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第二章 エルダ村、楽園創造への道
12:猫獣人のミミ
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僕たちのエルダ村楽園創造計画は、さらなるステージへと進む。マルコさんが持ち帰ってくれた大量の魔石のおかげで、僕はさらに高性能なゴーレムを増産することができた。農業の完全自動化は目前となり、村の生産力は飛躍的に向上した。
マルコさんとの交易も順調に進み、村には安定した収入がもたらされるようになった。その資金で、僕たちは衣服や書籍、さらには子供たちのための玩具といった、生活を豊かにするための品々を手にすることができた。村人たちの顔からは、かつての絶望の色は完全に消え去り、穏やかで幸福な笑顔が溢れていた。
そんな穏やかな日々が続いていた、ある夜のこと。
その日、僕は村の警備を担うリーダーゴーレム「ゴレム」の定期メンテナンスを行っていた。ゴレムの視覚情報を僕の意識とリンクさせ、村の周囲に異常がないかを確認する。
視界のほとんどは、静かな夜の森を映し出すだけだった。しかし、村の北側、魔の森へと続く獣道を監視していたゴーレムの視界に、突如として何かが猛スピードで駆け抜けていくのが映った。
(なんだ?)
それは、魔物にしては小さすぎる影だった。俊敏な動きは、まるで猫科の動物のよう。でも、明らかに二足歩行をしている。
少し遅れて、その小さな影を追うように、松明の明かりを持った数人の屈強な男たちの姿が現れた。男たちの服装は粗野なもので、その目つきは獲物を追う狩人のようにギラついていた。
「ちくしょう、どこ行きやがった! あの猫娘、すばしっこいだけが取り柄かよ!」
「こっちだ! 足跡が残ってる! 絶対に逃がすなよ! あれ一匹で金貨百枚になるんだからな!」
男たちの下品な会話が、ゴーレムの聴覚センサーを通して僕の耳に届いた。
猫娘。金貨百枚。
その言葉から、彼らが奴隷商人で、獣人の少女を追っているのだと理解した。
獣人。
人間と動物、双方の特徴を併せ持つ亜人種。その希少性と特異な能力から、不当な差別の対象となり、時には高値で売買される商品として扱われることがある。僕がいた王都でも、そんな悲劇を何度か見聞きしたことがあった。
小さな影は、必死に村の方向へと逃げてきているようだった。おそらく、村の灯りを見つけ、助けを求めてきたのだろう。
なるほど。
何かを考えるでもなく、動き出そうと立ち上がる。
僕の心は、決まっていた。
「ゴレム、対象を保護。追跡者たちの侵入を阻止しろ」
僕はゴーレムに簡潔な命令を下す。それと共に、ルナに事情を話して、村人たちが騒ぎにならないように頼んだ。
そして、自分も村の北側の入口へと急ぐ。
僕が柵の近くにたどり着いたのと、小さな影が森の中から転がり出るように飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。
月明かりに照らし出されたその姿を見て、僕は息を呑んだ。
それは、ボロボロの衣服をまとった、ひとりの小さな少女だった。年は十歳くらいだろうか。汚れた亜麻色の髪からは、ぴんと立った猫の耳がのぞき、背後の着衣の隙間からは、同じ色の尻尾が力なく垂れている。猫の獣人だ。
彼女の身体は、茨で引っ掻いたような無数の傷だらけだった。足がもう限界なのか、もつれて地面に倒れ込んでしまった。
「はぁ……っ、はぁ……っ! た、助け……」
か細い声で助けを求める彼女。だがその背後から、松明を持った奴隷商人たちが、獰猛な笑みを浮かべて姿を現す。
「へへへ。手こずらせやがったな、猫娘。大人しく捕まっていれば、痛い目には遭わずに済んだものを」
リーダー格らしき、顔に大きな傷跡を持つ男が、下卑た笑みを浮かべながら一歩前に出る。
少女は絶望に顔を歪め、ぎゅっと目を閉じた。
その小さな身体が、男の汚い手に捕らえられようとした。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……!
