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第1話 男、虎となって悲しみに暮れるもいまは意外と元気です
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風光明媚、決して豊かではないが、海と山にはさまれたのどかなある田舎町に、ひとりの男がいた。
男、と表現するのはたやすい。
たしかに生物学上の分類を用うれば男であろう。
しかしその男は身長2メートルにも迫ろうという巨躯、肢体は筋骨隆々、体毛は獣のごとく濃い。
獣のごとくっていうか、まあ、獣そのものっていうか、なんていうのかな、虎が人間になった感じであった。
毛むくじゃらだしシマシマもあるし黄色いし、顔面も虎なら肉体も虎、狼男ならぬ虎男が二足歩行で歩いてしゃべるという尋常ならざる事態であった。
「トラさん、最近小説書いてんの?」
その虎男にこう声をかけたのは、制服にエプロンをつけた女子高生とおぼしき少女である。
「……書く、という行為は、机に向かい筆を動かすの謂ではない。本物の文豪はまず頭で練り、整え、しかるのちの最後のひと滴として筆を動かすにすぎん。かのドストエフスキーや太宰治は、口述筆記にて名作を物したことさえあるという。ゆえに『筆を動かしているか』と問われるなら否である。しかし『小説をつくっているのか』と問われれば、これは是である」
虎は少女の問いに、こう答えた。なんかめんどくさいやつだな。
ふたりは、町にある小さな本屋の控え室でしゃべっていた。
虎が大きいために控え室はみちみちであるが、少女は気にした風もなく、ゴムで髪を束ねあげている。
「つまり書いてないんだね」
「はい」
虎もまた、最初こそ偉そうに答えたものの、本屋のかわいらしいエプロンをパツンパツンに装着してのことなので、あまり威厳のある風体とはいえない。
なぜ、少女は虎と尋常に言葉を交わしているのであろうか。
男はかつて、人であった。
それがある日虎へと変じてしまったわけであるが、虎となった当初はうろたえ、とり乱し、慟哭の代わりに苦鳴の雄叫びをあげながら三日三晩走りつづけたこともあった。
――こんな身となっては、もはや故郷にはいられぬ。
全身に毛が生え、屈強となった脚のみならず、おのれの腕でも地をつかんで走っており、またそれが人間であったころよりもはるかに速く、車さえ追い抜いていくのが、おのれのことながらひどくおそろしかった。
疾く流れゆく景色に、涙を滴々と点じてどことも知れず走り去ってゆく。
夜、がむしゃらに走ったすえ行き着いた山のいただきにて、空をおどすような咆哮を発したあと、またしずかに落涙すると、おのれの毛むくじゃらの頬に水滴がとどまっていることに気がつき、なぜだかたまらなくきたならしく感じた。
涙がすべらかに伝ってゆくはずの頬すらもなくし、己は本当に人間でないものに、なってしまったのだ。
その残酷な事実を、おのれの心臓に深く杭を打ち抜かれるように、自覚させられる。
ただまあ三日三晩走るとさすがにヘトヘトになって、ちょうど虎になる直前にお金もおろしたとこだったし山にあった小屋にはなんかきれいな感じの布も置いてあったのでそれを全身にまとい、15時間ぐらい寝たあとよく考えたら普通に二足歩行もできるし、麓にあったコンビニで肉まんを買い占めつつ電車やバスにのってたどりついたのがこの田舎町であった。
――きっと、己のようなバケモノは、どこの町にも居着くことはできぬであろう。
そうしたあきらめの気もちで自嘲し、少しの滞在ののち町を飄然と去ろうとしたところ、
「あらまあ、アンタえらいもふもふじゃなぁ」
「あんれまほんと。こーらもふもふじゃわだぁ」
と町のばあさまがたに意外と気に入られ、「えっ、おれ虎だけど大丈夫なん?」と思っているうちになんやかんやでこの町に住み、早5年が経過した。
なお、服はその後ビッグサイズのメンズ服専門店の通販で買ったら意外といけた。
デザインもわるくないから人間のころよりおしゃれになっちゃった。
といった経緯もあり、少女は小学生のころより町に流れ着いた虎としゃべり慣れているため、気やすい間柄となっているのであった。
「まあでも、トラさんのことあたしも言えんけどね。なーんか学校行ったり宿題やったり友だちと話してたりしたらぜーんぜん小説進んでないのよね」
「む?」
「どっちみちあたしのは二次創作だし? 趣味全開って感じでトラさんみたいに立派なんじゃないけど」
「創作に貴賤などあるものか。月さん(少女の名らしい)の衝動、『書いてやろう』という初期衝動それこそが尊いのであって――」
と、フロアへ出ながらふたりで話しているところで、
「おつかれさま」
と声を発しつつ、店の入口からぷるぷると小刻みにふるえるおじいちゃんが入ってきた。
「あ、オーナーおつかれさまですっ!」
虎がいきなり態度を変えてシャキッと立ち、おじいちゃんへ向かって深々と頭をさげる。
少女へのもったいぶった口調はなんだったかと思うほどのこなれた社会人ムーブである。
「おじいちゃんおつかれー。どしたの?」
どうも、店へ入ってきたのは少女の祖父のようだ。
ずいぶんと砕けた口調で話しかけている。
「これ、店ではオーナーと呼びなさい。きょうは、給料日じゃったろう。ほれ、ふたりとも」
オーナーがぷるぷると、ふたりへお金の入った袋を渡す。
実際には給料日はあさってなのだが、オーナーの記憶ミスでずれることはよくあるため気にせず虎は高々と封筒を押し戴く。
「ありがとうございます!!」
くそでかボイスである。そんなに給料がうれしいか。
……いや、給料はうれしいな。虎になってもたぶんそう。
その後本屋での勤務を終え、虎が給料袋を片手にルンルンで家へ帰ろうとしたところ、
「やめてください!」
というのどかな町にそぐわぬ悲鳴が、夜の闇を裂いてとどろいた。
虎の眼光が、鋭くひらめく。ネコ科なので夜には強い。
男、と表現するのはたやすい。
たしかに生物学上の分類を用うれば男であろう。
しかしその男は身長2メートルにも迫ろうという巨躯、肢体は筋骨隆々、体毛は獣のごとく濃い。
獣のごとくっていうか、まあ、獣そのものっていうか、なんていうのかな、虎が人間になった感じであった。
毛むくじゃらだしシマシマもあるし黄色いし、顔面も虎なら肉体も虎、狼男ならぬ虎男が二足歩行で歩いてしゃべるという尋常ならざる事態であった。
「トラさん、最近小説書いてんの?」
その虎男にこう声をかけたのは、制服にエプロンをつけた女子高生とおぼしき少女である。
「……書く、という行為は、机に向かい筆を動かすの謂ではない。本物の文豪はまず頭で練り、整え、しかるのちの最後のひと滴として筆を動かすにすぎん。かのドストエフスキーや太宰治は、口述筆記にて名作を物したことさえあるという。ゆえに『筆を動かしているか』と問われるなら否である。しかし『小説をつくっているのか』と問われれば、これは是である」
虎は少女の問いに、こう答えた。なんかめんどくさいやつだな。
ふたりは、町にある小さな本屋の控え室でしゃべっていた。
虎が大きいために控え室はみちみちであるが、少女は気にした風もなく、ゴムで髪を束ねあげている。
「つまり書いてないんだね」
「はい」
虎もまた、最初こそ偉そうに答えたものの、本屋のかわいらしいエプロンをパツンパツンに装着してのことなので、あまり威厳のある風体とはいえない。
なぜ、少女は虎と尋常に言葉を交わしているのであろうか。
男はかつて、人であった。
それがある日虎へと変じてしまったわけであるが、虎となった当初はうろたえ、とり乱し、慟哭の代わりに苦鳴の雄叫びをあげながら三日三晩走りつづけたこともあった。
