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Ⅰ-01
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「……ごめんなさい」
少女が嗚咽を漏らしながら、涙声でそう告げた。
「謝らなくてもいいよ」
青年は彼女に優しく笑いかけ、両の瞳から溢れ出る涙をそっと拭っていく。
「これは、僕が決めたことだから、泣かないで。――どうか笑って、僕を送り出して欲しい」
彼の温かな言葉に、彼女はさらに涙を流してしまう。
青年は困ったような笑みを浮かべ、彼女を優しく抱き締めた。すると、彼女も彼を抱き締め返してゆく。
「……兄さん、有り難う」
瓜二つの容姿が、互いを抱き締め合っている。
銀色の髪に二重瞼の赤い瞳。女性的な造形の美しい顔立ち。百七十センチの線の細い身体つき。性別と内面のそれらを省けば、二人は見分けがつかないほどに酷似していた。
彼らは、海の近くの村に住む双子の兄妹だ。両親は既に他界し、家族は彼らの二人だけである。
そんな彼らが二人きりで仲良く暮らしていた折、唐突に離れ離れにならなければいけなくなった。
原因は、村の掟にある。
その掟とは、年に一度、海の守護神への慰み者として女をひとり海に捧げると言うものだ。海の守護神は、荒ぶる神でもある。漁などで生計を立てている村人たちは生贄を捧げることによって、荒ぶる神の心を鎮め守護して貰わなければならなかった。
そして生贄に選ばれた女は、青年シーリスの妹シーアリである。しかし、彼の妹は山の村に住む青年と恋仲にあった。悲しみに暮れるたったひとりの妹に、シーリスはとある提案を持ち掛ける。
それは、妹の代わりに自らが海の守護神の生贄となることだ。瓜二つの容姿は格好を取り替えてしまえば、当人たちでしか見分けがつかなくなる。村の掟を破り、神と村人たちを欺き、自分の身を犠牲にしてまでも、彼はたったひとりの妹を兄として護りたかった。
そして、今日がその日であり、先ほどの会話へと至るのである。
長い間抱き締め合った二人は、ゆっくりと身を離して、互いの姿を目に焼き付けるように見詰め合った。
用意された女性の衣装を身につけ、念入りに化粧を施した妹に扮する兄。
男性用の服を身につけ、努めて兄の雰囲気を纏い兄に扮する妹。彼女の手には、最低限の荷物が詰め込まれた小さな布袋が握られていた。
シーリスが、ふっと優しい面持ちになる。
「いい? 僕が家を出て行ったら、お前は家の裏口から逃げるんだよ。村の外でお前の大切な人が待っているから、その彼と一緒にこの村を離れるんだ」
何処までも柔らかな兄の口調に、シーアリはまた涙を溢れさせながら小さく頷いた。
「それから、この村のことは全て忘れて、彼の村で幸せに暮らすんだよ」
それについては、彼女は俯きながら何度も首を左右に振る。すると、シーリスはまた困ったような表情をする。
「お願いだ、シーアリ。お前が幸せになることは、僕にとっての願いでもあり唯一の救いなんだよ?」
彼がそう口にしたと同時に、家の扉が叩かれた。どうやら、迎えが来たようだ。
「……元気で。どうか、僕の分まで幸せに」
それだけを彼女に告げて、シーリスは顔を隠すように俯き、ゆっくりと家の扉を開けてゆく。
外では松明を手にする村人たちが、辛そうな面持ちでシーリスを待っていた。表情から窺い知れるのは、彼らは好き好んで生贄を捧げている訳ではない――ということだ。妹に扮する彼と兄に扮する彼女に対して、謝罪を口にしながら頭を下げる者がほとんどだった。
シーリスは俯いたままで外に出、シーアリを家の中に残して扉を閉めていく。
妹を見送らない兄に、誰も不審には思わなかった。彼らもまた、肉親を生贄として捧げた経験を持っている。見送りたくても見送れない、悲しみや辛さを充分なほどに解っている。
シーリスが、家の前からゆっくりと歩き出した。
すると、村人たちは家の前から浜辺に向けて左右に一列に並ぶ。そして、持っていた松明を掲げ直し、列の間を歩くシーリスの暗がりの道を明るく照らしていった。
