死神ちゃんは人が死ぬのが大きらい

七谷こへ

文字の大きさ
8 / 13

第8話 モチの妖精へと変身した直後に肉体が死にかける

しおりを挟む


「……いいね」

 チェックをお願いしていた書類をもどされつつ、職場で唯一の先パイ(うちは社員が2人しかいない零細事務所である)である原さんが、おれの肩にポンと手を置く。

「あと消費税のこまかいとこは直さなきゃいけないけど、この税額控除のやつ、よく気づいたね」

「あー、ありがとうございます。このまえ原さんのお客さんで、同じような話があったので……」

「そうそう、そういうのの積み重ねだよ。よくできてました」

 ふだん寡黙で、不必要なことはしゃべらない(のでなにを考えているのかいまひとつつかみにくい)原さんからそうほめられると、腹の底からジワジワとうれしさが湧いてくる。
 すぐに指摘された点を修正し、社長に書類を提出すると、

「おい、この税額控除の書類、原に教えてもらったのか?」

「あ、はい、先月似た案件があったとき教えてもらったので、それを見返しながら……」

「ふン」

 社長は書類にチェックマークを入れながら、ひとりごとのように、

「やっとつかえるようになってきたじゃねェか」

 とつぶやいた。

 きょうは機嫌がわるい(というか新規案件がふえたとき以外は基本的に機嫌がわるい)のに、婉曲的えんきょくてきではあるもののほめられたことにおどろく。

 仕事をすればするほど、知らなければいけないことが増えてきてイヤになることも多いが、いままで知らなかったこと、それも法律という世のなかのルールを知っていくことは、純粋に、おもしろいと思えた。
 胸にコポコポと、コップに麦茶をそそぐときみたいに、充実感が満たされていくように感じることも増えた。

 それに、以前は終電で帰ることも多かったが、最近はどんなに遅くとも21時には帰るようにしている。
 「終わらないよぉ」と嘆きながらもとにかくめどが立つまで仕事を進めるようにしていたのだが、正直なところ終電までのころうが21時に帰ろうが、ある程度ねむって翌朝きて進めれば大して成果には変わりがないことに気がついた。

 そうすると帰って、ちょっと走って勉強しても、それなりに眠る時間も確保できる。

 資格の勉強での模試の点数も、徐々にだがあがってきている。
 なんというか、「いい循環」みたいなものに入れたような気がして、少しまえまで死のうと考えていたことがウソみたいだった。

 ――効率化できることって、いくらでもあったんだな。

 いつもよりはやめに帰宅できたあと、ランニングをしながらそんな感慨にふけっていると、遠くから死神のカバネちゃんが飛んでくるのが見えた。

「リョータロぉぉぉぉぉ」

 夜の住宅街に、カバネちゃんの死神らしからぬへなへなとしたヘルプがこだまする。

「なに、きょうはどうしたの」

 聞くと、モチをのどにつまらせて死んでしまうおじいちゃんがいるという。

「それは、ちょっと、人生の最期としてはかなしいねぇ……」

 モチは年間数百人が犠牲になる、日本人の大量殺戮兵器とも聞いたことがあったが、実際に近くでそうなるという話を聞くとどうもものがなしくなってしまう。
 うちからは離れた位置にある家だったので、スマホの音声入力で「もち 吐き出させ方」と検索してたすける方法を調べながらすぐに走った。

「おじいちゃん、ひとり暮らしみたいだよぉ」

 というカバネちゃんのげんにしたがって家にたどりついてみると、いかにも昔風の高い石垣の一軒家で、さびた鉄の棒でできた門にはカギもかかっておらず、キィィとほそく高い音を立てるのみでかんたんに侵入できた。

 ドロボウみたいだな、通報されたらどうしようと若干の不安をかかえつつ、リビングの窓からのぞくとおじいちゃんがこちらに背を向けてイスにすわり、はげしくせきこんでいる。

 ずいぶん不用心ながら窓のカギもあいていたので、おれはそっと足音を忍ばせておじいちゃんに近寄って急襲きゅうしゅうし、いましがた調べたとおりおじいちゃんのアゴをささえつつ、肩甲骨のあいだをバンバンと容赦なく平手でたたいた。

「うぼげぇ!」

 エイリアンがタマゴを口から生み出すみたいな音を立てて、おじいちゃんの口からバビューンとモチが出てくる。

 おれはそれを見とどけ、カバネちゃんに目配せをするとうなずいたのでもうだいじょうぶだろうとまたそっと窓から抜け出す。

「ゴボッ、ガハッ……も、モチの妖精か……?」

 というおじいちゃんの声が窓越しにかすかにきこえた気がしたが、モチの妖精は白玉しらたまのようにクールに門から去っていく。

 ――いやモチの妖精ってなんだよ。

 と、一度はノッてみたものの、聞いたこともない空想上の生物に手柄てがらをうばわれたような気がしつつ交差点で信号が変わるのをまっていると、

「も、も、モチの妖精が出たよぉぉぉ! リョータロじゃなくてモッチーって呼んであげてもよかったねぇぇぇ」

 とカバネちゃん的にはたいそう気に入ったようで、おれの望原もちはらという名字とからめて嬉々ききとしていじってくる。

「だれがモチの妖精じゃい! 腹のモチモチは前とくらべたらだいぶ――」

 と、耳につけたイヤホンを直しながら反論していると、突然――

 キキィィィィィ!!!!!!

