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高校生編
20 千夜子の災難
しおりを挟む熱が下がってすっかり体調も良くなった千夜子は三日ぶりに高校へ復帰した。
晃は相変わらず千夜子を避けるように時間をずらして登校していた。
(彼女も出来たしわざわざ妹と登校することもないものね)
そう思う千夜子の心は重く沈んでいた。
千夜子の脳裏に、自分を睨み付けて家を出ていった花野井の姿が思い浮かぶ。
その後晃に彼女と何かあったのか尋ねるも、晃は不機嫌な様子で何も答えてくれなかった。
ガラリと千夜子が教室のドアを開けると、いつものように先に来ていた純が、元気そうな千夜子の姿を見て嬉しそうに声を掛けてきた。
「おはよう、ちゃこ! もう体調は大丈夫か? 」
「うん。心配かけてごめんね、ジュンジュン。この通りすっかり元気だよ。休んでた分のノート後で写させて」
「勿論だ! ちゃこの為にいつも以上に丁寧にまとめておいたぞ」
気の置ける純との何気ない会話に、千夜子は久し振りに心からホッと笑顔を浮かべた。
◇
「千夜子ちゃん」
放課後、千夜子と純が帰宅の為校門を出ると、不意に千夜子を呼ぶ声が聞こえた。
聞いたことのある声に、千夜子が声のした方を振り返る。
「あ……」
そこには一昨日家で出会ったばかりの晃の彼女の姿があった。驚く千夜子に花野井はにっこりと好意的な笑顔を向けた。
「やっぱりS女の制服って可愛いね。私もS女にすれば良かったかな」
そう言いながら花野井は制服姿の千夜子をまじまじと眺めた。
「……おい、ちゃこ知り合いか? 」
突然馴れ馴れしく話しかける他校の女に、純は不審な目を向けながら千夜子へと尋ねた。
「あ、えっと、お兄ちゃんの彼女……」
「は? 藤森先輩に彼女? ほんとかよ? 」
今迄千夜子の口から晃の彼女の存在を聞いたことがなかった純は驚きの声を上げた。
「私はてっきり女に興味がない人なんだと思ってたわ」
「ジュンジュン……。すみません、えっと……」
実際の彼女を目の前に、失礼なことを口走る友人に代わって千夜子が花野井に謝罪の言葉を述べる。
そして、まだ彼女の名前を聞いていないことに気付くと言葉を詰まらせた。
「花野井志穂といいます。改めてよろしくね、千夜子ちゃん」
それに気付いた花野井が自らを名乗り、にこりと千夜子へと微笑んだ。そしてようやく、千夜子を尋ねてきた理由を口にした。
「あのね、実は藤森君のことでちょっと相談したいことがあって……。ほら、この間私、藤森君とちょっと気まずくなって逃げるように帰っちゃったでしょ? あれから何だか仲直りするきっかけが作れなくて……」
そう言って花野井が悲しそうな顔でちらりと千夜子を上目遣いで見上げた。
「折角藤森君と心が通えるようになったのに、このまま話せなくなったらどうしようって不安で……」
「う、……わ、分かりました。何だか兄がすみません……。私なんかでお力になれるか分かりませんが、出来る限りご協力させて頂きます……」
「ありがとう、千夜子ちゃん」
千夜子の言葉に、花野井は嬉しそうに千夜子の両手をぎゅっと握り締めた。
縋るような花野井の姿に、千夜子はズキンと心が痛んだ。
(お兄ちゃん、こんな健気そうな人を今迄の人達みたいにまた傷付けたのかな……)
「ごめん、ジュンジュン。私、花野井さんと少しお話ししてから帰るから先に帰ってて? 」
千夜子は一緒に帰る予定だった純に、申し訳なさそうに声を掛けた。
「おい、ちゃこ……」
純は何となく嫌な予感がして千夜子を引き留めようと声を掛けるも、千夜子はそのまま純に手を振ると、花野井と一緒にバス停とは反対の方向へと消えて行った。
* * *
「おーい、晃。帰るなら一緒に帰ろーぜ」
高校の玄関で外履きに履き替えている晃に、不意に背後から恭が話し掛けてきた。その声に、晃がじろりと睨むように恭を振り返る。
「なんだよ、土曜日のことまだ根に持ってんのか? いや、普通怒るの俺の方だろ? 急にカラオケ呼び出されたかと思ったら、お前勝手に拗ねて一人で帰るし」
「……悪いと思って金置いてっただろ」
「あー、一万円ね~? お金で解決しようなんて、流石お坊ちゃんだと思ったわ。でも、まぁ、折角の大金だったんで、ちゃこちゃんとデートして全部遣わして貰ったけどね」
恭が敢えて晃を刺激するように千夜子の名前を出す。案の定、晃の不機嫌な顔がピキッと一瞬引き攣ったのを恭は見逃さなかった。
「あれからお前、俺が話し掛けても無視するし。てか、月曜日学校ふけて花野井と消えたんだって? 何か噂になってたけど」
「うるせー。お前には関係ないだろ」
