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07:魔王は誰?
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筆者:石臼翁
このところ、王都は「魔王復活」の噂で持ちきりだ。酒場で、市場で、果ては貴族様のサロンでさえ、人々はその目に見えぬ脅威について声を潜め、あるいは大仰に語り合っている。曰く、北の果ての暗黒の城で、古の魔王が永い眠りから目覚めた。曰く、その軍勢は疫病と絶望を振りまきながら、刻一刻とこの王国に迫りつつある……。あれやこれや。
いつぞや触れたことがあったが、王宮の賢者たちは、古の儀式をもって異世界から「勇者」なる若者を召喚した。この未曾有の国難を打開すべく、という理由からだ。打倒魔王。その四文字が、まるで流行り病のように人々の口の端にのぼり、一種の熱狂さえ生み出している。
そのような熱狂は、私の店の薄暗いカウンターの奥までは届かない。しかしその熱の余韻のようなものは伝わってくる。そして、どうにも腑に落ちない思いを抱えている。
本当に、この世界は危機に瀕しているのだろうか。王都の通りを歩いてみても、人々の暮らしは昨日と何ら変わりないように見える。パン屋は夜明け前からかまどに火を入れ、商人たちはいつも通りに客を呼び込み、子供たちは路地裏で歓声を上げている。なるほど、酒の席での話題は増えたかもしれぬが、それはどこか遠い国の出来事を語るような、他人事の響きを帯びている。誰もが口では魔王の脅威を語りながら、その実、己の腹が空くことや、明日の仕事のことのほうをよほど真剣に考えている。この奇妙な平穏は、一体何なのだろう。
そもそも魔王とはどこにいるのだ。北の果ての城、と誰もが言う。だがその城を己の目で見た者は、この王都にひとりもいやしない。我々が知る「魔王」とは、すべてが吟遊詩人の歌や、神官たちの説教、そして王宮からの布告によって語られる、いわば「物語」の中の存在だ。恐ろしい姿、邪悪な魔力、世界を闇に染めるという野望。それらはすべて、我々の恐怖心を煽るために都合よく作られた、記号の寄せ集めなのではないだろうか。
私は時々考えるのだ。魔王とは、誰のことを指すのだろう、と。それは、本当に角を生やし、禍々しいマントを羽織った、どこか遠くにいる特定の一個人のことなのだろうか。
先日、市場でこんな光景を見た。凶作で値上がりした麦を、ひとりの大商人がすべて買い占めていた。彼はそれを蔵にしまい込み、人々が飢えに苦しみ、値段がさらに吊り上がるのを待つつもりなのだろう。その商人の傍らには、痩せこけた子供がこぼれた麦の粒を拾おうとして、無情にも追い払われていた。その商人の、冷たく、計算高い目。それは物語の中の魔王の目とどれほどの違いがあるというのか。
またある時は、こんな話を聞いた。とある貴族が、己の領地で流行り病が出たにもかかわらず、それを隠蔽し、王都への通行を止めなかった。己の面子と、領地からの税収が滞ることを恐れたがためだ。その結果、病は瞬く間に広がり、多くの貧しい人々が命を落とした。民の命よりも己の体面を優先するその心は、世界を闇に染めようとする魔王の心と、本質的に何が違うというのか。
さらに言えば、打倒魔王を声高に叫ぶ、王宮そのものはどうだ。彼らは「魔王」という共通の敵を作り上げることで、民衆の不満や不安の矛先を、巧みに外へと逸らしている。重税も、失政も、すべては魔王と戦うためなのだ、と。そして、異世界から召喚したという若者に、すべての責任と期待を押し付ける。彼らにとって「魔王」とは、己の地位を安泰にするための、何と都合のよい存在であることか。
そう考えていくと、私にはもはや、魔王が誰なのか分からなくなる。それは、北の果てにいるという、たったひとりの怪物ではないのかもしれない。
魔王とは、我々自身の心の中に巣食う、醜い欲望そのものではないのか。他人を蹴落としてでも富を得ようとする心。己の保身のために、他者の犠牲を厭わない心。安易な解決策に飛びつき、思考を停止してしまう心。そして、目に見えぬ「悪」を作り上げて安心し、すぐ隣にある本当の不正から目を逸らす、我々自身の怠慢さ。それらすべてが集積したものが、我々の言う「魔王」の正体なのではないだろうか。
異世界から来たという勇者は、きっとその剣で、北の果ての城を目指すのだろう。そして物語に語られる通りの「魔王」を打ち倒し、英雄として凱旋するのかもしれない。だがそれで本当に、この世界は救われるのか。たとえ物語の魔王を倒したところで、我々の心の中に巣食う本物の魔王が消えぬ限り、第二、第三の魔王が、形を変えて何度でも現れるに違いない。
本当に戦うべき相手は、遠いどこかではなく、我々のすぐ足元に、そして己の心の中にこそいる。そのことに気づかぬ限り、この平穏に見える日常の薄皮一枚下で、世界は静かに、しかし確実に、蝕まれ続けていくのだろう。
私はそれを見通すほどの、叡智や見識を持ち合わせてはいない。貴殿はどうか。貴族の誰ならそれらを持つだろうか。はたまた王族であれば。
「魔王」は復活し、この国に脅威をもたらしているという。私の知る限りでは、どこかの町や村が魔王の手に落ちたという話は耳にしていない。幸か不幸か、今日も王都は平和なものである。
-了-
