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40 康介の過去とオメガ
診療所の1階奥にあるアルファ専用の待合室で、慎一は祈るような気持ちで康介を待ち続けていた。
エレベーターに乗った後、遥は意識を失い倒れてしまった。
慌てた慎一は康介へ連絡を取り、そのまま遥を車に乗せて診療所に戻ってきた。
車で家に向かう途中、遥は嬉しそうにしていた。しかし、マンションの駐車場に着いてから、明らかに様子が変わった。
あの時は、とにかく早く部屋に行き、遥を休ませなければと焦っていたが、あの場所から離れたほうが良かったのかもしれない。
原因は駐車場か、エレベーターか、それともマンションそのものか――。
診療所に運び込まれた当初、遥は倒れたり、夜に魘されてることがあると看護師から聞いていた。しかし最近では安定しており、睡眠薬なしでも眠れるようになったと聞いていたのに。
――もっと慎重に進めるべきだった。
遥が気持ちを返してくれ、一緒に住みたいと言ってくれたことが嬉しくて、どこか急ぎ過ぎていたのだろう。
慎一が反省していると、扉が開き、康介が顔を覗かせた。
「康介! 遥くんは?」
「大丈夫だ。体に異常はない。慎一が受け止めてくれたおかげで、頭も大丈夫だった。精神的なものだろうな。今は眠っているよ」
「そうか。よかった……」
康介は話しながら慎一の向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
「どのタイミングで意識を失ったんだ?」
「エレベーターに乗って、上がっていく時だったよ」
「そうか……」
腕を組んでしばらく考えた後、康介が口を開く。
「アイツ――怜二の部屋って、けっこう高層階だったよな……もしかしたら、それが原因かもしれない。それか、エレベーター内で何かされた可能性もある」
「……そうかもしれないね」
慎一は視線を落とした。遥が過去に受けた暴力のすべてを知ることはできない。だが、あの動画が撮られるような環境だったことを考えると、相当なものだったに違いない。
どこにどのようなトラウマがあるのか、分からない。
だが、深く聞いて思い出させるようなことはしたくなかった。
「オメガだからって、どうしてあんないい子たちが、トラウマを抱えるほどに追い詰められなければならないんだろうな」
康介の言葉に、慎一は静かに頷いた。
「うん、隣国ではこんなことはなかったのにね」
「そうだな」
「だから康介は、この国でオメガ専用の診療所を立ち上げたの?」
「ん? ああ――」
慎一の問いに、康介は頷いて語り始めた。
「俺の母さんがオメガだったんだ」
「……そうだったんだ」
「でも、ちゃんとベータの父さんに愛されていたよ。外には出られなかったけど、幸せそうだった。でも、ある日風邪をこじらせてな。どの病院も診てくれなくて、そのまま亡くなったんだ。それで、医者になろうと思った。俺が、オメガを診れるようになろうってな」
「そうだったのか……ありがとう。康介が医者になってくれたおかげで、遥くんは今、生きてるよ」
初めて聞く康介の過去に、慎一はただ礼を言うしかなかった。
オメガとはずっと縁のない環境で育ってきた自分が、遥と出会って初めてこの国におけるオメガの現実を知ったことが、恥ずかしかった。文章で知っていることと、実際に体感することは全く違う。
「いや、実はお前に助けられたことがある」
「え、私が? いつ?」
「オメガの症例を学ぶためには留学が必要だった。でも俺はベータだから、留学選考もギリギリだったし、正直心が折れそうだったんだ。この国でオメガ専用の診療所を作るって言うと、馬鹿にする奴しかいなかったしな。でも、お前だけが違った――」
「そうなの?」
「まあ、いつも笑顔なお人好しな奴だと思ってたけど……お前だけは馬鹿にせずに、『頑張れ』って言ってくれてな。あの言葉に、けっこう救われたんだよ」
「そうか……よかったよ」
康介の言葉に、慎一は苦笑いを浮かべた。あの頃は、良くも悪くもオメガのことを知らなさ過ぎた。康介がどれほどの覚悟を持って医者を目指しているのかにも気づかず、自分が言ったことすら記憶にない。
「どうにか、オメガの処遇が改善されないもんかね。この国でも、アルファとオメガで番になっている人は、けっこういるんだよ」
「え、本当?」
「ああ、特に財力のあるアルファは運命と番っていることも多い。ただ、みんな隠すからな。オメガを外に出すと、何があるか分からないし」
「そうだよね……」
人権のないオメガは、外に出ることもできない。
何かあっても守られず、暴力を受けても警察は動かない。大きな病院で診てもらうこともできず、行方不明になっても捜索してもらうことすらできない。
だから、家の中で囲っておくことが一番安全なのだ。
慎一もそう考えていた。遥が家に来た後は、そのまま家の中にいてもらおうと。だが、外に出られない分、なんでも買ってあげようと思っていた。車での外出すら危険がある。もし事故にあったらと思うと、必要最低限しか連れて行くことができない。
でも、それで本当に遥は幸せなのだろうか。
隣国に行くとしても言語を学ばなければならない。待遇は良くなるが、遥への負担が大きい。そもそもオメガは飛行機に乗れるのだろうか?
