」
「はいはい。伝えておきますよ」

 そうして、お父さんは研究室に行き、私とお兄ちゃんの二人きりになった。
 ソファーに二人並んで、絵本を読む。

「ねえ、お兄ちゃん」
「なに?」
「リディアムくん、大丈夫かな」

 お父さんに天才と呼ばれ、世間からは異端と呼ばれてしまうリディアムくん。
 私はリディアムくんが心配だった。

「リディアムには、父さんがついているから」
「そうですよね」

 お父さんは、身内には甘いのだ。きっと、リディアムくんを守ってくれる。
 そして、私もリディアムくんを守れるようになりたいと思った。
 リディアムくんの笑顔を思い浮かべたら、少し胸が痛んだ。
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