松明に照らされた道を暫く歩き浜辺に到着すれば、シーリスは目の前に置かれている綺麗に装飾された台へと上がる。その台の上で静かに正座すると、四人の男たちがそれを持ち上げておもむろに歩き出した。四人の男たちの他に、道を照らす役割を担うふたりの女も揃って歩き出す。
彼らの向かう場所は、そこから少し離れたところにある二隻の小舟だ。波に流されないように、小舟は縄で繋がれ陸近くの海上で漂いながら、生贄となる者を静かに待っていた。
二つの内のひとつの小舟の前で、台がゆっくりと下ろされる。シーリスはその台から立ち上がり、小舟の上へ落ち着いた足取りで静かに乗り移った。
他の誰も乗ることのない小舟に彼が正座すれば、男と女たちは小舟に繋いでいた縄を解いてその場を歩き去る。そこに残されたのは、シーリスともうひとつの舟に立つ彼の運び手となる男のみだ。
男が立ちながら小舟を漕ぎ出した。その小舟に縄で繋がれた彼の小舟が、引っ張られるようにして沖へと流れていく。
ここまで来る間に、シーリスは様々なことを考え思い返していた。
数年前に嵐で亡くなった父。それを追うようにして、病で亡くなった母。そして、妹の代わりに生贄となり、残される悲しみを知っていながら妹を置いて逝く自分自身。
永久の生命を持つ神々と違い、人間の生命は何と儚くも尊いのだろう。しかし、消え逝く生命はやがて、新しい生命として生まれ出。それが神と人間の違いである。
(僕の命もまたここで絶え、そしてまた何処かで新しい命として生まれるのか)
そう思いながら、シーリスは自分の髪と同じ色の月を見上げた。
夜空は雲ひとつなく、その月と多くの星々が光を失うことなく輝いている。
(……願わくは、シーアリの傍で生まれ変わりたい。こんな方法でしか護ることが出来なかったから、せめて生まれ変わった時はずっと傍で見守ってやりたいよ)
彼が思うのは、シーアリのことばかりだ。シーリスにとって、彼女は不可欠の存在である。両親が他界したことをきっかけに、彼は全てのことにおいて妹を何よりも第一に考えていた。それは、今もこれからも変わらないのだろう。
様々な思いを巡らせていると、小舟はいつの間にか沖の深くに流れていた。見渡す限りに海が広がっており、島や村の景色は何処にも見当たらない。
小舟の運び手である男が、小舟と小舟を繋ぐ縄を解いてゆく。それが終われば、彼はその場にシーリスを置いて村へと引き返して行った。
遠ざかってゆく男の背中を見送り、シーリスは視線を前へ戻すと、ゆっくりと目蓋を閉じていく。
波の音だけが、彼の耳に聞こえてくる。その他の音はなく、時間がゆっくりと過ぎて行くようだ。
だが、暫くすると、その波の音さえもやがて聞こえなくなった。
風が止んで波が穏やかになり、神凪の時がやって来る。神凪の時――普段は姿を見せることのない海の守護神が、年に一度だけ姿を見せる時がやって来るのだ。
目を閉じているシーリスの小舟の前で、海水が淡い光を放った。すると、海水が玉のように丸い形を作りながら、幾つも宙に浮き上がる。それはやがてひとつに集まり、人間の姿へと形を徐々に変え始めた。
人間のようなそうではないような不思議な気配に、シーリスは目蓋をゆっくりと開けていく。すると、そこには長身の青年が不機嫌そうな表情で立っていた。
風もないのに揺れる青味掛かった黒髪に、目付きの鋭い一重瞼の何処までも深い海の色の瞳。整った精悍な顔立ちは、男としての魅力に溢れている。
彼とシーリスの身長差は、十五センチだ。百八十五センチの程よく綺麗に筋肉のついた身体は、風がないのに揺らめく薄い白の布を纏っていた。
(……これが、海の守護神)
全てにおいて自分と異なる存在を、シーリスは様子を窺うように見上げ続けている。
(見た限りでは、僕たちとあまり変わらないようだ。神々しい雰囲気もあまり感じない)
「――そなたが我の生贄か?」
不機嫌そうな表情と相まった声音で問われ、シーリスは無言で深く頷いて見せた。
すると、彼は更に不機嫌そうに顔を歪めていく。
「馬鹿を言え。女に上手く扮したところで、我の目は誤魔化せぬぞ。今すぐに、代わりの女を連れて参れ。――でなければ、そなたの村を滅ぼすまでだ」
