夏が終わった、そのあとに〜吟遊詩人とすみれの恋〜

楢川えりか

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【PART 1】2年生、夏

4. パリの恋人たち(2)

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 美術館にほど近い、サン・ジェルマン・デ・プレの小さなホテルは、いかにも早瀬のチョイスらしい、歴史を感じられるアンティーク風の建物だった。
 アンティークな椅子とテーブル、それにダブルベッドでもういっぱいの、小さな部屋。
(ダブルベッドだ……)
 心臓が跳ねる。いや、ダブルの方が安いしな。だろ。あの、この掛け布団の中でおれと早瀬が一緒に、ね、寝るわけではあるんだけど。
 勧められて先にシャワーを使ったけれど、どうしたらいいかわからない。パジャマ代わりのジャージを着込んで、居場所を探してうろうろして、机の前の椅子に小さく腰かけた。
 いや、隣に寝るってことはまあそれなりに近い距離にいるってことだ。歯は磨いた。体も結構しっかり洗ったし、鏡も見たし、もうできることはやってるはずだ。これで正解なのか?
 おれがそんなことをグダグダ考えているうちに、シャワーから早瀬が出てきた。
「そんな隅っこにいなくても」
 声をかけられてまた心臓が跳ねた。低い声がセクシーだ。おれは恐る恐る、視線を声の方に動かす。
 明るい茶髪が水を含んで少し暗くなっている。裸の肩にかけたタオルでその毛先を拭いながら、ハーフパンツ姿の早瀬がおれに微笑んだ。
 なんで上、着てないんだよ。セクシーすぎるだろ。
 ベッドサイドに腰かけた早瀬の隣に、おれはおずおずと近づいていって座った。近い。どこにも触れていないのに、彼の体温が伝わってきそうだ。
「ほら見て、お土産」
 動揺したおれには気づかない様子で、早瀬がベッドサイドに放置していた袋を引き寄せた。日中に見た『我がただひとつの望みに』のポストカードだ。それ以外にも、写本のポストカードも何枚かある。
「これ、何語かな? 帰ったら調べてみるよ」
 美しい金箔が貼られた写本のカードを眺めながら、彼はつぶやいた。
 宝物を見つけた少年のようにそれを眺める早瀬を見ると、おれはまたドキドキする。早瀬の箱にはすでに美しい情熱が入っている。素敵だな。
「なんで、吟遊詩人になりたいと思ったの?」
 おれはふと、思い浮かんだ疑問を口にした。前から、ときどき聞いてみたかったのは本当だけど、少し緊張から逃れたかったのもある。
 早瀬はポストカードをサイドテーブルに戻すと、懐かしそうに微笑んだ。
「子供のころに、深夜番組でイギリスの古い映画をやっててさ。吟遊詩人が妖精の女王に連れていかれて、楽しく過ごしたあとに戻ってきたら、何十年も経ってましたって話なんだけど」
「浦島太郎みたいだな」
 どこかで聞き覚えのあるような話だ。
「この手の話はヨーロッパにもよくあるんだよ。その主人公の名前が、オレと同じだったんだ」
「トマ?」
 ちょっと緊張しながら、彼の名前を口にする。
「そう、英語だったからトーマスだったんだけど。オレさ、そのころあんまり自分の周りに、こういう、自分みたいな見た目の人がいなくて。むしろ自分は、映画の中の人の方に近い見た目だからさ。オレにもいつか、妖精の女王が迎えにくるんだなって思った」
「……?」
 意味がわからなくて、おれは早瀬を見た。
「オレの実の父親はフランス人なんだけど、オレが覚えてないくらいずっと昔に、母さんと離婚したんだ。情熱は死ぬ。それでオレは母さんと日本に帰ったらしくて、そのあと母さんが再婚した早瀬の父は日本人だから、オレの両親は完全に日本人なんだよね。弟もいるんだけど、家族の中でオレだけ見た目が違って。でも、うちでも外でもそのことは話しちゃいけない雰囲気があって」
 おれが聞いていいのかな。予想以上にプライベートな話に、おれは戸惑う。そう思ったおれには気づかないのか、早瀬は続ける。
「だからいつか、オレも吟遊詩人をやっていれば妖精の女王に気がついてもらえると思ったんだ。あの吟遊詩人の歌は、オレを本当の場所に連れていってくれると思った。そのとき。大人になって、もうお迎えが来ないのはわかっているんだけど。でも、あの映画で聴いた歌はとてもきれいで、ずっとオレの中で流れている」
 おれは、そのときの小さな早瀬の気持ちを思った。
 なんで自分が周りの人と違うのか、疑問に思ったことだろう。それでも家にはちゃんとお父さんとお母さんがいて。自分の実の父親について聞くことができなかった。
 そんな小さな彼が見つけた希望が吟遊詩人だったのか。
 フランスで目にした、今まで彼がそれに傾けてきた一途な情熱のことを考えると、胸が痛くなる。小さな彼がいじらしくて、いとおしかった。
 おれは手を伸ばして、自分より背の高い早瀬をぎゅっと抱きしめた。
「かわいいね、早瀬」
 ふふっと、腕の中の早瀬が笑った。
「ねえ一夜、オレを名前で呼んで」
 甘えるように言われておれは、少し戸惑う。名前で呼ぶのはものすごく親密な気がした。
 だけどさっき、彼の名字はもともと彼のものではないと聞いたから。彼を名前で呼びたかった。彼が憧れた、吟遊詩人の名前で。
「――都真」
「うれしい」
 ぎゅっと、抱きしめ返された。また胸の鼓動が早くなる。うっかり自分から抱きしめてしまったけれど、早瀬、いや都真は半裸で、おれの着た薄いTシャツを通して、その体温がダイレクトに伝わってきた。
「一夜」
 そっと顎をとられて、強いまなざしが、まっすぐにおれを見てきた。
「あのさ、オレの勘違いだったら止めてほしいんだけど」
 やばい。
 日本人には薄すぎる、茶色い瞳を見返すだけで、おれはもう息ができない。
 勘違いなわけがない。
 おれだって今日一日中、こんなことになるんじゃないかなって予想はしてた。予想だけしゃない。期待も、してた。
「勘違い、なんかじゃないし」
 声が掠れた。
「オレは、今からすみれの蕾を摘みたいと考えてる。いやだったら言ってほしい」
 運河沿いでの、たわむれのような会話を思い出す。今思えば、あのころからおれはもう、こういうことがあるのを期待していたんじゃないか。
「おれの気持ちも、同じだよ。都真」
「よかった」
 都真がほっとしたように微笑んだ。かわいいな、都真。すごくかわいいよ。
 すぐに唇にキスが落ちてくる。いつもの優しいキスと違って、情熱をはらんでいた。それを受け止めようと、おれは目を閉じる。
 やばい、好きだ。
 奔流のように、都真のことが好きだって気持ちが、体中を巡っていく。

 そうしてその晩、おれの上には真夏の太陽のような情熱が通り過ぎて。
 全身幸福感に満たされて。
 ――ひと夏の魔法がとけることなんて、考えてもみない夜だった。
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