〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

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3.Admiration & Sarcasm:the world

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 ***B

 僕は死んだ。

 日本は最低限生活を送ることには困らない国だと思っていた。実際そうだった。学力さえよければ中学高校、大学と順当に教育を受けることが出来る。偏差値の高い大学さえ卒業すれば就職先に恵まれて、幸先がいいライフプランが作られたも同然だったから。

 けれど、僕の人生はいつの間にか破綻した。そして今後の人生を送るのを僕は止めた。それなのに。

「ここが僕の家?なんだかまるで人が住むような場所には見えないけど……」

 僕はちょうど20ぐらいの年まで若返っていて、いなかったはずの妹がいる。そして僕はその妹とともに帰宅することになった。

 全面ガラス張りのオフィスビルのような建造物。入口はホテルのような豪華なエントランスが中央にあって少女はそこから入る。そして僕も後を追った。

「あんた……自分の家のことも忘れてるし、記憶障害どころの問題じゃないかもしれないわよ」

「あはは……そうかもね」

 僕は言葉を濁した。さっきの公園からこのビルみたいな建造物まで歩いてくる最中、僕の頭の上を車に似た何か(車輪が無い)が飛んでいたし、行く人去る人を見ると視線があちこちに散らばっていた。こんな世界、僕の知っているものじゃない。

 妹はミユという名前のようでこれもまた僕の知り合いには誰一人として存在しない。

 エレベーターのような閉じられた箱に入るとミユは僕の方をじっと見つめてきた。何だろう、僕らしくない行動をしているけど、まさか、いまさら僕が本当の兄ではないことを悟ったりしたのだろうか。

「そうよね。家の場所も忘れてるんだからフロアだって分かるはずもないわね」

 そう言うとミユは僕に近づき、背後の何もない壁に手を近づける。人差し指でボタンを押すような動作だったけれど、僕の周囲には勿論のこと、この閉じられた箱にはボタンなどない。だから僕はエレベーターとはまったく異なった人工物なんだろうと思ったのだ。

「い……いま何したの?まるで何もないこの壁にボタンでもあるかのような動きをしたけど……」

 僕はしどろもどろになりながら聞くと、ミユは呆れ返って何も喋らなくなってしまった。

 呆れて物も言えないとはこのことかと僕は後悔した。

 ***B

 ベルが鳴るような音が箱の中を満たすと、僕たちが入ってきた方向の壁が突如左右に開いた。箱の出口と自宅の入り口が直結する感じで表札も、ポストすらもなかった。僕は入ることに躊躇してしまった。なぜなら玄関が無い家に足を踏み入れたことなど一度も無かったからだ。

 家に入ると無機質な白い壁に大理石でできているのか、やけになめらかな床が僕を迎えた。ミユを追うように僕も家に入ると入ってきたはずの箱の出口がもう背後には無くなっていた。

「さて……どこまで忘れたもんかな。この馬鹿兄は」

 出会った当初の頃と性格が変わってない?それ気のせい?

「そうだね……まず手始めに家族構成とか今日の日付とか教えてくれたらなぁ……と、出来る?」

「出来る?じゃないわよ。まったく、それすらも忘れてるなんて今ではあり得ないぐらいよ」

「いい?私たちにはあんたと私の二人しかいない、両親はどっちも他界した。それと、今日は2020年6月7日。それぐらい覚えとけって話よ」

 「ああそうだった」と答えた。いくら何でもただ聞いているだけでは不信感を抱かれてしまう、ちょっとだけ記憶がない程度の方が都合がいい。

 しかし、今日の日付に驚かされた。まさか、僕がいた、現実世界の日付。つまり、僕が屋上から飛び降りた日と全く同じだったのだ。

「あんた、名前はどうなのよ。妹の名前も家族の存在すら忘れたってことは……」

「そのまさかみたいだね……何にも覚えてない」

 「はああ……」とミユは頭を抱えると、ソファに置いてあったものを僕の方へ投げた。唐突に投げてきたので驚きながらすかさずキャッチすると、それは何の変哲もない眼鏡だった。

 渡された眼鏡をじっと観察していると嫌気が差したのか「ああーーもうっ」とミユは投げやりな口調で僕の方へ歩み寄ってきた。返すように促されたので僕は拒むことなくミユに差し出す。

「早く屈めよ。それじゃ、届かない」

 一応言っておくがミユはこれでも10歳ほどの女の子。20ぐらいの僕とは身長に大いに差がある。思わず僕はミユと同じ視線になるように屈むと、いきなり顔に何かを突っ込まれた。

