19 / 20
第二部
異変
しおりを挟む
それからしばらくの間、何事も起こらない平穏な日々が続いた。
学園で授業を受け、部室で騒ぎ、城下町へ買い物に出かける。
特別な事件が起こることもなく、時間は穏やかに流れていった。
相変わらずナタリアは俺を嫌っており、ばったり出くわすと露骨に顔をしかめる。
だが、それすらも日常の一部として受け入れられる程度には、生活は落ち着いていた。
――だからこそ、その崩壊は唐突だった。
曇天が空を覆い、昼間だというのに街全体が灰色に沈んでいたその日、俺は城下町を歩いていた。
いつも通り雑多で、人の声と匂いに満ちた街。
その只中で、不意に――
「きゃああああっ!!」
甲高い悲鳴が響いた。
反射的に声のした方を見ると、中年の男が膝から崩れ落ち、石畳に身体を打ちつけて倒れ込むところだった。
周囲がどよめく。
俺は迷うことなく駆け寄った。
呼吸は荒いが、外傷は見当たらない。
意識はあるが、焦点が合っていない。
貧血、か?
楽観的な可能性に縋りながら、腰を抜かして立ち尽くす女性に「大丈夫です」と声を掛け、男を背負い上げる。
――熱い。
抱えた瞬間、ぞくりと背筋を冷たいものが走った。
体温が異常だ。布越しでも分かるほど、全身が茹で上がったように熱を帯びている。
・・・これは、ただの体調不良じゃない。
俺はそのまま医療院へと走った。
扉を押し開けた瞬間、異様な光景が目に飛び込んでくる。
人。人。人。
廊下にも、待合にも、治療室にも、人が溢れていた。
呻き声、泣き声、怒号。
消毒薬の匂いと、汗と、恐怖が混じり合い、息をするのも苦しい。
なんだ、これ。
何人いるんだ?ぱっと見ただけでも、数十人、全員この男みたい症状が出てるのか?
医療院は職員の怒号と患者の悲鳴が飛び交い、まるで地獄絵図だ。
いや、呆気に取られてる場合じゃない。
我に返ると、近くの職員に背負っていた男性を引き渡そうと話しかける。
「あ、あの!この人もお願いします」
「はい。・・・この人は、平民ですか?」
「え?いや、分かりませんが」
「そうですか」
職員は俺が背負っていた男性を一瞥すると、身なりから平民だと判断したのか少し乱雑な様子で床に敷かれたシーツの上に寝かした。
違和感に、視線を巡らせる。
左側。
重厚な木製ベッドに、厚いマットレス。
ふかふかの羽毛布団、薄絹のカーテンで仕切られた個室。
右側。
床に敷かれたシーツ。
人が人の上に転がるような雑魚寝。
服装や装飾品を見れば一目瞭然だった。
左が貴族、もしくはそれに準ずる財を持つ者。
右が、大衆。
・・・こんな時ですら
拳を握り締める。
奥歯を噛み締め、口の中に鉄の味が広がった。
・・・やめよう。
ここで俺が怒ったところで、状況が変わるわけじゃない。
それに、医療院だって慈善事業じゃないんだ。対価が多ければ得られる接遇が厚くなるのは当たり前だ。
だけど、、、
「チッ」
抑えきれず、舌打ちが零れた。
俺は踵を返し、医療院を後にする。
外に出ると、曇天の下で空気が重く淀んでいた。
「……切り替えろ」
両手で頬を打つ。
今は感情に浸っている場合じゃない。
それから俺は、城下町中を走り回った。
倒れた人を見つけるたびに背負い、医療院へ運ぶ。
何度も、何度も。
その最中――
「お願いします。子供たちが倒れたまま、一向に目を覚まさなくて」
必死な声が耳に飛び込んできた。
振り向くと、若い女性が職員に縋りついている。
しかし、返ってきたのは冷酷な一言だった。
「孤児院の連中だろ。払える金があるのか?」
言葉を失った瞬間、職員は彼女を押しのけ、外へ追い出した。
どこで聞き覚えのある声だったな。
それにしても、金がなければ見てすらもらえないのか。
いくらなんでも、やり過ぎだ。
「大丈夫か?」
俺は追い出され、意気消沈しうずくまる女性に手を伸ばす。
しかし差し出した手を、彼女は弾いた。
顔を上げた瞬間、はっきりと分かる。
「……ナタリア」
目尻は赤く、涙が溜まっている。
だが、決して零さない。
唇を噛み締め、喉を鳴らし、それでも肩は震えない。
必死に、必死に耐えている。
彼女は立ち去ろうとした。
だが、数歩進んで、立ち止まる。
拳を強く握り締め、血が滲むほど力を込めて。
