天使を閉じこめる檻

宝月 蓮

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残された義兄妹

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 ある冬の日。
 空は灰色の雲で覆われており、空気は刺すように冷たい。

 アシルス帝国にあるストロガノフ伯爵城では、この日葬儀がおこなわれていた。
 皆、黒いドレス、黒いベール、黒い帽子、黒いモスリンのタイなどを着用している。

 ストロガノフ伯爵家長女で今年十五歳を迎えるアリョーナ・イーゴレヴナ・ストロガノヴァは葬儀中、俯いて拳をギュッと握る。
(お父様……お母様……)
 馬車の事故により突然両親を亡くしてしまい、大きな悲しみがアリョーナを襲う。大声をあげて泣きたくなったが、葬儀中なのでそれを必死に我慢していた。気を緩めると、アリョーナのアクアマリンのような青い目からは涙が零れ落ちそうなのだ。
 すると、アリョーナの手が大きな手に包まれる。
 驚いてアリョーナは隣にいる手の主を見た。
(ユーリお義兄にい様……)

 アッシュブロンドの髪にムーンストーンのようなグレーの目。冷たいがハッと目を引くような整った顔立ち。
 ユーリ・ネストロヴィチ・ストロガノフ。今年十八歳を迎えるアリョーナの義兄あにで、ストロガノフ伯爵家当主になる者だ。

 ユーリの生家はレポフスキー公爵家。しかし、ユーリが八歳の時、彼の両親が領地視察中の事故で亡くなった。その時ユーリは八歳。まだ子供であり後見人が必要ということで、彼の叔父が妻子を引き連れてレポフスキー公爵家にやって来た。しかしユーリと叔父一家の間で色々あったらしく、ユーリは押し付けられる形でストロガノフ伯爵家に引き取られた。この時ユーリは十歳だった。
 レポフスキー公爵家とストロガノフ伯爵家は遠縁に当たるそうだ。
 ちなみにレポフスキー公爵家は現在ユーリの叔父が当主になっており、次の代は従兄いとこが継ぐらしい。

 ストロガノフ伯爵家には子供がアリョーナしかおらず、彼女が婿を取る必要があった。しかし亡くなったアリョーナの父がユーリを引き取ったことで、彼がストロガノフ伯爵家の後継ぎとなったのである。

(ユーリお義兄様がいてくれるのなら、大丈夫)
 アリョーナはユーリのお陰で少し心を落ち着けることが出来た。

 葬儀はつつがなく終わった。
「アリョーナ、君は葬儀中悲しみを堪えていたね」
 ユーリの声はとても優しかった。
「ええ……。気を緩めたら大声で泣いてしまいそうで……」
 アリョーナは悲しみを隠すように口角を上げた。
「アリョーナ、今は休憩時間だ。外にいる奴らの相手をしなくても良い。だから、今なら大声をあげて泣いても構わないよ。その窮屈なベールも取ってしまえば良い」
 ユーリはそっとアリョーナの黒いベールを取った。

 アリョーナの艶やかでふわふわした長いブロンドの髪と、天使のような可憐な顔立ちが露わになる。

「ユーリお義兄様……」
 アリョーナのアクアマリンの目には、涙が溜まっていた。大粒の涙がポロポロこ零れ出す。まるで透明な水晶のようだ。
「お義兄様……お父様とお母様が……!」
 アリョーナは耐えきれなくなり、声を上げて泣き出した。
 淑女としてはあまり褒められたことではないが、両親を亡くしたのだ。このくらいは許されるだろう。
 そんなアリョーナをユーリは包み込むように抱きしめる。
「アリョーナ、大丈夫だ。僕がずっと側にいるから」
 ユーリの大きな体、穏やかで優しい声。
 アリョーナはユーリの胸の中で涙が枯れる程泣いていた。





♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





 ストロガノフ伯爵家当主だったアリョーナの父イーゴリが亡くなったことで、当主交代の書類に皇帝エフゲニーからサインをもらった。
 これにより、正式にユーリがストロガノフ伯爵家当主になったのだ。
 しかし、実はユーリには黒い噂がある。彼を良く思わない者達は若くして当主になったユーリの噂をこれみよがしに好き放題流していた。

「ストロガノフ伯爵家当主になったユーリ・ネストロヴィチは子供の頃猫を川に投げ捨てて殺したらしいぞ」
「その話は私も聞いた。それだけでなく、十歳の時にレポフスキー公爵家の次男ヴラドレンを殺したとか」
「レポフスキー公爵家の件は事故じゃなくてユーリ・ネストロヴィチが起こした事件だったってことか」
「そのせいでレポフスキー公爵家を追い出されたらしいぞ。ストロガノフ伯爵家がレポフスキー公爵家に恩を売るためにユーリ・ネストロヴィチを引き取ったとか」

「ユーリお義兄様はそんな人ではありません。わたくしに優しくしてくださるし。ストロガノフ伯爵城に住み着いている猫達にも優しいですわよ。それに、本当に人を殺していたのなら子供でも警察に連れて行かれるはずですわ。でもお義兄様は警察に連れて行かれずにわたくしの側にいてくださる。だからそんな噂は嘘に決まってるおります」
 アリョーナはユーリの噂に対して憤っていた。
「ありがとう、アリョーナ。君が僕のことを信じてくれるだけで十分じゅうぶんだ」
 ユーリは自身の噂を気にした様子はなく、ただアリョーナを優しく撫でていた。
「お義兄様ったら」
 アリョーナはドキドキしつつもユーリに触れられて嬉しいと思った。
「さて、そろそろ面倒な相手と話さないと」
 ユーリは軽くため息をつき、苦笑する。
「……レポフスキー公爵閣下ですか?」
「ああ。今回義父ちち上が亡くなって、ストロガノフ伯爵家の当主は僕になった。今まで破格の値段でレポフスキー公爵領の絹が手に入っていたみたいだけど、僕が当主になったのならば叔父は値段を法外な程に釣り上げるらしい」
「大丈夫ですの? 確かにストロガノフ伯爵領はレポフスキー公爵領の絹を織って売っていますが……」
 アリョーナは少し心配そうだ。

 ストロガノフ伯爵領は絹織物の技術が売りだ。ストロガノフ伯爵領の職人達が作った絹織物は独特の光沢があり、肌触りも普通の絹織物より滑らかである。
 しかし絹の生産はレポフスキー公爵領を始めとする他の領地に頼り切りなのだ。

「大丈夫。もうレポフスキー公爵領からは買わないことにしているから。叔父がレポフスキー公爵家にやって来てから、領地の絹の質は段々低下している。もう買う価値はない。それに、ユスポフ公爵領で良質な絹が生産されるようになったんだ。既にユスポフ公爵閣下と話は付けてある」
 ユーリは自信たっぷりな表情だ。
 アリョーナはそんなユーリを見て肩を撫で下ろす。

 アシルス帝国は元々絹の生産能力が低く、絹はナルフェック王国から輸入していた。しかし、現皇帝エフゲニーがユスポフ公爵家とユーリの生家レポフスキー公爵家に、アシルス帝国で絹を生産出来るよう命じたのである。
 
「それと、絹織物だけでなく僕が立ち上げたストロガノフ商会も軌道に乗っている。ストロガノフ伯爵領と隣接する領地を持つクラーキン公爵家とラスムスキー侯爵家が取り引きに応じてくれる。ストロガノフ伯爵家はこの先も大丈夫だ」
「流石はユーリお義兄様ですわ」
 アリョーナはどことなく誇らしげな気持ちになった。

 ストロガノフ伯爵夫妻が亡くなり、残されたアリョーナとユーリ。不安もあるが、二人は立ち上がって前を向いていた。
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