【完結】獅子は鬼を喰らうか

香澄京耶

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ep3 陛下という男

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 アルセインの細い指が鳴ったと同時、結界が静かに展開した。
 
 陛下の私的な来客用に設けられた品の良い一室に、ぱり、と空気が張る。
 恐らく一番はリオに対する警戒だろう。
 天井近くに潜む気配が、ごく微かに震えた。
 奴は好き好んで張り付いている生粋のストーカーだ。助けられる事も多いので今更文句は言っていないが、陛下にすれば好ましくはないのだろう。
 
 「カイル、第一騎士団とは上手くいっている?」
 
 報告など、別途ルシオンから聞いているだろうに、そう問われる。
 陽に照らされた淡金の髪が、白銀めいてきらきらと光る。
 だが、その穏やかな笑みの奥で、青銀の瞳がわずかに昏く細められているのを見つけた。
 
 あれは、“逃がさない”と告げるときの陛下の癖だ。
 こういった時のアルセインは苦手だった。
 
「問題はありませんよ。報告書はあげているでしょう?
 レグナード卿は律儀そうですし、内容に相違が出るとも思えませんが。
 ――ああ、リオの参加に関しては書状をあちらに送りましたよ。」
 
 そっけなく返して、小さいマドレーヌを口に運ぶ。
 魔力を使った後、どうしてもこういう糖分が欲しくなる。
 
 それを察して毎回用意してくるアルセインの優しさが、少しだけ厄介だ。
 バターと砂糖がふんだんに使われた甘い菓子は、それだけでこの時間に価値があるように思えてしまう。
 実は甘いものに目がないのは、既にアルセインにもばれているようだ。
 何の言葉もないが、気に入ったそぶりを見せたものは、必ず用意されているので意図的なものだろう事は理解していた。

「まったく。私は君の口から聞きたいと言っているだろう? 今回は規模が大きいからね。無茶は、しないように。」
 
 自分で命令しておいて何を言う――そう思ったが、今は甘味が大切だ。何しろ高い菓子は普段食べる機会がない。
 黙って貪っていれば、そのうちにアルセインが側に移動してきていた。
 王族だけあって、普段から気配を消すのが上手くて妙に感心する。
 
「……美味しいかい?」
 息を潜めるような声で問われて、「うまい」と敬語も忘れて簡潔に伝えれば、満足そうに笑った。
 
 当然のように頬に触れた口付けは、ただ無視する。
 反応すれば面倒になるのは分かっているからだ。
 この男の執着の強さにはうんざりしているが、“執着癖”の発散は、王妃にも頼まれている事だった。
 
 どうやら王族の血が濃いと、時にこうした執着のような衝動が出るらしい。
 それは物だったり、人だったり様々らしかった。
 適度に発散させないと怒りでおかしくなる、と王妃は言った。駄々をこねる子供のようだと言えば、「駄々をこねる子供だと可愛いのですけどね。」と返されて、普段の苦労が偲ばれた。
 
 要は、ガス抜きに選ばれたという事だ。
 正直なぜ自分なのかとは思うが、あまり頓着しない性格なのと、別途払われている少なくない手当を思えば否はなかった。
 元より王族に逆らう気がないのは、騎士としての誇りよりも、染みついた“庶民のさが”が大きいかもしれない。
 
 とはいえ、あまりに酷ければ国外逃亡しますよ――と釘を刺したのが効いたのだろう。
 以前に比べれば、まだまともな状況だ。
 
「そのために呼んだんですか。」
「甘いもの、欲しかっただろう?」
 菓子と同じ位甘い声で問われて、眉を寄せた。
 
「それはそうですが。距離感を間違えないでください。」
 
 ストレートに伝えるのは彼のためでもあり、自分のためでもあった。
 時折「異常だ」と示しておくのは、自分が流されないようにするためだ。アルセインにはどうにも憎みきれない部分がある。
 無意識のうちに許容量が増えてしまいそうで、そこが怖い。
 
「……分かっているよ。でも、愛でることすら許されないなら、君とどこかに逃げてしまおうかな。」
 
 さらっと発された言葉に肝が冷える。
 心地よく口に残る菓子の甘さが、一瞬で遠のくようだった――勘弁してくれ、と思う。
 
「陛下が陛下でないと、俺は尊敬しませんよ。」
 『できない』ではなく『しない』。その線引きに気づいてほしかった。
 そう願った言葉は、どうやら届いたらしい。
 
「……敵わないね。大人しくしていよう。」
 
 冗談ではない雰囲気は感じ取っていたので、一生それで頼むとは、流石に重ねられなかった。
 第三騎士団に融通をきかせてくれたりと助かる部分も多い。だが、個人的に困る部分の方が圧倒的に大きい。
 ぎりぎりの均衡はアルセインの理性で保っていた。
 
「カイル――どうか、私の気持ちも分かってほしい。」
 
 そんな事を乞われても分かるはずもないが、口付けは受け入れた。
 自然と荒くなる呼吸を満足そうに見下されて、指の腹で唇を拭われる。
 
 愉悦を感じているのだろう青銀に輝く瞳に、わずかに肌が粟立つ。
 この男には、自分より体躯の大きい者を組み敷きたい願望でもあるのだろうか。
 
 日ごと深くなっていく口付けによって、執着の影がゆっくり染み込んでいくようだった。
 その変化に戸惑いを覚えた時には、恐らくもう手遅れだった。
 真綿に締め付けられるように時間をかけて慣らされてしまったそれは、今更もう無かった事にしてくれと言える雰囲気ではない。
 
