けれど、僕は君のいない(いる)世界を望む

薪槻暁

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第四話 二匹の猫

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 クリスマスにイルミネーションを見に行ったあの日は、街路樹を下から眺めるように街の端から端まで歩いたところで帰ることにした。

 自宅までの帰り道に千葉に何事も、そう命にかかわることがなかったのは良かったけれど、もう付き合っていたことだし、プロポーズはせずとも、プレゼントを記念に渡せなかったのは少し悔やまれるところだった。


 千葉の自宅前で一度抱擁を交わし家に入るのを確認してから、今度は徒歩で自宅まで帰った。道中、彼女に起こった災厄が代わりに俺が受けるのかもしれないと周囲を警戒しながら歩いていたけれど、やはり考えすぎだったらしい、何も起こらず自宅に到着した。

 ただ腕時計の調子が狂っていたことが不思議と心残りだった。街路樹とビルの中で唯一伸びている時計台の鐘の音が鳴った時。腕時計の短針は「7」と「8」の間のままだった。

 念のため、腕時計の電池が少なくなっているのではないかと思ったけれど、俺が身に着けているのは手回しの腕時計。それに外出する際に時間を合わしてからゼンマイを回すので、時刻が遅くなることはない。

 けれど、ゼンマイの巻き忘れもよくあるので、今回ばかりは考えすぎだろう。トラックの件と、時間の件が関わっているというのはあまりにも考え方が強引すぎる。

 
 そうしてクリスマスも過ぎ去り、大晦日、1月1日となったのだが、千葉とはそれきり冬休みが明ける前日まで会うことは無かった。もちろん、新年を一緒で迎えることはなく、明けましておめでとう、と言えたのもやっぱり冬休みが終わる一日前のことだった。千葉は大晦日から家族全員で父方の方へ帰省すると言っていたし、彼女と正月を過ごさなくてはならないという道理などどこにもない。だから、千葉からの「冬休み最終日デート」に誘われたことに対しては何も不自然がることなく、受け入れたのである。

 デート、といっても翌日には大学の講義があったのであまり遠出はせずに、自宅からはそこまで離れていないショッピングモールへ行くことにした。

 俺と千葉は、大学から徒歩圏内にあるし、俺も行こうと思えば千葉の自宅へは何時でも駆けつける距離にある。

 そこで、集合場所はそのままショッピングモールで落ち合うことにした。

 が、現在、集合時間から1時間近く経っている。

「あいつ、いくらなんでも遅すぎやしないか・・・・?」

 モールは東から西まで横に広がって伸びていて、上空から見ればさながら真っすぐに伸び切った蛇にも見えるだろう。俺は千葉の自宅から最も近い東口の入り口で待っていた。

 まさか、ここに来るまでに千葉の身に何かあったんじゃないか。俺がこうしているうちに運命の辻褄合わせというやつであの時のように、別のトラックが突っ込んできたんじゃないか。考えてもキリがないはずなのに、あらゆる可能性が脳裏に浮かんでは消えて、同時に千葉の姿も消えて、俺は不安でならなかった。

 あの日の光景を今でも鮮明に覚えているということは、要するにトラックで轢かれたという事実が俺の記憶に残っているということになる。それはつまり、その出来事は事実であったーー現実で起こったはずだ。勘違いという可能性も否めないけれど、ここまでリアルに覚えている記憶は思い違いなはずがない。そうなると、あの日、目の前で押しつぶされた千葉は何処へ行くのか。結果的に、全てを繋がらせるには、もう、あの日の光景を再現するしかなくなるのではないか。この世界が、矛盾を全て消しにかかるのかもしれない。俺は怖くて堪らなかった。

「おーーーーい。どしたの?」

 ふっと我に返るように声をかけられた背後へと振り返ると、

「なんでぼーーっとしてるの?まさか私の声を忘れちゃったとか?」

 そんなわけないだろう、と言葉にせずに、声を出さずに顔を横に振った。

「なんだよーー。てっきり声かける人を間違えたのかと思っちゃったよ、焦ったぁー」

 消えそうな蝋燭を灯そうとする火のようだと、俺は千葉を眺めながら思った。とても安心する声で、不安を掻き消す光のようで、それだから逆に怖かったのだろう。もし、光が消えたら、俺はもう何処へも行くことが出来ないかもしれないと思っていたのだ。

「だったら他人のフリをすればよかったのかもしれないな」

 だが、その恐れももうない。なぜなら、もう放さないといわんばかりに掌を握りしめているのだから。

「ちょ、ちょ、いたいって。いつもより握る力強くない?」

「そうか?俺はいつもどおりだと思うんだがな」

 彼女には俺のそんな心配事を悟られないようにしながら、エントランスからモールへと足を踏み入れる。

「やっぱり強いって!!」

 冷たい掌を温めるために、俺は自分の熱を流し込むようにさらに力を込めた。






 ショッピングモールでは休日であったからかどの店に入っても人混みは避けられないような状況であったので、ちょうど近くのイベントブースで人気が無くなっているペットショップに行くことになった。

