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08:ただいま、僕の太陽
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「ごめんな。……待たせた」
ずっと寝ていて錆びついた声帯から、俺は言葉を絞り出した、
腕の中の莉子は、さらに強く、子供のように声を上げて泣いた。「ううん、ううん」と何度も首を振りながら、俺の胸に顔を押し付けてくる。その温もりと重みが、俺が「現実」に戻ってきたことを、何よりも雄弁に物語っていた。
俺の身体に抱きついて泣きじゃくる莉子と、その彼女を抱きしめ返す俺。
その異様な光景と物音に最初に気づいたのは、巡回に来た若い看護師だった。
「――えっ!?」
病室のドアを開けた彼女は、目の前の光景に一瞬固まった。
次の瞬間、まるで悲鳴のような、しかしどこか喜びに満ちた絶叫を上げた。
「た、高槻さんが! 意識がっ! 先生! 先生を呼んできて!」
バタバタと慌ただしい足音が遠ざかり、すぐにナースステーションのコールがけたたましく鳴り響く。それを合図にしたかのように、病室は一瞬にして、戦場のような喧騒に包まれた。
「奇跡だ!」
「信じられない!」
「高槻さん、分かりますか! 私が誰か分かりますか!」
白衣を着た担当医や、他の看護師たちが雪崩れ込むように入ってきて、俺の周りを取り囲んだ。ペンライトで瞳孔を確認されたり、血圧を測られたり、矢継ぎ早に質問を浴びせられたり。まるで嵐の中心にいるような、めまぐるしい時間が過ぎていく。
だが、俺の意識は、そのワチャワチャとした喧騒にはなかった。
ただ、腕の中の温もりだけを、確かに感じていた。
離すものか、と。
もう二度と、この手を離すものかと、必死に莉子の身体を抱きしめ続けた。
彼女もまた、医者や看護師に促されてもなお、俺から離れようとはしなかった。
ひとしきりの初期検査を終えた医師が、興奮を隠しきれない様子で告げた。
「信じがたいことですが、意識は完全に回復しています。奇跡としか言いようがない……。詳しい検査はこれからですが、まずは、本当に……本当によく、戻ってきてくれました」
その言葉に、病室は安堵と歓喜の拍手に包まれた。
その中で、莉子はようやく顔を上げた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。
でもそれは、俺が今まで見たどんな彼女の笑顔よりも、最高に美しく見えた。
「……おかえり、あきと。本当に、おかえりなさい……」
「……ただいま、莉子」
たくさんの人々に囲まれながら、俺たちはようやく、本当の挨拶を交わした。
それからは、来る日も来る日もリハビリとの戦いだった。
何年も寝たきりでまったく動かさなかった筋肉はすっかり痩せ細り、起き上がることさえ一苦労だった。スプーンを握ることも、文字を書くことも、何から何まで一からやり直し。何度も心が折れそうになった。
だが、俺はもうひとりではなかった。
莉子は毎日、仕事が終わると俺の元へ駆けつけ、理学療法士に教わったマッサージをしてくれた。俺がうまくスプーンを使えないでいると、「はい、あーん」なんて言って、子供にするように食事を食べさせてくれた。恥ずかしさと申し訳なさで一杯だったが、彼女は「今だけの特権なんだから、楽しませてよ」と、からりと笑うのだった。
ある晴れた日、車椅子で病院の中庭に出る許可が出た。莉子がゆっくりと車椅子を押してくれる。久しぶりに浴びる太陽の光が、目に染みた。
「見て、あきと。ローズマリー、持ってきたよ」
彼女が差し出したのは、小さな鉢植えだった。俺が育てていた、あのローズマリーだ。青々とした葉を元気に茂らせている。
「この子も、あきとが帰ってくるの、待ってたんだよ」
そう言って笑う彼女の左手の薬指に、俺はそっと自分の指を重ねた。まだ思うように力が入らない、震える指だ。
「莉子。退院したら、一番に、あの指輪を……俺の手で、はめさせてほしい」
莉子は一瞬、目を丸くして。
そして、花が咲くように笑った。
「……うん。ずっと、待ってる」
長い長い暗闇の時間は、終わったのだ。
これから先、大変なことはたくさんあるだろう。でも、もう何も怖くはない。
だって、俺の世界には、太陽が戻ってきたのだから。
彼女が笑ってくれるなら、俺は何度だって立ち上がれる。
サイレント・ダイアローグ。無言の対話は終わりを告げた。
これからは、たくさんの言葉を交わし、笑い合い、時には喧嘩もしながら、ふたりで新しい物語を紡いでいく。
俺は腕の中の温もりを思い出しながら、空を見上げた。
雲ひとつない青空が、俺たちの未来を祝福してくれているようだった。
-了-
最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでもらえたなら幸いです。
評価や感想などいただけると嬉しいです。
今作は、カクヨムで行われている『第4回「G'sこえけん」音声化短編コンテスト』への応募を意識して書いた短編小説でした。
『「音・声」と「物語」から創る最高のヒロイン!』とのことで。
まず「ヒロインがひとり語りをしていても不自然じゃないシチュエーションってなんだ?」と考えまして。あれこれ考えた末、思いついたのは「昏睡状態の恋人に話し掛けるヒロイン」。
……我ながらそれはどうなの?
「昏睡状態の恋人に話しかけ続けるヒロイン」っていうだけだと、あまりに鬼畜なので。恋人は昏睡状態だけど意識はしっかりしているという設定にして、その恋人視点で本編を書くことにしました。
……それはそれでどうなの?