地響きと共に、巨大な影が男たちの前に立ちはだかった。
僕が命令を下しておいた、リーダーゴーレムのゴレムだ。身長三メートルの岩のような巨体が、無言で奴隷商人たちを見下ろしている。その頭部の窪みで、赤い光が不気味に明滅していた。
「な、なんだぁ、こいつは!?」
「ゴーレムか!? なんでこんな辺境の村に……!」
奴隷商人たちは、予期せぬ邪魔者の登場に狼狽した。
傷跡の男は一瞬怯んだものの、すぐに虚勢を張るように叫んだ。
「うろたえるな! ただの土くれ人形だ! 叩き壊して、あの猫娘を捕まえろ!」
ふたりの男が腰に下げた剣を抜き、ゴーレムに斬りかかった。
しかし、彼らの鋼の剣は、ゴーレムの岩のように硬い身体に当たって、カン! という甲高い音を立てて弾き返されただけだった。ゴーレムの身体には傷ひとつついていない。
ゴレムはゆっくりと、しかし圧倒的な質量を感じさせる動きで、その巨大な腕を振り上げた。
そして、振り下ろす。
男たちが立っていた地面に、巨大な拳が叩きつけられた。
ズウウウウン!!
凄まじい衝撃で大地が揺れ、クレーターのような穴が空いた。
男たちは間一髪でそれを避けたが、その顔は恐怖で真っ青になっていた。本気で殴られていれば即死だっただろう。
ゴレムは、彼らを殺すつもりはない。ただ、圧倒的な力の差を見せつけ、威嚇しているのだ。
「ひぃっ……! か、怪物だ!」
「だめだ、こいつには敵わねえ!」
男たちは戦意を完全に喪失し、武器を放り出して逃げ出した。蜘蛛の子を散らすように、森の奥へと退散していく。
唯一、傷跡の男だけが、悔しそうにこちらを睨みつけていた。だが再び拳を振り上げるゴレムの姿を見て、悪態をつきながら闇の中へと消えていった。
騒動が過ぎ去った後、そこには静寂だけが残った。
僕は、地面に倒れ込んだまま震えている猫獣人の少女に、ゆっくりと近づいた。
「もう大丈夫だよ。怖い人たちは、みんないなくなったから」
僕はできるだけ優しい声で話しかけ、手を差し伸べた。
少女は、おそるおそる顔を上げた。その大きな琥珀色の瞳は、怯えと不信感で潤んでいた。彼女は、これまでの人生で、人間に優しくされたことなど一度もなかったのかもしれない。
僕が辛抱強く待っていると、彼女は僕の手を取る代わりに、自らの力でゆっくりと立ち上がった。その瞳には、まだ警戒の色が濃く浮かんでいる。
「……なんで、助けたの?」
強気だけれど、どこか伺うように訪ねてくる彼女。
その声は、か細いけれど芯のあるものだった。
「困っているように見えたから、だよ。それ以上の理由はない」
「……わたしを、売らないの? 高く売れるって、あの人たちが言ってた」
「売るわけないだろう。君は、物じゃない。ひとりの人間だ」
僕の言葉に、少女の琥珀色の瞳が、わずかに揺らいだ。
その時、村の方からルナが心配そうな顔をしながら駆けつけてきた。彼女の手には、清潔な布と、水を入れた桶が抱えられている。
「アルト! ご無事でしたか! ……こちらのお嬢さんは」
ルナは僕への心配を口にしてから、すぐ横にいる猫獣人の彼女に気づく。
傷だらけな姿を見て、ツナは胸を痛めたように眉を寄せた。
「ルナ、彼女の手当てをお願いできるかい。ひどい怪我をしている」
「はい、お任せください」
ルナは少女の前にしゃがみ込むと、その琥珀色の瞳をまっすぐに見つめ、優しく微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。もう何も怖いことはありませんからね」
ルナの穏やかで慈愛に満ちた雰囲気に、少女の頑なだった表情が少しだけ和らいだ。彼女は、ルナがその傷口を聖水で清め、薬草を塗ってくれる間、黙ってされるがままになっていた。
僕たちは、少女を村まで連れて帰った。
家に入るなり、戸惑う彼女をもてなすべく、温かいスープと焼きたてのパンを差し出した。彼女は最初こそ警戒していたが、あまりの空腹には勝てなかったのか、夢中になって食べ始めた。その食べっぷりは、何日もまともな食事をしていなかったことを物語っていた。
食事が終わり、少しだけ落ち着きを取り戻した彼女に、僕たちは改めて自己紹介をする。そして、彼女の名前を尋ねた。
「……ミミ」
「ミミ、っていうんだね。素敵な名前だ」
「…………」
