吐息〜ねじれた愛〜

stella

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23話

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23.
 



 
学校の前に到着した玄暉は差し迫った表情で辺りを見回した。当然いると思っていた佳純の姿は見えず、胸がどきどきして表情が暗くなった。玄暉は素早くポケットから携帯電話を取り出すと、佳純に電話をかけた。

長い呼び出し音のあと、自動応答メッセージが流れると、玄暉は電話を手に持ったまま学校の周りを捜し回った。何かあったのは確かだ。しきりに不安な気持ちがわき上がってきた。

「あ…!」

念のために学校の近くの繁華街に行った玄暉は、一瞬目の前に見える大勢の人の姿に立ち止まった。こんなにも人が多いとは。立っているだけでも肩がぶつかりそうだった。

人ごみの中から佳純を見つけると考えると茫然自失していた彼の頭に何かがひらめいた。しばらく考え込んでいた玄暉はためらうことなく家に向かって走った。

「大丈夫です。必要ありません」

「また~!マジでお得なんですよ。このカードを発行すれば1年で演劇とか映画が半額以上割引になるんだから」

夢中で走っていた玄暉は真っ赤な顔で立ち止まったまま、息を整えた。どこかから聞こえる耳慣れた声。玄暉の視線がある方向に向かった。

「じゃあカードは作らなくていいから、電話番号教えてくれます?」

家に近づく頃に見えた屋台の横に、困った表情で立っている佳純の姿が見えた。うれしさに近寄ろうとした玄暉は、すぐに彼女のそばに立っている見慣れた男を見つけ、立ち止まった。優しそうな外見、頼もしい体格とは違って軽い言葉遣いを駆使する彼は、明らかに自分がよく知っている人物だった。

あいつがなんでここにいるんだ?玄暉は何のためらいもなく男に近づき、彼の後頭部を平手打ちした。

バチン!!

「あっ!!!」

「……」

「クソッ!!てめぇ誰なんだよ…」

ありとあらゆる罵詈雑言が口から飛び出す前に、玄暉のほうへ向き合った男の目が徐々に大きくなった。

「兄貴?」

「大丈夫?」

彼は驚く暇もなく玄暉に押されて横に退いた。突然玄暉が現れて慌てた男は、いつのまにか佳純に近づき、彼女を見回す玄暉に慎重に尋ねた。

「兄貴の知り合いですか?」

男が手をパチンと打った。

「まさか彼女?」

軽々しく振る舞う男の存在が嬉しくないのか、玄暉は佳純を自分の後ろに立たせ、大股で彼の前に近づいた。好奇心に満ちた目つきと、今にも爆弾発言をしようとするようにうごめく口、彼が普段考えずに言葉を吐き出すことを知っている玄暉は、最大限低い声でささやいた。

「何も言わずに、知らないふり…」

「わあ!俺さ!兄貴はゲイだと思ってたんですけど、違ったんだ!」

彼は大笑いした。

「告ってきた女性も全員蹴って満さんとだけ、つるんでるから劇団ではゲイだって噂まであったんだけど知らなかったんですか?」

明るく尋ねる彼の姿に玄暉の目つきに一瞬、殺気が満ちた。まさかと思ったが、やはり憂慮した言葉が彼の口から火山が爆発したように噴き出した。玄暉は今すぐにでも彼の口を一発殴りたかったが、佳純を意識して無理やり唇元を上げて彼女の手を引っ張った。

「行こう」

「俺、兄貴にすごく会いたかったのに!いつも満さんとだけ遊んでさ…。久しぶりに会ったのに嬉しくないんですか?」

後ろをついてきてぶつぶつ言う彼に玄暉は「一つも嬉しくない」と叫びたかったが、佳純が気になってどうしてもできなかった。彼は満が出演する演劇を見に行って知り合った学校の後輩だった。あまりにも性格が自分とは正反対であるうえに、余計なおせっかいばかりで、過度にくっついて普段から会いたくなかったのに、まさかこんなところで会うことになるとは。

玄暉はさっと振り向いて腕をつかむ彼の手を払いながら鋭く言った。

「ついてくるな」

玄暉の警告に男が驚いた表情で彼の腕を離した。男は玄暉の冷たい態度に後をついていけず、ただぽかんと立ったまま遠ざかっていく玄暉の背中に向かって叫んだ。

「兄貴ぃぃ!!」

まるで去っていく恋人を捕まえようと切なく呼ぶような彼の声に、玄暉の足がふらふらした。

とにかくあの姿、玄暉は恥ずかしさに一刻も彼から離れようとするように、早足で家に向かった。追われるように急いで家の前に到着した玄暉は、息を引整えて佳純を振り返った。

