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05:挨拶のできない騎士
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筆者:石臼翁
このところ、どうにも目に余る光景が増えた。王都の騎士団に所属するという、若い連中のことである。先日も、私の店の前を三、四人の一団が通り過ぎていった。揃いの、磨き上げられた白銀の鎧兜に身を包み、腰には瀟洒な飾りのついた長剣を提げている。いかにも、将来を嘱望された若き獅子たち、といったところだろう。彼らは狭い路地を我が物顔で闊歩し、大声で下世話な自慢話をしながら、すれ違う商人や老婆たちを邪魔者であるかのように押し退けていく。その様は、まるで自分たちだけがこの世界の主役で、他の人間はすべて背景に過ぎない、とでも言いたげであった。
その時だ。ひとりの騎士が、よろりとよろけた荷運びの老人に軽く肩をぶつけた。老人が「おっと、すまない」と先に頭を下げたというのに、その若い騎士は一瞥をくれただけで、謝罪の言葉はおろか、会釈ひとつすることなく、仲間たちとの馬鹿話に戻ってしまった。老人はただ、困惑したようにその場に立ち尽くし、やがて寂しそうに首を振って歩き去っていった。
あれは騎士ではない。ただの「鎧を着た子供」だ。
私がまだ物心つくかつかないかの頃、この国には「先代の剣聖」と呼ばれた老騎士が生きておられた。彼は魔王軍との大戦で数多の武功を立て、王国最高の栄誉である獅子勲章を授けられた、まさに伝説の人物だった。しかし市井で彼を見かける時、その姿は驚くほど質素だったという。使い古された革鎧に、飾り気のない実直な剣。そして何より、彼が誰に対しても、たとえそれが物乞いの子供であっても、必ず立ち止まって深く頭を下げ、穏やかな声で挨拶をされたという逸話は、今でもこの界隈の年寄りたちの語り草だ。
なぜ、あれほどの人物が、取るに足らぬ庶民にまで礼を尽くしたのか。それは、彼が本当の意味で「強さ」とは何かを理解していたからに他ならない。騎士の強さとは、ただ剣の腕前が立つことでも、強力な魔法が使えることでもない。彼らが守るべき民からの信頼、その一点にこそ宿るのだ。
自分たちが食べるパンは誰が焼き、自分たちが着る鎧は誰が鍛え、そして自分たちが守るこの国の土台を誰が支えているのか。そのことを、骨の髄まで理解していた。だからこそ、彼は頭を下げたのだ。挨拶とは、相手の存在を認め、その営みに敬意を払い、そして自分もまた、この共同体の一員であることを示すための、何よりも雄弁な意思表示なのだから。
翻って、今の若い騎士たちはどうだ。彼らは挨拶という、人間関係のもっとも基本的な作法すら身につけていない。それはつまり、彼らが自分以外の人間を、自分と同じ魂を持った存在として認めていないということの証左だ。彼らにとって民衆とは、守るべき対象ではなく、自分たちの身分を誇示するための、ただの背景か、あるいは見下すべき存在でしかないのだろう。そんな思い上がった人間が、いざという時、この国を、この国に住む人々を守れるのか。甚だ疑問である。
武芸の世界には「礼に始まり、礼に終わる」という古い言葉がある。これは単なる形式美を説いているのではない。己が振るう力が、いかに他者を傷つけうる危険なものであるかを自覚し、相手への敬意と、己の未熟さへの戒めを常に忘れるな、という厳しい教えなのだ。その第一歩である挨拶すらできない者が、どうして一人前の武人、ましてや民の模範たるべき騎士を名乗れようか。彼らが訓練所で教わっているのは、人を斬るための技術ばかりで、人としての在り方ではないらしい。
おそらく、原因の一端は、この長すぎる平和にあるのだろう。実戦の経験もなく、ただ家柄と見栄えの良さだけで騎士の地位が約束される。彼らにとって、あのピカピカの鎧は命を預けるための防具ではなく、己の優越性を誇示するための装飾品に成り下がっている。彼らが戦う相手は、もはや魔物ではない。彼らが本当に戦うべきは、己の内に巣食うその傲慢さと、世間知らずの未熟さであるはずだ。
先ほどの老人の、寂しそうな背中が忘れられない。あの背中には、国を守るべき若者たちへの失望と、この国の行く末への静かな憂いが滲んでいたように思えた。
挨拶もできぬ騎士が守る国など、たかが知れている。いつか本当に国が危機に瀕した時、彼らが身を挺して守るべき民から、石のひとつも投げつけられなければよいが。そんな心配をしてしまう。
もちろん、きちんとした挨拶ができ、何事にも誠意を忘れない若者もいることは重々承知している。騎士のみならず、普段の営みの中で感謝の意を忘れない人はたくさんいる。
だが騎士のような、人の上に立ち、人前に姿を見せることが仕事の一環である者が、「たかが挨拶」と冷笑する気質の人間ばかりになったらどうなるか。必然、その騎士を見る多くの人は委縮して、挨拶を控えるようになるだろう。それはやがて当たり前のこととなり、人は挨拶をしなくなるだろう。
「たかが挨拶」と言うかもしれない。しかしその「たかが」という程度のことが、彼らはできていないのだ。そういった「たかが」の積み重ねでここまで生き長らえてきた爺は、彼らの心境を測りかねている。