ミミと名乗った少女は、まだ僕たちに完全に心を開いてはいないようだった。彼女は部屋の隅で膝を抱え、まるで怯えた子猫のように、僕たちの様子をじっと窺っている。
彼女がこれまでに受けてきた仕打ちは、そう簡単に癒えるものではないだろう。時間はかかるかもしれない。でも僕たちは焦らず、彼女が心を開いてくれるのを待つつもりだった。
ルナが、ミミのために温かい寝床を用意してくれた。ふかふかの毛布に包まれたミミは、疲れと安堵からか、すぐに寝息を立て始めた。
そのあどけない寝顔を見ていると、僕の胸に、守ってあげたいという強い気持ちが込み上げてきた。
しばらくして、村長のギデオンさんが訪ねてきた。
つい先ほどの騒ぎは、村の人たちにも聞こえていたらしい。詳しいことまでは分からないまでも、僕が逃げ込んできた何者かを保護したことは把握しているようだった。
「アルト様。彼女は、どうするつもりでしょうか?」
「もちろん、この村で保護します。彼女が行きたい場所が見つかるまで。あるいは、彼女がずっとここにいたいと望むなら、それでも構いません」
「……そうですか。アルト様らしいお考えじゃな」
ギデオンさんは、何かを少し躊躇うように口ごもる。
そうした後、意を決したように言った。追ってきた奴隷商人たちは、まだ彼女を諦めてはいないだろう、と。
「奴らは執念深い。ゴーレム一体では、心許ないやもしれませぬ」
「えぇ、分かっています。だから、村の防衛体制をもっと強化する必要があります」
僕は、この村がただ豊かなだけの場所であってはならないと、改めて痛感した。
豊かさは、時として、悪意ある者たちを引き寄せる。
その悪意から、僕たち自身の手で、僕たちの楽園を守り抜かなければならない。
ミミの存在は、僕にその覚悟を、改めて問いかけているようだった。
翌朝、僕が目を覚ますと、ミミの姿が寝床から消えていた。
慌てて家の中を探すと、彼女は台所にいた。ルナが朝食の準備をするのを、ちょこんと座って眺めている。
「あ、アルト。おはようございます」
「おはよう、ルナ。ミミも、よく眠れたかい?」
僕が声をかけると、ミミはこくりと小さく頷いた。昨日よりも、少しだけ表情が和らいでいるように見える。
その時、僕は気づいた。
ミミの鼻が、ひくひくと動いている。その視線は、テーブルの上に置かれた焼きたてのパンに釘付けになっていた。彼女の猫の尻尾が、期待にぱたぱたと揺れている。
あまりに素直な反応だった。僕とルナは思わず顔を見合わせて、くすりと笑ってしまう。僕たちの反応に、ミミははっとしたように顔を赤らめ、ぷいとそっぽを向いてしまった。
その仕草は、彼女が見せた初めての子供らしい感情表現だった。
僕たちの新しい家族は、まだ少し人見知りな、小さな猫の女の子。
この子の笑顔を、そして、この村に住むすべての人の笑顔を守るために、僕はもっと強くならなければならない。
僕の心に、新たな決意の炎が灯った。
それは、ただ創造するだけではない。「守る」ための力への渇望だった。
僕たちの楽園を脅かすものが現れるなら、僕は躊躇わない。
この神の力を、守るための「牙」として振るい、すべてを振り払ってみせる。
僕はそう改めて決意した。
-つづく-
次回、第13話。「頑固なドワーフと伝説の金属」。
不思議な鉱脈の奥深くで起きた、奇妙な出会い。
ブックマークや「いいね」での評価、感想などいただけると励みになります。
応援のほど、よろしくお願いします。
マルコさんとの交易も順調に進み、村には安定した収入がもたらされるようになった。その資金で、僕たちは衣服や書籍、さらには子供たちのための玩具といった、生活を豊かにするための品々を手にすることができた。村人たちの顔からは、かつての絶望の色は完全に消え去り、穏やかで幸福な笑顔が溢れていた。
そんな穏やかな日々が続いていた、ある夜のこと。
その日、僕は村の警備を担うリーダーゴーレム「ゴレム」の定期メンテナンスを行っていた。ゴレムの視覚情報を僕の意識とリンクさせ、村の周囲に異常がないかを確認する。
視界のほとんどは、静かな夜の森を映し出すだけだった。しかし、村の北側、魔の森へと続く獣道を監視していたゴーレムの視界に、突如として何かが猛スピードで駆け抜けていくのが映った。
(なんだ?)
