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序章 薔薇ばらは涙の種を


「フロラ、いい加減、お前は逃げろ!」
「嫌ですわ、アーデお兄様!」
夜空に浮かぶ、銀色に輝く三日月みかづき
その光は、険しい山の地表を照らす。
月明かりが大地に映し出したもの――二つの影が、互いに向き合っている。
「僕の言うことを聞くんだ! このままだと、お前まで奴らに殺されてしまう!」
「逃げることなど許されません! 私は『薔薇姫』なのです! 私が守らぬと言うのなら、一体誰が民を守るのですか!」
「もう遅い! すでに民のほとんどはやられてしまった! 僕らに……勝ち目はないのだ!」
「そんなことありません! 私が、何とかしますわ!」
二つの影の言葉の応酬は止まらない。
やがて「アーデ」と呼ばれたほうが、しびれを切らしたのか、周囲に向けて怒鳴った。
「おい、エステ! いるんだろう!? 薔薇姫を連れて、今すぐ逃げろ!」
刹那せつな、薔薇姫の背後にもう一つの影が現れ、薔薇姫を包み込んだ。
「やめなさい、放しなさい! 私は民を守ると約束したのです! こんなところで、逃げるわけにはいかないのです!」
しかし、背後の影は力をゆるめる気配がない。
「放して! 放して! ……お兄様、お願いします、私もここに残って――」
「だめだ! お前は我々の最後の希望! お前だけは生き延びなければいけないんだ! ……やれ、エステッ!」
直後、エステと呼ばれた影が、薔薇姫の体に針を突き刺した。
「薔薇姫様、どうか……お許しください」
薔薇姫は振り返ってエステを見上げる。
「……卑怯ひきょうな……真似を……お兄、様……」
その場に崩れ落ちそうになる薔薇姫を、エステが支える。
「──終焉しゅうえんなる闇が世界を覆う時……」
混濁こんだくした意識の中で、薔薇姫は兄のそんな言葉を聞いた。
兄が何を言っているのかわからないものの、記憶を揺さぶられるような懐かしさを覚える。
「──薔薇の姫君、太陽の巫女みことなりて世界に光を照らさん。……我らの種族の古くからの言い伝えだ」
薔薇姫にそう語りかける兄の表情が柔らかくなる。
「薔薇姫……いや、フロラよ。僕たちの種族を救うことができるのは、お前だけだ。我々は、お前だけは、薔薇姫だけは、失ってはいけないのだ。……それじゃあな、フロラ。またいつか、会えるといいな」
そう言って、眼下に迫った敵の群れを見下ろすアーデ。
今、フロラは理解した。
お兄様は……私を逃がして、死ぬつもりなのだ。
泣き叫びたいはずなのに、意識はどんどん薄らいでいく。
「お、に、い、さ……」
フロラは完全に意識を失った。
エステに抱えられたフロラを、アーデが優しい眼差まなざしで見つめる。
その視線を、彼女の背後のエステに移して、アーデは言った。
「エステ……フロラが目覚めたら、これを渡してくれ」
アーデが差し出したのは、赤々としたまばゆい光を放つ石。
エステはうなずき、それを受け取る。
「エステ、後は任せたぞ。どんなことがあっても……フロラを守れ! これが――俺の最後の命令だ!」
エステは、もう一度大きく頷いた。
「……承知しました、アーデ様。これまでの数々のご恩……絶対に忘れません。薔薇姫は必ず守り抜いてみせます……命に替えても!」
そこまで言うと、エステはアーデに背を向け、薔薇姫を抱えて走り去った。
遠ざかる彼らを、アーデはいつまでも見つめていた。
そのたぐいまれな能力によって「薔薇姫」と呼ばれた妹だけは――死なせるわけにはいかない。
そのためには、己の命などしくない。
アーデは再び、迫り来る眼下の敵たちを見下ろす。
それは圧倒的な数の大軍。