彼女は何も言わず、しばらく固まっていたが――
振り返り、決意したようにゆっくりと頭を下げていく。
「……お願い。助けて」
地面と平行になるほど深く。
掌から、口元から、血がぽたぽたと滴り落ちる。
…怒りを、屈辱を必死で抑え嫌悪する相手に頭を下げる。
それができる人間が、どれだけいるだろう。
俺だって、前回前々回の人生を終わらせた人間がもし目の前にいたなら静かに首を垂れる自信はない。
それだけ、ナタリアが子供達を想う気持ちが大きいということなんだろう。
「……分かった」
何ができるかは分からない。
何もできないかもしれない。
それでも。
「行こう」
俺ははっきりとした声で、そう言った。
学園で授業を受け、部室で騒ぎ、城下町へ買い物に出かける。
特別な事件が起こることもなく、時間は穏やかに流れていった。
相変わらずナタリアは俺を嫌っており、ばったり出くわすと露骨に顔をしかめる。
だが、それすらも日常の一部として受け入れられる程度には、生活は落ち着いていた。
――だからこそ、その崩壊は唐突だった。
曇天が空を覆い、昼間だというのに街全体が灰色に沈んでいたその日、俺は城下町を歩いていた。
いつも通り雑多で、人の声と匂いに満ちた街。
その只中で、不意に――
「きゃああああっ!!」
甲高い悲鳴が響いた。
反射的に声のした方を見ると、中年の男が膝から崩れ落ち、石畳に身体を打ちつけて倒れ込むところだった。
周囲がどよめく。
俺は迷うことなく駆け寄った。
呼吸は荒いが、外傷は見当たらない。
意識はあるが、焦点が合っていない。
貧血、か?
楽観的な可能性に縋りながら、腰を抜かして立ち尽くす女性に「大丈夫です」と声を掛け、男を背負い上げる。
――熱い。
抱えた瞬間、ぞくりと背筋を冷たいものが走った。
体温が異常だ。布越しでも分かるほど、全身が茹で上がったように熱を帯びている。
・・・これは、ただの体調不良じゃない。
俺はそのまま医療院へと走った。
扉を押し開けた瞬間、異様な光景が目に飛び込んでくる。
人。人。人。
廊下にも、待合にも、治療室にも、人が溢れていた。
呻き声、泣き声、怒号。
消毒薬の匂いと、汗と、恐怖が混じり合い、息をするのも苦しい。
なんだ、これ。
何人いるんだ?ぱっと見ただけでも、数十人、全員この男みたい症状が出てるのか?
医療院は職員の怒号と患者の悲鳴が飛び交い、まるで地獄絵図だ。
いや、呆気に取られてる場合じゃない。
我に返ると、近くの職員に背負っていた男性を引き渡そうと話しかける。
「あ、あの!この人もお願いします」
「はい。・・・この人は、平民ですか?」
「え?いや、分かりませんが」
「そうですか」
職員は俺が背負っていた男性を一瞥すると、身なりから平民だと判断したのか少し乱雑な様子で床に敷かれたシーツの上に寝かした。
違和感に、視線を巡らせる。
左側。
重厚な木製ベッドに、厚いマットレス。
ふかふかの羽毛布団、薄絹のカーテンで仕切られた個室。
右側。
床に敷かれたシーツ。
人が人の上に転がるような雑魚寝。
服装や装飾品を見れば一目瞭然だった。
左が貴族、もしくはそれに準ずる財を持つ者。
右が、大衆。
・・・こんな時ですら
拳を握り締める。
奥歯を噛み締め、口の中に鉄の味が広がった。
・・・やめよう。
ここで俺が怒ったところで、状況が変わるわけじゃない。
それに、医療院だって慈善事業じゃないんだ。対価が多ければ得られる接遇が厚くなるのは当たり前だ。
だけど、、、
「チッ」
抑えきれず、舌打ちが零れた。
俺は踵を返し、医療院を後にする。
外に出ると、曇天の下で空気が重く淀んでいた。
「……切り替えろ」
両手で頬を打つ。
今は感情に浸っている場合じゃない。
それから俺は、城下町中を走り回った。
倒れた人を見つけるたびに背負い、医療院へ運ぶ。
何度も、何度も。
その最中――
「お願いします。子供たちが倒れたまま、一向に目を覚まさなくて」
必死な声が耳に飛び込んできた。
振り向くと、若い女性が職員に縋りついている。
しかし、返ってきたのは冷酷な一言だった。
「孤児院の連中だろ。払える金があるのか?」
言葉を失った瞬間、職員は彼女を押しのけ、外へ追い出した。
どこで聞き覚えのある声だったな。