――こんな身となっては、もはや故郷にはいられぬ。
全身に毛が生え、屈強となった脚のみならず、おのれの腕でも地をつかんで走っており、またそれが人間であったころよりもはるかに速く、車さえ追い抜いていくのが、おのれのことながらひどくおそろしかった。
疾く流れゆく景色に、涙を滴々と点じてどことも知れず走り去ってゆく。
夜、がむしゃらに走ったすえ行き着いた山のいただきにて、空をおどすような咆哮を発したあと、またしずかに落涙すると、おのれの毛むくじゃらの頬に水滴がとどまっていることに気がつき、なぜだかたまらなくきたならしく感じた。
涙がすべらかに伝ってゆくはずの頬すらもなくし、己は本当に人間でないものに、なってしまったのだ。
その残酷な事実を、おのれの心臓に深く杭を打ち抜かれるように、自覚させられる。
ただまあ三日三晩走るとさすがにヘトヘトになって、ちょうど虎になる直前にお金もおろしたとこだったし山にあった小屋にはなんかきれいな感じの布も置いてあったのでそれを全身にまとい、15時間ぐらい寝たあとよく考えたら普通に二足歩行もできるし、麓にあったコンビニで肉まんを買い占めつつ電車やバスにのってたどりついたのがこの田舎町であった。
――きっと、己のようなバケモノは、どこの町にも居着くことはできぬであろう。
そうしたあきらめの気もちで自嘲し、少しの滞在ののち町を飄然と去ろうとしたところ、
「あらまあ、アンタえらいもふもふじゃなぁ」
「あんれまほんと。こーらもふもふじゃわだぁ」
と町のばあさまがたに意外と気に入られ、「えっ、おれ虎だけど大丈夫なん?」と思っているうちになんやかんやでこの町に住み、早5年が経過した。
なお、服はその後ビッグサイズのメンズ服専門店の通販で買ったら意外といけた。
デザインもわるくないから人間のころよりおしゃれになっちゃった。
といった経緯もあり、少女は小学生のころより町に流れ着いた虎としゃべり慣れているため、気やすい間柄となっているのであった。
「まあでも、トラさんのことあたしも言えんけどね。なーんか学校行ったり宿題やったり友だちと話してたりしたらぜーんぜん小説進んでないのよね」
「む?」
「どっちみちあたしのは二次創作だし? 趣味全開って感じでトラさんみたいに立派なんじゃないけど」
「創作に貴賤などあるものか。月さん(少女の名らしい)の衝動、『書いてやろう』という初期衝動それこそが尊いのであって――」
と、フロアへ出ながらふたりで話しているところで、
「おつかれさま」
と声を発しつつ、店の入口からぷるぷると小刻みにふるえるおじいちゃんが入ってきた。
「あ、オーナーおつかれさまですっ!」
虎がいきなり態度を変えてシャキッと立ち、おじいちゃんへ向かって深々と頭をさげる。
少女へのもったいぶった口調はなんだったかと思うほどのこなれた社会人ムーブである。
「おじいちゃんおつかれー。どしたの?」
どうも、店へ入ってきたのは少女の祖父のようだ。
ずいぶんと砕けた口調で話しかけている。
「これ、店ではオーナーと呼びなさい。きょうは、給料日じゃったろう。ほれ、ふたりとも」
オーナーがぷるぷると、ふたりへお金の入った袋を渡す。
実際には給料日はあさってなのだが、オーナーの記憶ミスでずれることはよくあるため気にせず虎は高々と封筒を押し戴く。
「ありがとうございます!!」
くそでかボイスである。そんなに給料がうれしいか。
……いや、給料はうれしいな。虎になってもたぶんそう。
その後本屋での勤務を終え、虎が給料袋を片手にルンルンで家へ帰ろうとしたところ、
「やめてください!」
というのどかな町にそぐわぬ悲鳴が、夜の闇を裂いてとどろいた。
虎の眼光が、鋭くひらめく。ネコ科なので夜には強い。
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