慎一が色々と思い悩んでいると、康介が持っていた小型端末が音を立てた。
画面を確認した康介が、立ち上がる。
「遥くんの意識が戻ったようだ」
その言葉を聞いて、慎一も素早く立ち上がる。
「きっと、自分を責めているだろうから、フォローしてあげてくれ」
「もちろん」
慎一は真剣な顔で頷き、康介の後に続いて2階へと向かった。
エレベーターに乗った後、遥は意識を失い倒れてしまった。
慌てた慎一は康介へ連絡を取り、そのまま遥を車に乗せて診療所に戻ってきた。
車で家に向かう途中、遥は嬉しそうにしていた。しかし、マンションの駐車場に着いてから、明らかに様子が変わった。
あの時は、とにかく早く部屋に行き、遥を休ませなければと焦っていたが、あの場所から離れたほうが良かったのかもしれない。
原因は駐車場か、エレベーターか、それともマンションそのものか――。
診療所に運び込まれた当初、遥は倒れたり、夜に魘されてることがあると看護師から聞いていた。しかし最近では安定しており、睡眠薬なしでも眠れるようになったと聞いていたのに。
――もっと慎重に進めるべきだった。
遥が気持ちを返してくれ、一緒に住みたいと言ってくれたことが嬉しくて、どこか急ぎ過ぎていたのだろう。
慎一が反省していると、扉が開き、康介が顔を覗かせた。
「康介! 遥くんは?」
「大丈夫だ。体に異常はない。慎一が受け止めてくれたおかげで、頭も大丈夫だった。精神的なものだろうな。今は眠っているよ」
「そうか。よかった……」
康介は話しながら慎一の向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
「どのタイミングで意識を失ったんだ?」
「エレベーターに乗って、上がっていく時だったよ」
「そうか……」
腕を組んでしばらく考えた後、康介が口を開く。
「アイツ――怜二の部屋って、けっこう高層階だったよな……もしかしたら、それが原因かもしれない。それか、エレベーター内で何かされた可能性もある」
「……そうかもしれないね」
慎一は視線を落とした。遥が過去に受けた暴力のすべてを知ることはできない。だが、あの動画が撮られるような環境だったことを考えると、相当なものだったに違いない。
どこにどのようなトラウマがあるのか、分からない。
だが、深く聞いて思い出させるようなことはしたくなかった。
「オメガだからって、どうしてあんないい子たちが、トラウマを抱えるほどに追い詰められなければならないんだろうな」
康介の言葉に、慎一は静かに頷いた。
「うん、隣国ではこんなことはなかったのにね」
「そうだな」
「だから康介は、この国でオメガ専用の診療所を立ち上げたの?」
「ん? ああ――」
慎一の問いに、康介は頷いて語り始めた。
「俺の母さんがオメガだったんだ」
「……そうだったんだ」
「でも、ちゃんとベータの父さんに愛されていたよ。外には出られなかったけど、幸せそうだった。でも、ある日風邪をこじらせてな。どの病院も診てくれなくて、そのまま亡くなったんだ。それで、医者になろうと思った。俺が、オメガを診れるようになろうってな」
「そうだったのか……ありがとう。康介が医者になってくれたおかげで、遥くんは今、生きてるよ」
初めて聞く康介の過去に、慎一はただ礼を言うしかなかった。
オメガとはずっと縁のない環境で育ってきた自分が、遥と出会って初めてこの国におけるオメガの現実を知ったことが、恥ずかしかった。文章で知っていることと、実際に体感することは全く違う。
「いや、実はお前に助けられたことがある」
「え、私が? いつ?」
「オメガの症例を学ぶためには留学が必要だった。でも俺はベータだから、留学選考もギリギリだったし、正直心が折れそうだったんだ。この国でオメガ専用の診療所を作るって言うと、馬鹿にする奴しかいなかったしな。でも、お前だけが違った――」
「そうなの?」
「まあ、いつも笑顔なお人好しな奴だと思ってたけど……お前だけは馬鹿にせずに、『頑張れ』って言ってくれてな。あの言葉に、けっこう救われたんだよ」
「そうか……よかったよ」
康介の言葉に、慎一は苦笑いを浮かべた。あの頃は、良くも悪くもオメガのことを知らなさ過ぎた。康介がどれほどの覚悟を持って医者を目指しているのかにも気づかず、自分が言ったことすら記憶にない。
「どうにか、オメガの処遇が改善されないもんかね。この国でも、アルファとオメガで番になっている人は、けっこういるんだよ」
「え、本当?」
「ああ、特に財力のあるアルファは運命と番っていることも多い。ただ、みんな隠すからな。オメガを外に出すと、何があるか分からないし」
「そうだよね……」
人権のないオメガは、外に出ることもできない。
何かあっても守られず、暴力を受けても警察は動かない。大きな病院で診てもらうこともできず、行方不明になっても捜索してもらうことすらできない。
だから、家の中で囲っておくことが一番安全なのだ。
慎一もそう考えていた。遥が家に来た後は、そのまま家の中にいてもらおうと。だが、外に出られない分、なんでも買ってあげようと思っていた。車での外出すら危険がある。もし事故にあったらと思うと、必要最低限しか連れて行くことができない。
でも、それで本当に遥は幸せなのだろうか。
隣国に行くとしても言語を学ばなければならない。待遇は良くなるが、遥への負担が大きい。そもそもオメガは飛行機に乗れるのだろうか?
慎一が色々と思い悩んでいると、康介が持っていた小型端末が音を立てた。
画面を確認した康介が、立ち上がる。
「遥くんの意識が戻ったようだ」
その言葉を聞いて、慎一も素早く立ち上がる。
「きっと、自分を責めているだろうから、フォローしてあげてくれ」
「もちろん」
慎一は真剣な顔で頷き、康介の後に続いて2階へと向かった。
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