あまりにも無理やり引っ張ってきたのではないかと心配で佳純を見ていた玄暉は、遅れて彼女の手をぎゅっと握っている自分に気がついた。その瞬間、我に返ったのか、彼は慌ててた表情で佳純の手を離しながら、一歩後ずさった。

「ご、ごめん。気が気でなくて」

玄暉は照れくさそうに頭を掻いた。なぜ毎回このような滑稽な状況になってしまうのか、神が恨めしいばかりだった。

「家にいると思って電話したんだけど…。どこかに行ってきたの?」

佳純が尋ねると、玄暉はぎこちなく笑いながら答えた。

「あ、ちょっと約束があって…。ところで、何かあったの?顔色が悪いけど」

玄暉は青ざめた彼女の顔に驚き、首を少し傾けた。

「ただ家にいるのがもどかしくて出てきたんだけど…。行き場がなくて」

佳純はしばらくためらった。

「ごめんね。急に呼び出してびっくりしたでしょ?」

玄暉は返事もせず佳純をじっと見つめた。真っ青になった顔に冷や汗を流している姿は、何か異常があることを表しているようだった。彼女を注意深く見ていた玄暉の目に、片足をぎこちなく後ろに隠す佳純の姿が入ってきた。

「この前怪我した足首がまだ痛む?」

パーティーの時に怪我をした足がまだ治っていないのか、玄暉は心配な気持ちでそっと膝を曲げて彼女の足を見ようとした。

「ううん。治ったよ」

玄暉は急いで足を後ろに引く佳純の行動に目を細めた。彼は彼女の腕を引っ張り、隣のベンチに座らせながら言った。

「靴を脱いでみて」

「本当に大丈夫だから」

「それとも僕が脱がせようか」

断固たる玄暉の態度に佳純は結局、いじいじと靴を脱ぎ、彼女の足を確認した彼の顔は驚愕の色に染まった。靴下に血がにじんで、見ているだけでも苦痛を感じるほどだった。驚いた目で佳純を見上げた玄暉の口から心配混じりの声が溢れた。

「足どうしたんだよ?早く病院に…」

「大丈夫。大したケガじゃないから。さっき薬を塗って絆創膏も貼ったんだけど、走ってたら剥がれちゃったみたい」

痛くないのか淡々と靴を履く佳純に、玄暉が深刻な表情で眺めながら尋ねた。

「何があったの?足はどうしてこうなったの?」

「あぁ…。間違って額縁を落としちゃって、片づけてる時に踏んだの。本当に大したことないよ」

努めて明るく笑う佳純を眺める玄暉の目に複雑で微妙な感情が映った。いつはどこか落ち込んでいて、どうしても感情を表さないように行動しているのが、今にも崩れ落ちるように危険に見えた。

玄暉の顔が曇った。佳純を見ているといつも、胸の片隅が苦しくなった。しきりに昔の姉たちの姿が投影されて見え、険しい山を登るように感情が突き上げてきた。

「大変なことがあったなら、我慢しないで話してもいいよ」

玄暉は立ち上がってベンチの上にどかっと座り、佳純と目を合わせた。

「僕の周りには、辛い時に辛いと言えず、心の中で悩んで病んでしまった人が2人もいるんだ」

玄暉が鼻を掻きながら話を続けた。

「ずっとそうやって言いたいことも言えずに、1人で心の中に抱え込みながら生きていくと、本当に怖い病気になっちゃうよ」

「病気…?」

「そう、心の病気。簡単には治らない。一生抱えて生きなきゃならない不治の病で、そのうえ周りの人まで苦しめる本当にひどい病気なんだ」

佳純の目が玄暉を探った。どことなく苦い笑みが彼の口元に浮かんでいた。佳純はゆっくりと尋ねた。

「その2人が誰か聞いてもいい?」

佳純の問いに玄暉はためらうことなく答えた。

「僕の姉たちだよ」

「…え?」

玄暉が淡々と言った。

「僕の上に双子の姉がいるんだ。今は両親とアメリカに住んでいるけど」

「……」

「子役としてかなり有名だったんだけど、知ってるかな?『秘密』と『4年後』っていうドラマにも出演してたんだ…」

佳純の頭の中に誰かが浮かんだ。幼い頃だったのではっきり覚えてはいなかったが、両作品とも、ものすごい視聴率を記録したドラマだった。そしてそのドラマに出演していた双子の姉妹なら、未だに時々テレビで話題になるほど、当時人気のあった子役たちだった。彼女たちが玄暉の姉だったとは信じられない、というように佳純は両目を丸くした。