それでもアーデは、ひるまない。
「薔薇姫には……妹には絶対に手出しさせん! かかってこい! 僕が相手だ!」
直後、大波のような敵の軍勢が、アーデに襲いかかる。
──フロラ、さらばだ。


第一章 帰還きかん


「なるほど……未知の魔物はブラッドキャップ、とな。……とにかく、討伐とうばつご苦労であった」
冒険者ギルド・ハーガニー支部にある、ギルドマスターの執務室。
ギルドマスターのグラノイアスが、帰還したばかりの俺たち討伐隊に、ねぎらいの言葉をかける。
先発の討伐隊を壊滅かいめつさせ、ハーガニーの人々を戦慄せんりつさせた魔物・レッドキャップ、さらにブラッドキャップを加えた一味いちみは、俺――レンデリック・ラ・フォンテーニュと、相棒のスライム娘ヴェロニカも参加した二次討伐隊によって掃討そうとうされた。
一味が縄張りとしていた森からハーガニーの街に戻ってきた俺たちは、その足でギルドに向かい、グラノイアスの部屋に通されたというわけである。
今は、討伐隊のリーダーを務めた守備兵団団長のローレンが、討伐の内容について簡単な報告をしているところだ。
ギルドの二階にあるこの部屋に来る前、俺とヴェル(ヴェロニカの愛称)は一階ロビーにある電話から、世話になっている宿屋「麦穂亭むぎほてい」に連絡を入れた。
昨日は麦穂亭の女将おかみさんの娘、ネーファと昼頃に別れてギルドに来たが、そのままレッドキャップ討伐の緊急依頼に参加することになったため、連絡を入れることができなかったのだ。
実際には、連絡を入れる「時間」はあったものの、そうする「余裕」がなかった。
昨日、ギルドにやってきた直後、俺はこの街に来て出会った友人・ワズナーが討伐隊に参加して死んだことを知った。
俺にそれを教えたのは、かつてはその才能から「神童しんどう」と呼ばれながら、落ちこぼれて今は「寝取り男」などという通り名で知られる冒険者、ゾイドである。
予想もしなかったワズナーの死に衝撃を受け、その後、グラノイアスから発表されたレッドキャップ二次討伐の緊急依頼に参加した俺の頭の中には、ワズナーの仇討あだうちのことしかなかった。
だから、麦穂亭への連絡を忘れてしまったのだ。
さきほどかけた電話に出たのは、女将さんだった。俺は以前にも連絡なしに一晩宿に戻らなかったことがあり、てっきり怒られるものと思ったが、女将さんは「無事でよかったよ」と電話口で繰り返すばかりで、非常に申し訳なくなった。
次は、本当に気をつけよう。
「さて……」
執務デスクの椅子に座りながら、ねぎらうように俺たち一人一人の顔を見回すグラノイアス。
無事帰還した俺たちを見るその目には安堵あんどの色があったが、同時に、隠しきれない不安も混じっているように俺には見える。
「戻ってきて早々で悪いのだが、君たち全員のギルドカードを、今ここで読み取らせてもらってもいいかね?」
俺たちはギルドカードを取り出し、次々とグラノイアスに手渡した。
――ハーガニーに戻ってきた俺たちを待ち受けていたのは、街の人々の歓声かんせいだった。
街の出入り口である門の周囲で、大勢の人たちが討伐隊の帰還を喜んでくれているのを見て、思わず胸が熱くなってしまった。
前世で見たプロ野球の優勝パレードのような、その熱狂ぶり。四方から飛んでくる歓声と視線は照れくさくもあったが、あの興奮はクセになりそうだ。
かつて浴びたことのない黄色い声援を思い出すと、グラノイアスの前だというのに、思わずニンマリしてしまいそうになる。
……だけど、観衆の中から「可愛いよ!」とか「俺の愛を受け取ってくれ!」などという、ヴェルに対する男どもの声が聞こえてきた時には、さすがにカチンとくるものがあった。
ヴェルは渡さないからな!
