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俗世

懐かしい声

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  佑太はエプロンをして料理をする恵美子の姿を振りむいて見ていた。

 両親が離婚して、母親に引き取られたが再婚相手とはそりも合わなかった。

 後から生まれた異母弟に愛情を注ぐ、母親を見て自分は嫌われている。

 そう感じた佑太は家族愛を感じることなく、自分の殻に閉じこもるようになった。

 金沢の高校を卒業すると、現役でT大学に合格した。

 高校時代の彼は世間の同学年とは違い、ひたすら受験勉強に明け暮れていた。

 それは自分の将来を考えてではなく、自分の居場所がない金沢の実家を出たいという一心からだった。

 T大学に入学して、数人の女性と付き合ってみたが、自分とは合わずいずれも短期間で終わった。

 就活が終わり、暇を持て余していたとき、出会い系で知り合った恵美子は運命の女性だと思った。

 包丁の音、鍋で食材を煮る音が聞こえてくる。

 楽しそうに料理をしている恵美子を女性として、自分が求めている母親像と重ねて見ていた。

 母親の愛情に飢えた佑太にとって恵美子はそれを満たしてくれる存在だったのだ。

 カレーが出来るとトレーに載せて恵美子がテーブルに運んできた。

 テーブルには御飯の上にカレーがよそられ、湯気と共に香辛料の香ばしい匂いが鼻をつく。

「恵美子、美味しそうだね」

「そうでしょう? 腕によりをかけて作った、愛情のこもったカレーだからね」

 誇らしげな表情を見せてそう自慢気に言った。
 
 佑太は両手を合わせて

「いただきます」

 と言うとスプーンで一口食べる。

「美味しい! こんなカレーは食べたことないよ」

「嬉しいわ、作った甲斐がある、このカレー隠し味にチョコレートを入れたの」

「チョコレートを?」

「そう、チョコを入れるだけでコクが増してまろやかな味になるのよ」

「意外だったな、チョコレートか」

 佑太は感心しながら、次々にカレーを口に運びあっという間に平らげた。

「あら、もう食べたの?」

「だって、恵美子の作ったカレーだから」

「あら、気の利いた台詞ね、さすがはT大学の学生さんね!」

 恵美子は佑太の皿を持って台所に行き、御飯と鍋に入ったカレーを掬って入れた。

 皿をテーブルに置くと、佑太は子供のようにムシャムシャとカレーを貪り食べた。

 そんな様子を恵美子は嬉しそうに眺めながら、自分もカレーを食べる。

 カレーを半分食べた頃、恵美子の携帯が鳴った。

  恵美子のパンツのポケットから携帯を取り出して応答した。

「はい、もしもし」

「恵美子さん?」

「もしかして由美子さん?」

「はい、そうです」

 電話は川田由美子からだった。

 以前、座禅会でよく一緒になる女性だ。

 会社勤めの32歳のOLである。

「どうしたの?急に」

「実は私、得度することなったんです」

「在家で?」

「いえ、本格的に、恵美子さんが決心したので、私もと」

「本当に?」

 恵美子は驚いた表情を見せた。

「はい、実は明後日、栃木県の実家の近くのお寺さんが後継者を探していて、私が立候補したんです」

「良く決心したわね」

「栃木県の小山にある成願寺というお寺で得度式をするので、是非、恵美子さんにも来て欲しいと」

「分かったわ、そうなると私よりも先輩になるわね」

「そうですね」

 由美子の苦笑する声が受話器を通して聞こえる。

「時間は?」

「明後日のお昼からです」

「じゃあ、午前中にお話ししたいね」

「では、小山に着いたら電話を貰えますか、迎えにいきますから」

「わかったわ、それじゃあ」

 そういうと電話を切った。
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