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第3部     黒い剣士と宿敵の魔族メイズ

第5話

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夜の野営地は、勝利と混乱が同じ焚き火にくべられていた。

負傷兵のうめき声と、酒に酔った笑い声。
鎧を脱ぐ音、馬のいななき、鍋の煮える匂い。
戦は終わった――そう思いたい人間たちの音が、あちこちに散らばっている。

だが、噂だけは一箇所に集まっていた。

「なあ・・・・聞いたか?」

「何を?」

「王太子殿下だよ。あの黒い鎧の行商・・・・ホワイトとかいうやつと」

「・・・・不敬だぞ」

「でもさ。殿下、自分で担いで運び込んだらしいじゃないか。ご自分もふらついていたにもかかわらず、さ」

言葉が途中で止まった。
焚き火の向こうに、ひときわ背の高い影が立っていたからだ。

背が高く脚が長い。長身の女。ナイルだ。
戦場の土と血にまみれた野営地の中で、そこだけ異様に整っている。
布の端は不思議と汚れておらず、足取りも優雅で無駄がない。

「・・・・あれ、誰だ?」

「知らん。だが・・・・目を合わせるな」

兵たちは本能的に視線を逸らした。
理由は分からない。ただ、そうした方がいいと体が理解している。

ナイルは、兵の視線を一切気に留めなかった。
ただ一度だけ、王太子のテントの方を見やり、静かに歩き去る。

その背中が闇に溶けるのを待つように、噂は形を変えた。

黒い鎧の男は、ただの行商ではない。
王太子殿下を惑わせる“何か”だ。
だから王太子殿下は、あれほど前に出た。
だから王太子殿下は、倒れた――。

事実と推測と悪意が、焚き火の煙のように混ざり合う。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

一方、野営地の奥。

大きな天幕の中では、空気が違っていた。
声は低く、言葉遣いは慎重である。

「王太子殿下のご容体は?」

「命に別状はありません。意識も回復傾向に」

短い報告に、誰もが安堵の表情を出した。
ローブの影に顔を隠した人物が、一歩前に出る。

――ホーネット、この人物がクラレット王太子殿下の従者であり側近であることは周知されていた。

「今回の戦闘についてですが」

声は静かだが、否定を許さない硬さがあった。

「クラレット殿下は勇敢に戦われました。兵の士気も高く、結果として魔物の群れは殲滅されています」

「異論は?」

誰も口を開かない。

「ただし」

ホーネットは一拍、間を置いた。

「クラレット殿下は前に出すぎた。今後は、殿下の安全を最優先とします」

「これは殿下ご自身の意思でもある」

“意思”という言葉が、釘のように打ち込まれる。

「よって――」

ホーネットは淡々と続けた。

「クラレット殿下の周囲に、不必要な混乱を招く者は、前線から遠ざける」

「・・・・黒い鎧の行商のことですか」

誰かが恐る恐る言った。

「名前は、ホワイト」

ホーネットは否定も肯定もしない。

「彼は後方支援要員です。それ以上でも以下でもない」

「今後、殿下の戦闘行動に同行させない」

会議は、それで終わった。

誰も反論しなかった。
なぜなら、それが“最も穏当な処理”に見えたからだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

天幕を出たホーネットは、夜気を一度だけ吸い込んだ。

(・・・・火種は、こちらで抑えよう)

クラレット殿下の考えは分かっている。
だけど、軍は個人的な感情では動かせない。

そして――

(ホワイト)

あの少年が、事態を悪化させているわけではない。
むしろ逆だ。

だが、だからこそ危うい。

ホーネットは、焚き火の列を見下ろしながら、静かに踵を返した。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

その頃、少し離れた場所。

簡易の治療天幕で、僕ホワイトは目を覚ました。

天井が低い。
布越しに、夜の冷気が伝わってくる。

「生きてるな」

声に出して、確認した。

身体は重い。
魔法剣の反動が、まだ骨の奥に残っている。

「おはよう・・・・じゃないわよねえ」

聞き慣れた声。
ナイルが、椅子に腰掛けていた。

「クラレットは?」

「無事よおん。・・・・あなたよりずっとね」

それを聞いて、気持ちが軽くなる。

「でもお」

ナイルは続けた。

「もう、あなたは前線に出られないわ」

僕は、黙って天井を見つめた。

「まあ、そうだろうね」

予想していた。
むしろ、これで済んだなら安いもんだ。

「変な噂が広がってるのよぉ」

ナイルは淡々と告げる。

「あなたが、クラレット殿下を惑わせたって」

「っはは」

笑う気にもなれなかった。

「それで?」

「会議できまったのよ。クラレット殿下の近くに、あなたを置かないって」

その言葉で、すべてが繋がった。

守るための処置。
そして、切り捨てられた。

「納得してるう?」

ナイルが、こちらを見る。

「してるよ」

嘘じゃない。
ずっと、こうだった。

「そっ」

ナイルは立ち上がった。

そのとき、近くを通りかかった兵が、思わず足を止めた。
視線が、ナイルに吸い寄せられる。

見上げるほどの立派な体躯。
にしては整いすぎた身体の線。
血と泥の中にあって、異物のような存在感。

龍族という生物としての格の違いを醸し出している。

兵は何も言わず、ただ道を譲った。

ナイルはそれを当然のように受け取り、僕に言った。

「ね。あなたと同じ地面を歩いてること自体、変でしょ?」

冗談めかした口調。
だが、そこに含まれる意味は、重い。

「それでも――」

ナイルは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。

「あなたが行くなら、あたくし、ついていくわよん」

その言葉に、返事はできなかった。

外では、焚き火が爆ぜる音がする。
戦いは終わった。
だが、流れは確実に変わった。

僕は知らない。
この会議の決定によって、後にどんな波紋を生むのかを。

ただ一つだけ、分かっていること。それは、

――ここから先、僕は「表」から外された。

そして、それは宿命の魔族メイズと再び相まみえるための、静かな助走でもあった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

先の魔物との戦いで功績をあげたスレート・シルバーナ男爵への論功行賞としての近隣一帯を男爵領として与えられることが決まった。

その時彼は、涙を流して喜んでいた。

彼の中には、この地を戦争孤児や身寄りのないこども女性に優しい「居場所」を作りたいという考えがあると聞く。

「戦いは得意ではありませんが、盾しか持てない男なりに、今度は“弱き者を守る”盾になるつもりです」
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