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第7話 幼女を助けたら称賛されたけど子鹿みたいに震えてもいる

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「やだ、もう」

 鈴が鳴るように、コロコロとミオナさんが笑う。

 はじめて会ってから1カ月少々がすぎ、週に1回程度ではあるが、おれはどうにか勇気をふりしぼって声をかけ、会うチャンスをつくってきた。

 ミオナさんのことも少しずつ聞いた。

 上司からのセクハラにあい、会社をやめて間もないこと。
 失業保険の申請中で、仕事も少しずつさがしているが、なかなか見つからないこと。
 以前つきあっていた彼氏がひどい男であったこと。

「やっぱり、男の人は、やさしい人じゃなきゃダメなんだって、私わかったんです」

「でも、あれじゃないですか? 男はやさしいだけじゃダメ、とかも言うじゃないですか。おれなんて、何回『いい人だけど』ってフラれたか……」

「ふふ」

 あまりお酒に強くないミオナさんは、赤みをおびた耳とほおで、居酒屋の梅酒のグラスをからりとひとふりした。
 ふにゃりとたおれると、テーブルの表面で豊満な胸がむにゅりと変形する。

 ぬれたひとみで、くちびるを緩めるとおれを見あげた。

「それは、よくわかってない女性の意見ですよ。やさしさとか、おもいやりとか、そっちのほうがなんっっっ十倍も」

 声にちからを込めるようすさえもかわいらしい。

「だいじなんです。たとえば、動物園で変質者だとうたがわれても女の子をたすけちゃう人みたいな」

 おれはミオナさんから目をそらして、ポリポリとほおをかいた。

 まえに1度、おれから誘って、ミオナさんと動物園でデートをしたことがあった。

 デート先が思いつかずに苦心したものの、近くにあることを思い出してさそってみたのだった。
 行ってみるとなかなかたのしく、ひさしぶりの動物園にはしゃいでいたおれだったが、ガラスのなかでじゃれあうテナガザルたちを見ていたとき、とつぜん盛大に吹き出してしまった。

 奥をうろつくテナガザルのうち1匹が、ウキウキと奇声をあげながらおサルに擬態ぎたいする死神のカバネちゃんであったことに気がついたせいだ。

 ――あの子なにしてんの!?

 えっ、どうしたの、とけげんな顔をするミオナさんに、ご、ごめん変な連絡がきちゃって、ちょっと電話、とスマホを片手によくわからない言いわけをしながらおれはすこしはなれて「もしもし!?」と声をはりあげた。

「デート中ごめんねぇ」

 ふよふよとガラスを透過して近づいてきたカバネちゃんが言う。
 周囲へのカモフラージュのため、スマホで電話をしているようなでカバネちゃんと会話する。

「リョータロ、お馬さんのところでね、さくを乗り越えた女の子が蹴り殺されちゃうんだぁ。首がちぎれそうなぐらい吹きとんで、即死しちゃう。だから、ちょっとたすけてほしいなぁって」

「ああ馬、お馬さんですか。はいはいあー買うって言ってましたね。それ、場所どこでしたっけ?」

 そういえば前に競走馬を買いたいだの言ってる富豪のお客さんの話を聞いたな、と関係ない記憶が浮かびつつ、声をはりあげる。

「お馬さんはちょうどこの先だよぉ。あと2分もないから、はしらないと間に合わないかもだけど」

「なんでいつもギリギリなんです!? ええいもう、あ、あの、いまめっちゃくちゃ漏れそうなんで切りますね!」

 と周囲におのれの尿意の暴発を宣言したようなかたちになり電話を切ると、おれはミオナさんに「ごめんなさいトイレが限界きちゃって!」と言って走り出した。
 「ちょ、ちょっと」と言うミオナさんの声をふりきり、とりあえずダッシュする。

 この1カ月で5キロ程度(本当は4キロちょっとなのだが、繰り上げれば5キロといえなくもないので周囲には5キロといっている)やせたおれは、多少軽くなり走りなれてきたからだでお馬さんのところへむかう。

「ちょうどいい人いないかさがしてたんだよぉぉ。偶然リョータロ見つけてうれしくなったから、ちょっとふざけちゃった。ごめんねぇ」

 カバネちゃんがさかさになりながらついてきて、おサルにまぎれていたおふざけをあやまる。なんでこの子はしょっちゅうさかさになるのか。
 と、以前本人に聞いたところ「ぐるぐるまわってさかさで空見るのたのしいよぉ」という回答が「フヒッ」という笑いとともにかえってきた。さいですか。

 そのまま「お馬さんふれあいパカパカウキウキ広場」と書いてある看板をつっきると、カバネちゃんの「あそこだよぉ」という指さしを待たずとも、ちっちゃな女の子がちょうど柵によじのぼっているところが見えた。
 そしてその奥には、興奮しているのか、せまい柵のなかで首をはげしく上下させ、ブルルンと猛々たけだけしく呼吸しながら走ったりとまったりをくりかえす馬のすがたが。

 女の子の上半身はすでに柵のうえに出ており、なりふりかまっているヒマもなさそうだったので、おれはスライディングしながらつっこんだ。
 一瞬ためらいつつも、ガッと思いきって女の子の腰に腕をまわし、大根を引っこぬくようなイメージで柵から女の子を引きはがす。

 そのとき、その木の柵に足をつけて体重を支えようとしたところ、着地の衝撃をこらえきれずに尻がガクンとさがり、柵の板に股間を強打したため「ぃひゃぁん!」とおとめのようなさけび声が出そうになるのを奥歯でグッとこらえる。
 が、引っこぬいた女の子の背なかが顔面に降ってきて後頭部がつぶされ、さらには偶然にも女の子の左足がおれの股間にダメ押しの痛打をもたらしたため、こんどはこらえきれずに「お゛お゛お゛ん」という奇声がまろび出てしまった。

 のどかな日中の動物園で、そんな存在すべからざる奇声がきこえてくればそりゃあ注目をあつめてしまおうというもの。
 女の子のお父さんがあわてて走りはじめて、

「へへへ変質者ぁ!!」

 とおれを指さし抗議の声を発した。

 と同時に、馬が周囲をだまらすような大音声だいおんじょうでヒィィィンといななき、軽やかに高く跳ねたかと思うと、ビュオウと空気を切り裂くようなするどい蹴りを、ちょうどつい先ほどまで女の子の頭が存在した空間に放った。
 バギンという骨がくだけるさまを連想させる破壊音もひびき、木の柵の上部がはじけ飛んですごいスピードでおれたちの頭上をこえてゆく。

 もしそこに頭蓋骨があったとしたら、ヒビがはいるどころかこなごなに蹴りくだかれていたであろう。
 おれはお馬さんのお尻と脚の隆々りゅうりゅうたる筋肉から放たれるすさまじいまでの脚力に、心底しんそこぞっとした。

 するとおれの顔の一部を現在進行系でつぶしている女の子が「うわぁぁぁん」と泣き出し、スルッとおれの腕のなかからすりぬけてお父さんにしがみつく。

 お父さんは娘を抱きとめながらも、馬の蹴りを見てしばし放心していたが、

「お兄さんやるじゃない!」
「はやかったわねぇ、風みたいだったわ。声はなんかキモかったけど」
「あっぶなかったわねぇ、木がすごいスピードで飛んでっちゃった。あたった人いないわよね? 大丈夫よね?」
「お兄さんのおかげでだれもケガせずに済んだんじゃない?」
「声がキモかったけどよくやったわお兄さん!」

 と、一部始終を見ていたおばさまがたが横からおれの行動を称賛(一部罵倒っぽいものがまじっていたが気のせいと思いたい)してくれたおかげか、お父さんはわれにかえり、

「あああありがとうございます。なんか変な人がきたのかと、失礼なことを言いましてまままことにすみません。娘をたすけてくださってありがとうございます」

 とペコペコと娘をかかえながら頭をさげた。
 おばさまたちが空気をつくってくれたおかげか、まわりにいた大人たちも、

「まるで馬みたいな俊敏さだったぞ!」
「よくやった、馬からたすけた馬男!」
「ウーマ! ウーマ! ウーマ!」

 と拍手と喝采かっさいを送ってくれたのだが、なぜか周辺にいた小学生たちからはウマコールが発せられた。
 かつて学生時代のバイト先の後輩と、

「あーリョウタロウさん午年うまどしなんですね。言われてみれば馬っぽい顔してますもんねぇ」

「もしかして午年うまどし生まれが全員馬ヅラだと思ってる? そんな事実はないからキミはいまおれに『あんた馬ヅラですね』って言ってんのと同じ状況よ? 訂正しなくてだいじょうぶ?」

「だいじょぶっす」

 と、ニヤニヤされながら「ふざけんなこのやろう」というやりとりをしたことがある身からすると、拍手はなんだかむずがゆいしウマコールもどうも複雑な気もちになる。

 ここはひとつ少女マンガに出てくる高校のプリンス的な、白馬の王子さまの王子さま側のイメージにすり替えようと、おれは気品あふれる鷹揚おうようとしたしぐさで立ちあがり、ポケットに片手の親指だけを入れつつもう片方の手でパンパンとズボンの土をはらった。

 そのまま拍手に背なかをむけてクールに去ろうとするが、股間を強打したダメージは思ったより深刻で、脚にちからが入らずスムーズに歩けない。

 ――股間を強打して脚が子鹿みたいにガクガクふるえてる高校のプリンスって存在すんのかな?

 そんな疑問が思い浮かびつつ、ようやく追いついてけげんな顔でやや遠巻きに見ていたミオナさんに気がつき、「すすすみません」とジェスチャーと小声でたのんで肩を貸してもらってプルプルとその場を離脱した。

 そんな思い出をふりかえりながら居酒屋を出て、近くにあった桟橋から海とビルが立ちならぶ夜景をながめる(まえにつきあっていた彼女が好きだった場所なのだが、よけいなことは言わなかった)。
 帰りぎわ、ならんであるいているとミオナさんの手の甲が何度かあたり、ええいダメだったらあやまろうと思いきってぎゅっと手をにぎってみた。

 ミオナさんは、お酒のせいかあかくなったほおを地面に向けたまま、そっとにぎりかえしてくれた。

 ひさしぶりに、ドキドキと高鳴る、しあわせのにじむ鼓動をだきしめて、夜の光のなかをふたりでひと足ずつあゆむ。

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