彼にそう脅されて顔を蒼褪めさせながらも、シーリスは首を縦に振ることが出来なかった。海の守護神に許しを乞うように、舟の上で深々と頭を下げていく。
「どうかお許し下さい、守護神様。私が今戻ってしまえば、大切な妹が幸せになれなくなります。……何でも言うことを聞きます。貴方様に尽くします。この命も惜しくはありません。ですから、どうかそのお言葉を撤回して下さい」
頭を下げたままで懸命に言い募るが、彼の機嫌が直ることはない。
「我が選ぶのは、女のみだ。男に興味など、ほんの一欠片もない」
シーリスの言葉を撥ねつけて、彼は腕を組みながらきっぱりと言い切った。しかし、それでもシーリスは食い下がる。
「そこを何とかお願いします! 慰み者ではなく、貴方様の付き人として置いて下さい」
「断る」
「……それなら、どうすればお許し下さるのですか?」
何を言っても堂々巡りだろうと考えたシーリスは、顔を上げて真剣な眼差しで彼を見上げた。
すると、彼は何かを考えるように押し黙る。それから暫くして、溜め息を吐きながら漸く口を開いてゆく。
「……そなたはおかしな男だな。肉親の為だとは言え、何をそこまで懸命になるのだ。だが、その愚かさに免じて許してやろう。――よくよく見ると、そなたは女のように美しい容姿をしている」
彼の言葉に、シーリスはほっと安堵の息を吐き出した。
「守護神様。どうも有り難うございます」
そして、また深々と頭を下げる。
「顔を上げろ。そなたの名は何と言う」
彼にそう言われて、シーリスはゆっくりと顔を上げた。
「シーリスと申します。守護神様のお名前は何というのでしょうか?」
「我に名はない。……ナナシ、とでも呼べばいいだろう」
「ナナシ、様?」
「そうだ。では、行くぞ」
そう言うと彼――ナナシは、海の中へ潜り込んで行く。シーリスもその後を追い、海の中へと飛び込んでいった。
海の中は神凪の時である為か、不思議なくらいに穏やかだ。まるで、シーリスの身体を優しく包み込んでいるようである。
その海の中に漂いながら、ナナシはシーリスを待っていた。
「我と共に居れば、人間のそなたでもこの海の中で普通に呼吸が出来る」
少女が嗚咽を漏らしながら、涙声でそう告げた。
「謝らなくてもいいよ」
青年は彼女に優しく笑いかけ、両の瞳から溢れ出る涙をそっと拭っていく。
「これは、僕が決めたことだから、泣かないで。――どうか笑って、僕を送り出して欲しい」
彼の温かな言葉に、彼女はさらに涙を流してしまう。
青年は困ったような笑みを浮かべ、彼女を優しく抱き締めた。すると、彼女も彼を抱き締め返してゆく。
「……兄さん、有り難う」
瓜二つの容姿が、互いを抱き締め合っている。
銀色の髪に二重瞼の赤い瞳。女性的な造形の美しい顔立ち。百七十センチの線の細い身体つき。性別と内面のそれらを省けば、二人は見分けがつかないほどに酷似していた。
彼らは、海の近くの村に住む双子の兄妹だ。両親は既に他界し、家族は彼らの二人だけである。
そんな彼らが二人きりで仲良く暮らしていた折、唐突に離れ離れにならなければいけなくなった。
原因は、村の掟にある。
その掟とは、年に一度、海の守護神への慰み者として女をひとり海に捧げると言うものだ。海の守護神は、荒ぶる神でもある。漁などで生計を立てている村人たちは生贄を捧げることによって、荒ぶる神の心を鎮め守護して貰わなければならなかった。
そして生贄に選ばれた女は、青年シーリスの妹シーアリである。しかし、彼の妹は山の村に住む青年と恋仲にあった。悲しみに暮れるたったひとりの妹に、シーリスはとある提案を持ち掛ける。
それは、妹の代わりに自らが海の守護神の生贄となることだ。瓜二つの容姿は格好を取り替えてしまえば、当人たちでしか見分けがつかなくなる。村の掟を破り、神と村人たちを欺き、自分の身を犠牲にしてまでも、彼はたったひとりの妹を兄として護りたかった。
そして、今日がその日であり、先ほどの会話へと至るのである。
長い間抱き締め合った二人は、ゆっくりと身を離して、互いの姿を目に焼き付けるように見詰め合った。
