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最悪だ
しおりを挟む部屋にある時計の針は7時を少し回った所を指していた。カーテンの隙間から朝日が差し込み清々しい休日の始まりを告げていたが、頭の中では台風が吹き荒れていた。
小学二年生の娘のママで38才にもなるのに、連絡もせず男と1晩過ごしてしまった最低の奴の名を園生望希(そのおみき)。それがやらかしてしまった私の名前。
慌てて自宅に電話をかけるも母はかなりのお怒りモードだ。
そりゃそうだ。子供を預かってもらいたまにはと、職場の飲み会と快く送り出してくれたのにこの有様なのだから。さすがに男との事は言えないが……。
「うん。ごめん、お母さん…。連絡もしなくて。ちょっと呑みすぎて。会社の人の家に泊めてもらった。菜帆は?うん。ありがとう」
ベッドの上で額に手をやり項垂れながらスマホから聞こえる母の声を遠くに聞く。
何度も謝りやっとの事で通話が終了を迎え、どっと疲れが押し寄せる。
やってしまった。後悔と罪悪感で押しつぶされそうになる。30歳で未婚で子供を産んで親に迷惑をかけ、子育ても手伝ってもらった。更にコレだ。ほんと、親不孝な娘だわ。
「最悪…」
やらかした自分に責任はある。時間が巻き戻るなら飲み会の時に戻って欲しい。そう嘆くもそう都合良く戻ってくれるはずもない。
「…アタマいたい」
そのまま、ベッドへ崩れ落ちたい気持ちを抑え気怠い体を動かす。早く帰らなければ。ここの家主の姿は目を覚ました時からない。他人を置いて外に出るはずもないだろう。もしかしたらシャワー?
挨拶をする必要もないし、もしかしたらお互い気まずいかもしれない。なら、今のうちにさっさとお暇させてもらおうとするが思うように動けない。シーツを体に巻きイスに掛けられた服へと目指すも、足がもつれ床へとへたり込んでしまった。足に力が入らない。子供を産んでからご無沙汰で久しぶりの快楽に体が悲鳴をあげていた。
「すごかったな…」
子供や親への罪悪感はあるものの昨夜の事を思い出し顔を赤らめてしまう。普段見ることの無い男の姿。いつもキチンと整えている髪が乱れ、必死に私を求め荒い息を吐く——それが少し前のここで起きた出来事。上司の塩野甲斐が、あんな顔をするなんて。
「それは、嬉しいお言葉」
思わず呟いた言葉に背後から返事をされ固まってしまった。聞かれた恥ずかしさと昨夜のとで振り返ることが出来ずにいると、ひょいと抱えられベッドへと引き戻された。
シャワーを浴びたのだろう、濡れた髪のまま白いシャツを羽織った甲斐は、昨夜あれほど乱れていたくせに今はもう涼しい顔をしている。その落ち着き払った態度が、妙に腹立たしくて、それ以上に妙に色っぽくて、また顔が熱くなった。
「もう1回……といきたいけど。電話、家だよね?送るよ」
軽く唇にキスを落とすと、ぽんぽんと頭を撫でた。まるで子供をあやすような仕草なのに、その手つきはどこか甘くて、私はうまく言葉を返せない。
「その前に、シャワーして。朝ごはん作ったから軽く食べて。それから車で送るから」
立ち上がった甲斐は当然のようにそう言い、さっさとキッチンの方へと消えていった。
私はしばらくベッドの上でぼうっとしていた。
この人は昔からそうだ。飄々として、何を考えているのかわからない。職場では誰とでも軽やかに話すくせに、どこか掴みどころがない。二面性があると陰で囁かれているのを聞いたこともある。でも昨夜、私に向けられたあの眼差しは——。
「望希、冷めるよ」
廊下から声がかかり、私は首を振った。
考えても仕方ない。これは勢いの、たった一夜の話だ。菜帆が待っている。お母さんが怒っている。私には帰るべき場所がある。
それでも。
シャワーを浴びながら、私はこっそりと昨夜の記憶を胸の奥にしまい込んだ。誰にも言えない、自分だけの小さな秘密として。
小さなダイニングテーブルに並んでいたのは、トーストと目玉焼き、それとコーヒーだった。飾り気もなく手際よく整えられたその朝食が、この人らしいと思った。
「……いただきます」
向かいに座った甲斐は、コーヒーカップを傾けながらスマホを眺めていた。気まずくもなく、余計なことも言わない。その自由奔放さが、今だけは少しありがたかった。
トーストを一口かじると、思ったより空腹だったことに気づいた。
「……おいしい」
ぽつりと言うと、甲斐は顔を上げてふっと笑った。
「それも嬉しいお言葉」
——また、その言葉。
私は誤魔化すようにコーヒーを口に運んだ。耳まで赤くなっているのが自分でもわかった。
帰りの車の中、二人はほとんど喋らなかった。カーステレオから流れる低いジャズが車内を満たし、窓の外では日曜の朝の街がゆっくりと目を覚ましていた。
自宅マンションの前で車が止まる。
「じゃあ」
「うん」
それだけだった。でも、降りようとドアに手をかけた瞬間、甲斐が静かに言った。
「また、誘う」
振り向けなかった。
「……気が向いたら」
負けず嫌いの私らしくない、ひどく曖昧な返事だった。でも今はそれが精一杯だった。
エレベーターに乗り込んで扉が閉まった瞬間、私はやっと大きく息を吐いた。
最悪だ、と思う。
——でも、少しだけ、最悪じゃない朝だった。
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