それにしても、金がなければ見てすらもらえないのか。
いくらなんでも、やり過ぎだ。
「大丈夫か?」
俺は追い出され、意気消沈しうずくまる女性に手を伸ばす。
しかし差し出した手を、彼女は弾いた。
顔を上げた瞬間、はっきりと分かる。
「……ナタリア」
目尻は赤く、涙が溜まっている。
だが、決して零さない。
唇を噛み締め、喉を鳴らし、それでも肩は震えない。
必死に、必死に耐えている。
彼女は立ち去ろうとした。
だが、数歩進んで、立ち止まる。
拳を強く握り締め、血が滲むほど力を込めて。
彼女は何も言わず、しばらく固まっていたが――
振り返り、決意したようにゆっくりと頭を下げていく。
「……お願い。助けて」
地面と平行になるほど深く。
掌から、口元から、血がぽたぽたと滴り落ちる。
…怒りを、屈辱を必死で抑え嫌悪する相手に頭を下げる。
それができる人間が、どれだけいるだろう。
俺だって、前回前々回の人生を終わらせた人間がもし目の前にいたなら静かに首を垂れる自信はない。
それだけ、ナタリアが子供達を想う気持ちが大きいということなんだろう。
「……分かった」
何ができるかは分からない。
何もできないかもしれない。
それでも。
「行こう」
俺ははっきりとした声で、そう言った。
0
あなたにおすすめの小説
私たちの離婚幸福論
桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完】愛しの婚約者に「学園では距離を置こう」と言われたので、婚約破棄を画策してみた
迦陵 れん
恋愛
「学園にいる間は、君と距離をおこうと思う」
待ちに待った定例茶会のその席で、私の大好きな婚約者は唐突にその言葉を口にした。
「え……あの、どうし……て?」
あまりの衝撃に、上手く言葉が紡げない。
彼にそんなことを言われるなんて、夢にも思っていなかったから。
ーーーーーーーーーーーーー
侯爵令嬢ユリアの婚約は、仲の良い親同士によって、幼い頃に結ばれたものだった。
吊り目でキツい雰囲気を持つユリアと、女性からの憧れの的である婚約者。
自分たちが不似合いであることなど、とうに分かっていることだった。
だから──学園にいる間と言わず、彼を自分から解放してあげようと思ったのだ。
婚約者への淡い恋心は、心の奥底へとしまいこんで……。
第18回恋愛小説大賞で、『奨励賞』をいただきましたっ!
※基本的にゆるふわ設定です。
※プロット苦手派なので、話が右往左往するかもしれません。→故に、タグは徐々に追加していきます
※感想に返信してると執筆が進まないという鈍足仕様のため、返事は期待しないで貰えるとありがたいです。
※仕事が休みの日のみの執筆になるため、毎日は更新できません……(書きだめできた時だけします)ご了承くださいませ。
※※しれっと短編から長編に変更しました。(だって絶対終わらないと思ったから!)
陛下を捨てた理由
甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。
そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。
※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。
代わりはいると言われた私は出て行くと、代わりはいなかったようです
天宮有
恋愛
調合魔法を扱う私エミリーのポーションは有名で、アシェル王子との婚約が決まるほどだった。
その後、聖女キアラを婚約者にしたかったアシェルは、私に「代わりはいる」と婚約破棄を言い渡す。
元婚約者と家族が嫌になった私は、家を出ることを決意する。
代わりはいるのなら問題ないと考えていたけど、代わりはいなかったようです。
悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。
三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。
何度も断罪を回避しようとしたのに!
では、こんな国など出ていきます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる