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第二章 ヴェロニカの進化
二週間が経った。
俺とヴェロニカはしょっちゅう森に行って、レベル上げに勤しんでいた。ヴェロニカの頭頂部らしき中央の膨らみには花冠が被せられている。これはデボラが花瓶のまわりを飾るために摘んできた花の余りで、おれが作った。うん、可愛い。
この二週間で、俺は一般スキル【暗黒魔法】【混沌魔法】【煉獄魔法】がLv4に、ヴェロニカも特殊スキル〈スライム〉と一般スキル【初級回復魔法】【初級水魔法】がそれぞれLv4になり、おかげで戦術に幅を持たせられるようになった。俺が攻撃を、ヴェロニカがサポートをそれぞれ担当している。ヴェロニカが仲間になったことで俺のステータスにボーナスが付与されたらしく、身体能力が大きく上昇した。
しかしこの、レベルの成長速度な。
本来、大人の冒険者が数年はかかるレベルに、たった二週間で到達してしまった。〈極限突破〉の効果が凄すぎて、逆に世の中の冒険者たちに申し訳なくなるけども。
それにしても、この森にはスライムしかいないのか? スライム以外の魔物をまだ一度も見ていない。少々物足りなく感じる。だが、ここはゲームではなく現実の世界。だから「おおレンデリックよ死んでしまうとは情けない」的な、いつのまにかセーブポイントの教会に戻っているという謎の復活設定など存在しないので、安全であるに越したことはない。
さて、そんなある日、父様が武術の、母様が魔法の稽古をそれぞれつけてくれることになった。
父様は俺が冒険者になりたがっていることを、母様に聞く前から知っていたらしい。考えてみたら当たり前で、俺が冒険者絡みの本を読み漁っていた場所は他ならぬ父様の書斎だったからな。母様が気づいたなら、父様も気づいていておかしくない。
稽古をつけてくれるってことは、父様も俺が冒険者になることを認めてくれたということだろう。はっきりと言ってはくれないが。
父様は辺境伯になる前は、母様と同じパーティで前衛を務めていた、Aランクの冒険者だったそうだ。
ランクというのは冒険者の「格」のことで、SSS・SS・S・A・B・C・D・E・Fの九段階に分かれており、無論SSSに近いほど強いのだと母様が教えてくれた。かつて父様と母様は、ハーガニーを拠点に冒険者として活動していたそうだ。ハーガニーは、ロイム村を通る小川が流れ込む、ハルヴェリア王国北部の大河・ハーグ川の源流を中心に発展した河港都市である。
ハーガニーは大都市で冒険者も多く、Sランクの人が二人もいたらしい。それでも、Aランクであるウチの両親も負けないくらい有名だったそうだ。そんなことを定期的に村にやってくるハーガニーの商人たちに聞いた。それを両親に話したらとても照れていたが。
実際、稽古の際に【鑑定】で母様の能力値を見てみると――。
エレーネ・ラ・フォンテーニュ
冒険者ランク:A
ATK:4877
DEF:3726
SPD:7481
MP:9638
LUK:5875
さすが元Aランク、「ハーガニーの聖乙女」と謳われていただけのことはある。
今、俺のすぐ前でアルフォンソに剣術を教えている、当時「ハーガニーの守護者」と呼ばれていたらしい父様の能力値も見てみよう。
パブロ・ラ・フォンテーニュ
冒険者ランク:A
ATK:8948
DEF:9710
SPD:3123
MP:2861
LUK:6817
強いなあ。圧倒的だ。雲の上すぎるんだ、この二人は。だが母様に聞いたところによると、Sランク級冒険者の中には全てのステータス値が一万を超える人もいるそうで……いやはや、何とも恐ろしい。
「おいレン、お前、武器は何にするんだ?」
稽古は屋敷の庭で行われているのだが、アルフォンソの番が終わり次は自分だというのに、何の武器も持たずにいる俺を見て父様が怪訝そうに言った。
「はい……僕は拳闘術を教えて欲しいのです」
「拳闘術だと? そんな危険なものをわざわざ選ばなくてもいいだろう?」
拳闘術は自分の肉体を武器にするため、剣のように刃で敵の攻撃を受け流したりすることもできず、硬いモノを殴れば自分の拳もダメージを受ける。自分の身一つなので小回りは利くのだが、一般的には敬遠されがちであった。父様も剣や槍のほうが安全で強力だぞ? と思っているのだろう。
――だが、俺にはこれしかねえんだよおおおおおおお!! 他の近接武器は適性がないんだよおおおおおおお!!
「拳闘術がいいんですよ……」
「だ、大丈夫か? 目が虚ろだぞ?」
父様は俺を心配して近づいてきた。心配してくれるのはありがたいのだが、父の腰にぶら下がっている剣が目に入り、ますます気分が落ち込んだ。
くそ、剣のことは忘れよう。そういえば確か俺は、遠距離武器も使えるんだったな、遠距離最高! はあ……。まあいいや、遠距離武器、たとえば弓なんかは使えて損はないはずだ。魔法の通じない敵や空を飛んでいる敵には、それなりに有効だろうからな。
「あっ、あと弓も使えるようになりたいです」
「ふむ……では拳闘術と弓術の稽古でいいか?」
「はい」
そういうわけで稽古が始まった。といってもまずは、軽快なフットワークに必要な足腰を鍛えるべく、走り込みがメインだ。
俺が庭を周回している間、父様はまたアルフォンソに稽古をつけていた。あとで父から聞いたのだが、アルフォンソの剣術は可もなく不可もなくというレベルだそうだ。
「レンは、走り込みからか」
走り終えて庭で休んでいると、ちょうど稽古を終えたアルフォンソがやってきた。黒い髪が汗で濡れている。
「兄様も、お疲れ様です」
「武器は何を選んだんだ? 知っていると思うが、俺は、この長剣だ」
アルフォンソはそう言って、腰にぶら下がっている剣の柄を左手で軽く叩いた。
もう剣に未練はない。ついつい剣に目移りしてしまうなんてこともないからな……ほんとに。ホントダヨ。
俺は右手で握り拳をつくって、アルフォンソと同じように左手で軽く叩いた。
「これですよ、これ。拳闘術です」
するとアルフォンソは一瞬呆けた表情になったが、すぐに笑顔に戻った。
「そうか、がんばれよ! 応援してるぜ」
身を翻して家の中に向かう兄様の足音は、少し荒々しかった。
「……舐めすぎだろうが……っ」
兄様のそんな呟きが聞こえたが、事情を知らない兄様に言われても仕方なく、俺は気にならなかった。
ちなみにこのあとの数時間の稽古で、俺の【初級拳闘術】はLv2に上がった。〈極限突破〉、恐るべし……。
†
夜になり、いつものように森にスライムを狩りに行った。涸れ井戸のトンネルを抜けると、嗅ぎなれた森の匂いがする。ヴェロニカはすっかりトンネルの聖気に慣れたようで、怯えることなくいつものポジション(俺の胸ポケット)に収まっている。今夜は満月で、銀色に光る月が辺りを幻想的に照らしていた。
だが、何かがおかしかった。森をいくら歩いても、スライム一匹すら現れないのだ。あまりにも静かすぎる。
三ヶ月間森に入り浸っていたため、こんな異常はすぐに察知できた。
「なんだ……? 一体どうなってるんだ?」
さすがに気味が悪くて、背筋を嫌な汗が流れる。おかしい。心臓がバクバクと鼓動を打つ。ヴェロニカも何か感じたようで、ちぢこまって震え始めた。
――帰ろう。今夜の狩りは危ない気がする。
そう思い、トンネルの方へ引き返そうとした途端。
ヴェロニカの震えが、今までにないほど激しくなった。そして俺も、咄嗟に動かなければいけない気がして、本能の命じるままに右に跳んで地面を転がる。
刹那、顔のすぐ左で、ヒュン、と風を切る音が聞こえた。そして肩に鋭い痛みが走る。
「くうっ!」
痛みに呻きながらもすぐ体を起こすと、目の前には、予想もしなかったモノがいた。
「アオォォォォォオオオオオオン!!」
夜の森に咆哮が木霊する。満月に向かって遠吠えをしているのは、月明かりで毛並みを銀色に輝かせた狼だった。
静寂に包まれていた森が、ざわめき出す。
風が吹き始め、木々が揺れる。
「アオォォォオオオオオオオオオン!!」
さきほどの遠吠えに呼応するように、前方の森の奥から大きな咆哮が聞こえた。そして近づいてくる、荒い息遣いと敵意を剥き出しにした目。ゆっくりとした動作で、二頭の狼が、はじめに現れた狼に並んだ。
「――群れかっ!」
三頭の狼は俺を獲物と認識したようだ。中央の特に大きい個体がおそらくボスだろう。体長はおよそ二メテルで、人間など骨ごと簡単に噛み砕いてしまいそうな顎と牙を持っている。
逃げられない。ならば、やるしかない……!
戦に勝つには、敵の情報を把握することが最重要だと孔子も言っている。俺には、【鑑定】がある。
「鑑定!」
ファングウルフ
魔物ランク:E
ATK:964
DEF:388
SPD:863
MP:0
LUK:289
特徴:巨大な牙を持ち、群れで行動する。夜行性。
ファングウルフリーダー
魔物ランク:D
ATK:1287
DEF:653
SPD:1387
MP:0
LUK:289
特徴:ファングウルフの通常進化個体で、人里に出没することも。夜行性。
ちなみに、ヴェロニカの種族である通常のスライムのランクはFで、最低ランクだ。魔物のランクも人間と同じ九段階となっている。
Fランクモンスターは戦闘力の乏しい子供でも数人で戦えばなんとか倒せるが、ランクが一段階上がっただけで、強さは跳ね上がると言われている。
Sランクは、ドラゴンやフェンリルの上位種のような、災厄として扱われるほどの魔物。だが討伐できる冒険者もわずかながらいて、そういう人は英雄並みの扱いを受けているらしい。
そしてSSランクのドラゴン上位種、フェンリル最上位種などになると、ほとんど天災レベルの危険度なのだと、父の書斎の本に書いてあった。
余談だがSSSランクに認定されたモンスターはまだいないそうだ。……もしいるとすれば、世界そのものを滅ぼしかねないほどの存在か。
さて……。
目の前の狼たちはランクを見る限り、スライムとは段違いに強い。しかも三頭と同時に戦わなくてはならない。
前世の日本なら死亡確定の状況だろうが、ここは異世界。大人の冒険者は狼ぐらい軽く討伐できるという。
そのことを思い出し、勇気づけられた。そうだ、ここは日本じゃない。異世界なんだ。
「格上の敵だとしても、俺には魔法がある。やれない相手じゃない!」
俺はそう言って自分を奮い立たせる。
ヴェロニカはそれまで狼との力の差を感じて萎縮していたのだが、立ち向かおうとする俺を見て自分も参戦しようと思ったのか、胸ポケットから飛び出した。俺は慌ててヴェロニカを胸ポケットに押し込む。
「悪いな、気持ちは嬉しいが、ヴェロニカを危険に晒すようなことはしたくないんだ」
その時、グルル……とボス狼が唸った。俺の戦意を嗅ぎ取ったか。
狼たちが前足を片方引いて、飛びかかる体勢をとった。
その瞬間、俺は叫んだ。
「――地獄の業火は煉獄なり。煉獄の炎よ、我が身を覆う壁と成りて護れ――煉獄の壁!!」
【煉獄魔法Lv2】のこの魔法は、術者を中心に半径一メテル、高さ五メテルの炎の壁を発生させる。
この炎はただの炎ではない。地獄で魂の罪を浄化する炎、敵意あるものを燃やし尽くす炎だ。そしてこの炎は、対象を選ぶことができる。
ここは森の中であり、木々を焼き尽くすような強力な炎は本来御法度だが、俺は燃える対象を俺に敵意を持つ狼たちに限定した。
「ギャン!?」
詠唱が終わるより一瞬早く飛びかかってきた一頭は、そのまま現れた炎の壁に呑み込まれる。ガァッ、と断末魔の叫びが聞こえ、骨まで燃やし尽くされた。同時に、煉獄の炎の壁も消滅する。
【煉獄の壁】はもともと防御魔法であり、一度敵を燃やすと消えてしまうのだ。
「よし、まずは一匹!!」
作戦では二頭を一気に仕留めるつもりだったのだが、まあ一頭でも十分だ。
仲間がたやすく屠られたのを見て、ボス狼の表情が驚きに歪んだ――。
警戒心と敵意を露にしたボス狼が唸ると、もう一頭が俺の背後に回った。
最初の一頭はあちらの油断もあって軽く倒せたが、狼はもともと賢いからな。それに凶暴な魔物だから、こちらも油断などもってのほかである。
背後にいる、ボスではないほうの狼をまず狙う! 先手必勝だ!
「――生も死も創造も破壊もまだなき無の淵よ、その混沌で敵を惑わす闇とならん――混乱の闇!!」
小さい狼を混乱させて、ボス狼を攻撃させるのだ。
俺の手元から生じた黒い霧が背後の狼を包む。すると狼は虚ろな目になってふらふらし始めた。ボス狼は危険を察知したのか、決して仲間のそばに行かずじっと様子を窺っている。
――さすがにボス狼は特に知能が高いらしい。かなり用心深いな。
小さい狼は混乱しているようだが、ボス狼に襲いかかろうとはしなかった。戸惑って、足元が覚束なくなっており、どちらかというと戦意を失っているようだ。
俺は混乱魔法の持続時間をまだ検証していなかったので、急いで別の魔法を唱えた。
「――地獄の業火は煉獄なり。煉獄の炎は敵を喰らい尽くす蛇とならん――煉獄の蛇!!」
【煉獄魔法Lv3】で獲得するこの魔法は、標的を食らい尽くす地獄の蛇のような炎を生み出す。
「ガアッ……!」
小さい狼は自分に迫る脅威から逃れようとするが、体は思いどおりに動かない。そして炎の蛇に呑み込まれ、痛々しい声をあげ、しばらくして灰となった。
残るは、ボス狼のみ。意外と呆気なくこの場を乗り切れそうだと、俺は心に余裕ができた。
「よっしゃ! あとはボスだけ……ぐあっ!?」
ボス狼の方へ振り返ろうとした瞬間、背中と肩が鋭い衝撃に襲われ、俺は訳もわからず地面に倒れる。そして何か重いものによって、湿った腐葉土に顔を押しつけられた。
額を冷たい汗が流れる。
頭上で荒い息遣いが聞こえ、俺はようやく何が起こったのかを理解した。
俺が小さい狼の方を向いて【煉獄の蛇】を唱えている間に、ボス狼は俺のすぐ後ろまで迫っていたのだ。そして俺が安堵して隙を見せた瞬間に飛びかかり、体重をかけた前足で頭を地面に押しつけた。狼の典型的な狩り方だ。
「くそっ……」
頭を踏まれているため呻くのが精一杯で、魔法の詠唱もできない。
ならばと今日の日中に少しだけ教わった初級拳闘術で、つまり拳で殴ろうとするが、地面にうつ伏せの状態ではまともに殴れるはずもなく……ボス狼は勝ち誇ったように俺を見下していた。いくら〈体術王〉スキルがあるといっても、七歳児の身体能力などたかが知れている。そこに上昇補正を加えた程度では、Dランクのモンスターに勝てるはずがないのだ。
肩からは鮮血が噴き出している。
激しく後悔した。
自分はもう生きてこの森を出ることはないだろう。
何が、確定潜在値115だ。
チート気味な己の才能を過信した結果がこれだ。
せめて【煉獄の蛇】を唱える前に【煉獄の壁】を使っていれば……。
一番強い個体がまだ残っている状況で、なぜ俺は油断してしまったのだろうか。あれほど油断は禁物だと自分に言い聞かせていたのに。ここはゲームの世界じゃないのに。ボス戦の前にセーブしたり休憩したりするような感覚は、現実の戦闘においては命取りだ。
だが、ヴェロニカには助かって欲しい。俺は力をふりしぼってわずかに上半身を浮かせ、胸ポケットからヴェロニカを出して放った。
「……逃げ……ろ! ……ッガハァッ……!?」
ボス狼が前足で俺の頭をさらに踏みつけた。ここにいたらヴェロニカもこの狼に食われる可能性がある。だがヴェロニカは動こうとしない。俺はそんなヴェロニカに苛立った。
「……逃げ……ろ」
それでもヴェロニカは動かない。それどころか、俺の方に戻ってきた。
「な……何を……」
その時ボス狼が、自分の頭を振り上げた。
口から覗く大きな犬歯。それを俺のうなじに突き刺そうとしているのだとわかった。
今度こそ終わりだ。死を覚悟して、俺は目を瞑った。
「――っ」
首にこれまで味わったことのない鋭い痛みを感じ、生暖かいものが首筋に広がる。
そして次の瞬間、俺の視界は淡い水色の光に覆われた。
こんな状況だというのに、なぜかその光に安らぎを覚えて、そのまま俺は意識を失った。
†
「……! ……っ!」
どうしてだろう。まだ意識があるみたいだ。だが、すでに体に痛みはない。自分は死んだのだと結論づけると、まーた変なオッサンでも出てくんのかね、と、暑苦しいが、わりと嫌いではなかったあの人物を思い出した。
「……! ……ンっ!」
考えてみると、前世から合わせての二十五年で二回も死んでいることになる。さすがに多いだろうとため息が出た。
それにしても、あの豪華なスキル群――下降補正とか、少なからず不満もあったが、それは贅沢というものだから黙っておく――を活かす前に死んでしまったのは激しく悔やまれる。宝の持ち腐れだ。二百年ぶりの金券って話だぞ? 何やってんだ俺は。
しかし、なんか気持ちいいな。体中の疲れが癒されていくようだ。一回目の冥界は、こんな感じじゃなかったんだがな。
「……ン! ……レン!」
ん? 誰かに呼ばれている気がするぞ。しかも結構可愛いボイスじゃないか。どうやら二度目の死後の世界で、ようやく俺にも春が来たらしい。
「――レン!! 死んじゃダメだよぉ!! 回復が間に合わなかったのかな……どうしよう!?」
はっきりと俺を呼ぶ可愛らしい声が聞こえ、その声の主を探そうとした時に、自分が目を瞑っていることに気づいた。
次第に回復してきた嗅覚が、獣臭い血の臭いを嗅ぎ取った。うう……頭がクラクラするし、目もチカチカする。誰かに肩を揺すられて、急速に意識が現実へ戻る。
「――死んじゃダメだよぉ!!」
そうだ、俺は死んだはずじゃなかったのか? あのボス狼は、俺の無防備な首にその牙を突き立てようと――。
だが、ぼやけた視界に映る影と、俺を呼ぶ声は、明らかに子供のものだ。何してるんだ? まだ近くに、狼が潜んでいるかもしれないんだぞ? 早く逃げろ!!
そう言おうとして、目をこすって見開くと――。
「レン!! 意識が戻ったの!? 大丈夫!?」
――相手のその勢いに、俺は逃げろと言うのも忘れてポカンとしてしまった。
そんな俺を見て、「ああ、よかったあ……」としがみついてきたのは、一糸纏わぬ、空色の髪をした美少女だった。ポニーテールで、頭に花冠を載せている。
少女の後ろには、頭部のない、ボス狼と思しき死骸があった。
……一体、何がどうなった?
森はいつの間にか静けさを取り戻し、そよ風が吹くたびに、地面に映る銀色の月明かりが木の葉と共に揺れている。
俺は立ち上がり、強ばった体をほぐそうと、うーんと伸びをした。予想以上に筋肉が凝り固まっていたようで「おっとっと……」と情けない声を出してよろめいた。
膝を手で押さえて体を支え、辺りを見回す。ボス狼と思われる骸と、灰になった小さい狼。
――危機は確かに去ったようだ。
間一髪のところで誰かが助けてくれたのだろう。通りすがりの、名前を名乗らない「俺カッケー」的思考の人がいたのかもしれん。で、その後、俺をこの少女が発見した……って感じかな? 「俺カッケー」の人は回復魔法もかけてくれたらしく、首や肩に手を当ててみるとすでに血は止まっている。
改めて助かったと思うと、急に体の力が抜けて、俺はへなへなと地面に崩れ落ちた。それを見て、少女が泣きそうな目を向けて言う。
「レ、レン……まだどっか痛いの?」
心配そうに俺を見つめるその瞳は……髪の色と同じ、空色をしていた。
「いや……大丈夫。ちょっと安心して、気が緩んだだけ」
それを聞いて少女も安心したのか、嬉しそうにぺとーっと抱きついてきた。
え……? 何、この状況!? 見知らぬ裸の美少女に涙ながらに抱きつかれるこの状況って何!? 待て俺、まずは落ち着け。深呼吸深呼吸。ひっひっふー、ひっひっふー……違うそれラマーズ法や! えーと……すーはーすーはー……。
焦りすぎて、落ち着くまでにかなり時間がかかってしまった。……そこの美少女よ、俺を変な目で見てはいかんぞ。というか、この子誰だ……? どこかで見たような気がするんだが。おそらく俺と同じくらいの年齢だろうが、村にこんな子はいなかったはずだ。
それに、さっきからレン、レンと俺の名前を連呼している。もしかして知り合いか? 向こうは俺の名前を知っているのに、俺は彼女に心当たりがないなんて、失礼じゃないか。
「え、えーと……そこの美少女さん? 助けてくれてありがとう。もしかして……知り合いだったりする?」
その美少女は俺の言葉に、大きな瞳をパチクリさせて、笑い始めた。
「アハハッ、アハハハハハッ、そうだよね、わかるわけないもんね! そ、それに、び、美少女だって! 恥ずかしいけど……それ以上におかしいっ……」
あれ? なんかまずいこと言ったかな?
しばらくして、頭に美のつく少女は笑いが収まったのか、目尻の涙を人差し指で拭った。
そしてその指で、頭に載っている可愛らしい花冠をさす。
「レン!! 私だよ!! これ、レンにもらった花冠だよ!!」
――見覚えがあった。
それはまさしく、俺が作った花冠であった。
でもこれは、ヴェロニカにあげたはずで――。
胸ポケットに普段の慣れ親しんだぷよぷよした感覚がなく、辺りにも姿が見えなかったから、ヴェロニカは無事逃げられたのだと思っていた……。
だが目の前にはヴェロニカとまったく同じ空色の髪と目が、月明かりを受けて光っていた。
まるで稀代の彫刻家が全身全霊を懸けて彫り上げた人形のように整った顔立ちだ。ほんのり桃色に染まった頬とぷっくりと膨らんだ瑞々しい唇がなければ、本当に人形だと思ってしまう。
俺と同じくらいの年齢だと思われるが、すでに完成されたといっていいほどの可愛らしさで、見る人すべてが惚れ惚れするだろう。
そしてその少女は、胸の前で、ハートを手で作ってみせた。
これは……三ヶ月間、毎日のように見ていた……あのハート?
「まさか……ヴェロニカなのか!?」
正解だと言わんばかりに、とびきりの笑顔で少女は俺の胸に飛び込んできた。幸せそうに、俺の胸に頬ずりをする。
「レン……!! 私、喋れるようになったよ!! 私の夢、叶ったんだよ!! これから、レンと毎日、喋れるんだよ!!」
†
「ってか裸! 裸じゃねえか!」
しばらく抱きしめ合っていたが、俺は自分が何をしているのかに気づき、急に恥ずかしくなって離れた。自分から裸で抱きついてきたのに、ヴェロニカもなぜか顔を真っ赤に染めている。
とりあえず何か着る物をと思い、俺はシャツを脱いだ。しかし脱いでみて、初めてそれが血塗れだと気づいた。ヴェロニカはわかっていたようだが、俺を見てニッコリと笑みを浮かべる。
「あっ、私は別にいいよ? 血が付いてても、レンの服なら気にならないよっ!」
「いや……俺は気になるから、それはさすがに。何というか、ポリシーに反する気がする」
そう言ってシャツを渡すのを躊躇っていると、細長い水色の何かに、服を掠め取られた。
「なぁっ!?」
「あはは、驚いたでしょ! 私の【触手】スキルだよっ!」
ヴェロニカの右腕が、肩のところから三本の水色の触手になっていて、その一本がウネウネと動きながらシャツを掴んでいた。驚く俺を嬉しそうな表情で眺めるヴェロニカ。やがて三本の触手は、ニュルニュルとお互いに絡み付いて、人間の右腕に戻った。ヴェロニカは右手に持ったシャツを頭から被り、もぞもぞしたあと、「ぷはぁ」と顔を出した。
「例外があって、初めてポリシーが意味を持つんだよっ!」
例外があって初めてルールが意味を持つっていう話なら聞いたことあるが……まあ、可愛いからいいか! 血塗れの服を着ている子供たちなんて傍から見れば異様だろうが、そんなこと気にしない、気にしない。
「そうそう、私、進化したっぽいんだよね! なんか魔力が増えて、身体能力も上がってる気がするもんっ」
そう言われてステータスを見てみると、「ぴろぴろりーん」という力が抜ける効果音と共に『多数の更新があります。確認してください』と脳内にメッセージが流れた。とりあえずログを確認する。
「……どれどれ」
『――【暗黒魔法】【混沌魔法】【煉獄魔法】がいずれも最大値の5に達しました。よって新スキル【次元魔法】が解禁されます。使用可能になった魔法を確認してくだい』
『――【初級拳闘術】がLv4になりました』
『――ヴェロニカが進化しました。ヴェロニカの種族がスライムから腐食スライムへ特殊進化し、特殊スキル〈スライム〉が〈腐食スライム〉へ進化しました。また、【初級水魔法】【初級回復魔法】が最大レベルに達し、〈極限突破〉の効果により【初級水魔法】が【中級水魔法】、【初級回復魔法】が【中級回復魔法】へ、特殊スキル〈回復者〉が〈回復師〉へ、それぞれ進化しました』
『――ヴェロニカの特殊スキル〈腐食スライム〉によって一般スキル【腐食】【強酸】が追加され、〈極限突破〉の効果により【触手】が【触手変形】、【物理ダメージ20%カット】が【物理ダメージ40%カット】へ進化しました』
『――隷属状態下にある魔物の進化を確認しましたので、【テイム】スキルがレベルアップしました』
ヴェロニカ
冒険者ランク:なし
ATK:687
DEF:286
SPD:1576
MP:2486
LUK:595
特徴:腐食スライム(Cランク・人型)。
スライムの特殊進化系。
強酸による腐食でどんなものでも溶かして食らう。
「人型」のスライムについては、詳細不明。
やはり、進化だったか。進化以外で、これだけの肉体的変化はありえないからな。だがどういう条件で進化したのだろう。それに、「詳細不明」とはどういうことなのだろうか。もしかしてヴェロニカが、腐食スライム初の「人型」なのかな。……いや、そんなことよりも、まずはヴェロニカの進化を素直に喜ぼうじゃないか。
「ほうほう……つまり、ヴェロニカは進化したから、こんな美少女になったと」
「そういうことかなー? それにしても……び、美少女……え、えへへ」
そう言ってヴェロニカは顔を赤らめ、両手を頬に当てた。ニヤニヤしているが、もちろん気持ち悪いなんてことはなく、微笑ましく可愛らしい笑みだ。
「そうだ……ヴェロニカ、もし嫌じゃなかったら、ヴェルって呼んでもいいかな?」
「……え? も、もちろん! むしろ、喜んでっ」
ヴェルは嬉しくなったのか、ずいずいと俺に近づいてきた。
限りなく近づいたヴェルの顔。キラキラと、月光を受けて輝く瞳に、つい見とれてしまう。
「……レン? どしたの?」
……怪訝そうに俺を見るヴェルに、俺ははっと我に返った。
「いや、何でもないよ、ヴェル」
その顔は反則だろう。精神年齢十八歳プラス七歳の童貞男に、ヴェルのその笑顔は眩しすぎた。完璧な容姿を持つ母様をずっと見ていたから美人には一定の耐性ができたと思っていたのだが、ヴェルの俺に対する混じりっけのない好意に満ちた表情には参ってしまった。
「……うんっ!」
そう言ってはしゃぐヴェル。その極上の笑顔にまた見とれてしまったけど、いいよね? この子むっちゃ可愛いんだよ! というか、自分が美少女だと自覚していないみたいだ。無防備な表情をしてくるので、ドキンとせずにはいられない。……慣れる必要があるな。慣れたくない気持ちもあるけど。この「ドキン」は、簡単に言えば甘酸っぱいのだ。青春の味みたいなやつだな。
しかし甘酸っぱさに浸ってばかりもいられない。気になることもあるし。
……新しいスキルだ。色々と追加されたみたいだが、さてどんなものがあるのだろう? 俺は追加されたスキルを確認していくことにした。そして……。
「【次元魔法】って、アイテムボックスのことか!」
そう、【次元魔法Lv1】は、アイテムボックスが使えるようになるスキルだと判明したのである。
「これで一気にRPGっぽくなったなあ……。まあ、さすがにこの世界をゲームとまったく一緒だと考えたりはしないけど」
俺は異世界トリップした人が、異世界をゲーム世界と勘違いし、その結果身を滅ぼしたという話を知っている。その人は異世界トリップモノ小説の、冴えない悪役キャラだったが。
「それはさておき。ボス狼の死骸が残ってるので素材回収といきましょうかね」
俺はそう言ったものの、解体の方法がわからなかったので、とりあえずアイテムボックスに丸ごと突っ込むことにした。胴体を持ち上げて、獣の血の臭いに鼻を曲げながらアイテムボックスに入れる。
「あとは首か……あれ? 首どこいった?」
「首なら……食べちゃったよ?」
「食べたあ!?」
こともなげに言ったヴェルに、俺は目を見張ってしまった。ボス狼のあの大きな頭が、ヴェルのこの小さなお腹に入るのか……?
俺はヴェルのお腹を見た。
「……ちょっと恥ずかしいけど、見る?」
俺が頷くとヴェルは恥ずかしそうにシャツを捲り上げた。綺麗な臍だなあとか、スマートなくびれだなあとか考える余裕もなく、俺はただ、目の前の光景に釘づけになった。
コポポ……という音と共にヴェルの白いお腹からにゅっと出てきたのは、半分消化されてただれた骨肉が丸見えの、ボス狼の頭蓋だった。
「……」
俺が何も言えずに黙っていると、ヴェルは「あっ、しまった」という顔をして、慌ててボス狼の頭を手で体内に押し込んだ。バタバタと腕を振り、「違うの!! こういうスプラッターな光景を普通の人は見慣れてないってこと、忘れてたの!!」と懸命に誤魔化そうとする。
おそらくスライムはこうやって食べ物を消化するのだろう。ヴェルがスライムの時は俺の魔力を少しずつ与えていたから、スライムの食事がどういうものなのか、俺は知らなかった。
ヴェルはまだ慌てている。だが、ヴェルは一つだけ勘違いしている。
俺は別にこういう、スプラッターなものが苦手というわけではない。ただ単に感動しているだけなのだ。
ただの人間に進化したのではなく、ちゃんと「魔物っ娘」になっているということに、俺はなぜか心を打たれてしまったんだ。
だってさ、小説だと、魔物がただ人間形態になってハイ終わり、っていうのが多い気がするんだよね。もっと、魔物っ娘としての魅力を生かせよ! って思う。例えば獣っ娘でも、語尾に「ワンニャン」が付くだけのキャラクターとか、アレほんとひどいと思うんだ。
……はっ、夢中になって脳内で持論を語っていたから、まだうーうー唸っているヴェルのことをすっかり忘れていた。
「ヴェル、大丈夫だよ!! ってかむしろ、そういうのがベストだから!!」
嬉しいことがあるとついつい会話のテンションが上がるのは俺の悪い癖だ。脳内での独り言では落ち着いているつもりなんだが。
「そういや、俺の体がたまたまヴェルの体内に入って、溶かされるって危険はないの?」
「ないけどーっ……私のこと、信頼してないの?」
「いや! 信頼してないわけないだろ! ちょっと気になっただけだよ!」
頬を膨らませてむくれるヴェルに、慌ててそうフォローした。
「むぅ……まあ別にいいんだけどー。えーとね、もともと私たちスライムは、特殊スキル〈吸収〉で体内に取り込んだものをゆっくり消化するんだけど、それは各自の意思に従って為されるんだよね。……意思というよりは、潜在意識かな? つまり自分が食べ物だと認識してないものは、取り込んでもずっと残るんだよ!」
「へえ、そうなのか……。じゃあもし、寝ぼけてたりして、食べ物だと勘違いしたら?」
「だから潜在意識って言ったでしょ? これは食べ物だ、あれは食べ物じゃない、って無意識に理解してるんだよっ。どうしてそうなるのか、自分でもわかんないんだけどー」
「ふうん……じゃあさ、腕をヴェルのお腹に入れてみてもいい? なんだか無性に気になるんだよ」
お腹に入れる時ひんやりするのかな……と気になって訊ねてみたら、ヴェルは顔を真っ赤っかにして、責めるようなジト目を向けてきた。
「そ、そんな恥ずかしいこと、オトメに聞いちゃだめだよっ! めっ! だよ! ……でも、いつかはしてあげたいな……えへへ」
最後のほうは独り言のようでよく聞き取れなかったが、もう一度聞くのはやめたほうがいいと俺のシックスセンスが教えてくれた気がしたので、それに従った。
それにしても「恥ずかしいこと」か。俺の腕をヴェルの体内に入れてみる、つまり一時的ではあるが俺の腕とヴェルのお腹が直接触れ合うわけで、そういうのが恥ずかしいってことなのか? それとも、別の何かが恥ずかしいのだろうか。
「とりあえずだ! 俺はその【吸収】とかについてはまったく気にしないし、むしろどんどん見てみたいからな!」
「……はうぅ」
恥ずかしがっているヴェルも、また可愛いなぁ。
そのあと、新しく手に入れた能力を色々試してみたが、一番驚いたのは、ヴェルの能力が遥かに上がっているということだった。
「レンが死んじゃう! 何とかしてレンを助けたい! って思った時にね、すごい力が湧いてきて、同時に、自分が何をすればいいのかも理解できたの。そして、私は自分の触手でその狼の首を……。そして気づいたの。私がいつのまにか、この姿になってるって」
ヴェルは笑ってそう言った。だが、特殊進化を遂げ、昨日までの自分を遥かに超える能力を手に入れたことに戸惑いを覚えているようだ。
それに、自分の力の凄さに恐怖を感じてもいるらしい。その力のせいで、もしかしたら俺に距離を置かれてしまうかもしれないと思っているような節もあった。
……ったく、そんなことするわけないじゃないか。
ヴェルは自分自身の魅力をわかっていないんだ。
容姿の話ではない。ヴェルの存在そのものの魅力だ。
「……ヴェル、ありがとな。ヴェルがいなかったら、俺、死んでたよ。俺が今こうして生きていられるのは、ヴェルが特殊進化したからなんだよ。だからヴェル、もっと自分を誇れよ」
ヴェルはびっくりした顔になって、「うん……」と再び目尻に涙を浮かべて頷いた。自分の心情を俺が察したことに驚いたのだろう。
俺はヴェルをあやすようにそっと胸を貸した。
しばらくして、ヴェルは顔を上げ、涙を拭って幸せそうに笑った。
「もう大丈夫! ヴェル復活だよ!」
「ああ、それでこそヴェルだ。ヴェルには笑顔でいてもらわなくっちゃな」
普通のスライムだった頃から、ヴェルは他のスライムと比べて活発だった。今のヴェルの口調や、表情を見ていると、その活発さは彼女自身の性格によるものだったのだと気づいた。
そして――特殊進化。照れる話だけど、ヴェルの、俺を助けたいという想いが、ヴェルを進化させたのだと思う。その想いに俺の〈テイムマスター〉の能力が刺激され、そしてヴェルに作用して、スライムから腐食スライムへの進化を遂げたのだ。きっとヴェルは、あの見た目からは想像もできないほどの力を秘めているはずだ。
そう、まるで、転生モノの小説に出てくるような――。
俺はどうしてもこらえきれず、一人で大笑いし、そのまま倒れて仰向けになった。ヴェルは最初俺の様子にびっくりしていたけど、こっちにおいでよと誘うと、俺の隣に寝そべって仰向けになった。
なんか、いい。
幸福感と満足感に満たされていく。
竜や吸血鬼みたいな、英雄譚に出てくるようなモンスターじゃなかったけど、それでもあのボス狼は、今の俺には強すぎた。
今まで倒してきたスライムより、遥かに強い敵。
それを相手にして、死にそうになって、でも自分はこうして生き延びることができた。そして何より、ヴェル――ヴェロニカの存在が俺には嬉しかった。
ただ単に可愛いからじゃない。嬉しかったのは、俺のことをこんなに強く想ってくれる人がいたってことだ。
夜空に浮かぶ銀色の満月と、その月を見上げるヴェルを交互に眺めて、これが本当の、自分の冒険の始まりなんだと、理由もなく感じた。
改めてヴェルを横目で、それでもじっくりと眺めてみる。
空色に輝く髪、キラキラと光る大きな真ん丸の瞳、白い肌。桜色を帯びた頬。綺麗な鎖骨と控えめな胸。ぶかぶかで、血塗れのシャツを纏っているのに、ヴェルの魅力は少しも損なわれていない。……むしろ、白い肌と対照的な真っ赤な血が、その肌の美しさを際立せていた。
こんな子が隣で寝ているなんて、前世の俺では考えられなかった。無性に嬉しくなって、無意識に俺はヴェルの頭を撫でていた。
「? どうしたの、レン?」
「ん……いや、なんとなく嬉しくなった」
「んー、ふふ、そっかー。じゃあ、私も!」
そう言って俺たちはしばらくの間、互いの頭を撫で合っていた。
真夜中ということを抜きにすれば、七歳ぐらいの男女がじゃれ合っている普通の光景なんだろうけど、その時の俺たちの気持ちは、七歳児のそれを超えていたんだ。
二週間が経った。
俺とヴェロニカはしょっちゅう森に行って、レベル上げに勤しんでいた。ヴェロニカの頭頂部らしき中央の膨らみには花冠が被せられている。これはデボラが花瓶のまわりを飾るために摘んできた花の余りで、おれが作った。うん、可愛い。
この二週間で、俺は一般スキル【暗黒魔法】【混沌魔法】【煉獄魔法】がLv4に、ヴェロニカも特殊スキル〈スライム〉と一般スキル【初級回復魔法】【初級水魔法】がそれぞれLv4になり、おかげで戦術に幅を持たせられるようになった。俺が攻撃を、ヴェロニカがサポートをそれぞれ担当している。ヴェロニカが仲間になったことで俺のステータスにボーナスが付与されたらしく、身体能力が大きく上昇した。
しかしこの、レベルの成長速度な。
本来、大人の冒険者が数年はかかるレベルに、たった二週間で到達してしまった。〈極限突破〉の効果が凄すぎて、逆に世の中の冒険者たちに申し訳なくなるけども。
それにしても、この森にはスライムしかいないのか? スライム以外の魔物をまだ一度も見ていない。少々物足りなく感じる。だが、ここはゲームではなく現実の世界。だから「おおレンデリックよ死んでしまうとは情けない」的な、いつのまにかセーブポイントの教会に戻っているという謎の復活設定など存在しないので、安全であるに越したことはない。
さて、そんなある日、父様が武術の、母様が魔法の稽古をそれぞれつけてくれることになった。
父様は俺が冒険者になりたがっていることを、母様に聞く前から知っていたらしい。考えてみたら当たり前で、俺が冒険者絡みの本を読み漁っていた場所は他ならぬ父様の書斎だったからな。母様が気づいたなら、父様も気づいていておかしくない。
稽古をつけてくれるってことは、父様も俺が冒険者になることを認めてくれたということだろう。はっきりと言ってはくれないが。
父様は辺境伯になる前は、母様と同じパーティで前衛を務めていた、Aランクの冒険者だったそうだ。
ランクというのは冒険者の「格」のことで、SSS・SS・S・A・B・C・D・E・Fの九段階に分かれており、無論SSSに近いほど強いのだと母様が教えてくれた。かつて父様と母様は、ハーガニーを拠点に冒険者として活動していたそうだ。ハーガニーは、ロイム村を通る小川が流れ込む、ハルヴェリア王国北部の大河・ハーグ川の源流を中心に発展した河港都市である。
ハーガニーは大都市で冒険者も多く、Sランクの人が二人もいたらしい。それでも、Aランクであるウチの両親も負けないくらい有名だったそうだ。そんなことを定期的に村にやってくるハーガニーの商人たちに聞いた。それを両親に話したらとても照れていたが。
実際、稽古の際に【鑑定】で母様の能力値を見てみると――。
エレーネ・ラ・フォンテーニュ
冒険者ランク:A
ATK:4877
DEF:3726
SPD:7481
MP:9638
LUK:5875
さすが元Aランク、「ハーガニーの聖乙女」と謳われていただけのことはある。
今、俺のすぐ前でアルフォンソに剣術を教えている、当時「ハーガニーの守護者」と呼ばれていたらしい父様の能力値も見てみよう。
パブロ・ラ・フォンテーニュ
冒険者ランク:A
ATK:8948
DEF:9710
SPD:3123
MP:2861
LUK:6817
強いなあ。圧倒的だ。雲の上すぎるんだ、この二人は。だが母様に聞いたところによると、Sランク級冒険者の中には全てのステータス値が一万を超える人もいるそうで……いやはや、何とも恐ろしい。
「おいレン、お前、武器は何にするんだ?」
稽古は屋敷の庭で行われているのだが、アルフォンソの番が終わり次は自分だというのに、何の武器も持たずにいる俺を見て父様が怪訝そうに言った。
「はい……僕は拳闘術を教えて欲しいのです」
「拳闘術だと? そんな危険なものをわざわざ選ばなくてもいいだろう?」
拳闘術は自分の肉体を武器にするため、剣のように刃で敵の攻撃を受け流したりすることもできず、硬いモノを殴れば自分の拳もダメージを受ける。自分の身一つなので小回りは利くのだが、一般的には敬遠されがちであった。父様も剣や槍のほうが安全で強力だぞ? と思っているのだろう。
――だが、俺にはこれしかねえんだよおおおおおおお!! 他の近接武器は適性がないんだよおおおおおおお!!
「拳闘術がいいんですよ……」
「だ、大丈夫か? 目が虚ろだぞ?」
父様は俺を心配して近づいてきた。心配してくれるのはありがたいのだが、父の腰にぶら下がっている剣が目に入り、ますます気分が落ち込んだ。
くそ、剣のことは忘れよう。そういえば確か俺は、遠距離武器も使えるんだったな、遠距離最高! はあ……。まあいいや、遠距離武器、たとえば弓なんかは使えて損はないはずだ。魔法の通じない敵や空を飛んでいる敵には、それなりに有効だろうからな。
「あっ、あと弓も使えるようになりたいです」
「ふむ……では拳闘術と弓術の稽古でいいか?」
「はい」
そういうわけで稽古が始まった。といってもまずは、軽快なフットワークに必要な足腰を鍛えるべく、走り込みがメインだ。
俺が庭を周回している間、父様はまたアルフォンソに稽古をつけていた。あとで父から聞いたのだが、アルフォンソの剣術は可もなく不可もなくというレベルだそうだ。
「レンは、走り込みからか」
走り終えて庭で休んでいると、ちょうど稽古を終えたアルフォンソがやってきた。黒い髪が汗で濡れている。
「兄様も、お疲れ様です」
「武器は何を選んだんだ? 知っていると思うが、俺は、この長剣だ」
アルフォンソはそう言って、腰にぶら下がっている剣の柄を左手で軽く叩いた。
もう剣に未練はない。ついつい剣に目移りしてしまうなんてこともないからな……ほんとに。ホントダヨ。
俺は右手で握り拳をつくって、アルフォンソと同じように左手で軽く叩いた。
「これですよ、これ。拳闘術です」
するとアルフォンソは一瞬呆けた表情になったが、すぐに笑顔に戻った。
「そうか、がんばれよ! 応援してるぜ」
身を翻して家の中に向かう兄様の足音は、少し荒々しかった。
「……舐めすぎだろうが……っ」
兄様のそんな呟きが聞こえたが、事情を知らない兄様に言われても仕方なく、俺は気にならなかった。
ちなみにこのあとの数時間の稽古で、俺の【初級拳闘術】はLv2に上がった。〈極限突破〉、恐るべし……。
†
夜になり、いつものように森にスライムを狩りに行った。涸れ井戸のトンネルを抜けると、嗅ぎなれた森の匂いがする。ヴェロニカはすっかりトンネルの聖気に慣れたようで、怯えることなくいつものポジション(俺の胸ポケット)に収まっている。今夜は満月で、銀色に光る月が辺りを幻想的に照らしていた。
だが、何かがおかしかった。森をいくら歩いても、スライム一匹すら現れないのだ。あまりにも静かすぎる。
三ヶ月間森に入り浸っていたため、こんな異常はすぐに察知できた。
「なんだ……? 一体どうなってるんだ?」
さすがに気味が悪くて、背筋を嫌な汗が流れる。おかしい。心臓がバクバクと鼓動を打つ。ヴェロニカも何か感じたようで、ちぢこまって震え始めた。
――帰ろう。今夜の狩りは危ない気がする。
そう思い、トンネルの方へ引き返そうとした途端。
ヴェロニカの震えが、今までにないほど激しくなった。そして俺も、咄嗟に動かなければいけない気がして、本能の命じるままに右に跳んで地面を転がる。
刹那、顔のすぐ左で、ヒュン、と風を切る音が聞こえた。そして肩に鋭い痛みが走る。
「くうっ!」
痛みに呻きながらもすぐ体を起こすと、目の前には、予想もしなかったモノがいた。
「アオォォォォォオオオオオオン!!」
夜の森に咆哮が木霊する。満月に向かって遠吠えをしているのは、月明かりで毛並みを銀色に輝かせた狼だった。
静寂に包まれていた森が、ざわめき出す。
風が吹き始め、木々が揺れる。
「アオォォォオオオオオオオオオン!!」
さきほどの遠吠えに呼応するように、前方の森の奥から大きな咆哮が聞こえた。そして近づいてくる、荒い息遣いと敵意を剥き出しにした目。ゆっくりとした動作で、二頭の狼が、はじめに現れた狼に並んだ。
「――群れかっ!」
三頭の狼は俺を獲物と認識したようだ。中央の特に大きい個体がおそらくボスだろう。体長はおよそ二メテルで、人間など骨ごと簡単に噛み砕いてしまいそうな顎と牙を持っている。
逃げられない。ならば、やるしかない……!
戦に勝つには、敵の情報を把握することが最重要だと孔子も言っている。俺には、【鑑定】がある。
「鑑定!」
ファングウルフ
魔物ランク:E
ATK:964
DEF:388
SPD:863
MP:0
LUK:289
特徴:巨大な牙を持ち、群れで行動する。夜行性。
ファングウルフリーダー
魔物ランク:D
ATK:1287
DEF:653
SPD:1387
MP:0
LUK:289
特徴:ファングウルフの通常進化個体で、人里に出没することも。夜行性。
ちなみに、ヴェロニカの種族である通常のスライムのランクはFで、最低ランクだ。魔物のランクも人間と同じ九段階となっている。
Fランクモンスターは戦闘力の乏しい子供でも数人で戦えばなんとか倒せるが、ランクが一段階上がっただけで、強さは跳ね上がると言われている。
Sランクは、ドラゴンやフェンリルの上位種のような、災厄として扱われるほどの魔物。だが討伐できる冒険者もわずかながらいて、そういう人は英雄並みの扱いを受けているらしい。
そしてSSランクのドラゴン上位種、フェンリル最上位種などになると、ほとんど天災レベルの危険度なのだと、父の書斎の本に書いてあった。
余談だがSSSランクに認定されたモンスターはまだいないそうだ。……もしいるとすれば、世界そのものを滅ぼしかねないほどの存在か。
さて……。
目の前の狼たちはランクを見る限り、スライムとは段違いに強い。しかも三頭と同時に戦わなくてはならない。
前世の日本なら死亡確定の状況だろうが、ここは異世界。大人の冒険者は狼ぐらい軽く討伐できるという。
そのことを思い出し、勇気づけられた。そうだ、ここは日本じゃない。異世界なんだ。
「格上の敵だとしても、俺には魔法がある。やれない相手じゃない!」
俺はそう言って自分を奮い立たせる。
ヴェロニカはそれまで狼との力の差を感じて萎縮していたのだが、立ち向かおうとする俺を見て自分も参戦しようと思ったのか、胸ポケットから飛び出した。俺は慌ててヴェロニカを胸ポケットに押し込む。
「悪いな、気持ちは嬉しいが、ヴェロニカを危険に晒すようなことはしたくないんだ」
その時、グルル……とボス狼が唸った。俺の戦意を嗅ぎ取ったか。
狼たちが前足を片方引いて、飛びかかる体勢をとった。
その瞬間、俺は叫んだ。
「――地獄の業火は煉獄なり。煉獄の炎よ、我が身を覆う壁と成りて護れ――煉獄の壁!!」
【煉獄魔法Lv2】のこの魔法は、術者を中心に半径一メテル、高さ五メテルの炎の壁を発生させる。
この炎はただの炎ではない。地獄で魂の罪を浄化する炎、敵意あるものを燃やし尽くす炎だ。そしてこの炎は、対象を選ぶことができる。
ここは森の中であり、木々を焼き尽くすような強力な炎は本来御法度だが、俺は燃える対象を俺に敵意を持つ狼たちに限定した。
「ギャン!?」
詠唱が終わるより一瞬早く飛びかかってきた一頭は、そのまま現れた炎の壁に呑み込まれる。ガァッ、と断末魔の叫びが聞こえ、骨まで燃やし尽くされた。同時に、煉獄の炎の壁も消滅する。
【煉獄の壁】はもともと防御魔法であり、一度敵を燃やすと消えてしまうのだ。
「よし、まずは一匹!!」
作戦では二頭を一気に仕留めるつもりだったのだが、まあ一頭でも十分だ。
仲間がたやすく屠られたのを見て、ボス狼の表情が驚きに歪んだ――。
警戒心と敵意を露にしたボス狼が唸ると、もう一頭が俺の背後に回った。
最初の一頭はあちらの油断もあって軽く倒せたが、狼はもともと賢いからな。それに凶暴な魔物だから、こちらも油断などもってのほかである。
背後にいる、ボスではないほうの狼をまず狙う! 先手必勝だ!
「――生も死も創造も破壊もまだなき無の淵よ、その混沌で敵を惑わす闇とならん――混乱の闇!!」
小さい狼を混乱させて、ボス狼を攻撃させるのだ。
俺の手元から生じた黒い霧が背後の狼を包む。すると狼は虚ろな目になってふらふらし始めた。ボス狼は危険を察知したのか、決して仲間のそばに行かずじっと様子を窺っている。
――さすがにボス狼は特に知能が高いらしい。かなり用心深いな。
小さい狼は混乱しているようだが、ボス狼に襲いかかろうとはしなかった。戸惑って、足元が覚束なくなっており、どちらかというと戦意を失っているようだ。
俺は混乱魔法の持続時間をまだ検証していなかったので、急いで別の魔法を唱えた。
「――地獄の業火は煉獄なり。煉獄の炎は敵を喰らい尽くす蛇とならん――煉獄の蛇!!」
【煉獄魔法Lv3】で獲得するこの魔法は、標的を食らい尽くす地獄の蛇のような炎を生み出す。
「ガアッ……!」
小さい狼は自分に迫る脅威から逃れようとするが、体は思いどおりに動かない。そして炎の蛇に呑み込まれ、痛々しい声をあげ、しばらくして灰となった。
残るは、ボス狼のみ。意外と呆気なくこの場を乗り切れそうだと、俺は心に余裕ができた。
「よっしゃ! あとはボスだけ……ぐあっ!?」
ボス狼の方へ振り返ろうとした瞬間、背中と肩が鋭い衝撃に襲われ、俺は訳もわからず地面に倒れる。そして何か重いものによって、湿った腐葉土に顔を押しつけられた。
額を冷たい汗が流れる。
頭上で荒い息遣いが聞こえ、俺はようやく何が起こったのかを理解した。
俺が小さい狼の方を向いて【煉獄の蛇】を唱えている間に、ボス狼は俺のすぐ後ろまで迫っていたのだ。そして俺が安堵して隙を見せた瞬間に飛びかかり、体重をかけた前足で頭を地面に押しつけた。狼の典型的な狩り方だ。
「くそっ……」
頭を踏まれているため呻くのが精一杯で、魔法の詠唱もできない。
ならばと今日の日中に少しだけ教わった初級拳闘術で、つまり拳で殴ろうとするが、地面にうつ伏せの状態ではまともに殴れるはずもなく……ボス狼は勝ち誇ったように俺を見下していた。いくら〈体術王〉スキルがあるといっても、七歳児の身体能力などたかが知れている。そこに上昇補正を加えた程度では、Dランクのモンスターに勝てるはずがないのだ。
肩からは鮮血が噴き出している。
激しく後悔した。
自分はもう生きてこの森を出ることはないだろう。
何が、確定潜在値115だ。
チート気味な己の才能を過信した結果がこれだ。
せめて【煉獄の蛇】を唱える前に【煉獄の壁】を使っていれば……。
一番強い個体がまだ残っている状況で、なぜ俺は油断してしまったのだろうか。あれほど油断は禁物だと自分に言い聞かせていたのに。ここはゲームの世界じゃないのに。ボス戦の前にセーブしたり休憩したりするような感覚は、現実の戦闘においては命取りだ。
だが、ヴェロニカには助かって欲しい。俺は力をふりしぼってわずかに上半身を浮かせ、胸ポケットからヴェロニカを出して放った。
「……逃げ……ろ! ……ッガハァッ……!?」
ボス狼が前足で俺の頭をさらに踏みつけた。ここにいたらヴェロニカもこの狼に食われる可能性がある。だがヴェロニカは動こうとしない。俺はそんなヴェロニカに苛立った。
「……逃げ……ろ」
それでもヴェロニカは動かない。それどころか、俺の方に戻ってきた。
「な……何を……」
その時ボス狼が、自分の頭を振り上げた。
口から覗く大きな犬歯。それを俺のうなじに突き刺そうとしているのだとわかった。
今度こそ終わりだ。死を覚悟して、俺は目を瞑った。
「――っ」
首にこれまで味わったことのない鋭い痛みを感じ、生暖かいものが首筋に広がる。
そして次の瞬間、俺の視界は淡い水色の光に覆われた。
こんな状況だというのに、なぜかその光に安らぎを覚えて、そのまま俺は意識を失った。
†
「……! ……っ!」
どうしてだろう。まだ意識があるみたいだ。だが、すでに体に痛みはない。自分は死んだのだと結論づけると、まーた変なオッサンでも出てくんのかね、と、暑苦しいが、わりと嫌いではなかったあの人物を思い出した。
「……! ……ンっ!」
考えてみると、前世から合わせての二十五年で二回も死んでいることになる。さすがに多いだろうとため息が出た。
それにしても、あの豪華なスキル群――下降補正とか、少なからず不満もあったが、それは贅沢というものだから黙っておく――を活かす前に死んでしまったのは激しく悔やまれる。宝の持ち腐れだ。二百年ぶりの金券って話だぞ? 何やってんだ俺は。
しかし、なんか気持ちいいな。体中の疲れが癒されていくようだ。一回目の冥界は、こんな感じじゃなかったんだがな。
「……ン! ……レン!」
ん? 誰かに呼ばれている気がするぞ。しかも結構可愛いボイスじゃないか。どうやら二度目の死後の世界で、ようやく俺にも春が来たらしい。
「――レン!! 死んじゃダメだよぉ!! 回復が間に合わなかったのかな……どうしよう!?」
はっきりと俺を呼ぶ可愛らしい声が聞こえ、その声の主を探そうとした時に、自分が目を瞑っていることに気づいた。
次第に回復してきた嗅覚が、獣臭い血の臭いを嗅ぎ取った。うう……頭がクラクラするし、目もチカチカする。誰かに肩を揺すられて、急速に意識が現実へ戻る。
「――死んじゃダメだよぉ!!」
そうだ、俺は死んだはずじゃなかったのか? あのボス狼は、俺の無防備な首にその牙を突き立てようと――。
だが、ぼやけた視界に映る影と、俺を呼ぶ声は、明らかに子供のものだ。何してるんだ? まだ近くに、狼が潜んでいるかもしれないんだぞ? 早く逃げろ!!
