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19.Not understand you(me):understand you

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 ***A


 疑問の渦はさらに加速していった。昨晩の一般人視点によるホログラム。言葉と感情の関係。そして先の料理の件だ。自宅に直接配送すればいいものを一々調理という過程を経る行為。その無駄な行動に一体どんな意味があるのだろうか。食事の意味は生きるためだ。人間は従属栄養生物。つまり他の生命体を殺めなければ生存は不可能な生物。だが、そこに文化をもたらす必要はあるのか?摂取できればそれで良いではないか。

 次に、ミユという少女。調理を感謝されただけで涙を浮かべるほど脆くなる理由が見当たらない。あの男が口にする言葉にそんな力があるというのか。

 そしてMBTが機能せずその現象が起きたということだ。感情共有をしている装いは見えなかった。ならばどのように?

『人間というのはつくづく分からねえ』

 エモーショナーである俺自身。ヤサシサと出会い「オモシロイ」という感情を享受した。

『ちくしょう………』

 それなのに、今は感情の概念が意味が崩れかかっている。

 俺はどうしてここにいるのだろうか。


 ***B 

 
 僕らは朝食を済ませた後、ミユが行きたいと懇願した場所へ訪れることになった。無邪気に振舞うミユの姿は遊園地へと向かう前に高揚する子供でも、祖父母の家の呼び鈴を鳴らそうとする子供のどちらでもなかった。訪れたいという気持ちは純粋にある。けれど、それを特別楽しみにしているわけではないように思えたのだ。

 だからって躊躇っている素振りは見えなかった。向かいたいという欲求が花火みたいに散っているようだった。

 ミユの自宅から公園に向かう途中にあるビル。この辺りで最も高度がある建造物。全体的に見ればYの字の形状を取っているけれど分岐した先端の部分がYの字と比べ短い。建物の構造上、上部を大きく作ってしまうと土台が支えきれないためだろう。

「ここが目的地かい、ミユ?」

 ミユは僕の問いに小さく頷く。そして瞳で建物の屋上部を捉えながら言った。

「そう。そして私の母に関係している場所でもある」

 彼女の身に一体何が起きたのか、実の兄ではないため、分かるはずもないのだけれど、ただならぬことが起きていたのだろうという予感がした。それもあって、僕は自分からミユの両親がどうしていないのか、訊けなかった。

 他界したというだけ。僕にはそれしか知らされていなかった。

 建物の入口に近づくと、ミユは遠慮なく自信ありげに内部に立ち入ろうとしている。

「ここって勝手に入ってもいいの?見た感じ、入るには関係者だって示すものが必要そうだけど……そう、IDカードとか」

「この建物は新しいように見えて、実際は古いの。どれくらいって言われるとそうね……人が使おうとするのを呆れられてしまうぐらい?」

 外からだとそうは見えない。むしろ、ガラス張りで新品の窓が壁一面に貼られている感じだし、ひび割れどころか傷一つすらついていないように見える。

「塗装とかは全部ホログラムだから、本当はもっと古いのよ」

「なるほど………ってそれ結構危なくない!?」

「今更何言ってんの……?私たちが住んでいるところだってそれなりにガタが来てるし、本当に新品のところなんて珍しいものよ」

「ホログラムって何でもありなんだね……部屋の内装に、壁の模様、君が着ている服に、料理の試食。どれもその応用だなんて」

「だーかーら。今の時代ホログラムを知らないだなんて発言したあんたが不可解極まりないって言ったの!!」

 はいはい、と僕は二度頷く。ミユは再び呆れ返ったように僕を残し先にビルの中に入る。レンは………そんな僕らの会話を傍目で観察していたらしい。

 「仲いいんですね」とレン。礼儀作法のつもりなのか、僕らのイメージを悪くないように言いくるめてくれている。気を使わせてしまうとは……申し訳ない。

「そんなことないですよ。いつも喧嘩腰で慣れ合うことなんて殆どない。大抵向こうから突き放されるのがオチですから」

 本当の兄ではない。だが、表向きにはそうしなければならない。交差する矛盾が僕に罪悪感を過らせる。けれど、一度決めた思いはそう簡単に裏切りたくはないのだ。たとえそれが他人ではなく自身のものであったとしても。