それは、魔物にしては小さすぎる影だった。俊敏な動きは、まるで猫科の動物のよう。でも、明らかに二足歩行をしている。
少し遅れて、その小さな影を追うように、松明の明かりを持った数人の屈強な男たちの姿が現れた。男たちの服装は粗野なもので、その目つきは獲物を追う狩人のようにギラついていた。
「ちくしょう、どこ行きやがった! あの猫娘、すばしっこいだけが取り柄かよ!」
「こっちだ! 足跡が残ってる! 絶対に逃がすなよ! あれ一匹で金貨百枚になるんだからな!」
男たちの下品な会話が、ゴーレムの聴覚センサーを通して僕の耳に届いた。
猫娘。金貨百枚。
その言葉から、彼らが奴隷商人で、獣人の少女を追っているのだと理解した。
獣人。
人間と動物、双方の特徴を併せ持つ亜人種。その希少性と特異な能力から、不当な差別の対象となり、時には高値で売買される商品として扱われることがある。僕がいた王都でも、そんな悲劇を何度か見聞きしたことがあった。
小さな影は、必死に村の方向へと逃げてきているようだった。おそらく、村の灯りを見つけ、助けを求めてきたのだろう。
なるほど。
何かを考えるでもなく、動き出そうと立ち上がる。
僕の心は、決まっていた。
「ゴレム、対象を保護。追跡者たちの侵入を阻止しろ」
僕はゴーレムに簡潔な命令を下す。それと共に、ルナに事情を話して、村人たちが騒ぎにならないように頼んだ。
そして、自分も村の北側の入口へと急ぐ。
僕が柵の近くにたどり着いたのと、小さな影が森の中から転がり出るように飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。
月明かりに照らし出されたその姿を見て、僕は息を呑んだ。
それは、ボロボロの衣服をまとった、ひとりの小さな少女だった。年は十歳くらいだろうか。汚れた亜麻色の髪からは、ぴんと立った猫の耳がのぞき、背後の着衣の隙間からは、同じ色の尻尾が力なく垂れている。猫の獣人だ。
彼女の身体は、茨で引っ掻いたような無数の傷だらけだった。足がもう限界なのか、もつれて地面に倒れ込んでしまった。
「はぁ……っ、はぁ……っ! た、助け……」
か細い声で助けを求める彼女。だがその背後から、松明を持った奴隷商人たちが、獰猛な笑みを浮かべて姿を現す。
「へへへ。手こずらせやがったな、猫娘。大人しく捕まっていれば、痛い目には遭わずに済んだものを」
リーダー格らしき、顔に大きな傷跡を持つ男が、下卑た笑みを浮かべながら一歩前に出る。
少女は絶望に顔を歪め、ぎゅっと目を閉じた。
その小さな身体が、男の汚い手に捕らえられようとした。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……!