「いやいや、大アリだよ。お前が花野井と付き合ってんなら俺本格的にちゃこちゃん口説くけどいい? 」
恭の宣戦布告のような言葉に、晃が恭を正面から見据えた。
「……お前、本気なのか? 」
「本気だよ? ちゃこちゃん健気で可愛いじゃん。でも、何かお前がちゃこちゃんずっと手元に縛り付けてたし、ちゃこちゃんも嫌がってる感じでもなくて従順だし。俺の付け入る隙ないかな~、なんて思って引いてたんだけど、何か付け入る隙出来たっぽいからさ」
にやりと恭が不適な笑いを晃に向ける。
「……勝手にしろよ。俺はもう千夜子とは距離を置くつもりだから」
真正面から向けられる恭の視線から目を逸らし、晃が苦しそうに呟いた。
「何で今更? 」
辛そうな様子の晃に、恭が真顔で問い掛けた。
「最近、あいつといると感情のセーブが出来なくなって、あいつを傷付けてしまうから……」
「……お前まさか、ちゃこちゃんを傷付けたのか? 俺があの日門扉前でキスしたから? 」
「……」
何も答えない晃に、肯定と捉えた恭はカッとなって、晃の制服のネクタイを怒り任せに乱暴に掴みあげた。
「お前、ふざけんなよ……」
「――あの! お取り込み中の所、申し訳ないのだが」
緊迫した二人の間に、女の声が突如として割って入ってきた。
その切迫したような様子に、晃と恭が同時に何事かと声の方を振り返った。
そこにはS女の制服を来た美人が一人、長い黒髪を乱しながら、息を切らして物凄い形相で二人を見ていた。
「君は……? あ、 確かジュンジュン! ちゃこちゃんのお友達! 」
「おい、勝手に気安くあだ名を呼ぶな」
恭が純の正体に気が付き声を上げるも、呼ばれ方が気に入らない純がギロリと恭を睨み付けた。
「……どうした? 千夜子に何かあったのか? 」
血相を変えたような純の様子に、晃は嫌な予感がし、ネクタイを掴む恭の腕を振り払い、純に詰め寄った。
「……30分程前にちゃこの所に藤森先輩の彼女だって名乗る女が尋ねて来たんだ。確か、花野井って言ってたっけ」
「は? 」
純の言葉に晃の顔が一瞬で険しいものへと変わる。
「何で花野井が千夜子に? 」
「先輩怒らしたから仲直りしたいって。そのことでちゃこに相談したいって言ってきて、それでちゃこも了承して。それから、花野井に誘導されて、二人で駅とは逆のどこかに歩いて行って……。なんか胡散臭い女だと思って不安になったから、こっそり二人の後を追いかけたんだけど……」
「ジュンジュン、すげー行動力……。この間のカラオケの時といい、相変わらず驚かされるわ」
「おい、だから気安くその名を呼ぶな」
「それで? 千夜子は花野井と何処に行ったんだ? 」
晃は恭を睨む純の肩を掴むと、話を戻そうと自分の方へと顔を向けさせた。それから焦れたように晃は純に二人の行き先を尋ねた。晃の切迫した様子に純もハッと我に返ると、記憶を手繰るように話しを続けた。
「花野井って女に誘導されながらバス停と反対の方に暫く歩いて行くと、先に打ち合わせをしていたかのように突然、黒い車がスッと二人の前に停まったんだ。その運転手と花野井は知り合いっぽくて、車の窓越しに話をしたかと思ったら、花野井が千夜子をその車に乗せて、自分も一緒に乗り込んで、車はそのまま二人を乗せて何処かに消えて行った。『何かまずくね、コレ』と思って慌ててちゃこに電話したんだけど、さっきから全然応答がなくて……」
言ってる側から純の顔色がみるみる内に青ざめていく。
「……おい、これって本当に結構ヤバイんじゃ……」
恭が心配そうに晃を見る。
「くそっ! 」
苦々しい思いで晃は言葉を吐き出すと、すかさず自分のスマホを取り出し、千夜子の位置情報を確認し始めた。
「……よし、大丈夫だ。そんなに遠くは行ってない」
晃は千夜子の現在地を確認すると今度は手早くタクシーの手配を始めた。
「え? お前ちゃこちゃんと位置情報共有してるの? 」
「……ストーカー?……」
そんな晃に恭と純が引き気味に視線を送る。
「人聞きの悪いこと言うなよ。家族なんだし、当然だろ? 千夜子が変な奴に連れていかれると悪いから、アイツがナンパされ出した頃から位置情報は共有してるんだ。お陰で今こうして役に立ってるだろ? 何だよ、おい。二人して変な目で見るな」
二人を睨みながら、晃は校門前へと呼び出したタクシーを待つ為、足早に歩き出した。
移動しながら晃は取りあえず千夜子に、LINEでメッセージを送った。既読が直ぐに付かないことからスマホを見ている余裕がないのだろうことが窺える。
(大丈夫だ。最悪のことは考えるな)
晃は焦る気持ちを落ち着けて、千夜子の無事をひたすら祈った。
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