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いもうと
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ざあざあ雨が降っていた。
にもかかわらず、私は折りたたみ傘をバッグから取り出して、さそうなどとは少しも考えなかった。いや、考えつかなかった。
私の頭の中ははやく家に帰る、ということでいっぱいだった。
「はやくこの長方形のケースを安全な場所へ」すなわち自分のテリトリー、私の部屋へ。
私は結局、長方形のケースをギリギリのところで購入した。たしか、3000円だったような気がするが、よく思い出せない。
売主の女性はこのケースを丁寧に包んでくれた。包んだ商品を手渡しながら笑顔で私に何か言っていたような気がするが、私は商品を受け取るとすぐに骨董市を後にした。
このケースを失くしたりしないよう、両腕で自分の胸へ押しつけるようにして守りながら、水たまりをよけようともせずに、ずぶぬれになって家を目指した。
はやく誰にも邪魔されないところで、ゆっくりと、この手に入れたケースを眺めたい。
ケースに描かれた妖精……色の白い巻き毛の少女と対面したい。
そのためには、とにかく家に帰らなければ。
ドアを開け、玄関に入ってぎくりとした。
ピンクのラインの入った白いスニーカーが、右足だけ倒れて並んでいる。
妹が、高校から帰ってきていることを示していた。どうやら今日は部活がないらしい。母親はパートの時間だから、家には誰もいないと思っていたのに。
私はゆっくりと靴を脱ぎ、足音を消して、ライオンから身を隠すうさぎのごとく二階を目指した。
妹は自分の部屋にいるだろうか。
私の部屋は2階の1番奥の4畳半で、私がそこにたどり着くには妹の部屋の前を通過しなければならない。こんな生活になる前は、現在妹の部屋である8畳間を妹と共用で使っていたが、その妹にある日突然追い出された。
以来ろくに日もあたらず、物置がわりに使っていた4畳半(妹いわく、ネクラの姉貴にお似合い)を私は自分の部屋として使っている。
水滴を滴らせ、忍び足で息を殺しながら、妹の部屋の前まで来た。ドアは閉まっていて、耳を澄ますと中は静かのようだ。昼寝でもしているのかもしれない。少し安堵して、部屋の前を通り過ぎようとしたとき、
「姉貴、帰ってきてんの?」
今上った階段の下から威圧するようなはっきりした声が響いた。私は驚くあまり、びくりと体を震わせ、あやうく抱え込んだケースを落としそうになった。どうやら妹は1階のリビングにいたらしい。
「ねえっ!なんか廊下濡れてんだけど!? なに? どこ行ってたの? 恥だから外うろつかないでほしいんだけど!」
妹は、突き刺さるような罵声を私に浴びせる。私は階段のほうを振り向くこともできずに、そのまま縮こまって突っ立っていた。
これが私のいつものやり方だ。そのまま時が過ぎるのを待つ。
妹も言いたいことを言いたいだけ言ったら、何もしゃべらない私などにいつまでもかまわず、さっさと自分の行動に戻っていくだろう。いつもそうだ。そうしたら、すぐに自分の部屋へ行って、包みを開けて、ゆっくりとこのケースを眺めよう。いつものお決まりの展開だ。
だが、今回は違った。妹は階段を上がってきたのだ。わざと足を踏みならして、私の真後ろに立ったのが分かった。私は妹に背を向けたまま、雨で濡れた体がいっそう冷えて行くのを感じた。
「ああ~!! もうほんとうざい! いるだけでうざい! なんでいんの? ねえっこっちむけよ!」
背中に吠える妹が怖くて、私はゆるゆると首だけ妹の方に向けた。目の端でとらえた自分の妹は、バスケットボール部員にふさわしい長身に、筋肉質な体つきをしていた。顔自体は私と似ていなくもないのだか、勝気な性格が全体ににじみでている。私はそんな妹と目を合わせるのも恐ろしく、ただ妹の日に焼けた膝あたりを見ていた。
しばらく罵詈雑言を浴びせていた妹だが、まったくなんのアクションも起こさない私に対し、ついに呆れたように舌打ちしたかと思うと、早足で私に近づいてきて吐き捨てるように言った。
「あんた、もう人生終わりだね」
そして私の肩にわざとぶつかると、自分の部屋のドアを開け、「死ね」と呟いて、叩きつけるようにドアを閉めた。
私は10秒くらい、その場に立っていた。そのあと、特に何も考えず、機械的に足を動かし、自分の部屋へ入った。勉強机の前に座り、今まで抱えていた包みを慎重に開く。
なぜか手が小刻みに震えていて手間取った。次第に鼻息も荒くなってきて、やっとのことで包みをすべて広げ、巻き毛の少女と対面したとき、私は泣いていた。