「不思議だわ。玄暉君が瑞希(みずき)と瑞穂(みずほ)の弟だなんて」

佳純の言葉に玄暉が、逆にもっと不思議だと言うように肩をすくめて聞き返した。

「名前も覚えてるの?もう6年も前のことなのに」

「すごい人気だったでしょ…。コマーシャルにも沢山出てたし」

「そうだったね。あの頃、父が金の亡者になってしまって、姉さんたちに苦労をかけたんだ」

少し黙って玄暉がすっくと立ち上がり伸びをすると、話を続けた。

「姉さんたちは、あの頃1日に2時間しか寝てなくて、必死で働いてたんだ…。それで得たのは出所のわからない噂と酷い書き込みだけだった」

突然浮かんだ過去に玄暉の顔はほろ苦い光を帯びた。当時、人気トップを走っていた姉たちが新人アイドルと付き合っているという噂が出回り、学校でいじめられるのはもちろん、アイドルたちのファンによって社会から葬り去られるほど恥をかいたことがあった。それも姉たちが突然他人になったように変わった時になって、ようやく理由が分かった。考えもしていなかった…。

あの時の記憶に玄暉の眉毛がぴくりとした。

「全部諦めたくなるほど大変だったはずなのに…両親と僕は知らなかった。心配するかもしれないから、姉さんたちはそんな素振りを全然見せなかったんだ。今の君みたいに」

彼の視線は佳純に固定された。

「その後、2人とも、うつ病に対人恐怖症にまでなっちゃって、芸能活動をやめて両親と一緒にアメリカで治療を受けているんだ。だから僕は今独り暮らしをしてるってわけ」

玄暉がちらりと佳純を振り返った。佳純は複雑な表情で彼を見つめていた。玄暉は徐々に彼女に近づき、片膝をついて佳純の肩をつかんだ。ビクッとしながらそっと自分の視線を避ける佳純の姿に玄暉は微笑を浮かべて話し出した。

「だからこれからは、1人で辛い思いを抱えないで、僕に話してよ。全部聞いてあげるから」

「……」

「今君が僕の話を聞いてくれたみたいに」

玄暉を見つめていた佳純の顔が赤くなった。玄暉の一言が胸に響き、世の中が止まったように彼に全神経を集中した。喉に熱い何かがこみ上がってくるのを感じ、今にも涙が流れてしまいそうに目が熱くなった。

佳純は気持ちを落ち着かせようとするかのように、深く息を吐いた。息をするのが辛いほど苦しかった心が慰められたようで、彼女の表情はいつのまにか少しだけほぐれた。

「ありがとう。そう言ってくれて」

佳純の言葉に玄暉はにっこり笑うと、立ち上がって手を差し出した。

「どうやら僕の気持ちがすっきりしない。とりあえず病院に行って治療してもらおう」

「大丈夫よ。本当に」

「僕が大丈夫じゃないんだよ。さあ、手を握って立って。酷くなる前に早く行こう」

玄暉の催促に佳純はゆっくりと体を起こし、彼の腕をつかんだ。その瞬間、2人の仲が近くなり、緊張した玄暉の口から咳が漏れ出た。

「気をつけて歩いて」

震える心を隠そうとするかのように、彼は力を入れた声で話した。佳純は小さく微笑んだまま、彼の歩調に合わせて歩いた。

 

「今日はありがとう。ここからは1人で行くね」

病院の救急室で治療を受けて佳純を家に送っていこうとした玄暉は、信号機の前でそわそわする彼女をいぶかしい目で振り返った。

「いや、歩くのも大変なんだから、家の前まで送っていくよ」

「大丈夫よ。もう遅いし…。横断歩道を渡るだけだから」

「でも、すぐそこまで来たんだ。君が家に入るのを見てから行かないと、僕も安心できないよ」

「本当に大丈夫…」

「あ!信号が変わった。行こう」

玄暉ははぐずぐずする佳純の腕をつかんで引っ張った。意図に反して進む状況に佳純は当惑した。病院で治療を受け、タクシーに乗るやいなや携帯メールを受け取った。今日は一緒に行くところがあるので準備していろという隼人のメールだった。

佳純は落ち着かなかった。配慮など見られない彼の言動が、今日に限って恵子の姿と相まって彼女の息の根を止めてくるようだった。

一瞬、みぞおちから感じられるピリピリとした苦痛に、佳純が額をしかめた。ストレスを受けると体が先に反応し、それが頻繁になると精神的に疲労が押し寄せてきた。

苦痛に深呼吸をしていた佳純は、振り向く玄暉の動きに努めて苦痛を耐えながら唇の端を上げた。

「もうすぐだと思うんだけど、どこ?」

周りを見回して玄暉が尋ねると、佳純は焦りを隠しながら淡々と口を開いた。

「あそこのだよ。もう…」

隼人と出会うのではないかと慎重に行動していた佳純の目に見慣れた車が止まっているのが見えた。言葉を続けられず、何かに惑わされたかのように1点を見つめる佳純の姿に、玄暉も彼女の視線の先に頭を向けた。
 
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