用意された女性の衣装を身につけ、念入りに化粧を施した妹に扮する兄。
男性用の服を身につけ、努めて兄の雰囲気を纏い兄に扮する妹。彼女の手には、最低限の荷物が詰め込まれた小さな布袋が握られていた。
シーリスが、ふっと優しい面持ちになる。
「いい? 僕が家を出て行ったら、お前は家の裏口から逃げるんだよ。村の外でお前の大切な人が待っているから、その彼と一緒にこの村を離れるんだ」
何処までも柔らかな兄の口調に、シーアリはまた涙を溢れさせながら小さく頷いた。
「それから、この村のことは全て忘れて、彼の村で幸せに暮らすんだよ」
それについては、彼女は俯きながら何度も首を左右に振る。すると、シーリスはまた困ったような表情をする。
「お願いだ、シーアリ。お前が幸せになることは、僕にとっての願いでもあり唯一の救いなんだよ?」
彼がそう口にしたと同時に、家の扉が叩かれた。どうやら、迎えが来たようだ。
「……元気で。どうか、僕の分まで幸せに」
それだけを彼女に告げて、シーリスは顔を隠すように俯き、ゆっくりと家の扉を開けてゆく。
外では松明を手にする村人たちが、辛そうな面持ちでシーリスを待っていた。表情から窺い知れるのは、彼らは好き好んで生贄を捧げている訳ではない――ということだ。妹に扮する彼と兄に扮する彼女に対して、謝罪を口にしながら頭を下げる者がほとんどだった。
シーリスは俯いたままで外に出、シーアリを家の中に残して扉を閉めていく。
妹を見送らない兄に、誰も不審には思わなかった。彼らもまた、肉親を生贄として捧げた経験を持っている。見送りたくても見送れない、悲しみや辛さを充分なほどに解っている。
シーリスが、家の前からゆっくりと歩き出した。
すると、村人たちは家の前から浜辺に向けて左右に一列に並ぶ。そして、持っていた松明を掲げ直し、列の間を歩くシーリスの暗がりの道を明るく照らしていった。
松明に照らされた道を暫く歩き浜辺に到着すれば、シーリスは目の前に置かれている綺麗に装飾された台へと上がる。その台の上で静かに正座すると、四人の男たちがそれを持ち上げておもむろに歩き出した。四人の男たちの他に、道を照らす役割を担うふたりの女も揃って歩き出す。
彼らの向かう場所は、そこから少し離れたところにある二隻の小舟だ。波に流されないように、小舟は縄で繋がれ陸近くの海上で漂いながら、生贄となる者を静かに待っていた。
二つの内のひとつの小舟の前で、台がゆっくりと下ろされる。シーリスはその台から立ち上がり、小舟の上へ落ち着いた足取りで静かに乗り移った。
他の誰も乗ることのない小舟に彼が正座すれば、男と女たちは小舟に繋いでいた縄を解いてその場を歩き去る。そこに残されたのは、シーリスともうひとつの舟に立つ彼の運び手となる男のみだ。
男が立ちながら小舟を漕ぎ出した。その小舟に縄で繋がれた彼の小舟が、引っ張られるようにして沖へと流れていく。
ここまで来る間に、シーリスは様々なことを考え思い返していた。
数年前に嵐で亡くなった父。それを追うようにして、病で亡くなった母。そして、妹の代わりに生贄となり、残される悲しみを知っていながら妹を置いて逝く自分自身。
永久の生命を持つ神々と違い、人間の生命は何と儚くも尊いのだろう。しかし、消え逝く生命はやがて、新しい生命として生まれ出。それが神と人間の違いである。
(僕の命もまたここで絶え、そしてまた何処かで新しい命として生まれるのか)
そう思いながら、シーリスは自分の髪と同じ色の月を見上げた。
夜空は雲ひとつなく、その月と多くの星々が光を失うことなく輝いている。
(……願わくは、シーアリの傍で生まれ変わりたい。こんな方法でしか護ることが出来なかったから、せめて生まれ変わった時はずっと傍で見守ってやりたいよ)
彼が思うのは、シーアリのことばかりだ。シーリスにとって、彼女は不可欠の存在である。両親が他界したことをきっかけに、彼は全てのことにおいて妹を何よりも第一に考えていた。それは、今もこれからも変わらないのだろう。
様々な思いを巡らせていると、小舟はいつの間にか沖の深くに流れていた。見渡す限りに海が広がっており、島や村の景色は何処にも見当たらない。