「……ふむ……ふむ」
ふいに耳に届く、グラノイアスの声。
おっと、いけない、いけない。
ここはギルドマスターの執務室。ぴしっとしなくては。
グラノイアスは、俺たちから受け取ったギルドカードを、読み取り機である水晶に一枚ずつかざしては、表示される情報に目を通して一人頷いている。
俺たち帰還メンバーはその間、じっと彼の挙動を見つめていた。
「これで終わり、と。お待たせしてしまったな」
読み取りを終えたグラノイアスが、カードを一人一人に返していく。
「さて……今回の討伐の報酬と戦利品の分配だが、明朝でも構わないかな? カード情報を見るかぎり、どうやら今回は戦利品が膨大ぼうだいな数にのぼるようだからね」
全員を見回しながら問いかけるグラノイアス。
俺たちは互いに顔を見合わせ、頷く。
「はい、それで大丈夫です」
代表して、おの使いのベテラン冒険者、オルバが答えた。スキンヘッドの強面こわもて兄さんだが、豪快な性格で頼りになる存在だ。
ちなみにこの「分配」の対象に、ローレンをはじめとする守備兵団のメンバーは含まれていない。彼らはハーガニーのいわば公務員のような存在であるから、その活動の対価は基本的に給料なのである。
「それで……少しよろしいですか、グラノイアス殿?」
「ふむ、オルバ殿。何かね?」 
かしこまったオルバの口調に、グラノイアスが真剣な表情で問い返す。
いつもはフランクな彼らしくない口調だが、伝説級の冒険者であるグラノイアスの前だからな。さすがのオルバも丁寧ていねいな言葉づかいになるのだろう。
「さきほどのローレン殿からの報告の補足なのですが……本来であればベルガニー山脈付近にのみ棲息せいそくする魔物が、ふもとの森に、大量に出現しました。まあ、ギルドカードの情報でもわかると思いますが」
オルバの説明を聞きながら、顎鬚あごひげでるグラノイアス。
「ふむ……続けてくれ」
「はい。これまでの周期に照らすと……『大氾濫だいはんらん』が、ベルガニー山脈で起きている可能性があります」
大氾濫、という単語がオルバの口から出た途端、グラノイアスを包むオーラが緊張をともなうものに変わったように思えた。
ビリビリと、室内の空気が震えるのがわかる。
その変化に俺や他のメンバーも反応し、部屋の雰囲気が、一気に張り詰める。
ふいに何かに気づいた顔をして、グラノイアスがため息をついた。すると、途端に彼のまとうオーラが弛緩しかんしていき、室内の空気がふっとやわらぐ。
「申し訳ない、つい興奮してしまったようだ。……大氾濫、か。前回あれが起こったのは二十年ほど前だったな……少し早い気もするが、そろそろ起こったとしても、そこまで不思議ではない、か」
特定の一種族の魔物が爆発的に増える、大氾濫。
それはある程度の周期性を持って発生し、そのたびに、人類に大きなわざわいをもたらしたと言われている。
直近で起こったのは、今グラノイアスが言ったとおり二十年前。
その時はハーガニー近郊でゴブリンが大量発生し、しかもその中に、特殊進化をげた個体が存在したという。
目から灼熱しゃくねつや電撃の光線を放出するというその個体の脅威はきょうい凄まじく、当時現役の冒険者だった俺の両親――パブロとエレーネも参加して討伐には成功したものの、多数の死傷者が出たのだそうだ。
「そうですね、確かに少し早いとは思いますが、ありえない話ではないと思います。……ただ、異常なのは、複数の種族が大量発生しているという点です」
それを聞いて、グラノイアスの顔があからさまに険しくなる。
否応いやおうなしに、部屋に再び緊張が走った。
「……どういうことかね」
グラノイアスの雰囲気にされているのか、生唾なまつばを呑み込んでからオルバが答えた。
「ええ、我々が森で遭遇したのは……高山獅子こうざんしし岩喰猿いわぐいざる刃翼鳥ばよくちょう人面樹じんめんじゅの四種です。大氾濫は基本的に、一度に一種族のみの大量発生、という認識でしたので、これには非常に驚きました」