 ペットショップはモールのちょうど東側隅の方にあったので、エントランスから入ってすぐに向かえる場所にあった。

 ガラス越しに猫や犬が見えたり、一匹ずつケージに入れられている動物たちの中で、千葉はまずアクアリウムから見ることにしたらしい。真っ先に水槽があるスペースへと駆け寄って、それに引っ張られる形で俺もついて行った。

「なんでここにきてイワシなんだよ」

 いや、まずイワシをペットショップで売ってる時点でおかしいだろ。

 千葉は店頭に展示されている犬猫にはまったく目もくれず、最初に目を留めたのは、留めに行ったのは海水魚の展示コーナーだった。しかも水槽の中にはイワシが回遊している。

「一匹じゃいられないからこうやって団子みたいに集まってるんだってーー」

 そう言いながら展示の説明欄を指す千葉。いや、ここってペットショップじゃなくて水族館だったっけ。

「おいしそうだね」

「食用かよ!?」

 観賞用に購入するのではないらしい千葉の言い方に突っ込みを入れると、またもや強引に手を引っ張られる。

 すると、ようやく本題の犬猫ゾーンに入った。

「そういや千葉って犬と猫のどっちが好みなんだ?」

「私は猫派かなーー。ほら、猫ってさ犬と違って自分でふらっとどっか行ったりするし、飼うのが楽じゃん?」

「好き嫌いを楽か、そうじゃないかの観点から判断するのかよ・・・・」

「ええーー?飼うとなったらその判断基準は重要だよ?」

「そうだけどさ、単純に、そんな現実的なことは頭に入れないで決めるとどうなんだ?飼うか、飼わないかじゃなくて、どっちが好きかって話だ」

 じっと、とある展示ブースに視線を送り続ける千葉は「じゃあ猫かな」と答えた。

「だって、犬は飼い主に忠実なのが多いけど、猫って結構、我の道を通るって感じで自由って気がしない?そういうところが私は好きだな」

 何気にしっかりした理由があることが意外だった。てっきり、顔が可愛いから、なんて言い出すかと思ったら見当違いだったようだ。

 すると千葉は視線の先にあった展示ブースを指して言った。

「この子たちとかどう?」

 ケージよりは広いスペース、床はフローリングで天井まで伸びたガラスに囲まれている。その中には二匹の猫がじゃれ合っていた。

 それぞれ雄、雌の一匹ずつらしく、まるでカップルのように見えた。

「・・・・いいんじゃないか?」

 だからだろう。なぜかこの二匹のことを飼うことに躊躇いが生まれたのは、必然的だったのだ。

「でもさ、この子たちってどちらか引き取られたらどっちかはここに取り残されちゃんだよね?」

 躊躇した理由をそのまま問い詰められるような気がした。たぶん、俺が答えなかった時に生まれた一瞬の空白から千葉はもう察していたのだろう。

「それは仕方ないだろうな。購入者が二匹とも飼えるほどの財力を持っていたらいいが、普通、一匹しか飼えない。そこまでの余裕がある人物に巡り合うことも、希望的観測みたいなもんだしな。おそらく、どちらか一匹は残ってしまうかもしれない」

「残った動物ってどこに行くのか知ってる?」

 口にはしたくないと思いつつ、俺は爪で掌に跡が残ってしまうほど自分の手を握りしめて、答えた。

「里親を探すまでペットショップにいるか、それか、バイヤーに引き取らせるんだろうな・・・・」

 俺は残ってしまった動物たちの行く末について一度調べたことがある。酷い時は保健所に連れていかれたり、実験に使われることもある。

 それは、はっきり言って「絶望」としか言いようがない末路を辿っていた。

「そうだよね」

「もしものことだけどさ、この子たちと意思疎通が出来て、自分たち二匹とも引き取ってくれる里親が来るまで待つって言われたら、賛成する?」

「俺は・・・・」

 答えようとした時だった。千葉はそもそも俺の回答を待つまでもなかったようだ。

「あ!!あそこにハムスターがいるよ!!」
 
 再び手を引っ張られ、答えるまでもなく、別の展示ブースへと連れていかれた。

 その後は話題に上がることもなく、そのままペットショップを立ち去ることとなった。


 俺はあの時以上に、温かく、そして悲しみを同時に抱いている少女の姿を見たことが無かった。
 ゆえに、近いうちに再び思い出すことになるだろうと薄々感じていた。

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