「いいじゃないですか、慣れ合える人がいる。それって幸せのことじゃありませんか?遠慮する、もしくは牽制してしまう人であるのならば容易く話しかけることはおろか、自分のことを曝け出すことも出来ない。俺は孤独だったから、羨ましいですよ」

 ミユが先に行った中、僕とレンがその場で、ビルの入り口前で立ち止まる。僕と彼しかいないこの場所で、彼は悲しげな目をしていた。自分の夢を諦めたような無念さ、後悔、どう足掻いても先が進まない闇に憑りつかれたような姿。

「さあ、先に進みましょう。ミユさんがどんどん突き進んじゃうと俺やカイトさんまでもが迷子になっちゃいますからね」

 だからわざと気を取り直そうしている彼を見た時、僕は悟った。

 彼はもう、彼ではないのだと。

 
 ***A

 
『キミはそれでいいのかい?』

 またあの時と同じ声が響き渡る。俺がこの二人に遭遇する少し前、「オモシロイ」という感情が芽生えて間もなかった頃に聞こえたものと同じだ。

『またお前か。俺の感情を、記憶を覗きこんで何が言いたい?』

 階段を一段、また一段と上りながら応える。目先にはあの一般人がいるが、どうせ、脳内で話しかけているんだ、聞こえはしない。

『ああ。聞こえはしないさ。キミの脳に間接的ではなく直接的に話しているのだからね、仲介するものもない。だからボク以外にこの話を聞かれる心配はない。もちろん、キミが連絡を取り合うドクターという彼にもね』 

『…………』

『もうMBTとは言わないんだね』

『感情が、人が持つ特有の情動が俺には理解できない。たかが言葉にして伝えればいい内容すら出来かねるといった具合だ』

 声主は笑っていた。しかし、俺のことを対等に見て愉しんでいるのかは分からない。もしかしたら下等生物を見るような目で、いいかえれば俺を動物園の檻の中に閉じ込められている猿のように眺めて嗤っているのかもしれない。もしくはステージ上で踊り狂う道化師、あるいは登場人物に成りきる役者のように、純粋に嗜好を満たすためか。

『やはりボクの予想通りだったようだ。キミはこれ以上に無いほど面白い』

『これがオモシロイ?さっぱりだ。やはり俺には感情なんて身に余るもの。言葉に別の意味を持たせる行為に加え、今度は俺自身だと?笑わせるな、これでは理解できない俺自身が「オモシロイ」という感情の対象じゃないか』

『そして俺は「52233272」だ。他人を陥れる、不幸にする。そんな欲求ばかり募るエモーショナーだ』

 未だに声しか脳内に入ってこない。声主がどんな表情をしているのか想像しかできないが、今は笑っていないというのが目に見えて分かった。

『たしかにキミは感情のベクトルを操作されている。他人から、外部からの影響の所為で自覚すら危うい。だが…………』

『もうそれだけではないはずだよ。ヤサシサでもない感情が入り混じっているはずさ』

 俺に感情が?そんなもの必要ではないはずだ。実験から除外されるはずだ。

『俺には他の感情があったとしても俺自身が手に入れた「オモシロイ」しかない。そしてそれ以外は必要ねえ』

 そして今、その好機が巡ってきたじゃないか。

『あいつは嘘でも良いと言った。ホログラムで出来たものでも、受け入れると』

『まあ、ボクはあくまで傍観者。たとえ干渉するとしても、いざという時しか動かないから』

 戯言はもういい、聞き飽きた。人間が、この世界をどう見ているか、判断するにはもう十分だ。

 腹の中の鍋が沸騰して吹きこぼれる。この温度を下げるには実行するしかない。

 そうして俺は前方の男を見やった挙句の果てに、決意を胸に仕舞い込んだ。
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