グラノイアスの表情は、苦悩と不安が入り混じっているように見える。しきりに顎鬚をつまんでいた指を止めて、彼は言った。
「……急ぎ、ベルガニー山脈、および麓の森に調査部隊を派遣しよう。何か、尋常じんじょうならざることが起こっているように思えるな。……オルバ殿、報告まことにありがとう。皆も今回は疲れたであろう。まずは存分に休み、英気えいきを養ってくれ」
帰還メンバーは一礼し、順番に部屋を出ていく。ドアに近い順に、オルバ、彼の相棒の魔法使いエスティア、黒いドレスと赤い髪が印象的な旅の冒険者ユリア……と退室していった。
だが俺とヴェルは、部屋を出ていかなかった。ローレンもだ。
ハーガニーに戻る前、俺たち二人は、ブラッドキャップの拠点で見つかった「謎のびん」のことをグラノイアスに報告するよう、ローレンから頼まれていたのである。
麓の森の、敵の拠点に残されていた、謎の瓶。これには、以前に俺とヴェルがネビュラス・コーボルトので拾ったものと同様、生産地を示す「紋様」が刻まれていない。
俺とヴェルは、相次ぐ魔物の特殊進化の陰に、この出所不明の瓶が関係しているとにらんでいた。
「ん、どうした、君たち三人もゆっくり休んで――」
部屋に残るローレン、俺とヴェルを見てそう言いかけたグラノイアスに、ローレンが切り出す。
「……ギルドマスター、実はもう一つ、報告があるのですが……」
「ほう……待ちたまえ」
グラノイアスは、椅子から立ち上がって戸口のところへ行き、廊下に誰もいないことを確かめてドアを閉めた。ローレンの口ぶりから、今からなされる報告が重大なものだと察したらしい。
執務デスクの椅子に座り直して、グラノイアスは俺たちを見上げた。
「続けてくれ」
そう言われたローレンが、俺を見てこくりと頷く。俺も小さく頷き返した。
俺は【次元魔法】のアイテムボックスを使い、ブラッドキャップの拠点から持ち帰った四本の瓶を取り出して、グラノイアスの机の上に置いた。
無言のまま、瓶の一つを手に取るグラノイアス。
「これは……あの瓶と、同じタイプのものか? 君らがネビュラス・コーボルトと遭遇した現場から持ち帰った、あの……」
何とか平静をよそおっているようだが、彼は明らかに動揺している。
ローレンが俺を横目で見る。説明してやれ、ということだ。俺は部屋に入ってから、初めて口を開いた。
「はい、おそらく。今お持ちのその瓶は、まあ察しはついてると思いますけど、ブラッドキャップの拠点で発見されたものです。ギルドカードの情報を見れば詳しくわかると思いますが、ブラッドキャップは、レッドキャップが特殊進化した個体と考えて間違いないと思います」
それを聞くと、グラノイアスは腕を組んで目をつむり、ぶつぶつと独り言を語り始めた。
これは、熟考する際の彼のクセだ。俺も初めて見た時は少しギョッとしたが、何度か見ているうちに、そういうものなのだと慣れた。
グラノイアスはしばらくしてから、ゆっくり目を開けた。
「ふうむ……。ネビュラス・コーボルトに、ブラッドキャップ……君らは、誰かがこの瓶を、いや、瓶の中身を使って、故意こいに魔物の特殊進化を引き起こしている、そう言いたいのだね」
俺たち三人は同時に頷く。
ふー、と長いため息をついた後、グラノイアスは電話機の水晶をさすりながら言った。
「そういえば、レンデリック殿、瓶の件を相談しておいた『グレーフィーダー』の知人から連絡があったよ。彼によると、やはり近年多くのドワーフが、自治領グレーフィーダーを離れて世界中に散っているらしい。よってこの瓶の製造者については、特定が困難だという。グレーフィーダーで製造されたものであれば、領外に出荷される際に何かしらの記録が残る可能性があるようだが、領外のドワーフが製作したものだとそれが残らないそうでな。領外に暮らすドワーフは非常に多いというから、一人一人しらみつぶしに調べることもできない、とのことだ」
確かに、ここハーガニーで武器屋をいとなむドワーフのおっちゃんも、最近は領を出る同胞どうほうが多いとか言っていたもんな。