 口付けまでなら――と初めに軽く許容してしまったのは、この男が一見たおやかで、美しい見た目をしているからに違いなかった。自分の甘さが身に染みる。
 
 カイルは誰に対しても尊大に振る舞う一方で、恋愛となるとまるで経験がなかった。
 見た目だけで“慣れている男”のように扱われてきたが、立場上、わざわざ否定する気にもならなかったのだ。“そういう男”だと思われている方が、面倒が減る事も知っていた。
 
 幼少期から生きる事に精一杯で、色恋など考える暇もなかった。
 二十八になるまで、実直に騎士団の事にだけ時間を割いてきた人生だ。器用な者はうまく立ち回るのだろうが、それができなかった。それだけだ。
 だが、正しく努力できる事にだけは、自分でも誇りを持っていた。
 それは、努力の方向を見誤って脱落していった者達を嫌というほど見てきたからであったし、若くして団長に上り詰めた己の自負でもあったから、情事のひとつも持てなかった事を今更嘆いたりはしていない。
 
 ただ、その経験の浅さが、今さら静かに牙を剥いているように思えてならない。
 アルセインにどう向き合えばいいのか、正直分からなかった。
 流されているとは自覚しつつ、内容が内容だけに、気軽に相談できる相手もいない。
 
 この関係そのものが最重要機密で、そのうえ歪だ。
 内情を知らない周囲からしたら、高い頻度で呼び出されていても、“陛下のお気に入り”と認識される程度だ。
 まさか、その実がこのような事だとは誰も思うまい。
 なんせ自分は、強面を従える“鬼の団長”だ。そういう悩みは、どうにも似合わない。

 
「カイル。このような流れで進めても異論はないか。」

 ルシオンの声で思考が途切れた。
 銀のたてがみのような髪が揺れ、その動きが獣めいていて魅力的だった。
 このような男に生まれていれば、陛下の懸想も向かなかったのかもしれない――ふと、そんな靄のような考えが胸裏を掠めた。
 
 だが、それなりに鍛え上げている己の肉体がそれを否定した。
 自分では分からない何かがアルセインの琴線に触れたのだろう――個人の感情であればこそ、理解も否定も出来なければ、操作も出来ない。まるで底なし沼のようだった。
 
「もちろん異論はない。……団員は、落ち着いたようだな。」
 
 ちらりと、窓の外で無事訓練に至れている両団員を見やる。
 合同捜査のために与えられた一室は、広くて簡素ながら演習場も備えたそれなりの作りをしている。貴族出身の第一騎士団のことを思っての事だろう。
 無論、汗の匂いなどは染み付いていない。第三騎士団の詰所とは雲泥の差だ。最近はうまい空気を吸う機会が多くて助かる。
 
「それはそうだ。俺は強さでトップに立った。
 第一でお前達が認められないのであれば、それすらも考え直す必要が出る。」
 
「分かりやすい構造で何よりだ。」
 実のところ、品の良さを除けば、第一も第三と変わらない脳筋ばかりという事だろう。
 口の端を上げれば、面白そうな顔が返ってくる。
 
「俺とお前、どちらが強いかという話も、よく上がっているがな。」
「やってみたいのか?」
 
 ふむ、と考える。悪い話ではない。
 目の前の男は体格からしても正直格が違うが善戦はできるだろう。
 そのつもりで問いかけたが、ルシオンは首を振った。
 
「――いや。半分とは言え、獣人の本能がある。懐に入れた人間へ傷をつける事は出来ない。」
「なるほどな。」
 いつの間に彼の懐に入ったのだろうか。演習が頭をよぎる。
 あれが信頼に足りると判断されたなら何よりだった。
 正直、目の前の屈強な男が敵対しないと言われれば感謝しかない。
 
「それは助かる。ルシオンを敵に回すと厄介そうだからな。」
 正直に伝えつつも、あくまで不遜な態度を崩さずに言えば、特に怒る様子もない。入った懐は広く、居心地が良さそうで何よりだ。
 
 ふいに、青の瞳に見つめられる。

「なんだ?」
「……疲れているな。」
 言いながら何やら手元をいじったあと、丸い塊を唇に押し当てられた。

 なんだと思ったが、素直に口を開く位には目の前の男を信用していた。
 僅かに香った甘い香りと、口内へ広がる甘みに思わず眦が緩む。
 間違いなく貴族御用達のチョコレートだ。庶民には手に届かない値段だが、その分驚くほど美味い。
 アルセインの相手をせずに得られる高価な甘味は貴重だ。
 
「うまい。」
 
 素直に告げると、ぷいと顔を逸らされた。
 耳朶が、わずかに熱を帯びている――珍しい事もあるものだ、と思う。毎日のように顔を突き合わせて二ヶ月程度。初めて見る仕草だった。
 それでも、気を遣ってくれているのだろうと思えば、驚きよりも笑いが勝る。
 
「……疲れには甘いものがよい。」
 照れを諦めたようにこちらを見やる瞳は、労りのような優しさに満ちていた。
 
「ありがとな。ルシオンも何かと忙しいだろう。無理はするなよ。」
 
 お礼程度の、何でもない言葉を返しただけなのに、獅子はひどく満足げだった。
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