満月の夜、絡み合う視線

宝月 蓮

文字の大きさ
8 / 25

二人きり・後編

しおりを挟む
 ルフィーナとエヴグラフはラスムスキー侯爵家の帝都の屋敷タウンハウスの庭園をゆっくりと歩いていた。

「歩くのが遅くて申し訳ございません」
 ルフィーナは眉を八の字にして困ったようにエヴグラフを見上げていた。
「いや、のんびりと庭園を回れるから俺としては大歓迎だ」
 優しげにラピスラズリの目を細めてルフィーナを見るエヴグラフ。

 エヴグラフは大柄で歩幅も大きいのだが、ルフィーナの歩幅に合わせてくれている。

「ありがとうございます」
 ルフィーナはふわりと微笑んだ。
 すると、エヴグラフは満足そうにフッと口角を上げた。
(エヴグラフ・アレクセーヴィチ殿下……お優しい方なのね)

 第三皇子であるエヴグラフと一緒にいても、不思議と心穏やかなルフィーナだった。しかし、ほんの少しだけルフィーナの心臓が高鳴っている。

「それにしても、サーシャは心の底からリュドミラ嬢を愛しているようだな」
 エヴグラフはお茶会でのアレクサンドルの態度を思い出していた。
「ええ、昔からですわ。サーシャはわたくしにリュダのことでよく相談に来ておりましたから。彼女の婚約者になる為に、あの手この手で外堀を埋めておりましたのよ」
 ルフィーナは昔を思い出し、懐かしげに微笑んだ。
「その話もサーシャから聞いたな。サーシャはリュドミラ嬢との婚約の為にラスムスキー侯爵家の薬品研究事業を立ち上げたとか」
「ええ。ストロガノフ伯爵家が経営する商会が、今後薬品を取り扱う情報がありましたので。だからサーシャとリュダの結婚を通してラスムスキー侯爵家とストロガノフ伯爵家が結び付くメリットがあることを示したのですわ」
 二人はクスクスと笑いながら話していた。
「それにしても、俺達はサーシャとリュドミラ嬢の話ばかりしているな」
 やや困ったような表情になるエヴグラフ。
「仰る通りですわね。正直に申し上げますと、エヴグラフ・アレクセーヴィチ殿下とはほとんど初対面ですので、共通の友人の話題が一番話しやすいと思いますわ」
 ルフィーナも少し困ったように肩をすくめた。
「一理あるな。じゃあ君のことを聞いても良いだろうか? 例えば、どんな本を読むかとか、予定がない日は何をしているのかなど」
 エヴグラフのラピスラズリの目が真っ直ぐルフィーナに向けられる。
「そうですわね……」

 ルフィーナはペリドットの目をチラリと左上に向け、少し考える素振りをした。そして、ペリドットの目を再びエヴグラフに向ける。

「去年の成人デビュタントの儀まではナルフェック王国のラ・レーヌ学園に留学しておりましたので、ナルフェックの文学を読むことが多かったですわ。以前殿下にお話しした、セリア・トルイユ氏の『美しい夜』など。彼女が書く文章は、柔らかくて穏やかなのでとても好きなのでございます」
「セリア・トルイユ氏の本なら俺も読んでいる。あの文章は、俺も好きだ。宮殿の図書館には彼女が書いた本全て揃っているぞ。良かったらルフィーナ・ヴァルラモヴナ嬢に宮殿の図書館への常時入場許可証を発行することも出来るが」
「まあ、本当でございますか!?」
 ルフィーナはペリドットの目を輝かせた。

 宮殿の図書館の常時入場許可証は、アシルス帝国を治めるロマノフ家の人間なら発行可能である。
 しかし、発行にはそれなりに厳重な手続きも必要だ。

「ああ」
 エヴグラフはフッと口角を上げて頷いた。
「ありがとうございます」
 ルフィーナは嬉しそうにペリドットの目を輝かせた。
(宮殿の図書館はクラーキン公爵城や帝都の屋敷タウンハウスよりも本の種類が多いから楽しみだわ)
 ルフィーナはワクワクしていた。
「君が喜んでくれるのなら、俺も嬉しい」