特殊進化した魔物の二つの拠点で、同じ種類のものと思われる瓶が見つかったことで、とんとんびょうにことが進むかもしれないと期待していたのだが……そんなにうまくはいかないか。
グラノイアスが、コトッ、と瓶を机の上に戻す。
「ということで……この件に関して、今日のところはここまでだ。……ともかく、三人とも、討伐ご苦労だった。とくに、レンデリック殿とヴェロニカ殿。君たちはネビュラス・コーボルトとの戦闘から間もないにもかかわらず、今回の討伐隊に参加してくれた。心より感謝する。……まあ君らのことだ、ブラッドキャップとの交戦でも、他のベテランたちに負けず活躍したのだろうな」
そう言って微笑ほほえむグラノイアスに、ローレンが答える。
「ええ。二人とも、見事な活躍を見せてくれましたよ。レン君に至っては、四体のブラッドキャップのうち、二体をほとんど単独で討伐しましたからね」
ほお、と目を丸くするグラノイアス。
俺とヴェルは、恥ずかしくなって頭をぽりぽりいた。
「そうか、そうか。私の目に、狂いはなかったようだ」
満足そうなグラノイアスの言葉を聞いて、俺はあることを思い出した。そして気づけば、彼に、こう聞いていた。
「あの、どうして俺とヴェルの、討伐隊参加を許可してくれたんですか? もちろん俺たち自身が希望してのことでしたけど、参加OKになったことで、『ランク昇格の事実を周囲に知られないようにする』という約束を破ることになってしまったわけで……」
先日、グラノイアスの判断で、俺とヴェルはFランクからCランクへと昇格した。
「ランク」というのは、この世界における強さの格付けの指標だ。
「冒険者ランク」と「魔物ランク」が存在するが、どちらも内容は同じ。
SSS・SS・S・A・B・C・D・E・Fの九段階に分かれていて、SSSが最高、そしてFが最低となっている。
ちなみにローレンはAランクで、グラノイアスはなんとSランクである。
ともかく、冒険者ギルドに登録したばかりの、最低のFランクからスタートしたルーキーが、いきなりCランクに昇進などというのは例外中の例外だ。
そのため、グラノイアスの指示があるまでは、昇格の事実は秘密にしておくようにと彼から言われていた。
だから俺とヴェルがレッドキャップ討伐隊に応募したのは、言ってみればダメもとだったのである。グラノイアスが許可するかどうかは、正直わからなかった。
それがふたを開けてみればすんなりOKとなったことが、俺はずっと気になっていた。ただ、それ以上に、友人ワズナーのかたきの討伐に参加できるということで頭がいっぱいで、「どうして参加を許可されたのか」については、今の今まで忘れていたのだった。
俺の質問を聞いたグラノイアスは、腹の底からという感じで、豪快な笑い声を上げた。
「ハッハッハッハ! レンデリック殿、ヴェロニカ殿、君たちが今回の討伐隊で活躍すれば、Cランク昇格も妥当であると、他の冒険者たちに証明できるだろう? そして実際、君らは見事な活躍をしてみせたわけだ。これでもう二人とも、名実ともにCランクだよ」
そういうことか。
おそらくグラノイアスは、ネビュラス・コーボルト出現の報を俺から聞いた時点で、重大な何かがこの世界で起こっていると感じたのだろう。
そして、仮に第二、第三のネビュラス・コーボルトが現れた場合に、それらを迅速じんそくに討伐できるよう、高ランク冒険者を増やしておきたかったに違いない。
俺とヴェルの実力は、Bランク指定のネビュラス・コーボルト撃破によって証明されている……だが、数日前に冒険者になったばかりのルーキーをいきなり、それもCランクに昇格させるというのは、あまりにも異例。他の冒険者からの、不必要な批判を引き起こしかねない。
そこでグラノイアスは、昇格の事実を内密にした上で、今回突発的に発生したレッドキャップの討伐隊へ、俺たちを参加させることにしたのだ。今彼が言ったとおり、実績によって名実ともにCランクにするために。
さすがに、ブラッドキャップの出現まで予想していたわけではないだろうが……結果的に俺とヴェルは、グラノイアスの思惑おもわくどおりに動いたというわけである。