そう言おうとして、目をこすって見開くと――。
「レン!! 意識が戻ったの!? 大丈夫!?」
――相手のその勢いに、俺は逃げろと言うのも忘れてポカンとしてしまった。
そんな俺を見て、「ああ、よかったあ……」としがみついてきたのは、一糸纏わぬ、空色の髪をした美少女だった。ポニーテールで、頭に花冠を載せている。
少女の後ろには、頭部のない、ボス狼と思しき死骸があった。
……一体、何がどうなった?
森はいつの間にか静けさを取り戻し、そよ風が吹くたびに、地面に映る銀色の月明かりが木の葉と共に揺れている。
俺は立ち上がり、強ばった体をほぐそうと、うーんと伸びをした。予想以上に筋肉が凝り固まっていたようで「おっとっと……」と情けない声を出してよろめいた。
膝を手で押さえて体を支え、辺りを見回す。ボス狼と思われる骸と、灰になった小さい狼。
――危機は確かに去ったようだ。
間一髪のところで誰かが助けてくれたのだろう。通りすがりの、名前を名乗らない「俺カッケー」的思考の人がいたのかもしれん。で、その後、俺をこの少女が発見した……って感じかな? 「俺カッケー」の人は回復魔法もかけてくれたらしく、首や肩に手を当ててみるとすでに血は止まっている。
改めて助かったと思うと、急に体の力が抜けて、俺はへなへなと地面に崩れ落ちた。それを見て、少女が泣きそうな目を向けて言う。
「レ、レン……まだどっか痛いの?」
心配そうに俺を見つめるその瞳は……髪の色と同じ、空色をしていた。
「いや……大丈夫。ちょっと安心して、気が緩んだだけ」
それを聞いて少女も安心したのか、嬉しそうにぺとーっと抱きついてきた。
え……? 何、この状況!? 見知らぬ裸の美少女に涙ながらに抱きつかれるこの状況って何!? 待て俺、まずは落ち着け。深呼吸深呼吸。ひっひっふー、ひっひっふー……違うそれラマーズ法や! えーと……すーはーすーはー……。
焦りすぎて、落ち着くまでにかなり時間がかかってしまった。……そこの美少女よ、俺を変な目で見てはいかんぞ。というか、この子誰だ……? どこかで見たような気がするんだが。おそらく俺と同じくらいの年齢だろうが、村にこんな子はいなかったはずだ。
それに、さっきからレン、レンと俺の名前を連呼している。もしかして知り合いか? 向こうは俺の名前を知っているのに、俺は彼女に心当たりがないなんて、失礼じゃないか。
「え、えーと……そこの美少女さん? 助けてくれてありがとう。もしかして……知り合いだったりする?」
その美少女は俺の言葉に、大きな瞳をパチクリさせて、笑い始めた。
「アハハッ、アハハハハハッ、そうだよね、わかるわけないもんね! そ、それに、び、美少女だって! 恥ずかしいけど……それ以上におかしいっ……」
あれ? なんかまずいこと言ったかな?
しばらくして、頭に美のつく少女は笑いが収まったのか、目尻の涙を人差し指で拭った。
そしてその指で、頭に載っている可愛らしい花冠をさす。
「レン!! 私だよ!! これ、レンにもらった花冠だよ!!」
――見覚えがあった。
それはまさしく、俺が作った花冠であった。
でもこれは、ヴェロニカにあげたはずで――。
胸ポケットに普段の慣れ親しんだぷよぷよした感覚がなく、辺りにも姿が見えなかったから、ヴェロニカは無事逃げられたのだと思っていた……。
だが目の前にはヴェロニカとまったく同じ空色の髪と目が、月明かりを受けて光っていた。
まるで稀代の彫刻家が全身全霊を懸けて彫り上げた人形のように整った顔立ちだ。ほんのり桃色に染まった頬とぷっくりと膨らんだ瑞々しい唇がなければ、本当に人形だと思ってしまう。
俺と同じくらいの年齢だと思われるが、すでに完成されたといっていいほどの可愛らしさで、見る人すべてが惚れ惚れするだろう。
そしてその少女は、胸の前で、ハートを手で作ってみせた。
これは……三ヶ月間、毎日のように見ていた……あのハート?
「まさか……ヴェロニカなのか!?」
正解だと言わんばかりに、とびきりの笑顔で少女は俺の胸に飛び込んできた。幸せそうに、俺の胸に頬ずりをする。
「レン……!! 私、喋れるようになったよ!! 私の夢、叶ったんだよ!! これから、レンと毎日、喋れるんだよ!!」
†
「ってか裸! 裸じゃねえか!」
しばらく抱きしめ合っていたが、俺は自分が何をしているのかに気づき、急に恥ずかしくなって離れた。自分から裸で抱きついてきたのに、ヴェロニカもなぜか顔を真っ赤に染めている。
とりあえず何か着る物をと思い、俺はシャツを脱いだ。しかし脱いでみて、初めてそれが血塗れだと気づいた。ヴェロニカはわかっていたようだが、俺を見てニッコリと笑みを浮かべる。
「あっ、私は別にいいよ? 血が付いてても、レンの服なら気にならないよっ!」
「いや……俺は気になるから、それはさすがに。何というか、ポリシーに反する気がする」
そう言ってシャツを渡すのを躊躇っていると、細長い水色の何かに、服を掠め取られた。
「なぁっ!?」
「あはは、驚いたでしょ! 私の【触手】スキルだよっ!」
ヴェロニカの右腕が、肩のところから三本の水色の触手になっていて、その一本がウネウネと動きながらシャツを掴んでいた。驚く俺を嬉しそうな表情で眺めるヴェロニカ。やがて三本の触手は、ニュルニュルとお互いに絡み付いて、人間の右腕に戻った。ヴェロニカは右手に持ったシャツを頭から被り、もぞもぞしたあと、「ぷはぁ」と顔を出した。
「例外があって、初めてポリシーが意味を持つんだよっ!」
例外があって初めてルールが意味を持つっていう話なら聞いたことあるが……まあ、可愛いからいいか! 血塗れの服を着ている子供たちなんて傍から見れば異様だろうが、そんなこと気にしない、気にしない。
「そうそう、私、進化したっぽいんだよね! なんか魔力が増えて、身体能力も上がってる気がするもんっ」
そう言われてステータスを見てみると、「ぴろぴろりーん」という力が抜ける効果音と共に『多数の更新があります。確認してください』と脳内にメッセージが流れた。とりあえずログを確認する。
「……どれどれ」
『――【暗黒魔法】【混沌魔法】【煉獄魔法】がいずれも最大値の5に達しました。よって新スキル【次元魔法】が解禁されます。使用可能になった魔法を確認してくだい』
『――【初級拳闘術】がLv4になりました』
『――ヴェロニカが進化しました。ヴェロニカの種族がスライムから腐食スライムへ特殊進化し、特殊スキル〈スライム〉が〈腐食スライム〉へ進化しました。また、【初級水魔法】【初級回復魔法】が最大レベルに達し、〈極限突破〉の効果により【初級水魔法】が【中級水魔法】、【初級回復魔法】が【中級回復魔法】へ、特殊スキル〈回復者〉が〈回復師〉へ、それぞれ進化しました』
『――ヴェロニカの特殊スキル〈腐食スライム〉によって一般スキル【腐食】【強酸】が追加され、〈極限突破〉の効果により【触手】が【触手変形】、【物理ダメージ20%カット】が【物理ダメージ40%カット】へ進化しました』
『――隷属状態下にある魔物の進化を確認しましたので、【テイム】スキルがレベルアップしました』
ヴェロニカ
冒険者ランク:なし
ATK:687
DEF:286
SPD:1576
MP:2486
LUK:595
特徴:腐食スライム(Cランク・人型)。
スライムの特殊進化系。
強酸による腐食でどんなものでも溶かして食らう。
「人型」のスライムについては、詳細不明。
やはり、進化だったか。進化以外で、これだけの肉体的変化はありえないからな。だがどういう条件で進化したのだろう。それに、「詳細不明」とはどういうことなのだろうか。もしかしてヴェロニカが、腐食スライム初の「人型」なのかな。……いや、そんなことよりも、まずはヴェロニカの進化を素直に喜ぼうじゃないか。
「ほうほう……つまり、ヴェロニカは進化したから、こんな美少女になったと」
「そういうことかなー? それにしても……び、美少女……え、えへへ」
そう言ってヴェロニカは顔を赤らめ、両手を頬に当てた。ニヤニヤしているが、もちろん気持ち悪いなんてことはなく、微笑ましく可愛らしい笑みだ。
「そうだ……ヴェロニカ、もし嫌じゃなかったら、ヴェルって呼んでもいいかな?」
「……え? も、もちろん! むしろ、喜んでっ」
ヴェルは嬉しくなったのか、ずいずいと俺に近づいてきた。
限りなく近づいたヴェルの顔。キラキラと、月光を受けて輝く瞳に、つい見とれてしまう。
「……レン? どしたの?」
……怪訝そうに俺を見るヴェルに、俺ははっと我に返った。
「いや、何でもないよ、ヴェル」
その顔は反則だろう。精神年齢十八歳プラス七歳の童貞男に、ヴェルのその笑顔は眩しすぎた。完璧な容姿を持つ母様をずっと見ていたから美人には一定の耐性ができたと思っていたのだが、ヴェルの俺に対する混じりっけのない好意に満ちた表情には参ってしまった。
「……うんっ!」
そう言ってはしゃぐヴェル。その極上の笑顔にまた見とれてしまったけど、いいよね? この子むっちゃ可愛いんだよ! というか、自分が美少女だと自覚していないみたいだ。無防備な表情をしてくるので、ドキンとせずにはいられない。……慣れる必要があるな。慣れたくない気持ちもあるけど。この「ドキン」は、簡単に言えば甘酸っぱいのだ。青春の味みたいなやつだな。
しかし甘酸っぱさに浸ってばかりもいられない。気になることもあるし。
……新しいスキルだ。色々と追加されたみたいだが、さてどんなものがあるのだろう? 俺は追加されたスキルを確認していくことにした。そして……。
「【次元魔法】って、アイテムボックスのことか!」
そう、【次元魔法Lv1】は、アイテムボックスが使えるようになるスキルだと判明したのである。
「これで一気にRPGっぽくなったなあ……。まあ、さすがにこの世界をゲームとまったく一緒だと考えたりはしないけど」
俺は異世界トリップした人が、異世界をゲーム世界と勘違いし、その結果身を滅ぼしたという話を知っている。その人は異世界トリップモノ小説の、冴えない悪役キャラだったが。
「それはさておき。ボス狼の死骸が残ってるので素材回収といきましょうかね」
俺はそう言ったものの、解体の方法がわからなかったので、とりあえずアイテムボックスに丸ごと突っ込むことにした。胴体を持ち上げて、獣の血の臭いに鼻を曲げながらアイテムボックスに入れる。
「あとは首か……あれ? 首どこいった?」
「首なら……食べちゃったよ?」
「食べたあ!?」
こともなげに言ったヴェルに、俺は目を見張ってしまった。ボス狼のあの大きな頭が、ヴェルのこの小さなお腹に入るのか……?