くやしい、くやしい、くやしい……。
にもかかわらず、私は折りたたみ傘をバッグから取り出して、さそうなどとは少しも考えなかった。いや、考えつかなかった。
私の頭の中ははやく家に帰る、ということでいっぱいだった。
「はやくこの長方形のケースを安全な場所へ」すなわち自分のテリトリー、私の部屋へ。
私は結局、長方形のケースをギリギリのところで購入した。たしか、3000円だったような気がするが、よく思い出せない。
売主の女性はこのケースを丁寧に包んでくれた。包んだ商品を手渡しながら笑顔で私に何か言っていたような気がするが、私は商品を受け取るとすぐに骨董市を後にした。
このケースを失くしたりしないよう、両腕で自分の胸へ押しつけるようにして守りながら、水たまりをよけようともせずに、ずぶぬれになって家を目指した。
はやく誰にも邪魔されないところで、ゆっくりと、この手に入れたケースを眺めたい。
ケースに描かれた妖精……色の白い巻き毛の少女と対面したい。
そのためには、とにかく家に帰らなければ。
ドアを開け、玄関に入ってぎくりとした。
ピンクのラインの入った白いスニーカーが、右足だけ倒れて並んでいる。
妹が、高校から帰ってきていることを示していた。どうやら今日は部活がないらしい。母親はパートの時間だから、家には誰もいないと思っていたのに。
私はゆっくりと靴を脱ぎ、足音を消して、ライオンから身を隠すうさぎのごとく二階を目指した。
妹は自分の部屋にいるだろうか。
私の部屋は2階の1番奥の4畳半で、私がそこにたどり着くには妹の部屋の前を通過しなければならない。こんな生活になる前は、現在妹の部屋である8畳間を妹と共用で使っていたが、その妹にある日突然追い出された。
以来ろくに日もあたらず、物置がわりに使っていた4畳半(妹いわく、ネクラの姉貴にお似合い)を私は自分の部屋として使っている。
水滴を滴らせ、忍び足で息を殺しながら、妹の部屋の前まで来た。ドアは閉まっていて、耳を澄ますと中は静かのようだ。昼寝でもしているのかもしれない。少し安堵して、部屋の前を通り過ぎようとしたとき、
「姉貴、帰ってきてんの?」
今上った階段の下から威圧するようなはっきりした声が響いた。私は驚くあまり、びくりと体を震わせ、あやうく抱え込んだケースを落としそうになった。どうやら妹は1階のリビングにいたらしい。
「ねえっ!なんか廊下濡れてんだけど!? なに? どこ行ってたの? 恥だから外うろつかないでほしいんだけど!」
妹は、突き刺さるような罵声を私に浴びせる。私は階段のほうを振り向くこともできずに、そのまま縮こまって突っ立っていた。
これが私のいつものやり方だ。そのまま時が過ぎるのを待つ。
妹も言いたいことを言いたいだけ言ったら、何もしゃべらない私などにいつまでもかまわず、さっさと自分の行動に戻っていくだろう。いつもそうだ。そうしたら、すぐに自分の部屋へ行って、包みを開けて、ゆっくりとこのケースを眺めよう。いつものお決まりの展開だ。
だが、今回は違った。妹は階段を上がってきたのだ。わざと足を踏みならして、私の真後ろに立ったのが分かった。私は妹に背を向けたまま、雨で濡れた体がいっそう冷えて行くのを感じた。
「ああ~!! もうほんとうざい! いるだけでうざい! なんでいんの? ねえっこっちむけよ!」
背中に吠える妹が怖くて、私はゆるゆると首だけ妹の方に向けた。目の端でとらえた自分の妹は、バスケットボール部員にふさわしい長身に、筋肉質な体つきをしていた。顔自体は私と似ていなくもないのだか、勝気な性格が全体ににじみでている。私はそんな妹と目を合わせるのも恐ろしく、ただ妹の日に焼けた膝あたりを見ていた。
しばらく罵詈雑言を浴びせていた妹だが、まったくなんのアクションも起こさない私に対し、ついに呆れたように舌打ちしたかと思うと、早足で私に近づいてきて吐き捨てるように言った。
「あんた、もう人生終わりだね」
そして私の肩にわざとぶつかると、自分の部屋のドアを開け、「死ね」と呟いて、叩きつけるようにドアを閉めた。
私は10秒くらい、その場に立っていた。そのあと、特に何も考えず、機械的に足を動かし、自分の部屋へ入った。勉強机の前に座り、今まで抱えていた包みを慎重に開く。
なぜか手が小刻みに震えていて手間取った。次第に鼻息も荒くなってきて、やっとのことで包みをすべて広げ、巻き毛の少女と対面したとき、私は泣いていた。
くやしい、くやしい、くやしい……。
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