「納得しました……ということにしておきます」
俺の言葉に、グラノイアスはもう一度笑う。
「ハッハッハ! ありがとう、そうしてもらえると助かる。……それで、だ。大氾濫の件、およびこの瓶の調査は、引き続き私が主導でおこなっていくとしよう。だが君たちも、新しい情報をつかんだ際は速やかに報告してくれ」
俺たちは頷いた。
よし、と呟いて、グラノイアスが椅子から立ち上がる。
「それでは、報告会はこれにてお開きとしよう。三人とも、本当にご苦労だった」
俺は、正直迷っていた。このまま帰っていいものかと。
……ワズナーの遺体の足に刺さっていた、短剣のことがあったからだ。
ブラッドキャップらの拠点で発見されたワズナーの遺体。その足には、魔物が使うとは思えないナイフが、深々と突き刺さっていた。
それを目にしてから、俺の中で違和感が膨らみ、いまだにぬぐいきれないでいた。
だが、俺はナイフのことを、オルバにも、ローレンにも、ヴェルにさえ言っていない。ちょうどナイフを目にした直後に、大量発生した高山獅子らの発見情報が伝えられたために、彼らに説明するタイミングを逸してしまった、というのもある。
しかしそれ以上に……あのナイフが何を意味するのか、自分の中で整理がついていなかった。
「……ン、ねえ、レン?」
気づけば、ヴェルが俺の名を呼んでいた。
グラノイアスとローレンも、不思議そうに俺を見つめている。
……思考にふけってしまっていたらしい。
「あ、ああ……ごめんごめん、さあ行こう」
俺はあわてて言い、目の前のグラノイアスに一礼して、執務室をあとにした。ヴェルとローレンが続く。
部屋を出る時、グラノイアスが窓を開けたらしく、外の大通りから、人々の笑い声や、店々の勧誘の声が聞こえてきた。俺たち討伐隊が帰還したニュースに、人々はき立っているのだろう。
ワズナーら先発隊の敗走に誰もが震撼しんかんした昨日と異なり、今夜のハーガニーは、いつものにぎやかさを取り戻していた。
俺もひとまずは考え込むのをやめて、この祝勝ムードを楽しむべきだと自分に言い聞かせた。

  †

「レン君、ヴェルちゃん、無事でほんとによかったですよぉっ。……うぅ……ひっく」
「心配かけてごめんな、ネーファ」
「ネーファ、泣かないで。ほらこのとおり、怪我もなく帰ってきたよっ!」
俺とヴェルは、冒険者ギルドを出た後、宿屋「麦穂亭」に帰ってきた。
宿の扉を開けて、チリンチリン、とベルの音がしたかと思うと――店の看板娘、ネーファがヴェルの胸に顔をうずめていたのである。
ネーファは、俺やヴェルと同じ十三歳だ。まあ、ヴェルはスライムだから、実際のところ正確な年齢はわからないんだけど。
ヴェルによしよしと頭を撫でられるネーファを見ていると、まるでヴェルの妹のように思えてくる。いつもは誰よりも子供らしいヴェルも、この時ばかりはお姉さんっぽく見えるな。
二人を眺めつつ、ほっこりしていると、誰かが俺の肩をつんつんとつつく。
先日からこの宿で働くことになった、キルケだ。
彼女は、俺とヴェルがネビュラス・コーボルトに遭遇した「暗い森」で出会い、ハーガニーに連れてきた元コーボルト。つまり、ヴェルと同じ魔物っである。
「おかえりなさい、レンさん、それにヴェルちゃんも」
「ああ、ただいま、キルケ」
「ただいまっ!」
俺たち二人は元気よく答え、キルケも微笑む。
ネーファが、ヴェルの胸から顔を起こし、俺とヴェルの顔を交互に見上げた。
「本当におかえりなさい、レン君……ヴェルちゃん」
ヴェルになぐさめられておさまった涙が、再びネーファの大きな瞳からこぼれる。
まったく、相変わらず涙もろいなあ。
俺は苦笑しながら、ネーファの髪をくしゃっと撫でる。きれいな金髪が、明後日あさっての方向に跳ねた。
「は、はわわ……」
ネーファが慌てて髪を直しているところへ、奥の食堂のほうから、女将さんが出てきた。
「あら、帰ったんだね、おかえり!」
「ただいま戻りました、女将さん。心配かけてすみません」