イメージしたのは、「意思疎通ができない、互いに一方通行な会話劇」。
でもハッピーエンドになってますから。いいよね? いいってことにしとこう。
それではまた、次作でお目見えできますよう。
ゆきむらでした。
ずっと寝ていて錆びついた声帯から、俺は言葉を絞り出した、
腕の中の莉子は、さらに強く、子供のように声を上げて泣いた。「ううん、ううん」と何度も首を振りながら、俺の胸に顔を押し付けてくる。その温もりと重みが、俺が「現実」に戻ってきたことを、何よりも雄弁に物語っていた。
俺の身体に抱きついて泣きじゃくる莉子と、その彼女を抱きしめ返す俺。
その異様な光景と物音に最初に気づいたのは、巡回に来た若い看護師だった。
「――えっ!?」
病室のドアを開けた彼女は、目の前の光景に一瞬固まった。
次の瞬間、まるで悲鳴のような、しかしどこか喜びに満ちた絶叫を上げた。
「た、高槻さんが! 意識がっ! 先生! 先生を呼んできて!」
バタバタと慌ただしい足音が遠ざかり、すぐにナースステーションのコールがけたたましく鳴り響く。それを合図にしたかのように、病室は一瞬にして、戦場のような喧騒に包まれた。
「奇跡だ!」
「信じられない!」
「高槻さん、分かりますか! 私が誰か分かりますか!」
白衣を着た担当医や、他の看護師たちが雪崩れ込むように入ってきて、俺の周りを取り囲んだ。ペンライトで瞳孔を確認されたり、血圧を測られたり、矢継ぎ早に質問を浴びせられたり。まるで嵐の中心にいるような、めまぐるしい時間が過ぎていく。
だが、俺の意識は、そのワチャワチャとした喧騒にはなかった。
ただ、腕の中の温もりだけを、確かに感じていた。
離すものか、と。
もう二度と、この手を離すものかと、必死に莉子の身体を抱きしめ続けた。
彼女もまた、医者や看護師に促されてもなお、俺から離れようとはしなかった。
ひとしきりの初期検査を終えた医師が、興奮を隠しきれない様子で告げた。
「信じがたいことですが、意識は完全に回復しています。奇跡としか言いようがない……。詳しい検査はこれからですが、まずは、本当に……本当によく、戻ってきてくれました」
その言葉に、病室は安堵と歓喜の拍手に包まれた。
その中で、莉子はようやく顔を上げた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。
でもそれは、俺が今まで見たどんな彼女の笑顔よりも、最高に美しく見えた。
「……おかえり、あきと。本当に、おかえりなさい……」
「……ただいま、莉子」
たくさんの人々に囲まれながら、俺たちはようやく、本当の挨拶を交わした。
それからは、来る日も来る日もリハビリとの戦いだった。
何年も寝たきりでまったく動かさなかった筋肉はすっかり痩せ細り、起き上がることさえ一苦労だった。スプーンを握ることも、文字を書くことも、何から何まで一からやり直し。何度も心が折れそうになった。
だが、俺はもうひとりではなかった。
莉子は毎日、仕事が終わると俺の元へ駆けつけ、理学療法士に教わったマッサージをしてくれた。俺がうまくスプーンを使えないでいると、「はい、あーん」なんて言って、子供にするように食事を食べさせてくれた。恥ずかしさと申し訳なさで一杯だったが、彼女は「今だけの特権なんだから、楽しませてよ」と、からりと笑うのだった。
ある晴れた日、車椅子で病院の中庭に出る許可が出た。莉子がゆっくりと車椅子を押してくれる。久しぶりに浴びる太陽の光が、目に染みた。
「見て、あきと。ローズマリー、持ってきたよ」
彼女が差し出したのは、小さな鉢植えだった。俺が育てていた、あのローズマリーだ。青々とした葉を元気に茂らせている。
「この子も、あきとが帰ってくるの、待ってたんだよ」
そう言って笑う彼女の左手の薬指に、俺はそっと自分の指を重ねた。まだ思うように力が入らない、震える指だ。
「莉子。退院したら、一番に、あの指輪を……俺の手で、はめさせてほしい」
莉子は一瞬、目を丸くして。
そして、花が咲くように笑った。
「……うん。ずっと、待ってる」
長い長い暗闇の時間は、終わったのだ。
これから先、大変なことはたくさんあるだろう。でも、もう何も怖くはない。
だって、俺の世界には、太陽が戻ってきたのだから。
彼女が笑ってくれるなら、俺は何度だって立ち上がれる。
サイレント・ダイアローグ。無言の対話は終わりを告げた。
これからは、たくさんの言葉を交わし、笑い合い、時には喧嘩もしながら、ふたりで新しい物語を紡いでいく。
俺は腕の中の温もりを思い出しながら、空を見上げた。
雲ひとつない青空が、俺たちの未来を祝福してくれているようだった。
-了-
最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでもらえたなら幸いです。
評価や感想などいただけると嬉しいです。
今作は、カクヨムで行われている『第4回「G'sこえけん」音声化短編コンテスト』への応募を意識して書いた短編小説でした。
『「音・声」と「物語」から創る最高のヒロイン!』とのことで。
まず「ヒロインがひとり語りをしていても不自然じゃないシチュエーションってなんだ?」と考えまして。あれこれ考えた末、思いついたのは「昏睡状態の恋人に話し掛けるヒロイン」。
……我ながらそれはどうなの?
「昏睡状態の恋人に話しかけ続けるヒロイン」っていうだけだと、あまりに鬼畜なので。恋人は昏睡状態だけど意識はしっかりしているという設定にして、その恋人視点で本編を書くことにしました。
……それはそれでどうなの?
イメージしたのは、「意思疎通ができない、互いに一方通行な会話劇」。
でもハッピーエンドになってますから。いいよね? いいってことにしとこう。
それではまた、次作でお目見えできますよう。
ゆきむらでした。
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