地響きと共に、巨大な影が男たちの前に立ちはだかった。
僕が命令を下しておいた、リーダーゴーレムのゴレムだ。身長三メートルの岩のような巨体が、無言で奴隷商人たちを見下ろしている。その頭部の窪みで、赤い光が不気味に明滅していた。
「な、なんだぁ、こいつは!?」
「ゴーレムか!? なんでこんな辺境の村に……!」
奴隷商人たちは、予期せぬ邪魔者の登場に狼狽した。
傷跡の男は一瞬怯んだものの、すぐに虚勢を張るように叫んだ。
「うろたえるな! ただの土くれ人形だ! 叩き壊して、あの猫娘を捕まえろ!」
ふたりの男が腰に下げた剣を抜き、ゴーレムに斬りかかった。
しかし、彼らの鋼の剣は、ゴーレムの岩のように硬い身体に当たって、カン! という甲高い音を立てて弾き返されただけだった。ゴーレムの身体には傷ひとつついていない。
ゴレムはゆっくりと、しかし圧倒的な質量を感じさせる動きで、その巨大な腕を振り上げた。
そして、振り下ろす。
男たちが立っていた地面に、巨大な拳が叩きつけられた。
ズウウウウン!!
凄まじい衝撃で大地が揺れ、クレーターのような穴が空いた。
男たちは間一髪でそれを避けたが、その顔は恐怖で真っ青になっていた。本気で殴られていれば即死だっただろう。
ゴレムは、彼らを殺すつもりはない。ただ、圧倒的な力の差を見せつけ、威嚇しているのだ。
「ひぃっ……! か、怪物だ!」
「だめだ、こいつには敵わねえ!」
男たちは戦意を完全に喪失し、武器を放り出して逃げ出した。蜘蛛の子を散らすように、森の奥へと退散していく。
唯一、傷跡の男だけが、悔しそうにこちらを睨みつけていた。だが再び拳を振り上げるゴレムの姿を見て、悪態をつきながら闇の中へと消えていった。
騒動が過ぎ去った後、そこには静寂だけが残った。
僕は、地面に倒れ込んだまま震えている猫獣人の少女に、ゆっくりと近づいた。
「もう大丈夫だよ。怖い人たちは、みんないなくなったから」
僕はできるだけ優しい声で話しかけ、手を差し伸べた。
少女は、おそるおそる顔を上げた。その大きな琥珀色の瞳は、怯えと不信感で潤んでいた。彼女は、これまでの人生で、人間に優しくされたことなど一度もなかったのかもしれない。
僕が辛抱強く待っていると、彼女は僕の手を取る代わりに、自らの力でゆっくりと立ち上がった。その瞳には、まだ警戒の色が濃く浮かんでいる。
「……なんで、助けたの?」
強気だけれど、どこか伺うように訪ねてくる彼女。
その声は、か細いけれど芯のあるものだった。
「困っているように見えたから、だよ。それ以上の理由はない」
「……わたしを、売らないの? 高く売れるって、あの人たちが言ってた」
「売るわけないだろう。君は、物じゃない。ひとりの人間だ」
僕の言葉に、少女の琥珀色の瞳が、わずかに揺らいだ。
その時、村の方からルナが心配そうな顔をしながら駆けつけてきた。彼女の手には、清潔な布と、水を入れた桶が抱えられている。
「アルト! ご無事でしたか! ……こちらのお嬢さんは」
ルナは僕への心配を口にしてから、すぐ横にいる猫獣人の彼女に気づく。
傷だらけな姿を見て、ツナは胸を痛めたように眉を寄せた。
「ルナ、彼女の手当てをお願いできるかい。ひどい怪我をしている」
「はい、お任せください」
ルナは少女の前にしゃがみ込むと、その琥珀色の瞳をまっすぐに見つめ、優しく微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。もう何も怖いことはありませんからね」
ルナの穏やかで慈愛に満ちた雰囲気に、少女の頑なだった表情が少しだけ和らいだ。彼女は、ルナがその傷口を聖水で清め、薬草を塗ってくれる間、黙ってされるがままになっていた。
僕たちは、少女を村まで連れて帰った。