「ごめんなさい、遅くなりましたっ」
ヴェルと一緒に頭を下げる。
「いいんだよ、無事ならそれでね。……にしても、昨夜、泊まり客たちが話してたけど、今回の緊急依頼、Bランク指定だったんだって? それに参加できたってことは、あんたたち二人ともCランク以上なんだね。ついこの前冒険者になったばっかりなのに、すごいもんだねえ。あんたらきっと、大物になるよ! ……まあ、とりあえず、お疲れさま。今日はゆっくり体を休めな。腹減ってるだろ? 夕飯もできてるよ!」

夕飯、と聞いて、俺はいきなり空腹感に襲われた。思えば、朝に携行食を野営地で食べてから、今まで何も口にしていない。
ヴェルも同じく腹ペコだったようで、見れば口元からよだれが垂れている。俺が目で示すと、ヴェルは慌てて口を拭った。
ちなみにこの時初めて知ったのだが、冒険者のランクは、一般人もある程度把握はあくしているものなのだそうだ。
冒険者というのは、一般の人々からすれば特異な能力を持ったあこがれの存在であり、「誰が強い」とか「誰が注目株だ」といった話題は大変このまれるらしい。
グラノイアスが俺とヴェルに昇格の事実を口外こうがいしないよう指示したのは、この辺りのことにも関係しているのかもしれない。一般人の間で「何であいつらがCランクに……?」などという疑念が湧くと、冒険者ギルド全体の信用にも悪影響をおよぼしかねないからな。
「ほら、食べるんだろ? 早く服を着替えて、食堂においで!」
腹ペコの俺とヴェルは、こくりと頷き、二階の部屋へ向かってそばの階段を駆け上がった。

「慌てなさんな。誰も取りゃしないよ!」
おかわりの皿を運びながら、女将さんが笑う。
着替えを終えて食堂にやってきた俺とヴェルは、出された料理を次々にたいらげていった。
遅い時間帯だったので、食堂に他の客はいない。
テーブルの向かいの席では、俺たちの食欲に圧倒されたネーファとキルケが、ぽかんとした表情を浮かべている。
「ふー……食った食った」
「ごちそうさまでした。美味おいしかったあ」
いつもの倍近い量をぺろりと完食した俺たちに、女将さんがジュースを持ってきてくれた。
「ありがとうございます……ふう、おかわり!」
俺は受け取ったジュースを一瞬で飲み干し、女将さんにコップを差し出す。
「あらま、すごいもんだね。はいはい、ちょっと待ってておくれ」
ちゅうぼうに戻った女将さんが、顔だけ出して声を上げた。
「ネーファ! 悪いけど裏の倉庫から何本か持ってきてくれるかい! さっきので最後だったみたいでね!」
どうやらジュースが切れたらしい。
「あ、はい、今行ってきます!」
ネーファが立ち上がる。
「ネーファちゃん、私も手伝うわ」
そう言って一緒に行こうとするキルケに、ネーファは「一人で持てるよ、お姉ちゃん」と笑いつつ、結局二人で食堂を出ていく。
もちろん二人は実際の姉妹しまいではないのだが、はたから見ると、まるっきり仲良し姉妹という感じだ。
「ごめんな、ネーファ、キルケ。よろしく頼むよ!」
俺とヴェルは二人に甘えることにした。さすがに体が疲れている。
厨房から出てきた女将さんが、「ひとまずこれ飲んでておくれよ」と水の入ったコップを渡してくれた。
俺たちはそれを、ごくごくのどを鳴らして飲む。
「それにしても……キルケはいい子だよ! 料理は上手うまいし、掃除そうじもできるし、愛想もいいし、文句なしだね! どれも手際がいいし。それに何といっても、ご飯の食べっぷりが見てて気持ちいいんだよ。年頃の女の子にしちゃ珍しいくらいにね。……そういや昼だったかね、肉料理が好物らしいから、まかないに肉料理を作ってやるって言ったんだ。そしたらさ、『自分で作ってみたい』なんて言い出してね。好きにしなってあたしは厨房を出たんだけど、キルケはその後すぐ自分の部屋に引っ込んじまったみたいなのさ。てっきり厨房でするのかと思ったんだけど、部屋で料理したのかねえ――」
その時、ちょうどネーファとキルケが戻ってきた。手にジュースの瓶を抱えて。