 エヴグラフの表情は柔らかかった。彼の頬はほんのり赤く染まっているように見える。
 しかしルフィーナはそれに全く気付いていなかった。

「他にはどんな本を読むんだ?」
「ギュンター・シュミット氏の本も読みますわ。新たな風を吹かせる作風なので、いつも新鮮な気持ちで読めますの」
 楽しそうに笑うルフィーナ。
「ギュンター・シュミット氏か。まだ数作しか読んでないが、ルフィーナ・ヴァルラモヴナ嬢が読むのなら俺ももっと読んでみよう。ギュンター・シュミット氏の作品で君のおすすめを教えてくれ」
「そうですわね……」
 ルフィーナは今まで読んだギュンター・シュミット作の本の中で、特に気に入っているものを数冊エヴグラフに教えた。
「なるほど。では今日宮殿に戻ったら、早速読んでみるとするか」
 エヴグラフは楽しそうな表情をしていた。
「それと……」
 エヴグラフが真面目な表情で、やや緊張した雰囲気になる。
「……どうかなさいましたか?」
 ルフィーナは不思議そうに首を傾げる。
「いや、君のことを父称抜きでルフィーナ嬢と呼んで良いだろうか?」
 その声はやや掠れているように聞こえた。
「ええ、構いませんわ。そういえば、サーシャとリュダのことは親しげに呼んでおりましたわね」
 ルフィーナはふわりと微笑んだ。
「ああ。あの二人とはここ一ヶ月で交流を深めたんだ。こうしてルフィーナ嬢とも出会えたのだから、君とも親しくなりたいと思っている」
 エヴグラフのラピスラズリの目は真剣な様子でルフィーナのペリドットの目を見ていた。

 凛々しく端正な顔立ちで見つめられているせいか、ルフィーナの心臓がトクンと跳ねる。

「それは……とても光栄なことでございますわ。エヴグラフ・アレクセーヴィチ殿下」
「ルフィーナ嬢、俺のことをそう呼ぶのは長くて面倒だろう。ルフィーナ嬢には是非愛称のグラーファと呼んでくれたら嬉しい」
「そんな、畏れ多いことでございます」
 ルフィーナはおずおずとした様子だ。
「そうか。では……せめてこうした非公式の場ならば呼んでくれるだろうか?」
 エヴグラフは懇願するかのような表情だ。

 エヴグラフの真っ直ぐなラピスラズリの目が、ルフィーナのペリドットの目に絡む。
 ルフィーナはまるでエヴグラフの視線に捕えられたような感覚になった。

(どうしてかしら……? 殿下から目が離せないわ……)
 初めての感覚に戸惑うばかりのルフィーナ。
「ルフィーナ嬢? 大丈夫か?」
 エヴグラフは心配そうにルフィーナを覗き込んだ。
「ええ……大丈夫でございますわ。……グラーファ殿下」
 ルフィーナは思い切ってエヴグラフを愛称で呼んでみた。
「殿下もいらない」
「ですが……」
 流石に殿下という敬称をつけないのは不味いのではと思ったルフィーナ。しかし、エヴグラフに見つめられて何も言えなくなる。
「……グラーファ様」
 ルフィーナは恐る恐るそう呼んでみた。
 すると、エヴグラフは満足そうにフッと笑う。
「ルフィーナ嬢にそう呼んでもらえると……嬉しい」
「それは……光栄ですわ」
 ルフィーナはホッとしたように微笑んだ。

 ルフィーナの胸の中に、ほんのりと甘く温かな感情が広がった。
 しかしルフィーナはその感情が何なのかまだ分かっていなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

悪役令嬢は皇帝の溺愛を受けて宮入りする~夜も放さないなんて言わないで~

sweetheart
恋愛
公爵令嬢のリラ・スフィンクスは、婚約者である第一王子セトから婚約破棄を言い渡される。 ショックを受けたリラだったが、彼女はある夜会に出席した際、皇帝陛下である、に見初められてしまう。 そのまま後宮へと入ることになったリラは、皇帝の寵愛を受けるようになるが……。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

処理中です...