イリス=オリヴィエ戦記・外伝 ~アラン・フルーリーは兵士になった~(完結)

熊吉(モノカキグマ)

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:第28話 「別れ:1」

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:第28話 「別れ:1」

 不思議だった。
 残って、戦う。
 そう決心すると、———急に、激しい空腹を覚えたからだ。

 そう言えば、今日は朝食を食べて以来、なにも口にしていない。
 初めての実戦と、その後始末、そして陣地転換。
 いろいろなことが重なって、食べている暇(ひま)がなかったし、今まで空腹を感じることができるほどの心の平静さは失ってしまっていたのだ。

 激しい空腹に耐えかねたアランは、配給された糧食に手を伸ばした。
 脂っこい肉詰めと、長期保存された結果風味の落ちた塩クラッカー。

(これが、最後の晩餐(ばんさん)ってやつになるのかもな)

 こんな粗末なものが最後の食事だなんて。
 そう思わないでもなかったが、不思議と口元には笑みが浮かぶ。

 思い出していたのは、懐かしい母の味。
 誰かの誕生日や、祝祭日に母親が腕を振るって焼いてくれたターキーの味わいだ。

 幼い頃は、それを作るために家禽(かきん)を一羽、絞(し)めなければならないということを知らなかった。
 だから、この美味しいごちそうを食べるためには、大好きな牧場の愉快な仲間が一羽いなくなってしまうと気づいた時は、わぁわぁ泣きわめいて、もう、二度と食べない! と強情を張ったものだ。

 それなのに、やっぱり好物なのだ。
 食べると皮がパリッと香ばしくて、肉汁はたっぷり、ジューシー。
 思い出すだけで涎(よだれ)が出て、家族と食卓を囲んだ幸福な記憶がよみがえる。

 動物たちを糧とする、という牧場の生活の中にあって、アランは段々と命をもらうという行為を受け入れて来た。

(今度は、俺が[ターキー]になるのさ)

 そう思うと、おかしな気持ちになって来る。

 いったい今までに何羽の家禽をこんがりと美味しく焼き上げてきたことか。
 自分の番が回って来たと思うと、自業自得だな、と自嘲するしかない。

 この命はまた、つながっていくのだ。

 ここで踏みとどまって戦えば、そのことによって王国は防衛態勢を再構築できるかもしれない。
 大切な家族が、安全な場所に逃れる時間を作ることができるかもしれない。
 故郷が戦火に焼かれずに済むのかもしれない。

 自分の家族でなくてもいいのだ。
 誰か、たとえばG・Jの家族が避難する機会を作ることができれば、それで十分。

 アランの命は、[生き続ける]。

 死は、やはり恐ろしかった。
 それでも以前のように、絶対に受け入れられないというほどではない。

 この行為には、そうするだけの意味がある。
 自分の一生には、価値が生まれる。
 そう信じることができるだけで、身体の震えが止まり、しっかりと、[自分はここにいる]という感覚を得ることができる。

 悔いがないと言えば、ウソになるだろう。
 兵役を終えたらまたそこに戻っていくのだと、なんの根拠もないのにまったく疑っていなかった、懐かしい故郷での暮らし。
 きっと、のどかで、のびのびとしていて、楽しいものとなったのに違いない。

 それ以外の未来だってあり得たのだ。
 まったく別の人生を歩み、想像もしたことのなかった経験をし、知らなかったことに巡り会う。
 そんな、冒険のような一生だって、あったかもしれない。

 アランは、十九歳。
 成人してもいない、まだ、少年と呼んでもいい年齢だ。

 そんな、何者にでもなれたかもしれない命が、ほんの数時間後には消滅しているかもしれない。

 それは、悲劇なのだろう。

 それでも今は、そうするだけの意義があるのだと、そう信じることができる。

「オイオイオイ、二人とも、もう一度考え直した方がいいんじゃないか? 」

 殿として戦うことに、志願する。
 約束の二時間が過ぎ、あらためてその意志を確認した時、整列した列の中から一歩前に出て姓名を名乗り、「志願します! 」とはっきりと表明した時、ベイル軍曹は複雑そうな顔をしていた。