「レン君、ヴェルちゃん、お待たせ」
ネーファは厨房に行き、キルケが俺たちのテーブルに来て、新しいジュースをコップにいでくれた。
「ああ、キルケ。ちょうど今あんたの話してたんだけどね。昼頃さ、肉料理作るって言ってたろ? あれ、あんた、自分の部屋に材料を持ってったのかい?」
顔を真っ赤にするキルケ。
「え? お、女将さん、やめてくださいよ、持っていってないです」
それを聞いて、女将さんが首をかしげる。
「そうかい? 変だねえ、それにしちゃ、厨房で調理した様子もなかったから――」
顎に指を当ててそんなことを言い出す女将さんに、キルケはまごついている。
落ち着け、キルケ。
俺は顔面蒼白そうはくになっているキルケの背中を指で小突いた。
だが気が動転しているらしいキルケには、当然、俺の意図は伝わらない。
キルケは振り返り、泣きそうな目で俺を見る。
ふう、しかたない。
「何を言ってるんですか、女将さん。厨房以外で料理するわけないじゃないですか。さっきめてたでしょ、『手際がいい』って。きっと、パパパッと作って、片付けも完璧にしちゃったんですよ」
俺はそんなふうにキルケをフォローする。まだ俺を見ているキルケには、目で、「黙ってろよ」と合図した。
女将さんは俺の説明に、ポン、と両手を打つ。
「ああ、きっとそうだね、私の勘違いだよ! キルケ、変なこと言って悪かったね」
どうやら納得してくれたらしい。
「あっ、そのっ、あ、いえ……大丈夫です!」
慌ててそんな反応をするキルケ。
この子のうっかりは、やっぱりあやういなぁ……。
本当のところは……自分の部屋に生肉を持っていって、そのまま食べたのだろう。
それもしかたない、キルケは肉食のコーボルトなんだからな。 
「本当に悪いね、キルケ。許しておくれ」
「……あ、はい、だ、大丈夫です」
「ありがとね。じゃ、あたしは戻るよ」
そう言って厨房に戻る女将さん。
キルケの反応がちょっと遅れたのが、俺は少し気になった。
何か考えごとをしていたのかな?
すると、ふいにヴェルがキルケの顔をのぞき込む。
「わっ、ヴェルちゃん、どうしたの、いきなり!」
「ううん、ごめんね? キルケちゃん、何か悩みごととかあるのー?」
ヴェルの大きな空色の目に、キルケの顔が映り込む。
キルケは数回かまばたきをしてみせた後、両手を顔の前でぶんぶん振った。
「え、えと、大丈夫です」
「……本当に?」
「ええ、ヴェルちゃん、私は大丈夫ですよっ」
大きな声でそう言い張るキルケ。
「あ、じゃあ、私、お皿洗い手伝ってきますね!」
キルケはそう言って、逃げるように厨房に入っていく。
とりあえず――。
俺は、キルケと入れ違いでこちらに来たネーファに手招きする。
「……どうかしましたか、レン君?」
ネーファが顔を近づけてきた。
「うん、もしかしたらなんだけど、キルケが何か悩みを抱えてるかもしれないんだ。何なのかはわからないけど。機会があったらさ、相談に乗ってあげてくれないか?」
冒険者として日々外出しがちの俺とヴェルより、この宿でいつも一緒に働くネーファのほうが、キルケも何かと相談しやすいだろう。ヴェルも「お願い、ネーファ」と頭を下げる。
「え? ……はい、わかりましたっ!」
ネーファはその可愛らしい目をパチクリさせて、そう答えてくれた。
元はと言えば俺がキルケをハーガニーに誘ったので、そばにいてサポートしてやれないことに少しばかり罪悪感もあったが……ここはネーファに甘えさせてもらおう。
「なんだい、まだそこにいるのかい? 二人ともくたびれてんだろ、早くお休みよ! ネーファ、そこのコップを持ってきとくれ!」
厨房から女将さんの声がひびいて、はーい、とネーファが返事する。
女将さんたちにお休みの挨拶あいさつをして、俺とヴェルは二階に上がった。
部屋のベッドに倒れ込むと、まもなくどうしようもないほどの眠気が襲ってきて、俺の意識は遠のいた。
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