-了-
※週1回の更新となっています。
※感想や評価などいただけると励みなって嬉しいです。よろしくお願いします。
このところ、どうにも目に余る光景が増えた。王都の騎士団に所属するという、若い連中のことである。先日も、私の店の前を三、四人の一団が通り過ぎていった。揃いの、磨き上げられた白銀の鎧兜に身を包み、腰には瀟洒な飾りのついた長剣を提げている。いかにも、将来を嘱望された若き獅子たち、といったところだろう。彼らは狭い路地を我が物顔で闊歩し、大声で下世話な自慢話をしながら、すれ違う商人や老婆たちを邪魔者であるかのように押し退けていく。その様は、まるで自分たちだけがこの世界の主役で、他の人間はすべて背景に過ぎない、とでも言いたげであった。
その時だ。ひとりの騎士が、よろりとよろけた荷運びの老人に軽く肩をぶつけた。老人が「おっと、すまない」と先に頭を下げたというのに、その若い騎士は一瞥をくれただけで、謝罪の言葉はおろか、会釈ひとつすることなく、仲間たちとの馬鹿話に戻ってしまった。老人はただ、困惑したようにその場に立ち尽くし、やがて寂しそうに首を振って歩き去っていった。
あれは騎士ではない。ただの「鎧を着た子供」だ。
私がまだ物心つくかつかないかの頃、この国には「先代の剣聖」と呼ばれた老騎士が生きておられた。彼は魔王軍との大戦で数多の武功を立て、王国最高の栄誉である獅子勲章を授けられた、まさに伝説の人物だった。しかし市井で彼を見かける時、その姿は驚くほど質素だったという。使い古された革鎧に、飾り気のない実直な剣。そして何より、彼が誰に対しても、たとえそれが物乞いの子供であっても、必ず立ち止まって深く頭を下げ、穏やかな声で挨拶をされたという逸話は、今でもこの界隈の年寄りたちの語り草だ。
なぜ、あれほどの人物が、取るに足らぬ庶民にまで礼を尽くしたのか。それは、彼が本当の意味で「強さ」とは何かを理解していたからに他ならない。騎士の強さとは、ただ剣の腕前が立つことでも、強力な魔法が使えることでもない。彼らが守るべき民からの信頼、その一点にこそ宿るのだ。
自分たちが食べるパンは誰が焼き、自分たちが着る鎧は誰が鍛え、そして自分たちが守るこの国の土台を誰が支えているのか。そのことを、骨の髄まで理解していた。だからこそ、彼は頭を下げたのだ。挨拶とは、相手の存在を認め、その営みに敬意を払い、そして自分もまた、この共同体の一員であることを示すための、何よりも雄弁な意思表示なのだから。
翻って、今の若い騎士たちはどうだ。彼らは挨拶という、人間関係のもっとも基本的な作法すら身につけていない。それはつまり、彼らが自分以外の人間を、自分と同じ魂を持った存在として認めていないということの証左だ。彼らにとって民衆とは、守るべき対象ではなく、自分たちの身分を誇示するための、ただの背景か、あるいは見下すべき存在でしかないのだろう。そんな思い上がった人間が、いざという時、この国を、この国に住む人々を守れるのか。甚だ疑問である。
武芸の世界には「礼に始まり、礼に終わる」という古い言葉がある。これは単なる形式美を説いているのではない。己が振るう力が、いかに他者を傷つけうる危険なものであるかを自覚し、相手への敬意と、己の未熟さへの戒めを常に忘れるな、という厳しい教えなのだ。その第一歩である挨拶すらできない者が、どうして一人前の武人、ましてや民の模範たるべき騎士を名乗れようか。彼らが訓練所で教わっているのは、人を斬るための技術ばかりで、人としての在り方ではないらしい。
おそらく、原因の一端は、この長すぎる平和にあるのだろう。実戦の経験もなく、ただ家柄と見栄えの良さだけで騎士の地位が約束される。彼らにとって、あのピカピカの鎧は命を預けるための防具ではなく、己の優越性を誇示するための装飾品に成り下がっている。彼らが戦う相手は、もはや魔物ではない。彼らが本当に戦うべきは、己の内に巣食うその傲慢さと、世間知らずの未熟さであるはずだ。
先ほどの老人の、寂しそうな背中が忘れられない。あの背中には、国を守るべき若者たちへの失望と、この国の行く末への静かな憂いが滲んでいたように思えた。
挨拶もできぬ騎士が守る国など、たかが知れている。いつか本当に国が危機に瀕した時、彼らが身を挺して守るべき民から、石のひとつも投げつけられなければよいが。そんな心配をしてしまう。
もちろん、きちんとした挨拶ができ、何事にも誠意を忘れない若者もいることは重々承知している。騎士のみならず、普段の営みの中で感謝の意を忘れない人はたくさんいる。
だが騎士のような、人の上に立ち、人前に姿を見せることが仕事の一環である者が、「たかが挨拶」と冷笑する気質の人間ばかりになったらどうなるか。必然、その騎士を見る多くの人は委縮して、挨拶を控えるようになるだろう。それはやがて当たり前のこととなり、人は挨拶をしなくなるだろう。
「たかが挨拶」と言うかもしれない。しかしその「たかが」という程度のことが、彼らはできていないのだ。そういった「たかが」の積み重ねでここまで生き長らえてきた爺は、彼らの心境を測りかねている。
-了-
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