 という悲鳴のような音におそわれ、思わずふりかえる。

 真っ赤なスポーツカーが、故障でもしたのか、耳をつんざくような急ブレーキの音をまきちらしながら交差点のはじにたたずむおれにむかってきていた――

 洗練された、速く速く前へ進むためのとがった車体が、目にもとまらぬ猛スピードのはずなのに、スローモーションのようにまばたきをするごとにおれとの距離をらいつぶしてくる。

 ひとコマ、ひとコマ、車体が大きくなっていく写真みたいだ。

 ふと目の奥に、輪っかになったロープが、ぼんやりと浮きあがっておれの首にまきつくような幻像が浮かぶ。

 ――えっ、おれ、死ぬのか……?

 刻一刻とおれのもとへ突進してくる車に、ただぼんやりとそんな自問だけが浮かんできた刹那せつな――

 車体が急激に横にぶれ、おれの服をかすめて道路をすべっていったかと思うと、心臓をギュッとにぎってあっするような衝撃音とともに対向車のバイクを跳ね飛ばしてスポーツカーがとまった。

 ドクン、ドクン、ドクン――

 と、遅れて、心臓が衝撃を押しかえそうとするように絶え絶えと、体内で必死にあえぐ。
 血の流れる音が耳をおかす。

 スポーツカーの運転手はひどく狼狽ろうばいしたようすでそとへ出てくる。
 バイクの運転手はピクリともせず、道路に横たわっている。
 フルフェイスのヘルメットをしていて、表情が見えない。
 足がありえない方向にねじ曲がっている。
 ゆがんだ人体の下から、じわじわと、道路に、赤黒い染みが広がっていく。
 けつけたひとりが、電話でどなるように救急車を呼んでいる。
 写真や、動画をとるまわりの人もいる。

 呼吸が、浅くしか、できない。

「ヒッ!」

 悲鳴のような声がきこえ、おそるおそる声の方向を見あげると、カバネちゃんが顔をそむけ、その少女のようなほそい肩をちからなくふるわせていた。
 おれも、自分の顔は見えないのに、まっさおになっているのを感じた。

「な、な、なんで、おしえて、くれなかったの」

 ふるえる声で問うと、カバネちゃんもまたふるえる声でこたえた。

「ご、ご、ごめんね。死に関する情報しかわからないから、た、たぶんあの人は死んでないんだと思う」

 言われて、そうかと思う。
 思うが、ことばが、うまく頭にはいってこない。
 理解ができない。のみこむことが、できない。

「そ、そうか。死んでないのか」

 小声で、そのまま、よくわかっていないことばをくりかえす。

 死んで、ない。
 あのひとは、おれも、死んでない。
 死んでない。

 どす黒くよごれていくアスファルトを視界のはしに入れながら、のどと口のあいだでひとりごとを反響させる。

 死にたくないと、思ってしまった。
 ミオナさんとせっかくうまくいきそうで、仕事も職場でほめられるっていうこれまでからは考えられないようなことがあって、ほんとうに、うれしくってたまらなくって、試験だって、はじめて手ごたえみたいなものを感じられて、おれの人生は、これからで、だからいま、いまだけは、死にたくないと、思ってしまった。

 あのときすべてをすてて死のうと思えたはずなのに。

 おれをくためにせまりくる車の幻像がうすれて、ようやく、肺の底にすこしの空気がはいりはじめてきたころ、遠くから救急車のサイレンがかすかにきこえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママはヤンママ女子高生! ラン&ジュリー!!

オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
キャラ文芸
神崎ラン(♂)の父親の再婚相手は幼馴染みで女子高生の高原ジュリー(♀)だった。 ジュリーは金髪美少女だが、地元では『ワイルドビーナス』の異名を取る有名なヤンキーだった。 学校ではジュリーは、ランを使いっ走りにしていた。 当然のようにアゴで使われたが、ジュリーは十八歳になったら結婚する事を告白した。 同級生のジュリーが結婚するなんて信じられない。 ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。 そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。 まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。  その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。 こうしてジュリーとの同居が決まった。 しかもジュリーの母親、エリカも現われ、ランの家は騒然となった。  

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

処理中です...