「これ……は……?」

 見たこともない光景だった、というべきか。眼鏡を着けられた瞬間、辺りがやけに騒がしくなったのだ。視覚、聴覚、嗅覚、全てが支配されたような感覚で、率直に言って世界が変わった感じだ。色覚異常者が矯正眼鏡をかけて、色の識別ができた瞬間に立ち会ったようで、今までの価値観が丸々覆されたようだった。

「全部ホログラムよ。壁紙もテーブル上に映し出されている画面だって、すべてそう。ほらこの子もね」

 そう言うとミユはテーブルに置いてあった小機械を取り上げた。小機械、ちょうどアザラシのようなロボットに見える。

「この子はこの部屋を任しているオペレーションシステムみたいなものよ。だからそうね、例えば」

「キューちゃん。壁紙を黒色のモノトーンに変更して」

 アザラシの小機械は小さく鳴くと荘厳でいかにも屋敷のような壁が黒色と白色のキューブが幾つも連なった壁に変わった。音も、振動もなく色だけが瞬時に変更されたのだ。

「今じゃホログラムを使ってない家なんて、ない方が珍しいわよ。てことはあんた、この部屋に入ってくる前はどう見えたのかしら」

「何にも……なかった。ただ部屋があるだけ、家具も、台所とかも見えなかった」

「そりゃそうよっ、この実体化ホロがあるだけで大半は十分だもの。むしろリアルの家具を使っている家なんて行ったことないよ、たまに情報として閲覧するだけ」

「……使ってみる?」

 それだけ疑心暗鬼だったのだろうか、ミユは論より証拠と言いたげに僕を台所と思しき場所へ連れて行く。台所ーー初めてこの家に入ってきた時、ソファのある広いリビングと玄関を繋げる廊下の途中に右へ伸びる通路にそれはあった。

 蛇口らしき取っ手を捻ると、壁に生えたノズルから水が流れてきた。

 実際に水に触れてみると、濡れる感覚がする。冷たいか熱いかと問われればぬるかった。ほんのひとさじほどの興味が湧いたので身に着けていた眼鏡を下にずらすと、事実、水が流れていた。だが、不思議なことに、どこから流れているのか、蛇口が見当たらないのだ。

「嘘だと思った?残念、これが現実よ、仮想状態と現実状態が入り混じった世界、それがこの世界の基盤たるモノ。だから現世界でホロを知らないなんてここの住人ではないと言っているようなものなの」

「そ、そんなことないよ。僕は前からこの世界に……」

「嘘は止めて。そんなこと欺瞞に決まってる」

 ミユの目は本気だった。僕を真剣に眺め、嘘を言ってほしくないと、切なる願いが僕の脳へと差し込まれた感覚に襲われた。

「あなたは、いったい誰なの?」

 僕は逃げも隠れも出来ない瀕死の間際に立たされたようだった。




 ***A

 俺たち人類は夢を見ない。これはエモーショナーに限定されるという意味ではない。この世界に生きている世界人類の大半という意味だ。全く皮肉なものだ。全世界から見て経済的に貧相な地域こそ感情変化が裕福なものになってしまったとは。

 ここは――俺たちが生活をしているこの土地は、球体であるということはとっくの昔に解明された。それに現在では恩恵は無いにしろ、空高い場所から強く明るい日差しを与えてくれる天体があるということも。

 惑星、恒星、あらゆる天体がどの位置にあったのか、ホロが蔓延してしまったこの場所からは確認出来なくなってしまったが、きっと天井、いや天井を破ったその先に在るのだろう。

 智を持つということは同時に権力を持つことと同義である、そう誰かが言ったような覚えがある。確かに間違ったことは言っていない。蒸気機関を生み出した国は当然の如く世界工場と呼ばれ、ホログラムという技術を発見した人物は膨大な額の金という名の権力を牛耳った。世界という面から見た国別の権力者の増加は時として他国との経済力の差を生み出し、裕福差をも結果として現れる。

 そうして出来たのがこの世界。ホログラム、記憶共有、感覚共有とあらゆる脳内反応を外部出力に頼った脳内送受信機、通称MBTがこの世に生まれた世界。

 ーー夢というのは記憶や情報を整理したときに副産物として出されるノイズのようなものだーー

 学者がそう発表したことで世間は大いに騒いだ。全くその通りだったからだ。外部デバイスに記憶や情報をそのままの状態で保存させることでそのノイズの問題は解決された、つまり夢を見ることはなくなったのである。

 『人間は夢を見ない境地まで至った。もう悪夢を見る心配もない!!』

 俺はそれを知った時、本当の悪夢が現実に降り立った感覚だった。
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