小舟の運び手である男が、小舟と小舟を繋ぐ縄を解いてゆく。それが終われば、彼はその場にシーリスを置いて村へと引き返して行った。
遠ざかってゆく男の背中を見送り、シーリスは視線を前へ戻すと、ゆっくりと目蓋を閉じていく。
波の音だけが、彼の耳に聞こえてくる。その他の音はなく、時間がゆっくりと過ぎて行くようだ。
だが、暫くすると、その波の音さえもやがて聞こえなくなった。
風が止んで波が穏やかになり、神凪の時がやって来る。神凪の時――普段は姿を見せることのない海の守護神が、年に一度だけ姿を見せる時がやって来るのだ。
目を閉じているシーリスの小舟の前で、海水が淡い光を放った。すると、海水が玉のように丸い形を作りながら、幾つも宙に浮き上がる。それはやがてひとつに集まり、人間の姿へと形を徐々に変え始めた。
人間のようなそうではないような不思議な気配に、シーリスは目蓋をゆっくりと開けていく。すると、そこには長身の青年が不機嫌そうな表情で立っていた。
風もないのに揺れる青味掛かった黒髪に、目付きの鋭い一重瞼の何処までも深い海の色の瞳。整った精悍な顔立ちは、男としての魅力に溢れている。
彼とシーリスの身長差は、十五センチだ。百八十五センチの程よく綺麗に筋肉のついた身体は、風がないのに揺らめく薄い白の布を纏っていた。
(……これが、海の守護神)
全てにおいて自分と異なる存在を、シーリスは様子を窺うように見上げ続けている。
(見た限りでは、僕たちとあまり変わらないようだ。神々しい雰囲気もあまり感じない)
「――そなたが我の生贄か?」
不機嫌そうな表情と相まった声音で問われ、シーリスは無言で深く頷いて見せた。
すると、彼は更に不機嫌そうに顔を歪めていく。
「馬鹿を言え。女に上手く扮したところで、我の目は誤魔化せぬぞ。今すぐに、代わりの女を連れて参れ。――でなければ、そなたの村を滅ぼすまでだ」
彼にそう脅されて顔を蒼褪めさせながらも、シーリスは首を縦に振ることが出来なかった。海の守護神に許しを乞うように、舟の上で深々と頭を下げていく。
「どうかお許し下さい、守護神様。私が今戻ってしまえば、大切な妹が幸せになれなくなります。……何でも言うことを聞きます。貴方様に尽くします。この命も惜しくはありません。ですから、どうかそのお言葉を撤回して下さい」
頭を下げたままで懸命に言い募るが、彼の機嫌が直ることはない。
「我が選ぶのは、女のみだ。男に興味など、ほんの一欠片もない」
シーリスの言葉を撥ねつけて、彼は腕を組みながらきっぱりと言い切った。しかし、それでもシーリスは食い下がる。
「そこを何とかお願いします! 慰み者ではなく、貴方様の付き人として置いて下さい」
「断る」
「……それなら、どうすればお許し下さるのですか?」
何を言っても堂々巡りだろうと考えたシーリスは、顔を上げて真剣な眼差しで彼を見上げた。
すると、彼は何かを考えるように押し黙る。それから暫くして、溜め息を吐きながら漸く口を開いてゆく。
「……そなたはおかしな男だな。肉親の為だとは言え、何をそこまで懸命になるのだ。だが、その愚かさに免じて許してやろう。――よくよく見ると、そなたは女のように美しい容姿をしている」
彼の言葉に、シーリスはほっと安堵の息を吐き出した。
「守護神様。どうも有り難うございます」
そして、また深々と頭を下げる。
「顔を上げろ。そなたの名は何と言う」
彼にそう言われて、シーリスはゆっくりと顔を上げた。
「シーリスと申します。守護神様のお名前は何というのでしょうか?」
「我に名はない。……ナナシ、とでも呼べばいいだろう」
「ナナシ、様?」
「そうだ。では、行くぞ」
そう言うと彼――ナナシは、海の中へ潜り込んで行く。シーリスもその後を追い、海の中へと飛び込んでいった。
海の中は神凪の時である為か、不思議なくらいに穏やかだ。まるで、シーリスの身体を優しく包み込んでいるようである。
その海の中に漂いながら、ナナシはシーリスを待っていた。
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