※次回更新は「9月10日」の予定です。
※週1回の更新を継続中。
※感想や評価などいただけると励みなって嬉しいです。よろしくお願いします。
このところ、王都は「魔王復活」の噂で持ちきりだ。酒場で、市場で、果ては貴族様のサロンでさえ、人々はその目に見えぬ脅威について声を潜め、あるいは大仰に語り合っている。曰く、北の果ての暗黒の城で、古の魔王が永い眠りから目覚めた。曰く、その軍勢は疫病と絶望を振りまきながら、刻一刻とこの王国に迫りつつある……。あれやこれや。
いつぞや触れたことがあったが、王宮の賢者たちは、古の儀式をもって異世界から「勇者」なる若者を召喚した。この未曾有の国難を打開すべく、という理由からだ。打倒魔王。その四文字が、まるで流行り病のように人々の口の端にのぼり、一種の熱狂さえ生み出している。
そのような熱狂は、私の店の薄暗いカウンターの奥までは届かない。しかしその熱の余韻のようなものは伝わってくる。そして、どうにも腑に落ちない思いを抱えている。
本当に、この世界は危機に瀕しているのだろうか。王都の通りを歩いてみても、人々の暮らしは昨日と何ら変わりないように見える。パン屋は夜明け前からかまどに火を入れ、商人たちはいつも通りに客を呼び込み、子供たちは路地裏で歓声を上げている。なるほど、酒の席での話題は増えたかもしれぬが、それはどこか遠い国の出来事を語るような、他人事の響きを帯びている。誰もが口では魔王の脅威を語りながら、その実、己の腹が空くことや、明日の仕事のことのほうをよほど真剣に考えている。この奇妙な平穏は、一体何なのだろう。
そもそも魔王とはどこにいるのだ。北の果ての城、と誰もが言う。だがその城を己の目で見た者は、この王都にひとりもいやしない。我々が知る「魔王」とは、すべてが吟遊詩人の歌や、神官たちの説教、そして王宮からの布告によって語られる、いわば「物語」の中の存在だ。恐ろしい姿、邪悪な魔力、世界を闇に染めるという野望。それらはすべて、我々の恐怖心を煽るために都合よく作られた、記号の寄せ集めなのではないだろうか。
私は時々考えるのだ。魔王とは、誰のことを指すのだろう、と。それは、本当に角を生やし、禍々しいマントを羽織った、どこか遠くにいる特定の一個人のことなのだろうか。
先日、市場でこんな光景を見た。凶作で値上がりした麦を、ひとりの大商人がすべて買い占めていた。彼はそれを蔵にしまい込み、人々が飢えに苦しみ、値段がさらに吊り上がるのを待つつもりなのだろう。その商人の傍らには、痩せこけた子供がこぼれた麦の粒を拾おうとして、無情にも追い払われていた。その商人の、冷たく、計算高い目。それは物語の中の魔王の目とどれほどの違いがあるというのか。
またある時は、こんな話を聞いた。とある貴族が、己の領地で流行り病が出たにもかかわらず、それを隠蔽し、王都への通行を止めなかった。己の面子と、領地からの税収が滞ることを恐れたがためだ。その結果、病は瞬く間に広がり、多くの貧しい人々が命を落とした。民の命よりも己の体面を優先するその心は、世界を闇に染めようとする魔王の心と、本質的に何が違うというのか。
さらに言えば、打倒魔王を声高に叫ぶ、王宮そのものはどうだ。彼らは「魔王」という共通の敵を作り上げることで、民衆の不満や不安の矛先を、巧みに外へと逸らしている。重税も、失政も、すべては魔王と戦うためなのだ、と。そして、異世界から召喚したという若者に、すべての責任と期待を押し付ける。彼らにとって「魔王」とは、己の地位を安泰にするための、何と都合のよい存在であることか。
そう考えていくと、私にはもはや、魔王が誰なのか分からなくなる。それは、北の果てにいるという、たったひとりの怪物ではないのかもしれない。
魔王とは、我々自身の心の中に巣食う、醜い欲望そのものではないのか。他人を蹴落としてでも富を得ようとする心。己の保身のために、他者の犠牲を厭わない心。安易な解決策に飛びつき、思考を停止してしまう心。そして、目に見えぬ「悪」を作り上げて安心し、すぐ隣にある本当の不正から目を逸らす、我々自身の怠慢さ。それらすべてが集積したものが、我々の言う「魔王」の正体なのではないだろうか。
異世界から来たという勇者は、きっとその剣で、北の果ての城を目指すのだろう。そして物語に語られる通りの「魔王」を打ち倒し、英雄として凱旋するのかもしれない。だがそれで本当に、この世界は救われるのか。たとえ物語の魔王を倒したところで、我々の心の中に巣食う本物の魔王が消えぬ限り、第二、第三の魔王が、形を変えて何度でも現れるに違いない。
本当に戦うべき相手は、遠いどこかではなく、我々のすぐ足元に、そして己の心の中にこそいる。そのことに気づかぬ限り、この平穏に見える日常の薄皮一枚下で、世界は静かに、しかし確実に、蝕まれ続けていくのだろう。
私はそれを見通すほどの、叡智や見識を持ち合わせてはいない。貴殿はどうか。貴族の誰ならそれらを持つだろうか。はたまた王族であれば。
「魔王」は復活し、この国に脅威をもたらしているという。私の知る限りでは、どこかの町や村が魔王の手に落ちたという話は耳にしていない。幸か不幸か、今日も王都は平和なものである。
-了-
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