家に入るなり、戸惑う彼女をもてなすべく、温かいスープと焼きたてのパンを差し出した。彼女は最初こそ警戒していたが、あまりの空腹には勝てなかったのか、夢中になって食べ始めた。その食べっぷりは、何日もまともな食事をしていなかったことを物語っていた。
食事が終わり、少しだけ落ち着きを取り戻した彼女に、僕たちは改めて自己紹介をする。そして、彼女の名前を尋ねた。
「……ミミ」
「ミミ、っていうんだね。素敵な名前だ」
「…………」
ミミと名乗った少女は、まだ僕たちに完全に心を開いてはいないようだった。彼女は部屋の隅で膝を抱え、まるで怯えた子猫のように、僕たちの様子をじっと窺っている。
彼女がこれまでに受けてきた仕打ちは、そう簡単に癒えるものではないだろう。時間はかかるかもしれない。でも僕たちは焦らず、彼女が心を開いてくれるのを待つつもりだった。
ルナが、ミミのために温かい寝床を用意してくれた。ふかふかの毛布に包まれたミミは、疲れと安堵からか、すぐに寝息を立て始めた。
そのあどけない寝顔を見ていると、僕の胸に、守ってあげたいという強い気持ちが込み上げてきた。
しばらくして、村長のギデオンさんが訪ねてきた。
つい先ほどの騒ぎは、村の人たちにも聞こえていたらしい。詳しいことまでは分からないまでも、僕が逃げ込んできた何者かを保護したことは把握しているようだった。
「アルト様。彼女は、どうするつもりでしょうか?」
「もちろん、この村で保護します。彼女が行きたい場所が見つかるまで。あるいは、彼女がずっとここにいたいと望むなら、それでも構いません」
「……そうですか。アルト様らしいお考えじゃな」
ギデオンさんは、何かを少し躊躇うように口ごもる。
そうした後、意を決したように言った。追ってきた奴隷商人たちは、まだ彼女を諦めてはいないだろう、と。
「奴らは執念深い。ゴーレム一体では、心許ないやもしれませぬ」
「えぇ、分かっています。だから、村の防衛体制をもっと強化する必要があります」
僕は、この村がただ豊かなだけの場所であってはならないと、改めて痛感した。
豊かさは、時として、悪意ある者たちを引き寄せる。
その悪意から、僕たち自身の手で、僕たちの楽園を守り抜かなければならない。
ミミの存在は、僕にその覚悟を、改めて問いかけているようだった。
翌朝、僕が目を覚ますと、ミミの姿が寝床から消えていた。
慌てて家の中を探すと、彼女は台所にいた。ルナが朝食の準備をするのを、ちょこんと座って眺めている。
「あ、アルト。おはようございます」
「おはよう、ルナ。ミミも、よく眠れたかい?」
僕が声をかけると、ミミはこくりと小さく頷いた。昨日よりも、少しだけ表情が和らいでいるように見える。
その時、僕は気づいた。
ミミの鼻が、ひくひくと動いている。その視線は、テーブルの上に置かれた焼きたてのパンに釘付けになっていた。彼女の猫の尻尾が、期待にぱたぱたと揺れている。
あまりに素直な反応だった。僕とルナは思わず顔を見合わせて、くすりと笑ってしまう。僕たちの反応に、ミミははっとしたように顔を赤らめ、ぷいとそっぽを向いてしまった。
その仕草は、彼女が見せた初めての子供らしい感情表現だった。
僕たちの新しい家族は、まだ少し人見知りな、小さな猫の女の子。
この子の笑顔を、そして、この村に住むすべての人の笑顔を守るために、僕はもっと強くならなければならない。
僕の心に、新たな決意の炎が灯った。
それは、ただ創造するだけではない。「守る」ための力への渇望だった。
僕たちの楽園を脅かすものが現れるなら、僕は躊躇わない。
この神の力を、守るための「牙」として振るい、すべてを振り払ってみせる。
僕はそう改めて決意した。
-つづく-
次回、第13話。「頑固なドワーフと伝説の金属」。
不思議な鉱脈の奥深くで起きた、奇妙な出会い。
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