俺はヴェルのお腹を見た。
「……ちょっと恥ずかしいけど、見る?」
俺が頷くとヴェルは恥ずかしそうにシャツを捲り上げた。綺麗な臍だなあとか、スマートなくびれだなあとか考える余裕もなく、俺はただ、目の前の光景に釘づけになった。
コポポ……という音と共にヴェルの白いお腹からにゅっと出てきたのは、半分消化されてただれた骨肉が丸見えの、ボス狼の頭蓋だった。
「……」
俺が何も言えずに黙っていると、ヴェルは「あっ、しまった」という顔をして、慌ててボス狼の頭を手で体内に押し込んだ。バタバタと腕を振り、「違うの!! こういうスプラッターな光景を普通の人は見慣れてないってこと、忘れてたの!!」と懸命に誤魔化そうとする。
おそらくスライムはこうやって食べ物を消化するのだろう。ヴェルがスライムの時は俺の魔力を少しずつ与えていたから、スライムの食事がどういうものなのか、俺は知らなかった。
ヴェルはまだ慌てている。だが、ヴェルは一つだけ勘違いしている。
俺は別にこういう、スプラッターなものが苦手というわけではない。ただ単に感動しているだけなのだ。
ただの人間に進化したのではなく、ちゃんと「魔物っ娘」になっているということに、俺はなぜか心を打たれてしまったんだ。
だってさ、小説だと、魔物がただ人間形態になってハイ終わり、っていうのが多い気がするんだよね。もっと、魔物っ娘としての魅力を生かせよ! って思う。例えば獣っ娘でも、語尾に「ワンニャン」が付くだけのキャラクターとか、アレほんとひどいと思うんだ。
……はっ、夢中になって脳内で持論を語っていたから、まだうーうー唸っているヴェルのことをすっかり忘れていた。
「ヴェル、大丈夫だよ!! ってかむしろ、そういうのがベストだから!!」
嬉しいことがあるとついつい会話のテンションが上がるのは俺の悪い癖だ。脳内での独り言では落ち着いているつもりなんだが。
「そういや、俺の体がたまたまヴェルの体内に入って、溶かされるって危険はないの?」
「ないけどーっ……私のこと、信頼してないの?」
「いや! 信頼してないわけないだろ! ちょっと気になっただけだよ!」
頬を膨らませてむくれるヴェルに、慌ててそうフォローした。
「むぅ……まあ別にいいんだけどー。えーとね、もともと私たちスライムは、特殊スキル〈吸収〉で体内に取り込んだものをゆっくり消化するんだけど、それは各自の意思に従って為されるんだよね。……意思というよりは、潜在意識かな? つまり自分が食べ物だと認識してないものは、取り込んでもずっと残るんだよ!」
「へえ、そうなのか……。じゃあもし、寝ぼけてたりして、食べ物だと勘違いしたら?」
「だから潜在意識って言ったでしょ? これは食べ物だ、あれは食べ物じゃない、って無意識に理解してるんだよっ。どうしてそうなるのか、自分でもわかんないんだけどー」
「ふうん……じゃあさ、腕をヴェルのお腹に入れてみてもいい? なんだか無性に気になるんだよ」
お腹に入れる時ひんやりするのかな……と気になって訊ねてみたら、ヴェルは顔を真っ赤っかにして、責めるようなジト目を向けてきた。
「そ、そんな恥ずかしいこと、オトメに聞いちゃだめだよっ! めっ! だよ! ……でも、いつかはしてあげたいな……えへへ」
最後のほうは独り言のようでよく聞き取れなかったが、もう一度聞くのはやめたほうがいいと俺のシックスセンスが教えてくれた気がしたので、それに従った。
それにしても「恥ずかしいこと」か。俺の腕をヴェルの体内に入れてみる、つまり一時的ではあるが俺の腕とヴェルのお腹が直接触れ合うわけで、そういうのが恥ずかしいってことなのか? それとも、別の何かが恥ずかしいのだろうか。
「とりあえずだ! 俺はその【吸収】とかについてはまったく気にしないし、むしろどんどん見てみたいからな!」
「……はうぅ」
恥ずかしがっているヴェルも、また可愛いなぁ。
そのあと、新しく手に入れた能力を色々試してみたが、一番驚いたのは、ヴェルの能力が遥かに上がっているということだった。
「レンが死んじゃう! 何とかしてレンを助けたい! って思った時にね、すごい力が湧いてきて、同時に、自分が何をすればいいのかも理解できたの。そして、私は自分の触手でその狼の首を……。そして気づいたの。私がいつのまにか、この姿になってるって」
ヴェルは笑ってそう言った。だが、特殊進化を遂げ、昨日までの自分を遥かに超える能力を手に入れたことに戸惑いを覚えているようだ。
それに、自分の力の凄さに恐怖を感じてもいるらしい。その力のせいで、もしかしたら俺に距離を置かれてしまうかもしれないと思っているような節もあった。
……ったく、そんなことするわけないじゃないか。
ヴェルは自分自身の魅力をわかっていないんだ。
容姿の話ではない。ヴェルの存在そのものの魅力だ。
「……ヴェル、ありがとな。ヴェルがいなかったら、俺、死んでたよ。俺が今こうして生きていられるのは、ヴェルが特殊進化したからなんだよ。だからヴェル、もっと自分を誇れよ」
ヴェルはびっくりした顔になって、「うん……」と再び目尻に涙を浮かべて頷いた。自分の心情を俺が察したことに驚いたのだろう。
俺はヴェルをあやすようにそっと胸を貸した。
しばらくして、ヴェルは顔を上げ、涙を拭って幸せそうに笑った。
「もう大丈夫! ヴェル復活だよ!」
「ああ、それでこそヴェルだ。ヴェルには笑顔でいてもらわなくっちゃな」
普通のスライムだった頃から、ヴェルは他のスライムと比べて活発だった。今のヴェルの口調や、表情を見ていると、その活発さは彼女自身の性格によるものだったのだと気づいた。
そして――特殊進化。照れる話だけど、ヴェルの、俺を助けたいという想いが、ヴェルを進化させたのだと思う。その想いに俺の〈テイムマスター〉の能力が刺激され、そしてヴェルに作用して、スライムから腐食スライムへの進化を遂げたのだ。きっとヴェルは、あの見た目からは想像もできないほどの力を秘めているはずだ。
そう、まるで、転生モノの小説に出てくるような――。
俺はどうしてもこらえきれず、一人で大笑いし、そのまま倒れて仰向けになった。ヴェルは最初俺の様子にびっくりしていたけど、こっちにおいでよと誘うと、俺の隣に寝そべって仰向けになった。
なんか、いい。
幸福感と満足感に満たされていく。
竜や吸血鬼みたいな、英雄譚に出てくるようなモンスターじゃなかったけど、それでもあのボス狼は、今の俺には強すぎた。
今まで倒してきたスライムより、遥かに強い敵。
それを相手にして、死にそうになって、でも自分はこうして生き延びることができた。そして何より、ヴェル――ヴェロニカの存在が俺には嬉しかった。
ただ単に可愛いからじゃない。嬉しかったのは、俺のことをこんなに強く想ってくれる人がいたってことだ。
夜空に浮かぶ銀色の満月と、その月を見上げるヴェルを交互に眺めて、これが本当の、自分の冒険の始まりなんだと、理由もなく感じた。
改めてヴェルを横目で、それでもじっくりと眺めてみる。
空色に輝く髪、キラキラと光る大きな真ん丸の瞳、白い肌。桜色を帯びた頬。綺麗な鎖骨と控えめな胸。ぶかぶかで、血塗れのシャツを纏っているのに、ヴェルの魅力は少しも損なわれていない。……むしろ、白い肌と対照的な真っ赤な血が、その肌の美しさを際立せていた。
こんな子が隣で寝ているなんて、前世の俺では考えられなかった。無性に嬉しくなって、無意識に俺はヴェルの頭を撫でていた。
「? どうしたの、レン?」
「ん……いや、なんとなく嬉しくなった」
「んー、ふふ、そっかー。じゃあ、私も!」
そう言って俺たちはしばらくの間、互いの頭を撫で合っていた。
真夜中ということを抜きにすれば、七歳ぐらいの男女がじゃれ合っている普通の光景なんだろうけど、その時の俺たちの気持ちは、七歳児のそれを超えていたんだ。
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