国の英雄は愛妻を思い出せない

山田ランチ

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11 妻の事業

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「戻って来ると思っていたよ。呼び方は今まで通りフレデリックでいいかな? ギレム侯爵は君の兄上の方で慣れてしまっていてね」

 アナスタシアと過ごしていた部屋でまだ優雅にお茶を飲んでいたアルベールは、鋭い視線を向けられても全く平気な様子でにっこりと笑った。その前にフレデリックは乱暴に座った。

「呼び方は何でもいい。それよりさっきアンと何を話していたんだ? あの話を進めておくとはなんだ」
「どうもこうもあの話はあの話だよ。コーレ男爵の名義で進めている事業さ。国境付近に住む者としては欠かせない事業だからね」
「コーレ男爵? あぁ、アンの父親か」

 覚えているという訳でなく、こちらに戻ってきてから集めた知識として持ち合わせていた名前の一つだった。

「フレデリック、男爵は君の義理の父でもあるんだからね」
「分かっているさ。それで、お義父様が進めている事業とは?」

 少し驚いたようにアルベールは目を見開いた。

「どうやら噂は本当のようだね。君、本当に記憶を失くしているんだ?」

 むっとしたまま黙るフレデリックを面白そうに見つめると、薄い唇を横に引いた。

「災害や戦争後の荒らされた土地に目を向けた事業だよ。苦難を乗り越えたコーレ家だから気がついた事業だとも言えるね。その事業が今の君の憂いを取り除く事にもなると思うけれど?」
「回りくどい奴だな。俺の憂いを知っているような口振りは止めろ」
「酷いなぁ、場所は違えど戦場で共に戦った仲間なのに。君の勝手ばかりのおかげで何度こちらの作戦を変更した事か」
「結果良かったはずだ。それに場所は端と端だったろ」
「それでも仲間は仲間だろう?」
「いいからその事業とは?」
「全く、せっかちな男は嫌われるよ。事業は主に復興に必要な人員の貸し出しと、復興計画の提案だ。荒れた土地が元の姿を取り戻すには人手と歳月が必要だからね。支払いはその地の領主や支援金、もしくは国有地なら国が返済だ。その後は全国民の税に上乗せという形で徴収していく。領主だけの資産や蓄えだけでは救えないが、こうした仕組みなら長期の目で見れば誰も損はしないし、なにより希望が見出せる。そうして兵士達だけでは足りない所を補うんだよ」
「ただ人を寄越されても困るだけだぞ」
「それはちゃんと育成しているよ。この六年でね。難民への支援にもなるから、他国へ流れる事なく難民問題も解決出来ていると言う訳さ。そのどれもがコーレ家が進めてきた事だ。他にも賛同した貴族達が出資しているよ。もちろん僕もね」
「……そういう事か」

 フレデリックは納得したように息をついた。

「それならさっそくコーレ男爵に手紙を書こう。戦争によって蹂躙された土地の復興の為に尽力願いたいと」

 アルベールは少し思案した後、掌で隠した口元を緩めていた。

「なぜ記憶を失ったのか聞いても?」
「襲われたんだ。射られそうになって避けた先が崖だった」

 するとアルベールは背中を丸めて小刻みに笑い出した。

「面白い事は何も言っていないぞ」
「いやいやすまない。百戦錬磨のフレデリックがまさか終戦後に崖の下に落ちるなんてね。それで犯人は誰だったの?」

 不機嫌に目を逸らすと、そちらの方が驚いたようだった。

「まさか捕まえていない? 危険じゃないか」
「目星は付けているが確定じゃないんだ。こちらもややこしいんだよ、相手が相手だけにな」
「……なるほど。ならば僕は聞かなかった事にしようかな。しがない辺境伯だし」
「嫌味な奴だな」
「記憶がないという事は今アンの事はどう思っているのかな? ただの肩書だけの妻? それともまた惚れた?」
「答える義理はないな。アンが何を言っていたかは知らないが俺達の問題だ」
「アンは何も言っていないよ。今も昔も君一筋だからね。でも何か思う所があるようだ。それは僕にも分らないけれど。だからあまりアンの事を追い詰めないでくれよ」
「もしも追い詰めたら?」
「その時は僕が領地へ連れて行こう。アンが望むまでいてもらって構わないし、希望するなら良い再婚相手も探すつもりだ」

 フレデリックは持っていたグラスを机に叩き置いた。グラスにひびが入る。アルベールは変わらない笑みを浮かべると、ひらひらと手を振った。

「このくらいで怒るなんて、アンは君とベルナンド夫人の話を聞いてどれだけ傷ついたか考えた事がある?」
「俺達はやましい関係じゃない。ミレーユとは友人だ」
「誤解を解かないまま盲目的に愛してもらえると思っていたら大間違いだよ。妻だって、夫に愛されていないと分かったら他に愛を求めるものさ」

 フレデリックの心の中にミレーユが過る。ミレーユが茶会で男娼を呼び享楽に興じているというのはにわかには信じられないが、例えそうだとしても心も身体も寂しくなった者が他者にそれを求めて誰が責められるだろうか。それに自分はアナスタシアを裏切っている訳ではない。きちんとアナスタシアとの今後を決める為に気持ちを整理しているのだ。アルベールの人の腹の中を探るような物言いに、これ以上話していたくなくて部屋を出た。


「コーレ男爵に手紙を書くか。俺はアナスタシアと結婚した理由の一つが分かった気がするよ。きっとこのコーレ家の事業が欲しくて結婚したのかもしれない」

 廊下で待っていたモルガンはそっぽを向いて答えた。

「私には分かりませんが、フレデリック様がそんな理由で結婚なさるでしょうか?」
「俺はミレーユに婚約破棄されて焦りを感じていたのかもしれない。だから大きくなると踏んだ事業を始めたコーレ家に近付いたのかもしれない」
「全ては記憶が戻ったら明らかになりますよ」
「元も子もない話をするな」
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