 困った、という気持ちと、こんな若者を死なせてなるものか、という正義感と、一緒に戦ってくれると言ってくれたことへの嬉しさと。

 その気持ちは、痛いほどによくわかった。
 軍曹が根本的に善人であり、自分たちを本心から心配してくれていることが、嬉しかった。

 パガーニ伍長も、ルッカ伍長も、他に残ると決めた面々も、「まだ年齢が若すぎるから」「徴兵で兵隊になっただけで、職業軍人とは立場が違うから」と、口々に、だが意志を尊重して控(ひか)えめにいさめてくれたが、それでも、アランもG・Jも翻意(ほんい)しなかった。

「お前らには……、いや、なんでもない」

 やがてベイル軍曹はすべての感情を飲み込み、二人の決定を受け入れてくれた。

 残る者と、去る者。
 互いに名残を惜しんで言葉を交わしている余裕はなかった。

 日はすっかり暮れていたが、空には今日も月が大きく出ている。
 つまりは、準備さえ整っていれば夜戦も可能なのだ。
 いつ敵の再攻撃が始まってもおかしくはなかった。

 ひとたび交戦状態に陥れば、撤退を選んだ者たちも戦闘に巻き込まれざるを得ない。
 そうなる前に、さっさと送り出さねばならない。

 別れは手短に、素っ気なく行われた。
 「じゃーな」とか、「またな」とか、軽い言葉と共に別々の方向に向かう。

 そしてこうした別れは、人間たちの間でだけ行われるわけではなかった。
 オレールと、ファビア。
 二頭の仲間とも済ませなければならない。

「オレール。お前は、本当に賢くて、優しくて、力持ちで、立派な馬だった。……きっと、新しい部隊でもうまくやっていけるさ」

 アランがそう言いながら最後のブラシがけをしてやると、オレールは黒いつぶらな瞳で、じっと見つめて来る。
 心なしか、元気がない。
 尻尾が力なく垂れ下がり、不安そうにしている。

 これでもう、二度と会うことはできない。
 そのことを雰囲気で察しているのかもしれなかった。

 彼とも短いつき合いではあったが、やはり名残惜しい。
 馬の背中を撫でてやれるのもこれが最後かもしれないと思うと、なおさらだった。
 ———それでも、別れはしなければならない。

「それじゃぁ、……後は、よろしくお願いします」
「ああ」

 すでにファビアの手綱を引いているセルヴァン上等兵にオレールのことを預けると、彼は心苦しそうな表情でうなずいた。

 結局、上等兵は去ることを選んだ。
 そのことについて、アランはとやかく言うつもりはない。
 ベイル軍曹たちが何度も指摘していたが、生き残って戦い続けることも正しいのだ。

 むしろその方が、ずっと辛いことかもしれない。
 死の恐怖に耐え続けながら、それでも戦わなければならないからだ。

 何度でも。
 この戦争が終わる、その時まで。

 新人二人が残るのに、自分は去る。
 そのことがどれほどに苦しいことなのか、アランにはよくわかっている。

 だから、笑顔で敬礼をして見せた。

「セルヴァン上等兵。今まで、お世話になりました」
「お世話になりました! 」

 一緒にオレールとファビアに別れをしていたG・Jも、隣で敬礼をして見せる。
 セルヴァン上等兵はそれに答えて敬礼を返したが、言葉ではなにも言えずに振り向くと、黙々と歩き出す。
 それに、二頭のばんえい馬もつき従っていく。

 去っていく背中。
 上等兵が被っている鉄兜が、まるで涙をこらえているように上向きになったのは、きっと気のせいではないはずだった。

 心残りを引きずりながら去っていく者。
 そうと決めた時と同じように、サッパリと、心残りもなさそうにしている者。
 罪悪感を消せないまま、それでもやはり、ここに残ることはできないと、悔恨を表情に浮かべている者。

 三者三様だった。
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